「垂井線」の版間の差分
多趣味戦隊ブランケット (会話 | 投稿記録) 2021年4月25日 (日) 01:35(UTC)時点の版 において不十分な履歴継承分割が判明したため、一度垂井駅#垂井線へ記述を戻し、本項は一時リダイレクトページ化。 タグ: 新規リダイレクト コメントアウト サイズの大幅な増減 |
多趣味戦隊ブランケット (会話 | 投稿記録) ノート:垂井駅#分割提案での分割提案合意成立による垂井駅#垂井線記述部分から分割(細かい修正は後程やります)。 タグ: リダイレクト解除 サイズの大幅な増減 曖昧さ回避ページへのリンク |
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{{告知|確認|正式上の扱いについて|4=本稿区間の正式上の扱いについて|date=2021年5月5日 (水) 08:06 (UTC)}} |
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#REDIRECT[[垂井駅#垂井線]] |
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<!-- {{告知|確認|正式上の扱いについて|4=本稿区間の正式上の扱いについて|date=2021年5月5日 (水) 08:06 (UTC)}} |
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{{Pathnav|東海道本線|東海道線 (名古屋地区)|frame=1}} |
{{Pathnav|東海道本線|東海道線 (名古屋地区)|frame=1}} |
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{{Infobox 鉄道路線 |
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|路線名=[[File:JR_logo_(central).svg|35px|link=東海旅客鉄道]] 垂井線<br><span style="font-size:90%;">(東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間下り線)</span> |
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|路線色=#f77321 |
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|国={{JPN}} |
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|所在地=[[岐阜県]] |
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|区間=[[南荒尾信号場]] - [[関ケ原駅]] |
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|駅数=3駅<ref name="南荒尾信号場" group="注釈">南荒尾信号場を含む。</ref> |
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|開業=1946年(昭和21年)11月1日(下り線復活年月日)<ref group="注釈">大垣駅 - 関ケ原駅は、官営鉄道として1884年(明治17年)5月25日開業。1944年(昭和19年)10月11日の旧・新垂井駅経由の迂回線開業と同時に、下り線(垂井線)は廃止。</ref> |
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|所有者=[[東海旅客鉄道]](JR東海) |
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|運営者=東海旅客鉄道(JR東海) |
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|車両基地=[[大垣車両区]] |
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|使用車両=[[東海道線 (名古屋地区)#使用車両]]を参照 |
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|路線距離=10.7km |
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|軌間=1,067mm |
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|線路数=[[単線]](正式路線上では[[複線]])<ref group="注釈">垂井線は、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り方向のみ、[[垂井駅]] - 関ケ原駅は双方向に走行可能となっている。</ref> |
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|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500V [[架空電車線方式]] |
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|最大勾配=25‰ |
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|閉塞方式=自動閉塞式 |
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|保安装置=[[ATS-PT]] |
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|最高速度=85km/h |
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|諸元備考内容=下図の本線・垂井線は列車運行上での扱い。<br>垂井線は正式には東海道本線下り線。<br>旧・[[新垂井駅]]経由は正式には東海道本線支線。 |
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|路線図=[[File:TokaidoLineTarui 1986.svg|none|350px|垂井駅付近の東海道本線]] |
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}} |
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'''垂井線'''(たるいせん)は、[[東海道本線]][[南荒尾信号場]] - [[関ケ原駅]]間の東海道本線下り線線路の通称である<ref name="RF 561">{{Cite journal|和書|author1=松本典久 |author2=池口英司 |date=2008-01-01 |title=東海道本線 名古屋~神戸 223.5km |journal=鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2 |volume=48 |issue=第1号(通巻561号) |pages=15 - 16 |publisher=交友社}}</ref>。国土交通省監修の『[[鉄道要覧]]』では、[[垂井駅]]経由が東海道本線の「本線」である<ref name="鉄道要覧 東海道線" >{{Cite book |和書 |author=監修者 国土交通省鉄道局 |title=鉄道要覧 |chapter=東海旅客鉄道株式会社 |publisher=電気車研究会・鉄道図書刊行会 |volume=各年度 |page=東海道線掲載頁}}</ref><ref name="時刻表 東海道線" >{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道 謹呈 |title=時刻表 全国ダイヤ改正号 |chapter=線名索引 東海道線 |publisher=日本国有鉄道 |volume=秋号 1980 |page=432}}</ref><ref name="日本鉄道旅行地図帳7号 垂井線">{{Cite book |和書 |author=(監修)今尾恵介 |title=日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 |chapter=駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原 |editor=日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) |series=新潮「旅」ムック |publisher=新潮社 |volume=7号東海 |date=2008-11-19 |pages=35 - 36 ||isbn=978-4-10-790025-8}}</ref>。<!-- 国鉄時代に制定された[[国鉄・JR線路名称一覧|日本国有鉄道線路名称]] --> |
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== 概要 == |
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東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅 - [[近江長岡駅]] - [[米原駅]]間は、関ヶ原・[[伊吹山]]越えの難所として知られ、その東側斜面の垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰([[パーミル]])の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となる<ref name="鉄ピク873 三宅">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |page=60 |publisher=電気車研究会}}</ref>。そのため、大垣駅 - 関ケ原駅の改良を行い、上り線を1線、下り線は2線として、合計3線構造となっている<ref name="鉄ピク873 今田">{{Cite journal|和書 |author=今田保 |date=2013-03-01 |title=東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間 |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ) |volume=63 |issue=第3号(通巻第873号)|page=11 |publisher=電気車研究会}}</ref><ref name="RF439 貨物">{{Cite journal|和書|author=祖田圭介 |date=1997-11-1 ||title=東京から福岡まで直行貨物列車のルート |journal=鉄道ファン1997年11月号 特集:JR短絡線ミステリー |volume=37|issue=第11号(通巻439号)|pages=22 - 23 |publisher=交友社}}</ref>。 |
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そのうち大垣駅 - 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間は[[複線]]であるが、そのうち南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線線路は、通称:垂井線と呼ばれている<ref name="RF 561" />。[[太平洋戦争]]中の輸送力増強のため、この区間の勾配で[[補助機関車|補機]]を連結せずに輸送できるように下り列車用の勾配緩和(最大10‰)別線(新垂井線)が建設された際、南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線は撤去された<ref name="RF 561" /><ref name="RF439 貨物" />。垂井線は、戦後それを敷設し直したものである<ref name="RF 561" /><ref name="RF439 貨物" />。 |
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垂井線は原則として普通列車<ref name="普通列車" group="注釈">日中を中心に大垣駅 - 米原駅を往復する純粋な普通列車が運行されるが、朝の一部および夜の全列車は、岐阜駅 - 米原駅間を各駅停車する米原駅発着の区間快速・快速・新快速・特別快速列車で運行される。</ref>のみが走行し、[[特別急行列車|特急列車]]や[[貨物列車]]は入線しない<ref name="RF 561" /><ref name="RF439 貨物" />。そのため、最高運転速度も85km/hに抑えられている。なお、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り専用で、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向に運転可能な[[単線]]となっており、垂井駅に停車する下り列車及び関ケ原始発の上り列車は垂井線を走行する([[#運行形態|配線略図]]参照)。 |
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== 歴史 == |
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{{Main2|本稿以外の東海道本線の沿革|東海道本線#歴史|本稿区間を走行する列車の沿革|東海道線 (名古屋地区)#東海道本線中京圏の列車の沿革|開業当時、東海道本線の支線であった[[長浜駅]] - [[敦賀港駅]](当時:金ヶ先駅)間|北陸本線#歴史}} |
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本節では、本稿と関係性がある関ヶ原・伊吹山越え区間の線路施設全体の沿革を記述する。 |
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=== 関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで === |
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東海道本線には、25‰の急勾配区間が3ヶ所あり、そのうちの1つが関ヶ原・伊吹山越え(他2ヶ所は、箱根越えと逢坂山越え)と呼ばれていた<ref name="鉄ピク873 三宅57">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |page=57 |publisher=電気車研究会}}</ref>。[[名古屋駅]] - [[京都駅]]間の鉄道建設のうち、1876年(明治9年)4月に大垣駅 - 米原駅間は、西側の米原から天野川の川筋へ向かって東進、醒ヶ井、梓、柏原を経て今須に進出、[[中仙道]]の直下を隧道(トンネル)で抜けて松尾村、関ヶ原、垂井を経て大垣へと至る計画で建設されることになった<ref name="鉄ピク873 三宅57" />。しかし、1880年(明治13年)1月に、米原駅 - [[敦賀駅]]間の経路変更{{refnest|group="注釈"|これは、塩津街道沿いの塩津(近江塩津駅)経由であると最急勾配が37‰に対し、北国街道沿いの柳ヶ瀬駅経由であれば25‰となり、勾配が緩やかで建設上有利となるため、変更を上申した結果である<ref name="鉄ピク873 三宅57" />。}}に伴い、関ヶ原への線路は北国街道を長浜から直接関ヶ原へ向かう経路へと変更になった<ref name="鉄ピク873 三宅57" />。その後、関ケ原駅 - 長浜駅間は官営鉄道として1883年(明治16年)5月1日に開業、この区間には春照(すいじょう)駅が設置され、1885年(明治18年)3月16日に上阪(こうざか)駅が開業した{{refnest|group="注釈"|上阪駅は同年12月10日に廃止<ref name="鉄ピク873 三宅57" />。}}。 |
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1884年(明治17年)5月25日に大垣駅 - 関ケ原駅間が開業<ref name="鉄ピク873 三宅57-58">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |pages=57 - 58 |publisher=電気車研究会}}</ref>、これにより大垣駅から京都駅または敦賀駅に至る旅客・貨物輸送が、長浜駅 - [[大津駅]]間の[[太湖汽船|太湖汽船会社]]による[[琵琶湖]]湖上連絡を利用することにより開始となった<ref name="鉄ピク873 三宅58">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |page=58 |publisher=電気車研究会}}</ref>。1889年(明治22年)7月1日に、関ケ原駅 - 春照駅間にある深谷(ふかたに、開業当時駅の設置はなし。駅開業までは分岐点と表記<ref name="日本鉄道旅行地図帳7号 分岐点">{{Cite book |和書 |author=(監修)今尾恵介 |title=日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 |chapter=駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)旧線(ルート変更)関ケ原~長浜 関ヶ原~深谷(貨)~長岡 |editor=日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) |series=新潮「旅」ムック |publisher=新潮社 |volume=7号東海 |date=2008-11-19 |page=36 ||isbn=978-4-10-790025-8}}</ref>{{refnest|group="注釈"|これは、関ケ原駅 - 米原駅間が近江長岡駅経由で開通した際、元々あった関ケ原駅 - 長浜駅間の線路のうち、春照駅東方の深谷と呼ばれる地点に近江長岡駅からの線路が繋がったことによるもので、その場所は開通時点では駅は設置されていなかった。この分岐点という表記は、書籍(日本鉄道旅行地図帳7号 東海)で便宜上表記として記載されている<ref name="日本鉄道旅行地図帳7号 分岐点" />。}})から長岡駅(現・近江長岡駅)を経由して、米原駅まで至る線路が開通、これにより東海道本線が全通した<ref name="鉄ピク873 三宅58-59">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |pages=58 - 59 |publisher=電気車研究会}}</ref>。同時に米原駅 - 長浜駅間の開業と、分岐点 - 長浜駅間および春照駅は廃止となるが、後者の線路は残され、この区間は1891年(明治24年)1月21日に貨物線として復活し、分岐点には深谷駅が開業した<ref name="鉄ピク873 三宅59">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |page=59 |publisher=電気車研究会}}</ref>。 |
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=== 伊吹山東西側斜面の線路改良から戦前まで === |
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大垣駅 - 関ケ原駅 - 長岡駅間は伊吹山東西側斜面にあたり、両者共25‰の急勾配が連続する区間であった。この区間においては、勾配を10‰程度に抑える勾配緩和対策が施工され、関ケ原駅 - 長岡駅間と大垣駅 - 関ケ原駅間に分けられて施工された。 |
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関ケ原駅 - 長岡駅間は、伊吹山の西側斜面にあたり、25‰の急勾配が連続する区間であった。このため、勾配を10‰程度に抑える改良工事が計画され、1895年(明治28年)の第7回鉄道会議でこの区間の勾配改良についての説明では、深谷駅経由のルートを南側へ迂回させ、長岡から天ノ川流域を南進して天ノ川橋梁を架橋、[[柏原駅 (滋賀県)|柏原(かしわばら)駅]]を新設、さらに中山道を横断して[[滋賀県]]から岐阜県に入り、今須隧道と藤古川橋梁経由で10‰の勾配に改良するというもの<ref name="鉄ピク873 三宅59-60">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |pages=59 - 60 |publisher=電気車研究会}}</ref>。その後、1899年(明治32年)10月15日に関ケ原駅 - 長岡駅間が開業{{refnest|group="注釈"|1901年(明治34年)11月6日に関ケ原駅 - 長岡駅間の複線化が完成、そのうち関ケ原駅 - 柏原駅間は電化に際し上り線が線路変更となり、新今須隧道が新設され、新設の上り線は1955年(昭和30年)5月6日から使用開始した<ref name="鉄ピク873 三宅" />。なお、電化は稲沢駅 - 垂井駅 - 米原駅間および大垣駅 - 新垂井駅 - 関ヶ原駅間が同年7月20日に完成した。}}、同年12月28日に関ケ原駅 - 深谷駅 - 長浜駅間の貨物線および深谷駅 - 長岡駅間が廃止となる<ref name="鉄ピク873 三宅" />。なお、長岡駅は1914年(大正3年)12月1日に近江長岡駅と改称した<ref name="鉄ピク873 三宅59" />。 |
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東海道本線の難所越え区間で最後まで急勾配が残った大垣駅 - 関ケ原駅間は、伊吹山の東側斜面にあたり、垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となるため、本区間は明治時代より改良の調査をしていた<ref name="鉄ピク873 三宅" />。1940年(昭和15)年になると軍事輸送が増加、下り列車の補機連結のため、上り列車の補機の回送があるなどで、線路容量が極度に切迫、東海道本線中最大の隘路となった<ref name="鉄ピク873 三宅" />。そこで、下り線勾配緩和のため、勾配を10‰に抑えた単線の下り列車用別線を建設、1944年(昭和19年)10月11日に開業した。この線路は新垂井線とも呼ばれ<ref name="RF 561" />、垂井駅の北方を大きく迂回するが、大垣駅 - 垂井駅間および大垣駅 - 新垂井駅間の駅間キロ程は、従来の垂井駅経由と同一にした。ただし、実際の駅間キロ程は新垂井駅経由の方が2.9km長い<ref name="鉄ピク873 三宅60-61">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |pages=60 - 61 |publisher=電気車研究会}}</ref>(詳細は[[#駅一覧|後述]]。また、この区間の運賃計算の特例については[[#運賃計算の特例|後述]]を参照)。当初の計画では在来線は複線のままで残し、新線は下り長距離列車のみを通過させ、その他の列車は従来の下り線を通す予定であった。しかし、戦争による軌条の供給状況が切迫しているため、計画変更を余儀なくされ、この迂回線開業と同時に、下り本線は廃止され2線運転となり、さらに、線路も撤去されてしまった<ref name="RF 561" /><ref name="鉄ピク873 三宅61">{{Cite journal|和書 |author=三宅俊彦 |date=2013-03-01 |title=関ヶ原越えを辿る |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |page=61 |publisher=電気車研究会}}</ref>。このため、垂井町の人々は、下り列車は新垂井駅、上り列車は垂井駅を利用しなければならず、しかも両駅間は3.0km近く離れている。そこで、両駅を連絡するバスも運行されたが、不便この上なかった<ref name="RF 561" /><ref name="鉄ピク873 三宅61" />。 |
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=== 戦後の垂井線 === |
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1946年(昭和21年)11月1日に廃止された下り本線が復活、この区間は3線運転となった。ただし、この線路は普通列車のみ運行であったが、垂井駅で下り・上り両方の列車が利用できるようになった<ref name="鉄ピク873 三宅61" />。なお、この線路は今でも垂井線という通称で呼ばれている<ref name="RF 561" />。 |
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戦後、東海道本線の輸送需要の増加を背景に、この新垂井線には、[[こだま (列車)#東海道本線電車特急「こだま」|特急「こだま」号]]などの数々の優等列車や「[[たから (列車)|たから号]]」やフレートライナーなどの貨物列車が通過していった<ref name="RF439 貨物" /><ref name="鉄ピク873 祖田">{{Cite journal|和書 |author=祖田圭介 |date=2013-03-01 |title=東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸 |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ) |volume=63 |issue=第3号(通巻第873号)|pages=67 - 68 |publisher=電気車研究会}}</ref>。なお、1986年(昭和61年)11月1日に新垂井駅が廃止され、これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となった<ref name="RF 561" /><ref name="鉄ピク873 三宅61" />。 |
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==== 年表 ==== |
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{{Main2|本稿の区間や駅などの開業・廃止の詳細|東海道本線#年表}} |
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* 1883年(明治16年)5月1日:官営鉄道関ケ原駅 - 長浜駅間開業 |
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* 1884年(明治17年)5月25日:官営鉄道大垣駅 - 関ケ原駅開業 |
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* 1889年(明治22年)7月1日:官営鉄道分岐点(深谷) - 長岡駅 - 馬場駅(現・[[膳所駅]])間および米原駅 - 長浜駅間開業開。東海道本線全通。分岐点 - 長浜駅間および春照駅廃止 |
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* 1891年(明治24年)1月21日:官営鉄道分岐点 - 長浜駅間貨物線として復活。関ケ原駅 - 長岡駅間に深谷駅開業 |
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* 1899年(明治32年) |
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** 10月15日:官営鉄道関ケ原駅 - 長岡駅間は、今須隧道と藤古川橋梁経由のルートで単線開業 |
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** 12月28日:官営鉄道関ケ原駅 - 深谷駅 - 長浜駅間の貨物線および深谷駅 - 長岡駅間がルート変更により廃止 |
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* 1901年(明治34年)11月6日:官営鉄道関ケ原駅 - 長岡駅間複線化完成 |
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* 1914年(大正3年)12月1日:長岡駅が近江長岡駅と改称 |
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* 1944年(昭和19年)10月11日:東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅間に新垂井駅経由の下り線専用新線(新垂井線)開業。同日新垂井駅開業および南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り本線廃止 |
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* 1946年(昭和21年)11月1日:廃止された下り本線(垂井線)が復活。ただし、この区間は普通列車のみ運行 |
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* 1986年(昭和61年)11月1日:新垂井駅廃止。これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となる |
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== 運行形態 == |
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本節では、2021年3月13日以降の運行形態について説明する。 |
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=== 南荒尾信号場 - 関ケ原駅間 線路配線 === |
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{{駅配線図|image=Rail Tracks map Minami-arao - Sekigahara Station.svg |
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|title=南荒尾信号場 - 関ケ原駅間 線路配線略図 |
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|width=800px |
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|left=大垣・<br />名古屋方面 |
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|right=米原方面 |
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|down=美濃赤坂駅 |
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|down-align=left |
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|note=色付き線の名称の凡例<br>本線上り:正式には本線上り線<br>本線下り:支線(新垂井線)<br>垂井線:正式には本線下り線<br>美濃赤坂線:大垣駅 - 美濃赤坂駅間の支線([[美濃赤坂線]]を参照) |
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|source=<ref name="鉄道要覧 東海道線" /><ref name="RF439 貨物" /><ref name="鉄ピク873 関ケ原">{{Cite journal|和書 |date=2013-03-01 |title=関ケ原越えのいまむかし |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)|volume=63 |issue=第3号(通巻第873号) |pages=54 - 56 |publisher=電気車研究会}}</ref><ref name="鉄ピク873 祖田" /><ref>[[川島令三]]、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, [[講談社]]、2009年7月、ISBN 978-4062700153</ref> |
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垂井線は、上図のように南荒尾信号場の分岐から上り本線と平行、垂井駅では3番線を使用、垂井駅を過ぎると関ケ原駅垂井方で上り本線と垂井線の間に新垂井線が割り込む配線のため、関ケ原駅では1番線か2番線を使用する。下り列車は南荒尾信号場から垂井線に進入し関ケ原駅まで走行する。また、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向運行が可能である。なお、関ケ原駅始発の上り列車および関ケ原駅終着で折り返し大垣車両区に向かう回送列車は、配線上上り本線へは進入できない。そのため、それらの列車は関ケ原駅2番線から出発、関ケ原駅から垂井駅関ケ原方の金蓮寺踏切付近の分岐まで垂井線を走行する。垂井駅は中線(2番線)か3番線に入り、垂井駅大垣方の相川橋梁を通過後上り本線に進入する。これらの列車は垂井駅 - 関ケ原駅間は上り本線の隣(右側)を上り方向に進んでいるため、上り本線側から見ると逆走しているように見える<ref name="RF439 貨物" /><ref name="鉄ピク873 関ケ原" /><ref name="鉄ピク873 祖田" />。 |
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=== 垂井線の運行形態 === |
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関ケ原・米原方面の下り普通列車<ref name="普通列車" group="注釈" />はすべて垂井線経由で運行される。関ケ原駅発着列車のうち、関ケ原始発は朝上り2本(土休日は1本)、関ケ原終着は夜下り2本(土休日は1本)である。朝の関ケ原発は、浜松行き新快速(全日)と豊橋行き区間快速(平日のみ)、夜の関ケ原行きは、特別快速(全日)と区間快速(平日のみ)で、いずれも豊橋発である。なお、上り関ケ原始発は、前述の通り関ケ原駅2番線から、垂井駅手前まで垂井線を走行する<ref name="RF439 貨物" /><ref name="鉄ピク873 祖田" />。また、垂井駅2番線は上り本線側からの列車の入線も可能であり、2016年(平成28年)3月25日までは[[しなの (列車)|特急(ワイドビュー)しなの]]の通過待ちで使われていた |
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なお、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正までは特急型車両がホームライナーとして当線を走行していた<ref name="jrc 20151218">{{Cite press release |title=平成28年3月ダイヤ改正について |publisher=東海旅客鉄道 |date=2015-12-18 |url=http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000028822.pdf#page=11|format=PDF |page=10|language=日本語 |accessdate=2015-12-18 <!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151218110529/http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000028822.pdf |archivedate=2015-12-18-->}}</ref>が、これ以降の特急型車両の入線はない。 |
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== 使用車両 == |
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{{Main2|使用車両については「[[東海道線 (名古屋地区)#使用車両]]」を}} |
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== データ == |
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=== 路線データ === |
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{{Main2|垂井線の詳細な路線データ|東海道線 (名古屋地区)#路線データ}} |
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{| class="wikitable" |
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|+南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間における垂井線および新垂井腺の関係 |
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!路線!!方向!!経由!!通過列車!!最高速度 |
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! 垂井線 |
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| style="text-align:center" |南荒尾信号場ー垂井駅:下りのみ <br>垂井駅 - 関ケ原駅:双方向に走行可能 |
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| 垂井駅 |
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| 普通列車<ref name="普通列車" group="注釈" />のみ(臨時列車除く) |
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| 85km/h |
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! 新垂井線 |
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| style="text-align:center" | 下り |
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| 新垂井駅(廃駅) |
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| 特急列車、貨物列車のみ(臨時列車除く) |
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| 120km/h |
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=== 駅一覧 === |
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{{Main2|南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間(垂井線)および駅の接続路線など|東海道線 (名古屋地区)#駅一覧}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book |和書 |author=監修者 国土交通省鉄道局 |title=鉄道要覧 |chapter=東海旅客鉄道株式会社 |publisher=電気車研究会・鉄道図書刊行会 |volume=各年度 |page=東海道線掲載頁}} |
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* {{Cite journal|和書 |date=2013-03-01 |journal=鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ) |volume=63 |issue=第3号(通巻第873号)|publisher=電気車研究会}} |
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** 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」p.11 |
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**「関ケ原越えのいまむかし」pp.54 - 56 |
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** 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」pp.57 - 62 |
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** 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」pp.67 - 68 |
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* {{Cite journal|和書|author1=松本典久 |author2=池口英司 |date=2008-01-01 |title=東海道本線 名古屋~神戸 223.5km |journal=鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2 |volume=48 |issue=第1号(通巻561号) |pages=15 - 16 |publisher=交友社}} |
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* {{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道 謹呈 |title=時刻表 全国ダイヤ改正号 |chapter=線名索引 東海道線 |publisher=日本国有鉄道 |volume=秋号 1980 |page=432}} |
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* {{Cite book |和書 |author=(監修)今尾恵介 |title=日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 |chapter=駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原 |page=35 - 36 |editor=日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) |series=新潮「旅」ムック |publisher=新潮社 |volume=7号東海 |date=2008-11-19 |isbn=978-4-10-790025-8}} |
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* 川島令三『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, [[講談社]]、2009年7月、ISBN 978-4062700153 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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== 関連項目 == |
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2021年8月20日 (金) 04:02時点における版
垂井線 (東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間下り線) | |||
---|---|---|---|
基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 岐阜県 | ||
区間 | 南荒尾信号場 - 関ケ原駅 | ||
駅数 | 3駅[注釈 1] | ||
開業 | 1946年(昭和21年)11月1日(下り線復活年月日)[注釈 2] | ||
所有者 | 東海旅客鉄道(JR東海) | ||
運営者 | 東海旅客鉄道(JR東海) | ||
車両基地 | 大垣車両区 | ||
使用車両 | 東海道線 (名古屋地区)#使用車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 10.7km | ||
軌間 | 1,067mm | ||
線路数 | 単線(正式路線上では複線)[注釈 3] | ||
電化方式 | 直流1,500V 架空電車線方式 | ||
最大勾配 | 25‰ | ||
閉塞方式 | 自動閉塞式 | ||
保安装置 | ATS-PT | ||
最高速度 | 85km/h | ||
下図の本線・垂井線は列車運行上での扱い。 垂井線は正式には東海道本線下り線。 旧・新垂井駅経由は正式には東海道本線支線。 | |||
|
垂井線(たるいせん)は、東海道本線南荒尾信号場 - 関ケ原駅間の東海道本線下り線線路の通称である[1]。国土交通省監修の『鉄道要覧』では、垂井駅経由が東海道本線の「本線」である[2][3][4]。
概要
東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅 - 近江長岡駅 - 米原駅間は、関ヶ原・伊吹山越えの難所として知られ、その東側斜面の垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰(パーミル)の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となる[5]。そのため、大垣駅 - 関ケ原駅の改良を行い、上り線を1線、下り線は2線として、合計3線構造となっている[6][7]。
そのうち大垣駅 - 南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間は複線であるが、そのうち南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線線路は、通称:垂井線と呼ばれている[1]。太平洋戦争中の輸送力増強のため、この区間の勾配で補機を連結せずに輸送できるように下り列車用の勾配緩和(最大10‰)別線(新垂井線)が建設された際、南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り線は撤去された[1][7]。垂井線は、戦後それを敷設し直したものである[1][7]。
垂井線は原則として普通列車[注釈 4]のみが走行し、特急列車や貨物列車は入線しない[1][7]。そのため、最高運転速度も85km/hに抑えられている。なお、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り専用で、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向に運転可能な単線となっており、垂井駅に停車する下り列車及び関ケ原始発の上り列車は垂井線を走行する(配線略図参照)。
歴史
本節では、本稿と関係性がある関ヶ原・伊吹山越え区間の線路施設全体の沿革を記述する。
関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで
東海道本線には、25‰の急勾配区間が3ヶ所あり、そのうちの1つが関ヶ原・伊吹山越え(他2ヶ所は、箱根越えと逢坂山越え)と呼ばれていた[8]。名古屋駅 - 京都駅間の鉄道建設のうち、1876年(明治9年)4月に大垣駅 - 米原駅間は、西側の米原から天野川の川筋へ向かって東進、醒ヶ井、梓、柏原を経て今須に進出、中仙道の直下を隧道(トンネル)で抜けて松尾村、関ヶ原、垂井を経て大垣へと至る計画で建設されることになった[8]。しかし、1880年(明治13年)1月に、米原駅 - 敦賀駅間の経路変更[注釈 5]に伴い、関ヶ原への線路は北国街道を長浜から直接関ヶ原へ向かう経路へと変更になった[8]。その後、関ケ原駅 - 長浜駅間は官営鉄道として1883年(明治16年)5月1日に開業、この区間には春照(すいじょう)駅が設置され、1885年(明治18年)3月16日に上阪(こうざか)駅が開業した[注釈 6]。
1884年(明治17年)5月25日に大垣駅 - 関ケ原駅間が開業[9]、これにより大垣駅から京都駅または敦賀駅に至る旅客・貨物輸送が、長浜駅 - 大津駅間の太湖汽船会社による琵琶湖湖上連絡を利用することにより開始となった[10]。1889年(明治22年)7月1日に、関ケ原駅 - 春照駅間にある深谷(ふかたに、開業当時駅の設置はなし。駅開業までは分岐点と表記[11][注釈 7])から長岡駅(現・近江長岡駅)を経由して、米原駅まで至る線路が開通、これにより東海道本線が全通した[12]。同時に米原駅 - 長浜駅間の開業と、分岐点 - 長浜駅間および春照駅は廃止となるが、後者の線路は残され、この区間は1891年(明治24年)1月21日に貨物線として復活し、分岐点には深谷駅が開業した[13]。
伊吹山東西側斜面の線路改良から戦前まで
大垣駅 - 関ケ原駅 - 長岡駅間は伊吹山東西側斜面にあたり、両者共25‰の急勾配が連続する区間であった。この区間においては、勾配を10‰程度に抑える勾配緩和対策が施工され、関ケ原駅 - 長岡駅間と大垣駅 - 関ケ原駅間に分けられて施工された。
関ケ原駅 - 長岡駅間は、伊吹山の西側斜面にあたり、25‰の急勾配が連続する区間であった。このため、勾配を10‰程度に抑える改良工事が計画され、1895年(明治28年)の第7回鉄道会議でこの区間の勾配改良についての説明では、深谷駅経由のルートを南側へ迂回させ、長岡から天ノ川流域を南進して天ノ川橋梁を架橋、柏原(かしわばら)駅を新設、さらに中山道を横断して滋賀県から岐阜県に入り、今須隧道と藤古川橋梁経由で10‰の勾配に改良するというもの[14]。その後、1899年(明治32年)10月15日に関ケ原駅 - 長岡駅間が開業[注釈 8]、同年12月28日に関ケ原駅 - 深谷駅 - 長浜駅間の貨物線および深谷駅 - 長岡駅間が廃止となる[5]。なお、長岡駅は1914年(大正3年)12月1日に近江長岡駅と改称した[13]。
東海道本線の難所越え区間で最後まで急勾配が残った大垣駅 - 関ケ原駅間は、伊吹山の東側斜面にあたり、垂井駅 - 関ケ原駅間は、ほぼ直線ながら20 - 25‰の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となるため、本区間は明治時代より改良の調査をしていた[5]。1940年(昭和15)年になると軍事輸送が増加、下り列車の補機連結のため、上り列車の補機の回送があるなどで、線路容量が極度に切迫、東海道本線中最大の隘路となった[5]。そこで、下り線勾配緩和のため、勾配を10‰に抑えた単線の下り列車用別線を建設、1944年(昭和19年)10月11日に開業した。この線路は新垂井線とも呼ばれ[1]、垂井駅の北方を大きく迂回するが、大垣駅 - 垂井駅間および大垣駅 - 新垂井駅間の駅間キロ程は、従来の垂井駅経由と同一にした。ただし、実際の駅間キロ程は新垂井駅経由の方が2.9km長い[15](詳細は後述。また、この区間の運賃計算の特例については後述を参照)。当初の計画では在来線は複線のままで残し、新線は下り長距離列車のみを通過させ、その他の列車は従来の下り線を通す予定であった。しかし、戦争による軌条の供給状況が切迫しているため、計画変更を余儀なくされ、この迂回線開業と同時に、下り本線は廃止され2線運転となり、さらに、線路も撤去されてしまった[1][16]。このため、垂井町の人々は、下り列車は新垂井駅、上り列車は垂井駅を利用しなければならず、しかも両駅間は3.0km近く離れている。そこで、両駅を連絡するバスも運行されたが、不便この上なかった[1][16]。
戦後の垂井線
1946年(昭和21年)11月1日に廃止された下り本線が復活、この区間は3線運転となった。ただし、この線路は普通列車のみ運行であったが、垂井駅で下り・上り両方の列車が利用できるようになった[16]。なお、この線路は今でも垂井線という通称で呼ばれている[1]。 戦後、東海道本線の輸送需要の増加を背景に、この新垂井線には、特急「こだま」号などの数々の優等列車や「たから号」やフレートライナーなどの貨物列車が通過していった[7][17]。なお、1986年(昭和61年)11月1日に新垂井駅が廃止され、これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となった[1][16]。
年表
- 1883年(明治16年)5月1日:官営鉄道関ケ原駅 - 長浜駅間開業
- 1884年(明治17年)5月25日:官営鉄道大垣駅 - 関ケ原駅開業
- 1889年(明治22年)7月1日:官営鉄道分岐点(深谷) - 長岡駅 - 馬場駅(現・膳所駅)間および米原駅 - 長浜駅間開業開。東海道本線全通。分岐点 - 長浜駅間および春照駅廃止
- 1891年(明治24年)1月21日:官営鉄道分岐点 - 長浜駅間貨物線として復活。関ケ原駅 - 長岡駅間に深谷駅開業
- 1899年(明治32年)
- 10月15日:官営鉄道関ケ原駅 - 長岡駅間は、今須隧道と藤古川橋梁経由のルートで単線開業
- 12月28日:官営鉄道関ケ原駅 - 深谷駅 - 長浜駅間の貨物線および深谷駅 - 長岡駅間がルート変更により廃止
- 1901年(明治34年)11月6日:官営鉄道関ケ原駅 - 長岡駅間複線化完成
- 1914年(大正3年)12月1日:長岡駅が近江長岡駅と改称
- 1944年(昭和19年)10月11日:東海道本線大垣駅 - 関ケ原駅間に新垂井駅経由の下り線専用新線(新垂井線)開業。同日新垂井駅開業および南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ケ原駅間の下り本線廃止
- 1946年(昭和21年)11月1日:廃止された下り本線(垂井線)が復活。ただし、この区間は普通列車のみ運行
- 1986年(昭和61年)11月1日:新垂井駅廃止。これ以降普通列車は全て垂井駅経由での運行となる
運行形態
本節では、2021年3月13日以降の運行形態について説明する。
南荒尾信号場 - 関ケ原駅間 線路配線
← 大垣・ 名古屋方面 |
→ 米原方面 |
|
↓ 美濃赤坂駅 | ||
凡例 出典:[2][7][18][17][19] 色付き線の名称の凡例 本線上り:正式には本線上り線 本線下り:支線(新垂井線) 垂井線:正式には本線下り線 美濃赤坂線:大垣駅 - 美濃赤坂駅間の支線(美濃赤坂線を参照) |
垂井線は、上図のように南荒尾信号場の分岐から上り本線と平行、垂井駅では3番線を使用、垂井駅を過ぎると関ケ原駅垂井方で上り本線と垂井線の間に新垂井線が割り込む配線のため、関ケ原駅では1番線か2番線を使用する。下り列車は南荒尾信号場から垂井線に進入し関ケ原駅まで走行する。また、垂井駅 - 関ケ原駅間は上下双方向運行が可能である。なお、関ケ原駅始発の上り列車および関ケ原駅終着で折り返し大垣車両区に向かう回送列車は、配線上上り本線へは進入できない。そのため、それらの列車は関ケ原駅2番線から出発、関ケ原駅から垂井駅関ケ原方の金蓮寺踏切付近の分岐まで垂井線を走行する。垂井駅は中線(2番線)か3番線に入り、垂井駅大垣方の相川橋梁を通過後上り本線に進入する。これらの列車は垂井駅 - 関ケ原駅間は上り本線の隣(右側)を上り方向に進んでいるため、上り本線側から見ると逆走しているように見える[7][18][17]。
垂井線の運行形態
関ケ原・米原方面の下り普通列車[注釈 4]はすべて垂井線経由で運行される。関ケ原駅発着列車のうち、関ケ原始発は朝上り2本(土休日は1本)、関ケ原終着は夜下り2本(土休日は1本)である。朝の関ケ原発は、浜松行き新快速(全日)と豊橋行き区間快速(平日のみ)、夜の関ケ原行きは、特別快速(全日)と区間快速(平日のみ)で、いずれも豊橋発である。なお、上り関ケ原始発は、前述の通り関ケ原駅2番線から、垂井駅手前まで垂井線を走行する[7][17]。また、垂井駅2番線は上り本線側からの列車の入線も可能であり、2016年(平成28年)3月25日までは特急(ワイドビュー)しなのの通過待ちで使われていた
なお、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正までは特急型車両がホームライナーとして当線を走行していた[20]が、これ以降の特急型車両の入線はない。
使用車両
データ
路線データ
路線 | 方向 | 経由 | 通過列車 | 最高速度 |
---|---|---|---|---|
垂井線 | 南荒尾信号場ー垂井駅:下りのみ 垂井駅 - 関ケ原駅:双方向に走行可能 |
垂井駅 | 普通列車[注釈 4]のみ(臨時列車除く) | 85km/h |
新垂井線 | 下り | 新垂井駅(廃駅) | 特急列車、貨物列車のみ(臨時列車除く) | 120km/h |
駅一覧
参考文献
- 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。
- 『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日。
- 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」p.11
- 「関ケ原越えのいまむかし」pp.54 - 56
- 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」pp.57 - 62
- 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」pp.67 - 68
- 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。
- 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。
- (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 川島令三『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153
脚注
注釈
- ^ 南荒尾信号場を含む。
- ^ 大垣駅 - 関ケ原駅は、官営鉄道として1884年(明治17年)5月25日開業。1944年(昭和19年)10月11日の旧・新垂井駅経由の迂回線開業と同時に、下り線(垂井線)は廃止。
- ^ 垂井線は、南荒尾信号場 - 垂井駅間は下り方向のみ、垂井駅 - 関ケ原駅は双方向に走行可能となっている。
- ^ a b c 日中を中心に大垣駅 - 米原駅を往復する純粋な普通列車が運行されるが、朝の一部および夜の全列車は、岐阜駅 - 米原駅間を各駅停車する米原駅発着の区間快速・快速・新快速・特別快速列車で運行される。
- ^ これは、塩津街道沿いの塩津(近江塩津駅)経由であると最急勾配が37‰に対し、北国街道沿いの柳ヶ瀬駅経由であれば25‰となり、勾配が緩やかで建設上有利となるため、変更を上申した結果である[8]。
- ^ 上阪駅は同年12月10日に廃止[8]。
- ^ これは、関ケ原駅 - 米原駅間が近江長岡駅経由で開通した際、元々あった関ケ原駅 - 長浜駅間の線路のうち、春照駅東方の深谷と呼ばれる地点に近江長岡駅からの線路が繋がったことによるもので、その場所は開通時点では駅は設置されていなかった。この分岐点という表記は、書籍(日本鉄道旅行地図帳7号 東海)で便宜上表記として記載されている[11]。
- ^ 1901年(明治34年)11月6日に関ケ原駅 - 長岡駅間の複線化が完成、そのうち関ケ原駅 - 柏原駅間は電化に際し上り線が線路変更となり、新今須隧道が新設され、新設の上り線は1955年(昭和30年)5月6日から使用開始した[5]。なお、電化は稲沢駅 - 垂井駅 - 米原駅間および大垣駅 - 新垂井駅 - 関ヶ原駅間が同年7月20日に完成した。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 松本典久、池口英司「東海道本線 名古屋~神戸 223.5km」『鉄道ファン2008年1月号 特集:東海道本線2』第48巻第1号(通巻561号)、交友社、2008年1月1日、15 - 16頁。
- ^ a b 監修者 国土交通省鉄道局「東海旅客鉄道株式会社」『鉄道要覧』 各年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、東海道線掲載頁頁。
- ^ 日本国有鉄道 謹呈「線名索引 東海道線」『時刻表 全国ダイヤ改正号』 秋号 1980、日本国有鉄道、432頁。
- ^ (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)豊橋~米原」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、35 - 36頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ a b c d e 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、60頁。
- ^ 今田保「東海道本線 歴史の趣味 名古屋-神戸間」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、11頁。
- ^ a b c d e f g h 祖田圭介「東京から福岡まで直行貨物列車のルート」『鉄道ファン1997年11月号 特集:JR短絡線ミステリー』第37巻第11号(通巻439号)、交友社、1997年11月1日、22 - 23頁。
- ^ a b c d e 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、57頁。
- ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、57 - 58頁。
- ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、58頁。
- ^ a b (監修)今尾恵介 著「駅名一覧 東海 東海道本線(3)沿線 JR東海道本線(3)旧線(ルート変更)関ケ原~長浜 関ヶ原~深谷(貨)~長岡」、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集) 編『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』 7号東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月19日、36頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、58 - 59頁。
- ^ a b 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、59頁。
- ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、59 - 60頁。
- ^ 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、60 - 61頁。
- ^ a b c d 三宅俊彦「関ヶ原越えを辿る」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、61頁。
- ^ a b c d 祖田圭介「東海道沿線の駅構内の今昔 名古屋-神戸」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、67 - 68頁。
- ^ a b 「関ケ原越えのいまむかし」『鉄道ピクトリアル2013年3月号 【特集】東海道本線(Ⅱ)』第63巻第3号(通巻第873号)、電気車研究会、2013年3月1日、54 - 56頁。
- ^ 川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、pp.20-21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153
- ^ "平成28年3月ダイヤ改正について" (PDF) (Press release). 東海旅客鉄道. 18 December 2015. p. 10. 2015年12月18日閲覧。