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*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.1106 1985年 |
*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.1106 1985年 |
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2021年8月29日 (日) 00:05時点における版
滅翁文礼 | |
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乾道3年-淳祐10年10月10日 1167年-1250年11月5日 | |
生地 | 杭州臨安(浙江省杭州市臨安区) |
宗派 | 臨済宗松源派 |
師 | 松源崇岳 |
弟子 | 横川如珙、石林行鞏 |
滅翁文禮(めっとう もれい、乾道3年(1167年)-淳祐10年10月10日(1250年11月5日))は、宋代に活動した臨済宗松源派禅僧である。号を天目と称した。松源下2世。
乾道3年(1167年)、杭州臨安で出生する。俗姓阮氏。淳熙9年(1182年)に郷里の真相寺で智月和尚の許で修業し、育王山拙庵徳光に就いた後に薦福寺の松源崇岳より印可を得た。
宝祐2年(1254年)6月、饒州薦福寺の住持となった後、南康軍廬山(江西省九江市廬山市)の開先華蔵禅寺の席を薫するが、再び薦福寺へ戻った。
大悟の後は京城広寿寺、雁山能仁寺、南屏山浄慈寺を経て四明天童山に歴住した。法嗣は横川如珙ならびに石林行鞏の2名を数える。
参考文献
- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.1106 1985年
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