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*2007年11月11日、ハースはCFRジャパン・プログラムのシンポジウム出席のため他のパネリストと共に来日している<ref>2007年11月3日朝日新聞に次の記事。 「次期米政権の外交 多国間主義の伝統へ回帰 米外交問題評議会 リチャード・ハース会長に聞く」 (朝日新聞 opinion 2007年11月3日)
*2007年11月11日、ハースはCFRジャパン・プログラムのシンポジウム出席のため他のパネリストと共に来日している<ref>2007年11月3日朝日新聞に次の記事。 「次期米政権の外交 多国間主義の伝統へ回帰 米外交問題評議会 リチャード・ハース会長に聞く」 (朝日新聞 opinion 2007年11月3日)
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*ピーターソンは[[ソニー]]の企業買収仲介([[コロンビア映画]]等)でも知られている。[[リーマン・ブラザーズ|リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ]]会長職にあったが、ギリシャ系の人物であり、長いギリシャ風の姓(Petropoulos)を英語で通りの良い北欧系の姓に変えていると言う<ref>[[藤井厳喜]] 『騙される日本人』(PHP研究所、2005年)を参照。ピーター・G・ピーターソンの著書として『老いてゆく未来―少子高齢化は世界をこう変える』(山口峻宏訳、ダイヤモンド社、 2001年)など。</ref><ref>[http://www.piie.com/ ピーターソン国際経済研究所]</ref>。
*ピーターソンは[[ソニー]]の企業買収仲介([[コロンビア ピクチャーズ]]等)でも知られている。[[リーマン・ブラザーズ|リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ]]会長職にあったが、ギリシャ系の人物であり、長いギリシャ風の姓(Petropoulos)を英語で通りの良い北欧系の姓に変えていると言う<ref>[[藤井厳喜]] 『騙される日本人』(PHP研究所、2005年)を参照。ピーター・G・ピーターソンの著書として『老いてゆく未来―少子高齢化は世界をこう変える』(山口峻宏訳、ダイヤモンド社、 2001年)など。</ref><ref>[http://www.piie.com/ ピーターソン国際経済研究所]</ref>。


会員数は約4000名であり、企業会員も多い。創立当初からの著名な会員として、[[ウォルター・リップマン]]や[[ジョン・フォスター・ダレス]](アイゼンハワー政権国務長官)、その弟でCIA長官を務めた[[アレン・ダレス]]などがいる。社交クラブにユダヤ系アメリカ人の入会が認められていなかった頃より、かれらにその門戸を開いていたことでも知られている。
会員数は約4000名であり、企業会員も多い。創立当初からの著名な会員として、[[ウォルター・リップマン]]や[[ジョン・フォスター・ダレス]](アイゼンハワー政権国務長官)、その弟でCIA長官を務めた[[アレン・ダレス]]などがいる。社交クラブにユダヤ系アメリカ人の入会が認められていなかった頃より、かれらにその門戸を開いていたことでも知られている。

2021年8月17日 (火) 23:23時点における版

Council on Foreign Relations
略称 CFR
設立 1921年
種類 シンクタンク
所在地
会長 リチャード・ハース
ウェブサイト www.cfr.org
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外交問題評議会(がいこうもんだいひょうぎかい、Council on Foreign Relations, 略称はCFR)は、アメリカ合衆国シンクタンクを含む超党派組織。

1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つと言われている。超党派の組織であり、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる。本部所在地はニューヨーク。会員はアメリカ政府関係者、公的機関、議会、国際金融機関、大企業、大学、コンサルティング・ファーム等に多数存在する。

評議会員の主張の多くは、外交問題評議会の「凝縮された政策提言」への叩き台に使われるケースが多いとする意見がある[1]。また、『フォーリン・アフェアーズ』には米国の重要な外交案件が示されるとする意見がある[2]

概要

設立

「大調査」を主宰したエドワード・マンデル・ハウス

外交問題評議会の起源は、ウッドロウ・ウィルソン大統領の外交ブレーンだったエドワード・マンデル・ハウス大佐が主宰した「大調査(Inquiry)」グループに求められる[3]。同グループは1917年から1918年にかけて第一次世界大戦後の戦後国際秩序を検討するため、国務省とは別個に招集された知識人グループであり、ウォルター・リップマンが参加したことでも知られる。

「大調査」グループはその一部がパリ講和会議にも随員として加わり、講和会議に参加していた英国の外交官、研究者らと意気投合した。米英両国の人士は1919年5月30日、講和実現後もその知的交流を継続させるため米英両国共同の国際問題研究機関を設置し、ニューヨークロンドンにそれぞれの支部を設置することで同意した。

初代議長となったエリフ・ルート

英国側は翌1920年に王立国際問題研究所としてこの組織を早々に樹立するが、米国側では資金難からその設立が難航、ようやく1921年2月3日に「大調査」グループと、1918年6月に設立され、実業家、国際弁護士らが主宰していた資金力豊富なサロン「外交問題評議会」の合流が合意され、同年7月29日に評議会の名が残されて現在の外交問題評議会が総勢75名で発足することとなった。初代議長にはサロン時代の会長を務めていた元国務長官エリフ・ルートを迎えている。なお、この設立の際にメンバーは「米国市民に限るべき」という議論が旧外交問題評議会会員達から上がったことから、王立国際問題研究所とは袂を分かつこととなる[3]。現在も会員は合衆国市民と永住権獲得者に限定されている[4]

活動

外交問題評議会の設立目的は「アメリカに影響を与えうる国際問題についての会議を継続的に行なう」とされた。現状分析と共に、国民世論の啓発に主眼が置かれたことが特色であり、この方針は現在でも継続されている[3]。「議論においては特にメンバー間のコンセンサスを求めない」とはしているものの、穏健派的・国際主義的な論調が多いのが特徴と言える。このような性格のため、ウィリアム・ボラーなどの孤立主義者の参加をめぐり、会内で激しい抵抗が生じたこともあった[3]

外交問題評議会は当初は「研究グループ(Study Group)」「討論グループ(Discussion Group)」の二つのプログラムから構成された。のちに組織外の議論も啓発するべく、1922年9月には『フォーリン・アフェアーズ』誌が刊行されている。著名人を招待した講演会もたびたび企画され、同年秋にジョルジュ・クレマンソー元仏首相が招待されたことを皮切りに、継続的になされることとなった。1937年からは地方で国際問題を討議するフォーラムとして、「外交問題委員会(Committee on Foreign Relations)」が組織され、現在は約四十都市に展開されている。

第二次世界大戦中には国務省からの依頼を受け、「戦争と平和」研究プロジェクトと題された長期研究プロジェクトを組織、戦争の推移、および戦後秩序に関する調査研究を四つのグループで実施し、約700のメモランダムを作成・提出した。このときの調査メンバーの一部は後にサンフランシスコ講和会議にも出席している。戦後の復興期も各種の研究プロジェクトを設置し、『フォーリン・アフェアーズ』誌でも活発な議論を展開した。この時期の研究は戦後体制構築に知的な影響を与えたとされる。代表的なものとして、ジョージ・ケナンによる論文「ソ連の行動の源泉(X論文)」がある。同論文は『フォーリン・アフェアーズ』誌1947年7月号に掲載された。

また、1950年代には核戦略に関する研究プロジェクトを実施、当時のアイゼンハワー政権が提唱した「大量報復戦略」を批判し、核兵器通常兵器を柔軟に運用する「制限戦争」を提言する調査報告をまとめた。この調査報告のとりまとめ役となった会員・ハーヴァード大学教授のヘンリー・キッシンジャーは『核兵器と外交政策』という題名の著書としてこの報告を発表し、同書は全米でベストセラーになるとともに、キッシンジャー自身の知名度も高めることとなった。なお、「大量報復戦略」をはじめて公言したジョン・フォスター・ダレス国務長官の演説もまた、1954年1月1日に外交問題評議会においてなされたものだった。

現在も約50名ほどの研究員を有しており、複数の研究プロジェクトを実施している。日本でも良く知られているマイケル・グリーン (政治学者)は元上席研究員である。また、『フォーリン・アフェアーズ』誌は米国および諸外国の主要政治家が外交ビジョンを発表する場として重要視されており、2008年の大統領選挙でも候補者として名が取りざたされたバラック・オバマヒラリー・クリントンジョン・マケインジョン・エドワーズミット・ロムニーのいずれもが論文を寄せており、その影響力は無視できないとされる。

財源

資金源は会員会費、出版物収入、個人、財団などからの寄付などからなり、米国および他国政府からの金銭的補助を受けていない[5]。現在の収入は企業会員からの会費が中心となっている[4]

会員・関係者

名誉会長はデイヴィッド・ロックフェラー。会長はリチャード・ハース(前国務省政策企画局長)[6]。理事長はピーター・G・ピーターソン(元商務長官、ブラックストーン・グループ会長)。

会員数は約4000名であり、企業会員も多い。創立当初からの著名な会員として、ウォルター・リップマンジョン・フォスター・ダレス(アイゼンハワー政権国務長官)、その弟でCIA長官を務めたアレン・ダレスなどがいる。社交クラブにユダヤ系アメリカ人の入会が認められていなかった頃より、かれらにその門戸を開いていたことでも知られている。

  • 世界には、華麗な「雲上人脈」が形成されており、その人脈の基盤はキリスト教である[10]。 ロックフェラー家はキリスト教徒(バプテスト教会)。アメリカは、ブルー・ブラッド(Blue blood)、ビジネス・クラス(Business Class、大企業経営陣、高級官僚)、ミドル・クラス(Middle Class、大企業管理職層、自営業者、専門職)、ワーカー(Worker、残り全て)の4つの階層(階級)から成り立つと言う[11][12]

「アメリカ政府中枢の外交問題評議会メンバー」の小項目にある通り、創立以来アメリカ政界にも会員は多く、ヒラリー・クリントンやジョン・マケインも会員を公言している。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスも会員として知られる。

  • 2008年3月31日、バラック・オバマは会員ではないと発言している。

日本における会員・関係者としては、佐藤栄作首相の「密使」として知られる若泉敬や、長島昭久(上席研究員を経験)、International Advisory Board(IAB、国際諮問委員会)のメンバーには行天豊雄(元財務官)、小林陽太郎三極委員会太平洋アジアグループ委員長)、緒方貞子(元国連難民高等弁務官)らがいる[13]。また、橋本龍太郎は1996年9月24日、外交問題評議会(ニューヨーク)において講演を行った[14]

米国における外交問題評議会についての諸説

リバティ・ロビー(Liberty Lobby)の新聞であるThe Spotlightや、その後継誌American Free Pressなどのアメリカのインディペンデント系のプレスにとって、外交問題評議会はビルダーバーグ会議と並んで、民主的な手続きを介さず、国際的に重要かつ深刻な影響力を持つ政策を実質的に決定・実行している団体として長年攻撃の対象となっている。

  • リバティ・ロビーの設立者はウィリス・カート(Willis Carto[15]

外交問題評議会に対する批判者としてジョン・バーチ・ソサエティ[16] なども良く知られている。批判内容には事実誤認を含む場合もあるが一般のメディアで決して報道されていない活動内容が存在することは長年指摘されている[要出典]

ジェームズ・パーロフ(James Perloff)はジョン・バーチ・ソサエティの出版物において以下のように述べている[17][18]

  • パーロフはジョン・バーチ協会の新聞『The New American』の寄稿者、米政府の政策の背後にある「秘密行動計画」研究のエキスパートと言われている[19][20]

財閥との関係

イギリスの王立国際問題研究所はイギリスの勢力圏内に秘密結社として多数の円卓会議を結成して謀略活動に当たらせた。欧米各地の円卓会議のネットワークは、ロックフェラーロスチャイルドモルガン商会、カーネギーなど当時の財閥を結びつける役割も果たした。

ニューヨークの外交問題評議会本部ビルはロックフェラー財閥関係者から寄付された。

外交問題評議会のメンバーと、ロックフェラー財閥とモルガン財閥は、政府や有名大学、マスコミを支配して国際主義を浸透させるために、アメリカの伝統的文化基盤を徹底的に破壊した[17]

容共主義

設立者のハウス大佐は、国際社会主義思想のシンパだった[17]

サンフランシスコ講和会議には実に74名におよぶCFRメンバーがアメリカの人員として参加して、ロックフェラー財閥およびモルガン財閥の意思を代弁して、ソビエト支援のプロパガンダを行った[17]

第二次世界大戦後の共産圏の急拡大は、外交問題評議会が積極的に推進した。その目的はアメリカ、ソ連をそれぞれ中心とする冷戦体制の構築であり、世界分割だった。外交問題評議会の政策により、7億人がソビエト陣営に「売り渡された」[17]。中国の国共内戦の際には、国務省内の会員が中国共産党を支援する政策を実施した[17]

  • (※冷戦初期の米国外交が「容共的」だったことから、東欧や中国を失ったとする「東欧喪失論」「中国喪失論」は、反共タカ派の典型的な政権攻撃のプロパガンダとしても知られる。会員で、トルーマン政権の国務長官を務めたディーン・アチソンの項目なども参照。会員内にアルジャー・ヒスなどの共産主義に親和的な人物がいたことも事実だが、一方で対ソ不信を論じる意見も少なくなく、冷戦が顕在化する以前の1946年の時点の研究プロジェクトで米ソ協調路線を唱えた提言が廃案となっている[3]。)

レーシー・ジョーダン少佐は「フランクリン・ルーズベルト大統領の側近ハリー・ホプキンスは、意図的にソ連に原爆技術を移転した」とアメリカ議会委員会で宣誓供述した。ホプキンスは外交問題評議会会員だった(ソ連の原爆実験は1949年)[21]

影の世界政府

マーシャル・プランNATO体制構築は、ヨーロッパの対米従属を確保する政策として、外交問題評議会会員であるジョージ・ケナンウォルター・リップマンらにより推進された[17]

イラン・コントラ事件など、CIAの謀略工作には外交問題評議会メンバーが関与していることが多い[17]

外交問題評議会はビルダーバーグ会議とも連携している[17]

外交問題評議会の政策目標のひとつとして、「国際連合世界政府」の権力と軍事力(=国連平和維持軍)を、どの個々の国家も対抗できない水準に強化するとともに、アメリカ自身も含めて統治権と軍備を放棄させて「国際連合世界政府」のもとに全て移管させるという世界統一構想がある[22]

ジミー・カーター政権下で、外交問題評議会はほぼアメリカ政府の権力機構を全般的に掌握した。アメリカの二大政党制の中枢は外交問題評議会によって強く結合されており、実質的な一党独裁を確立した[17]

  • (※第二次大戦直後から冷戦の開始、朝鮮戦争、ベトナム戦争の開始時点までは外交問題評議会の外交政策フォーラムとしてのコンセンサス形成力は抜群であり、民主共和両党の外交エリートを集め、超党派主義で対共産主義の冷戦を戦い抜く基盤を作った。しかし、ベトナム戦争での国論分裂の時代から外交政策形成力は著しく低下している。日米欧委員会・外交問題評議会陰謀論は、いわゆる「ロックフェラー陰謀論」のバリエーションであるとする意見がある[23]。)

National Program Officeと外交問題評議会

核攻撃を受けた際、政府機能をいかに維持するかという政策課題は冷戦期における各国安全保障の重要テーマだったが、1991年CNNによって、レーガン政権下の1982年the Continuity of Operations(COO)/Continuity of government(COG)、もしくは通称the Dooms Day program (破局の日作戦)と呼ばれる計画の下、緊急事態発生時にアメリカ政府機能の維持管理を統括するNational Program Office(NPO)が秘密裏に設立されたとの報道がなされた。1980年代を通じて、COO/COGへの予算は急拡大し年間360億ドルが支出され、NPOは、大統領本人を欠いても政府を完全に機能させることが可能な強力な情報集中機能と、特別の指揮命令系統を持つとされた。[24]

同NPOは冷戦終了後にも解体されず継続し、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の際にブッシュ大統領はCOO/COGの実施を公式に宣言した。なお、COO/COGの監督運営メンバーは、CIA、国防総省、国務省の幹部であり、ほとんどが外交問題評議会の会員であるため、超法規的ながら公然と国家の全情報が集中するNPOが外交問題評議会の手中にあるとする意見もある[25]

アメリカ政府中枢の外交問題評議会メンバー

大統領

CIA長官

国防長官

財務長官

国務長官

脚注

  1. ^ 金森薫『日本経済 最後の選択』 徳間書店 1997年
  2. ^ 本山美彦『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』 ビジネス社 2006年
  3. ^ a b c d e f Peter Grose, Continuing the Inquiry: the Council on Foreign Relations from 1921 to 1996,(Council on Foreign Relations, 1996).
  4. ^ a b 鈴木崇弘上野真城子『世界のシンク・タンク――「知」と「治」を結ぶ装置』(サイマル出版会、1993年)、68-69ページ。
  5. ^ デービッド・ケロッグ「外交問題評議会と雑誌『フォーリン・アフェアーズ』」『中央公論』1990年9月号
  6. ^ ハースは2003年6月まで国務省政策企画局長を務めた。ジョージ・H・W・ブッシュ(第41代大統領、ジョージ・W・ブッシュ第43代大統領の父)政権では国家安全保障会議(NSC) 近東・南アジア担当上級部長を務めている。
  7. ^ 2007年11月3日朝日新聞に次の記事。 「次期米政権の外交 多国間主義の伝統へ回帰 米外交問題評議会 リチャード・ハース会長に聞く」 (朝日新聞 opinion 2007年11月3日)
  8. ^ 藤井厳喜 『騙される日本人』(PHP研究所、2005年)を参照。ピーター・G・ピーターソンの著書として『老いてゆく未来―少子高齢化は世界をこう変える』(山口峻宏訳、ダイヤモンド社、 2001年)など。
  9. ^ ピーターソン国際経済研究所
  10. ^ 本山美彦『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』 ビジネス社 2006年
  11. ^ 副島隆彦『決然たる政治学への道』 弓立社 2002年(『政治を哲学する本』総合法令、1994年の新版)
  12. ^ 名門一族、大企業トップ、大物政治家などは複数の社交クラブ(ボヘミアンクラブ等)のメンバー。また、実業界全体の利害を代弁し、政治的リーダーシップを発揮するインナー・サークルが存在する(園田義明『最新アメリカの政治地図』 講談社 2004年、マイケル・ユーシム著、岩城博司・松井和夫監訳『インナー・サークル 世界を動かす陰のエリート群像』 東洋経済新報社 1986年)。
  13. ^ International Advisory Board - Council on Foreign Relations
  14. ^ 外交問題評議会における橋本総理講演記録平成8年9月24日
  15. ^ ウィリス・カートがリバイバルした「人民党」の大統領候補が元Knights of the Ku Klux KlanのGrand Wizard(最高指導者)であり、ナチス犯罪を否定したとしてチェコ警察に逮捕されたデービッド・デューク(David Ernest Duke)である。ジエームズ・リッジウェイ(山本裕之訳)『アメリカの極右―白人右派による新しい人種差別運動』(新宿書房、1993年)参照。
  16. ^ ジョン・バーチ協会については古森義久『影のアメリカ―超大国を動かす見えない勢力』(講談社文庫、1999年)、フレッド・クック(笹川正博訳)『極右』(みすず書房、1963年)、ジョナサン・バンキン(小紫ますみ訳)『超陰謀―支配エリートが目指す真実の新世界秩序』(徳間書店、1995年)、関連・参考書籍(9)(10)等参照。
  17. ^ a b c d e f g h i j ジェームズ・パーロフ(馬野周二訳)『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退――アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』(徳間書店、1992年)
  18. ^ ジョン・バーチ協会の関係者による類書として、J.F. マクマナス(湯浅慎一訳)『見えざる政府CFR―ホワイトハウスを操る指令塔』太陽出版、1993年(John F. McManus,The Insiders. The John Birch Society)、G.アレン、L.エブラハム(湯浅慎一訳)『INSIDER―<世界統一>を謀る恐怖のシナリオ』太陽出版、1986年(Gary Allen and Larry Abraham,None Dare Call It Conspiracy, 1971)、G.アレン(高橋良典訳)『ロックフェラー帝国の陰謀―見えざる世界政府』自由国民社、1984年(Gary Allen, The Rockefeller File, 1976)などがある。これらは反ユダヤ本ではなく、ロックフェラーとユダヤ人の暗闘の副産物とする見方もある(久保田政男『ユダヤを操るロックフェラー帝国の野望』徳間書店、1987年を参照)。ジョン・バーチ協会については他の注も参照。参考:asahi.com:書評 『ロックフェラー回顧録』
    ロックフェラーを始めとする米財界は共産主義・ソビエト連邦に対抗し、欧州経済の主導権を握る目的でドイツ財界と手を結びナチスを援助した、大戦勃発後は反戦運動・孤立主義を煽ってアメリカの大戦参加を遅らせることでドイツを助けたとする主張もある(菅原出 『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』(草思社、2002年)、および広瀬隆『億万長者はハリウッドを殺す』(講談社、1986年)、ビクター・バーロ(浅尾孝訳)『最高の金融帝国―アメリカ独占資本の構造と機能』合同出版社、1958年)。
  19. ^ [1]
  20. ^ インテリジェントデザイン創造論について解説したTornado in a Junkyard, The Case Against Darwinの著者でもある。創造論については進化論裁判を参照。
  21. ^ George Racey Jordan, From Major Jordan's Diaries, (Western Islands, 1965).
    また、フランクリン・ルーズベルト大統領の娘婿でリバティ・ロビー委員長を務めたカーチス・B・ドール PrincetonAlumniWeekly は「Backdoor to the war(裏口からの参戦)」説を支持し太平洋戦争開戦にコーデル・ハルハリー・ホワイトらの評議会会員が深く関与したと主張している(Col. Curtis B. Dall,Anthony Hilder,The War Lords of Washington: Secrets of Pearl Harbor An Interview with Col. Curtis.B. Dall 馬野周二、藤原肇『日本の危険 日米対決の深層』東明社、1986年およびカーチス・B・ドール(馬野周二訳)『操られたルーズベルト』プレジデント社 1991年に所収)。
    裏口からの参戦論についてはハミルトン・フィッシュ岡崎久彦監訳)『日米・開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP研究所、1992年)、アルバート・ウェデマイヤー(妹尾作太男訳)『第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー回想録(上・下)』(講談社学術文庫、1997年)、ウィンストン・チャーチル(佐藤亮一訳)『第二次世界大戦(全四巻)』(河出書房新社[河出文庫]、2001年)等も参照。またハリー・ホワイトハル・ノートにソ連による工作の影響があったとする説がある。ハリー・ホワイトの項目を参照。
    また、MI6、イギリス安全保障調整局(British Security Coordination)の工作についてはMI6の項目を参照。
  22. ^ Phylis Schlafly and Chester Ward, "Kissinger on the Couch", New Rochel, 1975
  23. ^ 藤井昇(藤井厳喜)「誰がこの世界激変を仕組んだ黒幕か」『サピオ』(小学館 1994年10月13日号)
  24. ^ "Special Assignment" November 17, 1991 David Lewis,CNN
  25. ^ AMERICAN PATRIOT FRIENDS NETWORK. “Shadow Government Is at Work in Secret”. 2007年1月1日閲覧。

関連・参考書籍

  • (1) Grose,Peter. Continuing the Inquiry: the Council on Foreign Relations from 1921 to 1996. (Council on Foreign Relations, 1996).
「世界最高のシンクタンクはいかに形成され、進歩したのか―外交問題評議会と20世紀米外交(1-4)」『フォーリン・アフェアーズ日本語版』2008年3月-7・8月合併号(抄訳)
  • (2) Wala, Michael.The Council on Foreign Relations and American Foreign Policy in the Early Cold War. (Berghahn Books, 1994).
  • (3) Schulzinger, Robert D. The Wise Men of Foreign Affairs: the History of the Council on Foreign Relations. (Columbia University Press, 1984).
  • (4) 塩崎弘明『国際新秩序を求めて―RIIA、CFR、IPRの系譜と両大戦間の連係関係』(九州大学出版会、1998年、ISBN 4873785316
  • (5) Useem, Michael. The Inner Circle: Large Corporations and the Rise of Business Political Activity in the U.S. and U.K. (Oxford University Press, 1984).
岩城博司松井和夫監訳『インナー・サークル――世界を動かす陰のエリート群像』(東洋経済新報社、1986年、ISBN 4492500316
  • (6) 久保田政男『ユダヤを操るロックフェラー帝国の野望』(徳間書店、1987年 ISBN 4195034388
  • (7) ドール、カーチス(馬野周二訳)『操られたルーズベルト』(プレジデント社、1991年、ISBN 4833414252
  • (8) ウィリアム・バンディ 「もう一つの20世紀史―外交問題評議会とフォーリン・アフェアーズ(上・下)」『中央公論』1995年2・3月号 [2]
  • (9) Perloff, James. The Shadows of Power: The Council on Foreign Relations and the American Decline. (Western Islands, 1988).
馬野周二訳『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退――アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』(徳間書店、1992年、ISBN 4193549410
  • (10) Jordan, George Racey.From Major Jordan's Diaries. (Western Islands, 1965).
  • (11) Rockefeller, David. Memoirs. (Rundom House, 2002).
楡井浩一訳『ロックフェラー回顧録』(新潮社、2007年) ISBN 4105056514
  • (12) Quigley, Carroll. Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. (G. S. G. & Associates, Incorporated, 1975).
  • (13) 『NIRA's World Directory of Think Tanks 2005(世界のシンクタンク要覧2005 改訂版第5版)』(総合研究開発機構、2005年)

※PerloffとJordanの著書の発行元はジョン・バーチ協会John Birch Society[3] の出版社「Western Islands」Western Islands (publisher)

関連項目

外部リンク