「枝下駅」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: サイズの大幅な増減 |
m Bot作業依頼: キハ10形の改名に伴うリンク修正依頼 - log |
||
37行目: | 37行目: | ||
<!--* 1967-[[1968年]](昭和42-43年)頃 - 駅舎解体<ref name="M100-128">{{Cite book|和書|author=新實守|title=写真で見る三河線誕生百年|year=2015|publisher=新實守|page=128}}</ref>。--> |
<!--* 1967-[[1968年]](昭和42-43年)頃 - 駅舎解体<ref name="M100-128">{{Cite book|和書|author=新實守|title=写真で見る三河線誕生百年|year=2015|publisher=新實守|page=128}}</ref>。--> |
||
* [[1984年]](昭和59年)[[1月1日]] - 貨物営業廃止<ref>{{Cite book|和書|author=神谷力(編)|year =2000|title = 三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化|publisher =郷土文化社|isbn = 978-4876701292|page=236}}</ref>。 |
* [[1984年]](昭和59年)[[1月1日]] - 貨物営業廃止<ref>{{Cite book|和書|author=神谷力(編)|year =2000|title = 三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化|publisher =郷土文化社|isbn = 978-4876701292|page=236}}</ref>。 |
||
* [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]] - [[非電化#電化の廃止|電気運転廃止]]。[[レールバス]]([[LE-Car]]・[[名鉄キハ |
* [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]] - [[非電化#電化の廃止|電気運転廃止]]。[[レールバス]]([[LE-Car]]・[[名鉄キハ10形気動車#キハ10形|キハ10形]])運行開始。 |
||
* [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]] - 猿投・[[西中金駅|西中金]]間の[[営業]]運転廃止に伴い[[廃駅]]となる<ref name="IMAO-45"/>。 |
* [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]] - 猿投・[[西中金駅|西中金]]間の[[営業]]運転廃止に伴い[[廃駅]]となる<ref name="IMAO-45"/>。 |
||
2021年8月14日 (土) 06:54時点における版
枝下駅 | |
---|---|
旧枝下駅前(2004年3月) | |
しだれ SHIDARE | |
◄三河広瀬 (1.3 km) (3.0 km) 三河御船► | |
所在地 | 愛知県豊田市枝下町 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 三河線 |
キロ程 |
4.1km(西中金起点) 知立から25.8 km |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
121人/日 -2003年[1]- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)8月26日 |
廃止年月日 | 2004年(平成16年)4月1日 |
枝下駅(しだれえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。
歴史
かつては木節粘土[2]の採掘が本駅のすぐ近くで行われていた。事業者は三河鉄道の社長を含む3名で設立した三星粘土という企業であり、煉瓦、土管、瓦(三州瓦)などの原料として三河鉄道で高浜港駅や刈谷駅近傍の日本陶管などの工場へ送られた。同社はその後東芝に吸収され、現在では社名変更を経て東海セラミックス株式会社→クアーズテック株式会社となっている。
- 1927年(昭和2年)8月26日 - 三河鉄道の猿投・当駅間開通に伴い開業[3]。
- 1927年(昭和2年)9月17日 - 当駅・三河広瀬間開業。中間駅となる。
- 1941年(昭和16年)6月1日 - 三河鉄道が名古屋鉄道と合併。
- 1967年(昭和42年)8月22日 - 無人化[4]。
- 1984年(昭和59年)1月1日 - 貨物営業廃止[5]。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 電気運転廃止。レールバス(LE-Car・キハ10形)運行開始。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 猿投・西中金間の営業運転廃止に伴い廃駅となる[3]。
駅構造
プラットホーム1面1線の無人駅。かつては1面2線の島式ホームと貨物側線1線で構成されていた[6]。廃駅となった現在も、ホームやレールは撤去されずに残っている。わくわく広場という愛称がつけられ、駅名標も復元された(但し表記は現役時と異なる)。駅前にはとよたおいでんバスさなげ・足助線の停留所が設けられている。
-
駅前とバス停(2009年12月)
-
廃線とホーム(2009年12月)
配線図
← 西中金方面 |
→ 猿投方面 |
|
凡例 出典:[7] |
利用状況
旅客
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は183人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中322位、 三河線(38駅)中34位であった[8]。
『愛知県統計書』『愛知県統計年鑑』『豊田市統計書』各号によると、一日平均乗車人員および一日平均乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 乗車人員 | 乗降人員 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
総数 | 定期 | 総数 | 定期 | ||
1949(昭和24)年度 | *255 | *499 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[9] | ||
1950(昭和25)年度 | *230 | *446 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[10] | ||
1951(昭和26)年度 | *270 | *549 | [11] | ||
1952(昭和27)年度 | 266 | 561 | [12] | ||
1953(昭和28)年度 | 215 | 433 | [13] | ||
1954(昭和29)年度 | 214 | 425 | [14] | ||
1955(昭和30)年度 | 211 | 421 | [15] | ||
1956(昭和31)年度 | 222 | 444 | [16] | ||
1957(昭和32)年度 | 238 | 476 | [17] | ||
1958(昭和33)年度 | |||||
1959(昭和34)年度 | |||||
1960(昭和35)年度 | |||||
1961(昭和36)年度 | |||||
1962(昭和37)年度 | |||||
1963(昭和38)年度 | |||||
1964(昭和39)年度 | |||||
1965(昭和40)年度 | 232 | 186 | 464 | 372 | [18] |
1966(昭和41)年度 | 229 | 188 | 458 | 376 | [19] |
1967(昭和42)年度 | 226 | 188 | 453 | 376 | [19] |
1968(昭和43)年度 | 204 | 162 | 408 | 324 | [19] |
1969(昭和44)年度 | 186 | 145 | 372 | 290 | [20] |
1970(昭和45)年度 | 181 | 144 | 361 | 288 | [20] |
1971(昭和46)年度 | 169 | 128 | 336 | 256 | [20] |
1972(昭和47)年度 | 145 | 104 | 291 | 208 | [21] |
1973(昭和48)年度 | 152 | 104 | 308 | 208 | [21] |
1974(昭和49)年度 | 151 | 104 | 305 | 208 | [21] |
1975(昭和50)年度 | 143 | 93 | 290 | 186 | [22] |
1976(昭和51)年度 | 136 | 86 | 272 | 172 | [23] |
1977(昭和52)年度 | 271 | 170 | [24] | ||
1978(昭和53)年度 | 133 | 85 | 265 | 171 | [25][24] |
1979(昭和54)年度 | 123 | 79 | 246 | 158 | [26][27] |
1980(昭和55)年度 | 117 | 71 | 235 | 142 | [28][27] |
1981(昭和56)年度 | 111 | 67 | 223 | 134 | [29][30] |
1982(昭和57)年度 | 115 | 72 | 234 | 144 | [31][30] |
1983(昭和58)年度 | 127 | 64 | 252 | 128 | [32][33] |
1984(昭和59)年度 | 124 | 54 | 245 | 108 | [34][33] |
1985(昭和60)年度 | 102 | 56 | 218 | 112 | [35][33] |
1986(昭和61)年度 | 93 | 51 | 193 | 104 | [36][33] |
1987(昭和62)年度 | 88 | 46 | 182 | 94 | [37][33] |
1988(昭和63)年度 | 95 | 52 | 191 | 104 | [38][39] |
1989(平成元)年度 | 96 | 50 | 193 | 100 | [40][39] |
1990(平成 | 2)年度96 | 51 | 193 | 102 | [41][39] |
1991(平成 | 3)年度88 | 42 | 177 | 84 | [42][39] |
1992(平成 | 4)年度91 | 47 | 183 | 94 | [43][39] |
1993(平成 | 5)年度87 | 45 | 175 | 90 | [44][45] |
1994(平成 | 6)年度82 | 41 | 164 | 82 | [46][45] |
1995(平成 | 7)年度76 | 38 | 152 | 76 | [47][45] |
1996(平成 | 8)年度67 | 36 | 134 | 72 | [48][45] |
1997(平成 | 9)年度63 | 34 | 125 | 68 | [49][45] |
1998(平成10)年度 | 62 | 33 | 128 | 70 | [50][51] |
1999(平成11)年度 | 55 | 27 | 109 | 54 | [52][51] |
2000(平成12)年度 | 53 | 21 | 108 | 46 | [53][51] |
2001(平成13)年度 | 48 | 19 | 95 | 38 | [54][51] |
2002(平成14)年度 | 45 | 17 | 89 | 34 | [55][51] |
2003(平成15)年度 | 61 | 17 | 121 | 34 | [56][1] |
* 千人単位からの概算値
貨物
年 | 発送 | 到着 | 備考 |
---|---|---|---|
1960(昭和35)年度 | 19029 | 150 | [57] |
1961(昭和36)年度 | 19131 | 20 | [57] |
1962(昭和37)年度 | 9806 | 4 | [57] |
1963(昭和38)年度 | 8462 | 2 | [57] |
1964(昭和39)年度 | 6084 | 358 | [57] |
1965(昭和40)年度 | 4358 | 150 | [58] |
1966(昭和41)年度 | 5849 | 259 | [58] |
1967(昭和42)年度 | 8005 | 377 | [58] |
1968(昭和43)年度 | 5692 | 323 | [58] |
1969(昭和44)年度 | 7000 | 500 | [58] |
1970(昭和45)年度 | 6157 | 1130 | [58] |
1971(昭和46)年度 | 3851 | 591 | [58] |
1972(昭和47)年度 | 2636 | 1111 | [59] |
1973(昭和48)年度 | 4766 | 2123 | [59] |
1974(昭和49)年度 | 6260 | 2933 | [59] |
1975(昭和50)年度 | 4083 | 1933 | [59] |
1976(昭和51)年度 | 2593 | 1589 | [59] |
1977(昭和52)年度 | 1336 | 1593 | [60] |
1978(昭和53)年度 | 1221 | 1616 | [60] |
1979(昭和54)年度 | 917 | 1219 | [60] |
1980(昭和55)年度 | 335 | 1070 | [60] |
1981(昭和56)年度 | 348 | 262 | [60] |
1982(昭和57)年度 | 176 | 116 | [60] |
1983(昭和58)年度 | 123 | 109 | [60] |
時期 | 発送 | 到着 | 資料 | ||
---|---|---|---|---|---|
主要品目 | 主要着地 | 主要品目 | 主要発地 | ||
1960年代後半 | 粘土 | 関東・九州地方 | セメント、鉱石 | 関東地方 | 『豊田市の統計 昭和42年版』[57] |
1970年代前半 | 粘土 | 川棚駅 | セメント | 秩父駅 | 『豊田市統計書 昭和47年版』[58] |
1970年代後半 | 粘土 | 川棚駅 | セメント | 秩父駅 | 『豊田市統計書 昭和52年版』[59] |
1980年代 | シャモット、粘土 | 洞爺駅、川棚駅 | グリンカー、珪石 | 茅ケ崎駅、居能駅 | 『豊田市統計書 昭和60年版』[60] |
駅周辺
- 愛知県道・岐阜県道11号豊田明智線
- 猿投グリーンロード枝下IC
- 橋梁が駅からも見える。
隣の駅
脚注
- ^ a b 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 平成18年版』、豊田市、2008年、292頁
- ^ “木節粘土”. コトバンク. 2020年11月13日閲覧。
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、45頁。ISBN 978-4107900258。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、871頁。
- ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、236頁。ISBN 978-4876701292。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年8月、184頁。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、331頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、315頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、334頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、309頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、323頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、339頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、382頁
- ^ 豊田市企画部企画課統計係(編)『豊田市の統計 昭和42年版』、豊田市、1968年、95頁
- ^ a b c 豊田市総合企画部統計課(編)『豊田市統計書 昭和47年版』、豊田市、1973年、162-163頁
- ^ a b c 豊田市総務部統計課(編)『豊田市統計書 昭和50年版』、豊田市、1976年、166-167頁
- ^ a b c 豊田市総務部統計課(編)『豊田市統計書 昭和50年版』、豊田市、1976年、168-169頁
- ^ 豊田市総務部企画課(編)『豊田市統計書 昭和51年版』、豊田市、1977年、162-163頁
- ^ 豊田市総務部企画課(編)『豊田市統計書 昭和52年版』、豊田市、1978年、162-163頁
- ^ a b 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 昭和54年版』、豊田市、1980年、198-199頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和55年刊』、愛知県、1980年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和56年刊』、愛知県、1981年、228頁
- ^ a b 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 昭和57年版』、豊田市、1983年、210-211頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和57年刊』、愛知県、1982年、240頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和58年刊』、愛知県、1983年、224頁
- ^ a b 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 昭和60年版』、豊田市、1986年、218-219頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和59年刊』、愛知県、1984年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和60年刊』、愛知県、1985年、242頁
- ^ a b c d e 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 昭和62年版』、豊田市、1988年、208-209頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和61年刊』、愛知県、1986年、236頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和62年刊』、愛知県、1987年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和63年刊』、愛知県、1988年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成元年刊』、愛知県、1989年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成2年刊』、愛知県、1990年、224頁
- ^ a b c d e 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 平成4年版』、豊田市、1993年、208-209頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成3年刊』、愛知県、1991年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成4年刊』、愛知県、1992年、230頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成5年刊』、愛知県、1993年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成6年度刊』、愛知県、1995年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成7年度刊』、愛知県、1996年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 平成9年版』、豊田市、1998年、203-204頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成8年度刊』、愛知県、1997年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成9年度刊』、愛知県、1998年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成10年度刊』、愛知県、1999年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成11年度刊』、愛知県、2000年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成12年度刊』、愛知県、2001年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 平成14年版』、豊田市、2003年、218-219頁
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成13年度刊』、愛知県、2002年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成14年度刊』、愛知県、2003年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成15年度刊』、愛知県、2004年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成16年度刊』、愛知県、2005年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成17年度刊』、愛知県、2006年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e f 豊田市企画部企画課統計係(編)『豊田市の統計 昭和42年版』、豊田市、1968年、98頁
- ^ a b c d e f g h 豊田市総合企画部統計課(編)『豊田市統計書 昭和47年版』、豊田市、1973年、168-169頁
- ^ a b c d e f 豊田市総務部統計課(編)『豊田市統計書 昭和52年版』、豊田市、1978年、164-165頁
- ^ a b c d e f g h 豊田市総務部庶務課(編)『豊田市統計書 昭和60年版』、豊田市、1986年、220-221頁