「シュシャ県」の版間の差分
Syanarion62 (会話 | 投稿記録) m →top: 地図の変更 |
m Bot作業依頼: 翻訳用出典テンプレートのsubst展開 (Template:Книга) - log |
||
115行目: | 115行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
[[1813年]]に[[ゴレスターン条約]]によって[[ロシア帝国]]の領土とされるまでは、[[ガージャール朝|ガージャール朝ペルシア]]の下で{{仮リンク|カラバフ・ハン国|tr|Karabağ Hanlığı}}の中心地域であった<ref name="azbib">{{lang|ru|{{Cite report |author= |authorlink= |coauthors= |date= |title= Управление делами Президента Азербайджанской Республики|url= http://files.preslib.az/projects/azerbaijan/rus/gl2.pdf|publisher= Президентская библиотека Управления делами президента Азербайджанской Республики|pages= 161-162|docket= |accessdate= 2015-01-28}}}}</ref>。その後には[[カスピ州]]の下で[[シュシャ郡]]が形成され<ref>{{lang|ru|Полное собрание законов Российской империи, собрание 2-е, т. XV, ст. 13368}}</ref>、[[1868年]]からは{{仮リンク|エリザヴェトポリ県|ru|Елизаветпольская губерния}}の一部となった。[[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国]]成立後には、[[1930年]]8月8日に[[ナゴルノ・カラバフ自治州]]の一部として'''シュシャ地区'''({{lang-ru|Шушинский район}})が設置された<ref name="Melykov7">{{lang|ru|{{ |
[[1813年]]に[[ゴレスターン条約]]によって[[ロシア帝国]]の領土とされるまでは、[[ガージャール朝|ガージャール朝ペルシア]]の下で{{仮リンク|カラバフ・ハン国|tr|Karabağ Hanlığı}}の中心地域であった<ref name="azbib">{{lang|ru|{{Cite report |author= |authorlink= |coauthors= |date= |title= Управление делами Президента Азербайджанской Республики|url= http://files.preslib.az/projects/azerbaijan/rus/gl2.pdf|publisher= Президентская библиотека Управления делами президента Азербайджанской Республики|pages= 161-162|docket= |accessdate= 2015-01-28}}}}</ref>。その後には[[カスピ州]]の下で[[シュシャ郡]]が形成され<ref>{{lang|ru|Полное собрание законов Российской империи, собрание 2-е, т. XV, ст. 13368}}</ref>、[[1868年]]からは{{仮リンク|エリザヴェトポリ県|ru|Елизаветпольская губерния}}の一部となった。[[アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国]]成立後には、[[1930年]]8月8日に[[ナゴルノ・カラバフ自治州]]の一部として'''シュシャ地区'''({{lang-ru|Шушинский район}})が設置された<ref name="Melykov7">{{lang|ru|{{cite book2| author = {{nobr|Мельников С. А.}}, {{nobr|Ибрагимов Ч. Г.}} | chapter = | chapter-url = | format = | url = http://elibrary.bsu.az/yenii\ebookspdf\az_ssri.pdf | title = Азербайджанская ССР. Административно-территориальное деление на 1 января 1977 года | orig-year = | agency = ред. {{nobr|А. М. Исаев}}, {{nobr|Б. А. Будагов}}, {{nobr|Г. А. Гейбуллаев}} | edition = 4-е изд |location= {{Б.}} |date = 1979 |publisher= Азернешр |at= |volume= |issue = | pages = 7| page = | series = | isbn = | ref = Melykov}}}}</ref>(これが現在のシュシャ県の原型となっている<ref name="azbib"/>)。シュシャ地区は[[1963年]]1月4日に[[アスケラン地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)|ステパナケルト地区]]に編入されたが、[[1965年]]6月に再建された<ref name="Melykov7"/>。 |
||
[[ソビエト連邦の崩壊]]後は[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]の舞台となり、[[1992年]]5月8日に[[アルメニア人]]側の勢力下に入った<ref name="azbib"/>。この際、[[アゼルバイジャン人]]による歴史的建造物の多くが破壊されたという<ref name="azbib"/>。戦争を機に[[独立主張のある地域一覧|事実上独立]]した[[アルツァフ共和国]]における[[アルツァフ共和国の行政区画|行政区画]]、{{仮リンク|シュシー地区|ru|Шушинский район (НКР)}}は、シュシャ県とその西部の[[ラチン県]]の一部に重なっている。 |
[[ソビエト連邦の崩壊]]後は[[ナゴルノ・カラバフ戦争]]の舞台となり、[[1992年]]5月8日に[[アルメニア人]]側の勢力下に入った<ref name="azbib"/>。この際、[[アゼルバイジャン人]]による歴史的建造物の多くが破壊されたという<ref name="azbib"/>。戦争を機に[[独立主張のある地域一覧|事実上独立]]した[[アルツァフ共和国]]における[[アルツァフ共和国の行政区画|行政区画]]、{{仮リンク|シュシー地区|ru|Шушинский район (НКР)}}は、シュシャ県とその西部の[[ラチン県]]の一部に重なっている。 |
2021年4月15日 (木) 23:45時点における版
シュシャ県 | |
---|---|
Şuşa rayonu | |
国 | アゼルバイジャン |
経済地区 | 高地カラバフ経済地区[1] |
設立 | 1930年8月8日 |
中心都市 | シュシャ |
政府 | |
• 首長 |
バイラム・サラフォフ (2009年2月27日 - )[2] |
面積 | |
• 合計 | 290 km2 |
人口 | |
• 合計 | 30,300人 |
• 密度 | 100人/km2 |
等時帯 | UTC+4 (AZT) |
市外局番 | 994 26 |
ナンバープレート | 58 |
ISO 3166-2 | AZ-SUS |
ウェブサイト | www.shusha-ih.gov.az/ |
シュシャ県(シュシャけん、アゼルバイジャン語: Şuşa rayonu)は、アゼルバイジャンの南西に位置する県。シュシャをその中心とし、下位には31の村落がある[3]。1992年から2020年までアルツァフ共和国の実効支配地域となっていた。
歴史
1813年にゴレスターン条約によってロシア帝国の領土とされるまでは、ガージャール朝ペルシアの下でカラバフ・ハン国の中心地域であった[3]。その後にはカスピ州の下でシュシャ郡が形成され[4]、1868年からはエリザヴェトポリ県の一部となった。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国成立後には、1930年8月8日にナゴルノ・カラバフ自治州の一部としてシュシャ地区(ロシア語: Шушинский район)が設置された[5](これが現在のシュシャ県の原型となっている[3])。シュシャ地区は1963年1月4日にステパナケルト地区に編入されたが、1965年6月に再建された[5]。
ソビエト連邦の崩壊後はナゴルノ・カラバフ戦争の舞台となり、1992年5月8日にアルメニア人側の勢力下に入った[3]。この際、アゼルバイジャン人による歴史的建造物の多くが破壊されたという[3]。戦争を機に事実上独立したアルツァフ共和国における行政区画、シュシー地区は、シュシャ県とその西部のラチン県の一部に重なっている。
2020年11月8日、アゼルバイジャン軍は2020年ナゴルノ・カラバフ紛争にてシュシャを奪還したと発表した[6]。11月10日より発効した停戦協定により、正式にアゼルバイジャンへ返還されることとなった[7]。
人口推移
ソビエト連邦時代、シュシャ地区の民族別人口は以下のように推移している[8]。
- 総人口
- アルメニア人
- アゼルバイジャン人
- ロシア人
脚注
- ^ “Экономико-географическое-демографическое деление Азербайджана”. Azerbaijan Gender Information Center. 2015年1月28日閲覧。
- ^ “Opinion: Bayram Sarafov "We must learn to live together, we are neighbors"”. commonspace.eu (2011年9月13日). 2015年1月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g Управление делами Президента Азербайджанской Республики (PDF) (Report). Президентская библиотека Управления делами президента Азербайджанской Республики. pp. 161–162. 2015年1月28日閲覧。
{{cite report}}
: 不明な引数|coauthors=
が空白で指定されています。 (説明) - ^ Полное собрание законов Российской империи, собрание 2-е, т. XV, ст. 13368
- ^ a b Мельников С. А., Ибрагимов Ч. Г. (1979). Азербайджанская ССР. Административно-территориальное деление на 1 января 1977 года (PDF) (4-е изд ed.). Б.: Азернешр. ред. А. М. Исаев, Б. А. Будагов, Г. А. Гейбуллаев. p. 7.
- ^ アゼルバイジャン軍、アルメニア支配地域の都市に接近か朝日新聞デジタル2020年11月8日付
- ^ “Armenia, Azerbaijan and Russia sign Nagorno-Karabakh peace deal”. BBC News. BBC. (2020年11月10日) 2020年11月16日閲覧。
- ^ “Население Нагорного Карабаха”. ETHNO-CAUCASUS - Narod.ru. 2015年1月28日閲覧。