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「馭謨郡」の版間の差分

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[[画像:Kagoshima Gomu-gun.png|frame|鹿児島県馭謨郡の位置]]
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'''馭謨郡'''(ごむぐん)は、[[鹿児島県]]([[大隅国]])にあった[[郡]]。
'''馭謨郡'''(ごむぐん)は、[[鹿児島県]]([[大隅国]])にあった[[郡]]。

2021年9月6日 (月) 10:36時点における版

鹿児島県馭謨郡の位置

馭謨郡(ごむぐん)は、鹿児島県大隅国)にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の屋久島町にあたる。

歴史

古代

824年多禰国が大隅国に編入された。同時に益救郡が馭謨郡に編入された。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
馭謨郡 1座(小)
益救神社 ヤクノ
マスクヒ
益救神社 鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦
凡例を表示

近世以降の沿革

11.上屋久村 12.下屋久村(紫:屋久島町 1 - 3は熊毛郡 上屋久村所属の口之永良部島は省略)
宮之浦村、楠川村、船行村、安房村[1]、麦生村、原村、尾間村、小島村、平内村、湯泊村、中間村、栗生村[2]、永田村、吉田村、一湊村、志戸子村、小瀬田村、口之永良部島村[3]
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての馭謨郡が発足。「鹿児島郡役所」が管轄。
  • 明治18年(1885年
  • 明治19年(1886年11月13日 - 大島島庁種子島出張所の管轄となる。
  • 明治22年(1889年
    • 4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・屋久島町。(2村)
      • 上屋久村 ← 宮之浦村、楠川村、小瀬田村、吉田村、一湊村、志戸子村、永田村、口之永良部島村
      • 下屋久村 ← 安房村、船行村、麦生村、原村、尾間村、小島村、平内村、湯泊村、中間村、栗生村
    • 4月20日 - 熊毛郡役所の管轄となる。
  • 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、熊毛郡役所の管轄区域をもって、改めて熊毛郡が発足。同日馭謨郡廃止。

脚注

  1. ^ 小村の黒石野村も記載。
  2. ^ 小村の恋泊村・椎野村も記載。
  3. ^ 記載なし。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X 
  • 原口泉ほか 『鹿児島県の歴史』 山川出版社、1999年、ISBN 978-4634324602

関連項目

先代
-----
行政区の変遷
- 1896年
次代
熊毛郡