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「雨飾山」の版間の差分

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'''雨飾山'''(あまかざりやま)は、[[長野県]][[北安曇郡]][[小谷村]]と[[新潟県]][[糸魚川市]]との県境にある、[[標高]]1,963.2mの[[山]]である。[[妙高戸隠連山国立公園]]に属している。
'''雨飾山'''(あまかざりやま)は、[[長野県]][[北安曇郡]][[小谷村]]と[[新潟県]][[糸魚川市]]との県境にある、[[標高]]1,963.2mの[[山]]である。[[妙高戸隠連山国立公園]]に属している。

2021年5月13日 (木) 23:01時点における版

雨飾山
新潟焼山から見た雨飾山
標高 1,963.2 m
所在地 日本の旗 日本
新潟県糸魚川市
長野県北安曇郡小谷村
位置 北緯36度54分07秒 東経137度57分45秒 / 北緯36.90194度 東経137.96250度 / 36.90194; 137.96250座標: 北緯36度54分07秒 東経137度57分45秒 / 北緯36.90194度 東経137.96250度 / 36.90194; 137.96250
山系 頸城山塊
雨飾山の位置(日本内)
雨飾山
雨飾山の位置
プロジェクト 山
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雨飾山(あまかざりやま)は、長野県北安曇郡小谷村新潟県糸魚川市との県境にある、標高1,963.2mのである。妙高戸隠連山国立公園に属している。

概要

山頂は360度の展望があり、二等三角点が設置されている。「猫の耳」と呼ばれる双耳峰となっており、南峰には標柱と三角点が、北峰には石仏が並ぶ。北峰、南峰はそれほど離れておらず標高差もさほどない。深田久弥日本百名山にあることから、近年、登山者が多くなった。

登山

雨飾山は、標高があまり高くないが、独立峰のような山容は堂々としており、日本海に近いこともあって、展望が素晴らしい。登山口には駐車場などが整備されている。[1]

新潟県と長野県の県境に位置する雨飾山には南北両方向から登山道が開かれているが、山頂に置かれた石仏が北に向いているところから、元々は越後、日本海側の信仰の山だったと推測される。

新潟県側の登山道は、根知川上流の雨飾温泉から神難所沢と鉱度倉沢を分ける薬師尾根を登るもので、距離は短いが、そのぶん急登の連続である。現在は尾根の末端から登られるが、もとは鉱度倉沢をたどり、中ほどにあるヨケジの滝を右岸から巻いてから左岸に支尾根にとりつき、藥師尾根上に出ていた。深田久弥は初め、新潟県側からの登頂を試みたが、道を失い、途中で断念したことを自著[2]に記している。

長野県側の登山口は、姫川の支流・中谷川の上流にある小谷温泉である。現在は雨飾高原キャンプ場まで車道が通じ、ここを起点に、山頂から南に伸びる尾根の東南東方向に派生する小尾根を乗っ越し、標高1445m地点で大海川の荒菅沢を渡り、雨飾山の北東に位置する1894m峰への支尾根を登り、稜線伝いに行くのが一般コースとなっている。この登山道ができるまでは、大海川の中を歩いて行くしかなかった。深田久弥も「布団菱」の下を回り込むように荒菅沢本谷をつめて登頂しているが、このコースを最初にたどったのは、おそらく冠松次郎であろう[3]小谷村大網からのコースもあるが、登山者は少なく、むしろ春の山スキーで使われることが多い。

雨飾山の南方には大渚山という峰があり、標高は高くないが、独立峰として突出していて、東側から見た容姿がとくに印象的な山で、雨飾山入口や鎌池を過ぎ、道の舗装が砂利に変わる地点にある湯峠から登山に入ることができる。[4]

南側のピークから見下ろす笹平には、山頂へとつながるクライマックスの道がついている。登山道を目でなぞってみると、それが女神の横顔のように見える。[5]



深田久弥と雨飾山

深田久弥の著書『日本百名山』には、氏が登った山々の中から選ばれた100山が記されているが、この書は紀行文集ではない。『山頂山麓』『をちこちの山』『わが愛する山々』などの山岳紀行をもとにした山格論と研究であり、それに随想をまじえたものである。よって、日本全国から選りすぐった眺望の良い山、登るべき山のベスト100であるというのは、大いなる誤解である。

そんな深田久弥にとって、雨飾山は特別に思い入れのある山であったといえるだろう。雨飾山登山と雨飾山の描写が、『日本百名山』以外に3つの文がある。氏は雨飾山登山を3度試み、1941年の2度の失敗を経て、1957年にようやく登頂した。『わが愛する山々』に、「ついに私は長い憧れの雨飾山の頂に立った」[6]という記述がある。

今日、日本百名山のおかげで、雨飾山登山者は増えた。しかし、多くの人がたどる登山道は、深田久弥が登った道ではない[独自研究?]。山頂からの眺め以外は、氏が目にした景色とはことごとく違っている。また、初めて訪れた1941年は、根知の山口集落でバスを降り、現在の雨飾温泉まで3時間余の山道を歩いているのだが、途中にあった梶山集落はなくなっている。

ギャラリー

関連文献

  • 深田久弥『山頂山麓』青木書店、1942年。
  • 深田久弥『をちこちの山』山と渓谷社、1952年。
  • 深田久弥『わが愛する山々』新潮社、1961年。
  • 深田久弥『日本百名山』新潮社、1964年。
  • 冠松次郎『破片岩』耕進社、1933年。
  • 三田尾松太郎『幽山秘峡』富山房、1942年。
  • 蟹江健一、渡辺義一郎 著『雨飾山と海谷山塊:われらが希望の山々』恒文社、2008年。

脚注

  1. ^ 登山ルート・山旅スポット. “秘湯温泉を楽しむ山旅 雨飾山の登山ルート・小谷温泉”. 山旅旅. 2020年9月30日閲覧。
  2. ^ 深田久弥『山頂山麓』青木書店、1942年
  3. ^ 冠松次郎『破片岩』耕進社、1933年、pp.230-234
  4. ^ 登山ルート・山旅スポット. “大渚山の登山ルート・難易度・時期”. 山旅旅. 2020年10月8日閲覧。
  5. ^ 征, 大内. “テーマで歩く山の旅 #05 雨飾山×女神の横顔”. 山旅旅. 2020年10月12日閲覧。
  6. ^ 深田久弥『わが愛する山々』新潮社、1961年

関連項目

周辺の山

外部リンク