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** 第349話「過去を裁く挑戦状」(1978年、12ch) - 小室丞四郎
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** 第380話「殺しを呼ぶひつじ年の娘」(1979年) - 仙次
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* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズII]] / [[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]](1978年、MBS) - 多門連太郎
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* [[コメットさん#第2期|コメットさん]] 第39話「あァ、結婚」(1978年、TBS) - 松井康二郎
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* 殉愛 ひとすじの恋(1978年 - 1979年、[[讀賣テレビ放送|YTV]]) - 大沢彰
* 殉愛 ひとすじの恋(1978年 - 1979年、[[讀賣テレビ放送|YTV]]) - 大沢彰

2021年4月18日 (日) 10:27時点における版

なつ ゆうすけ
夏 夕介
本名 田浦 久幸(たうら ひさゆき)
別名義 田浦 幸(旧芸名)
生年月日 (1950-10-30) 1950年10月30日
没年月日 (2010-01-27) 2010年1月27日(59歳没)
出生地 日本の旗 日本熊本県荒尾市
死没地 日本の旗 日本東京都
身長 175cm
血液型 O型
職業 俳優歌手ミュージシャン
活動期間 1969年 - 2009年
活動内容 1969年オックス
1970年:俳優デビュー
2000年:劇団シアタージャパン旗揚げ
配偶者 伊藤めぐみ
主な作品
映画
『愛のなぎさ』『野性の証明
極道の妻たちII』『花の降る午後
テレビドラマ
突撃! ヒューマン!!
純愛山河 愛と誠
宇宙鉄人キョーダイン
人はそれをスキャンダルという
河原町東入ル』『特捜最前線
舞台
『Blue Plate Special カルテの裏側』
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夏 夕介(なつ ゆうすけ、1950年10月30日[1][2][3] - 2010年1月27日[4])は、日本俳優。本名、田浦 久幸(たうら ひさゆき)[1][2]身長175cm、体重76kg[5]血液型はO型[6]。妻は元女優の伊藤めぐみ[7]。長女は元宝塚歌劇団宙組の娘役・愛花ちさき

出生地は熊本県[3]荒尾市[1][2]。千葉市立松ヶ丘小学校、高石市立高石中学校を経て、大阪府立泉大津高等学校卒業[1][2]

来歴

大阪のバンド「グランプリーズ」でオルガンを担当していた[8]1969年春に高校卒業後は、グランプリーズのヴォーカルとして活動していた和田アキ子のプロデビューをきっかけに上京[1]。和田の所属事務所であるホリプロよりルックスの良さを買われ、同年5月に脱退した赤松愛の後を引き継ぐ形で、当時人気絶頂だったグループ・サウンズオックス」に「田浦 幸(たうら ゆき)」の芸名で参加[2]

1970年「オックス」在籍中に芸名を「夏夕介」に改め、ソロ歌手として「涙が燃えて」でデビュー、同時に俳優業に進出し『野良猫ロック・ワイルド・ジャンボ』で映画デビュー。1971年、5月末をもってオックスが解散。テレビドラマ美人はいかが?』などに出演する傍ら、劇団NLTの研修生となる[8][9]

1972年、10月から12月にわたり放送されたステージショー形式の異色のヒーロー番組『突撃! ヒューマン!!』(日本テレビ系)で主役・岩城淳一郎役に抜擢ばってきされる。

1974年、『ラブラブライバル』(TBS系)では、脇に回り、コミカルな演技をこなす一方、梶原一騎原作の人気コミックのドラマ化作品『純愛山河・愛と誠』(東京12チャンネル - 現・テレビ東京)では主役・太賀誠役として、本作がデビュー作となった池上季実子の相手役を務め、一躍人気俳優となる。

1976年、『愛のなぎさ』(監督:根本順善、東宝)で映画初主演を果たす。同年『宇宙鉄人キョーダイン』(毎日放送 - TBS系)では再びヒーロー役を演じた。

赤い絆』(TBS)、『人はそれをスキャンダルという』(TBS)などのテレビドラマ出演を経て、1980年より『特捜最前線』(テレビ朝日)に、叶旬一刑事役で出演。1987年まで7年間レギュラー出演した[3][2]

その後、ラムゼイ・ハント症候群を発病。顔面神経麻痺などの症状から、しばらく表舞台から姿を消していたものの、これを克服し「劇団シアタージャパン」の俳優代表として活躍した[7]

2010年1月27日、胃がんのため東京都内の病院で死去[4]。59歳没。

人物・エピソード

『宇宙鉄人キョーダイン』では、当初は回想シーンと顔だけの出演だった。特に顔だけの演技をする際、どうやって演じたらいいか非常に迷ったという[10]。途中からはスカイゼルの中から出られるようになりアクションシーンが増えたが、学生のころに器械体操をやっていたため難なくこなすことができた[10]

妻の伊藤めぐみとは、『特捜最前線』での共演がきっかけで結婚。長女の愛花ちさきは、『特捜最前線』第414話「少年はなぜ母を殺したか!」の撮影中に生まれたが、撮影が夜まで長引いたため、撮影後に病院まで直行している[3]

『特捜最前線』にはレギュラー入りする以前に数回ゲスト出演している。犯人役で出演した第133話「六法全書を抱えた狼!」は、別な俳優が辞退したため回ってきた役で、台本を読んで面白いと感じたと述べている[11]。『特捜最前線』出演中は、基本的に掛け持ちができなかったため、集中できてよかったという。また、出演中に本職の警察官から、指紋の取り方や調書の書き方を教えてもらったことがある[7]

夏の訃報は芸能関係者に衝撃を与えた。オックスのヴォーカルだった真木ひでとは自らのブログで「田浦(夏の本名)のことは書けない……」とショックを隠さず、『特捜最前線』で長く共演した横光克彦は「彼(夏)は『もう一回、同じメンバーで(特捜最前線を)やりたいね』って言ってたのに…… ショックです」とスポーツニッポンの取材に応えて故人をしのんだ[12]

真木同様、熱心な創価学会信者(2004年入信)であり、2007年5月20日聖教新聞日曜版「友だちトーク2007」には二人の対談が掲載された。

趣味は、アクアラング[13]。特技は、射撃空手[14][8]。『特捜最前線』出演中にアマチュア無線の免許を取得している[7]

出演

テレビドラマ

映画

オリジナルビデオ

舞台

  • 第3回百恵ちゃんまつり / 第一部・ミュージカル 『蜘蛛の里』(1977年、ホリプロ=コマスタジアム) - 光
  • 第4回百恵ちゃんまつり / 第一部・ミュージカル 『愛の鐘は鳴らない』(1978年、ホリプロ=コマスタジアム) - 健
  • カラミティー・ジェーン(1991年、博品館劇場) - ワイルド・ビル・ヒコック
  • I Do! I Do!(1996年、三生社) - マイケル
  • 友情 〜秋桜のバラード〜(2004年、TBS=劇団絵生)
  • シアタージャパン公演
    • Blue Plate Special カルテの裏側(2000年・2001年・2004年)
    • オーカッサンとニコレット(2000年)
    • HAND in HAND 〜心と心の回想録〜(2001年)
    • ミヌース(2002年)
    • HAND in HAND 〜心と心の回想録〜(2002年・2003年)
    • ホルストメール〜ある馬の物語(2006年)
    • 涙のオークション(2007年)
    • アメリカンドリーム(2007年)
    • Heart 〜思い出してあの時を〜(2008年)
    • 夏夕介クリスマスショー2008(2008年)

音楽

シングル

  • 涙が燃えて / あこがれの人(1970年、ビクター音楽産業
  • 愛と栄光の日々 / いつまでもいつまでも(1971年、日本コロムビア
  • 君がそばにいるから / 絵里加(1973年、日本コロムビア)

脚注

出典
  1. ^ a b c d e 『日本映画人名事典』 男優篇 下巻、キネマ旬報社、1996年、339頁。ISBN 978-4873761893 
  2. ^ a b c d e f 『福島民報』1980年3月26日付朝刊、13面。
  3. ^ a b c d 刑事マガジン 2003, p. 81.
  4. ^ a b “「特捜最前線」夏夕介さん胃がんで死去”. 朝日新聞. (2010年1月28日). オリジナルの2013年6月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130621033430/http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201001280018.html 2012年4月23日閲覧。 
  5. ^ 日本タレント名鑑2003』VIPタイムズ社、2003年、277頁。ISBN 978-4-9901242-1-2 
  6. ^ 『芸能手帳 タレント名簿録』 VOL.30、連合通信社、1995年、158頁。 
  7. ^ a b c d 刑事マガジン 2003, p. 83.
  8. ^ a b c 『読売新聞』1971年10月7日付朝刊、23面。
  9. ^ 『福島民報』1971年11月13日付夕刊。
  10. ^ a b 「スーパーヒーロー作品 STAFF・CASTインタビュー」『テレビマガジン特別編集 テレビマガジンヒーロー大全集』(増補改訂版)講談社、1992年、236頁。ISBN 978-4061784147 
  11. ^ 刑事マガジン 2003, p. 82.
  12. ^ スポーツニッポン 2010年1月28日付紙面
  13. ^ 『TVスター名鑑2003』東京ニュース通信社、2002年、261頁。ISBN 978-4924566187 
  14. ^ 『日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、261頁。 

参考文献

  • 「70年代刑事ドラマ・スペシャル」『刑事マガジン Vol.1』辰巳出版〈タツミムック〉、2003年9月1日。ISBN 4-88641-908-9 

外部リンク