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2021年9月6日 (月) 08:35時点における版
ロックンロール・サーカス | |
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The Rolling Stones Rock and Roll Circus | |
監督 | マイケル・リンゼイ=ホッグ |
製作 | スタンフォード・ライバーソン |
撮影 | アンソニー・B・リッチモンド |
公開 | 1996年 |
上映時間 | 66分 |
製作国 | イギリス |
言語 | 英語 |
ロックンロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)は、ローリング・ストーンズが1968年に製作した映像作品である。監督は、ビートルズのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』等で知られるマイケル・リンゼイ=ホッグ。ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フーなど、多くのビッグネームが参加しながら、様々な要因により、その後30年近くにわたり封印され続け、伝説的な作品となっていた。
概要
「ロックンロールとサーカスの融合」をコンセプトに、ローリング・ストーンズが企画・製作した作品。監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグは、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のプロモーション・ビデオでディレクターを担当したことがあった。そのリンゼイ=ホッグによると、ミック・ジャガーから「テレビの企画をやってみないか?」と話を持ちかけられた事がこの企画の発端であるという[1]。まず最初に「ロックンロール・サーカス」という言葉だけが浮かび、そこからいろんなアイディアを練っていったという[1]。 収録は、1968年12月10日から12日にかけて、ウェンブリーにあるスタジオにて行われた。製作に当たっては、ストーンズが自ら50000ポンドを出資している。11月23日に出された最初のプレスリリースでは、出演者にジェスロ・タル、トラフィック、ドクター・ジョンがいること、1月1日に放送されること、3つのテレビ局がすでに放映権を獲得していることが発表された。
ゲストにはジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フー、当時ジャガーの恋人だったマリアンヌ・フェイスフルなど、当時隆盛を極めていたアーティスト達が招待された。レノンはこのイベントのために、クラプトン、ミッチ・ミッチェル、そしてキース・リチャーズと共に、この日限りのバンド「ザ・ダーティー・マック」を結成した。リンゼイ=ホッグは無名の新人も参加させたいと考え[1]、当時デビューしたばかりのジェスロ・タルを出演させた。またロック界以外からも、バイオリニストのイヴリー・ギトリス、ピアニストのジュリアス・カッチェンが招待された。
また、このイベントが結果的にブライアン・ジョーンズの最後のステージとなった。
ゲスト選考
ゲスト候補の中には、当時結成されたばかりのレッド・ツェッペリンがいた。だがギターの音が騒々しいという理由で、ジェスロ・タルに取って代わられる事になった[1]。また、出演者として名前を発表されていたトラフィックやドクター・ジョンも出演しなかった。このうちトラフィックのスティーヴ・ウィンウッドは「喉の調子が悪い」とオファーを断ってきたという[1]。ウィンウッドに断られたリンゼイ=ホッグは、次にポール・マッカートニーにオファーする事を考えたが、腰の重いマッカートニーを口説くには時間的余裕がないと判断し、ジョン・レノンに電話でオファーしたところ、即座に出演を承諾してきたという[1]。また、エリック・クラプトンはレノンが連れてきたという[1]。タジ・マハールはドクター・ジョンの代わりに出演する事となったが、彼は収録当時イギリスへの入国許可が得られていない状態であり、ジャガーとリンゼイ=ホッグはマハールを外す事も考えたが、リチャーズの猛烈な抗議により、マハールの出演は特別に秘密事項として扱われ、何とか収録に参加させる事が出来た[1]。その他、当時リチャーズの恋人だった女優のアニタ・パレンバーグも出演予定だったが、撮影期間中ずっと病気であり、結局出演しなかった。
製作
スタジオにはサーカスのテント小屋をイメージしたセットが組まれ、客席はステージを取り囲むように配置された。観客も全員明るい色のポンチョとフェルト帽を被った。オープニングの出演者入場のシーンでは、出演者全員がピエロやサーカス団員のような仮装をした(ただし、演奏のシーンではそれぞれ普通の衣装に着替えた)。また、各アーティストの演奏の間隙に、サーカス芸人達による様々な曲芸が披露された。ストーンズのメンバーは、各アーティストや演目の紹介役も務めた。テレビ放送を前提に製作されていたため、CM予告も行われたが、これは後にVHS/DVDで発売された際にカットされた。ダーティ・マックの紹介はジャガーとレノンの二人で、ストーンズの紹介はレノンが手話で行った。
12月10日の昼頃から収録から始まった。初日はほぼリハーサルに費やされ、本格的な撮影は11日の昼から始まった。予定では11日の夜9時30分までに全ての収録を終えるはずだったが、様々なトラブルにより進行は大きくずれ込んだ。オープニングの出演アーティスト達が仮装して入場してくる場面だけでも何度も撮り直ししている。曲芸の最中に演者が落馬したり、演者が投げたナイフが直撃して撮影用カメラが壊れるなどのアクシデントも起き[1]、撮影はスムーズには進まなかった。各アーティストの演奏も何度もリハーサルや撮り直しをしており、途中で休憩を挟むなどしたが、出演者はもちろんのこと、観客も疲弊した。結局全ての収録が終わったのは12日の午前6時過ぎで、観客はおろか、出演者の中にも途中で帰った者がいる。最後まで残った観客には、特別に帰りのバスが用意された。
封印と解禁
一応は完成した「ロックンロール・サーカス」だったが、映像、音源ともにその後30年近くに及んで公開されなかった。封印された理由について最も多く語られてきたものが、ジャガーがストーンズの演奏に満足しておらず、さらにザ・フーの圧倒的なパフォーマンスにストーンズが霞んでしまったため、というものであった。事実、ジャガーはストーンズの場面だけを撮り直す計画を練っていたが、計画は途中で頓挫した。しかしそれ以上に決定的な要因は、1965年からストーンズのビジネスマネージャーを務めていたアラン・クレインと1970年に決別した事だった。クレインはデッカ・レコード時代のストーンズの作品の多くの版権を握っており、本作の音源および映像フィルムも同様にクレインの所有物となっていた。クレインはこの映像を再編集し、ザ・フーにその映像を売る計画も立てていた。
これにより、幻の作品となった「ロックンロール・サーカス」だが、映像の一部は以下の形で世に出回る事になった。1969年4月には、ドイツのテレビ局が、ジョン・レノンのドキュメンタリー番組の中で、独自のクルーが撮影したものを放映した。また、ザ・フーの伝記映画『キッズ・アー・オールライト』の製作が始まった1977年に、ジャガーとピート・タウンゼントがザ・フーのシーンを救い出し、映画の中に収めることが出来た。
製作から28年たった1996年になり、ようやくVHSとサウンドトラックCDがリリースされた。2004年にはDVDが発売された。DVDにはミック・ジャガーやリンゼイ=ホッグら関係者によるコメンタリーやピート・タウンゼンドのインタビュー、VHSには収録できなかったタジ・マハールの3曲やジュリアス・カッチェンの演奏、ステージ裏のジャガーとレノンの様子などが追加収録された。
その他
マリアンヌ・フェイスフルは、「サムシング・ベター」の他に「シスター・モーフィン」も歌ったが[2]、麻薬に直接言及した歌詞であったことから、起こりうる検閲問題を考慮し、収録されなかった。同曲は1969年2月にシングルリリースされたが、やはり歌詞が問題となり回収されてしまう。同曲はストーンズが再録し、1971年発表のアルバム『スティッキー・フィンガーズ』に収録するまで日の目を見なかった[3]。また、出し物の中にカンガルーのボクシングもあったが、レノンとオノが「動物虐待だ」と訴え、中止となった。その他、フィルムが現存していないために映像化できていない演目がある事をリンゼイ=ホッグが明かしている[1]。
出演者と収録曲
- イントロダクション(剣闘士の入場 – Entrance of the Gladiators)
- ジェフリーへささげし歌 – Song For Jeffrey
- クイック・ワン – A Quick One While He's Away
- エイント・ザット・ア・ロット・オブ・ラヴ – Ain't That A Lot Of Love
- サムシング・ベター – Something Better
- ヤー・ブルース – Yer Blues
オノ・ヨーコ&イヴリー・ギトリスwithザ・ダーティー・マック
- ホール・ロッタ・ヨーコ – Whole Lotta Yoko
- ジャンピン・ジャック・フラッシュ – Jumpin' Jack Flash
- パラシュート・ウーマン – Parachute Woman
- ノー・エクスペクテーションズ – No Expectations
- 無情の世界 – You Can't Always Get What You Want
- 悪魔を憐れむ歌 – Sympathy For The Devil
- 地の塩 – Salt Of The Earth
DVDに追加収録された曲
タジ・マハール
- チェッキン・アップ・オン・マイ・ベイビー – Checkin' Up On My Baby
- リーヴィン・トランク – Leavin' Trunk
- コリーナ – Corina
- 火祭りの踊り – Ritual Fire Dance
- ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545 第一楽章 – Sonata In C, First Movement
ザ・ダーティー・マック
- ヤー・ブルース(テイク2バージョン) – Yer Blues(TK2 Quad Split)
ローリング・ストーンズ
- 悪魔を憐れむ歌〜ファット・ボーイ・スリム・リミックス・バージョン
脚注・出典
参考文献
- テリー・ロウリングス; アンドリュー・ネイル; キース・バッドマン; 筌尾正訳 『ローリングストーンズ/グッド・タイムズ・バッド・タイムズ』 シンコー・ミュージック、2000年。ISBN 978-4401616541。