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戦後の大量殺人事件: 「長野市・田村」ではなく「長野県」の「市田村」。
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|{{Display none|27/}}[[寝屋川工場主一家殺害事件]]||6|| style="white-space:nowrap;" |1945年||住み込み従業員が一家を虐殺し家財を処分して逃亡。1948年に死刑執行。
|{{Display none|27/}}[[寝屋川工場主一家殺害事件]]||6|| style="white-space:nowrap;" |1945年||住み込み従業員が一家を虐殺し家財を処分して逃亡。1948年に死刑執行。
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|{{Display none|27/}}[[小平事件]]||7||style="white-space:nowrap;"|1945年~1946年||東京都で発生した連続強姦殺人事件。1949年に死刑執行。
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|{{Display none|30/}}[[和歌山一家8人殺害事件]]||8||1946年{{Display none|01-29}}||母親に冷たい仕打ちをしたと思いこんだ弟が兄一家を虐殺。死刑判決が出たが後に恩赦され1968年に仮出獄。
|{{Display none|30/}}[[和歌山一家8人殺害事件]]||8||1946年{{Display none|01-29}}||母親に冷たい仕打ちをしたと思いこんだ弟が兄一家を虐殺。死刑判決が出たが後に恩赦され1968年に仮出獄。
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|{{Display none|09/}}[[日光中宮祠事件]]||6||1946年{{Display none|05-06}}||警察は旅館経営者一家が心中したとして処理したが、1955年になって実際は強盗放火事件であったことが判明。実行犯2人が死刑執行になったのは1974年のことであった。
|{{Display none|09/}}[[日光中宮祠事件]]||6||1946年{{Display none|05-06}}||警察は旅館経営者一家が心中したとして処理したが、1955年になって実際は強盗放火事件であったことが判明。実行犯2人が死刑執行になったのは1974年のことであった。
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|{{Display none|20/}}[[長野市・田村一家7人殺害事件|長野県市田村一家7人殺害事件]]||7||1946年{{Display none|05-09}}||物取りによる計画的犯行とみられるが、時効を迎え迷宮入り。
|{{Display none|20/}}[[長野県市田村一家7人殺害事件]]||7||1946年{{Display none|05-09}}||[[長野県]][[下伊那郡]][[市田村 (長野県)|市田村]]で発生。物取りによる計画的犯行とみられるが、時効を迎え迷宮入り。
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|{{Display none|43/}}[[一勝地村農家6人殺害事件]]||6||1946年{{Display none|08-29}}||朝鮮半島へ引揚げようとした朝鮮人3人による犯行。
|{{Display none|43/}}[[一勝地村農家6人殺害事件]]||6||1946年{{Display none|08-29}}||[[熊本県]][[球磨郡]][[一勝地村]](現:[[球磨村]])で発生。[[朝鮮半島]][[揚げ]]ようとした朝鮮人3人による犯行。
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|{{Display none|13/}}[[帝銀事件]]||12||1948年{{Display none|01-26}}||[[冤罪]]が指摘されている毒殺事件。容疑者は犯行を否認したまま獄死。
|{{Display none|13/}}[[帝銀事件]]||12||1948年{{Display none|01-26}}||[[冤罪]]が指摘されている毒殺事件。容疑者は犯行を否認したまま獄死。
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|{{Display none|01/}}[[北海道音江村一家8人殺害事件]]||8||1948年{{Display none|04-02}}||1948年3月31日、[[北海道]][[空知郡]][[音江村]](現:[[深川市]]音江町)にて発生{{Sfn|斎藤充功|2014|p=104}}。農家の男性(当時39歳)が自宅から数 [[キロメートル|km]]離れた場所に住む一家8人(夫婦と子供6人)を斧で撲殺したとして、[[強盗致死傷罪|強盗殺人罪]]に問われたが{{Sfn|斎藤充功|2014|pp=105-106}}、証拠不十分のため{{Sfn|斎藤充功|2014|p=108}}、被告人の男性は1949年(昭和24年)6月22日に[[旭川地方裁判所|旭川地裁]]で[[無罪]][[判決 (日本法)|判決]]を言い渡された{{Sfn|斎藤充功|2014|p=103}}。その後、[[旭川地方検察庁|旭川地検]]は判決を不服として[[札幌高等裁判所|札幌高裁]]に控訴したが、控訴審でも無罪が言い渡され、1952年8月に[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]で上告が棄却されたため、被告人の無罪が確定した{{Sfn|斎藤充功|2014|p=109}}。その後、警察は事件を再捜査しなかったため、同事件は[[未解決事件]]となった{{Sfn|斎藤充功|2014|pp=109-110}}。
|{{Display none|01/}}[[北海道・音江村一家8人殺害事件]]||8||1948年{{Display none|04-02}}||物証がないうえに無免許医による司法解剖が裁判所に証拠として認められなかったといった捜査機関の不手際が重なった為、逮捕起訴された被告人は無罪になった。迷宮入り。
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|{{Display none|13/}}[[三鷹事件]]||6||1949年||[[国鉄三大ミステリー事件]]のひとつ。
|{{Display none|13/}}[[三鷹事件]]||6||1949年||[[国鉄三大ミステリー事件]]のひとつ。
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|{{Display none|02/}}[[青森県新和村一家7人殺害事件]]||7||1953年||[[青森県]][[中津軽郡]][[新和村 (青森県)|新和村]](現:[[弘前市]])にて、実家([[リンゴ]]農家)に[[味噌]]を盗みに入った男が家にあった猟銃で父親一家7人を射殺<ref name="新和村">{{Cite journal|和書|journal=[[判例集|高等裁判所刑事判例集]]|publisher=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]事務総局|author=最高裁判所事務総局判例調査会|year=1958|pages=169-187|title=|volume=11|issue=4|chapter=鉄砲で父兄夫婦等七名を順次射殺した殺人事件を犯行時だけ一過性の精神障碍状態にあつたとして無罪とした事例}} - [[青森県新和村一家7人殺害事件]]の被告人に対し宣告された[[仙台高等裁判所秋田支部]]判決(1958年3月26日)および、その原判決([[青森地方裁判所]]弘前支部:4月5日宣告)を収録。</ref>。その際に銃口から出た火が布団に引火して実家が全焼し、長兄の子供1人が焼死(死者計8人)<ref name="新和村"/>。刑事裁判では「殺人行為におよんだ際は心神喪失状態だった」と認定され、住居侵入のみ有罪([[懲役]]6月・[[執行猶予]]2年)とする[[判決 (日本法)|判決]]が言い渡された<ref name="新和村"/>。
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|{{Display none|40/}}[[福岡・豊津村一家8人殺害事件]]||8||1954年{{Display none|09-07}}||家族11人が同棲していた理髪師の男に襲われ8人が死亡。男には2年後に死刑が確定。
|{{Display none|40/}}[[福岡・豊津村一家8人殺害事件]]||8||1954年{{Display none|09-07}}||[[福岡県]][[京都郡]]豊津村(現:[[豊津町]])で発生。家族11人が同棲していた理髪師の男に襲われ8人が死亡。男には2年後に死刑が確定。
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|style="white-space:nowrap"|{{Display none|08/}}[[茨城・徳宿村精米業一家殺害事件]]||9||1954年{{Display none|10-11}}||毒殺後住居を放火した事件。被疑者が逮捕後に青酸カリで自殺。
|style="white-space:nowrap"|{{Display none|08/}}[[茨城・徳宿村精米業一家殺害事件]]||9||1954年{{Display none|10-11}}||[[茨城県]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]][[徳宿村]](現:[[鉾田市]])で発生。毒殺後住居を放火した事件。被疑者が逮捕後に青酸カリで自殺。
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|{{Display none|35/}}[[仁保事件]]||6||1954年{{Display none|10-26}}||著名な冤罪事件のひとつ。
|{{Display none|35/}}[[仁保事件]]||6||1954年{{Display none|10-26}}||著名な冤罪事件のひとつ。
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|{{Display none|14/}}[[川崎市一家7人殺害事件]]||7||1957年{{Display none|03-04}}||高校をノイローゼのため中退した男が家族を皆殺しに。検察は[[統合失調症]]と判断し不起訴処分にし[[精神病院]]に強制収容措置とした。
|{{Display none|14/}}[[川崎市一家7人殺害事件]]||7||1957年{{Display none|03-04}}||高校をノイローゼのため中退した男が家族を皆殺しに。検察は[[統合失調症]]と判断し不起訴処分にし[[精神病院]]に強制収容措置とした。
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|{{Display none|13/}}[[昭和郷アパート放火事件|昭島・昭和郷アパート放火事件]]||8||1957年{{Display none|10-27}}||火災保険金目当てに自宅アパートを放火。類焼により大惨事に。
|{{Display none|13/}}[[昭和郷アパート放火事件]]||8||1957年{{Display none|10-27}}||[[東京都]][[昭島市]]で発生。火災保険金目当てに自宅アパートを放火。類焼により大惨事に。
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|{{Display none|01/}}[[北海道真狩村一家6人殺害事件]]||6||1959年{{Display none|06-04}}||農家で住み込みで働いていた男による犯行。1962年に無期懲役が確定。
|{{Display none|01/}}[[北海道真狩村一家6人殺害事件]]||6||1959年{{Display none|06-04}}||北海道[[虻田郡]][[真狩村]]([[後志総合振興局]]管内)で発生。農家で住み込みで働いていた男による犯行。1962年に無期懲役が確定。
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|{{Display none|11/}}[[岩槻一家7人殺害事件]]||7||1959年{{Display none|07-22}}||家庭環境に疲れ果てた男が無理心中しようとして自宅を放火。1審では無期懲役であったが控訴審で死刑となり後に確定。
|{{Display none|11/}}[[岩槻一家7人殺害事件]]||7||1959年{{Display none|07-22}}||家庭環境に疲れ果てた男が無理心中しようとして自宅を放火。1審では無期懲役であったが控訴審で死刑となり後に確定。
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|{{Display none|14/}}[[相模原障害者施設殺傷事件]]<ref>{{Cite news|title=<傍聴記>「皆さまにおわび」誰に 相模原事件・地裁初公判|newspaper=[[東京新聞]]|date=2020-01-09|edition=朝刊|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020010902100039.html|accessdate=2020-02-16|publisher=[[中日新聞社]]|language=ja|author=曽田晋太郎|quote=''優生思想を背景とした戦後類を見ない'''大量殺人事件'''''|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200216152852/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020010902100039.html|archivedate=2020年2月16日}}</ref>||19||2016年||[[知的障害者]][[福祉施設]]に元施設職員の男が侵入し、入所者19人を刺殺した。
|{{Display none|14/}}[[相模原障害者施設殺傷事件]]<ref>{{Cite news|title=<傍聴記>「皆さまにおわび」誰に 相模原事件・地裁初公判|newspaper=[[東京新聞]]|date=2020-01-09|edition=朝刊|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020010902100039.html|accessdate=2020-02-16|publisher=[[中日新聞社]]|language=ja|author=曽田晋太郎|quote=''優生思想を背景とした戦後類を見ない'''大量殺人事件'''''|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200216152852/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020010902100039.html|archivedate=2020年2月16日}}</ref>||19||2016年||[[知的障害者]][[福祉施設]]に元施設職員の男が侵入し、入所者19人を刺殺した。
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|{{Display none|14/}}[[大口病院連続点滴中毒死事件]]||不明||2016年||[[横浜市]]・[[横浜はじめ病院|旧大口病院]]の4階病棟で7月〜9月に48人死亡しているが<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/14988730/ 大口病院の点滴殺人 2カ月で48人死亡も44人は自然死扱いに] - デイリースポーツ/ライブドアニュース 2018年7月10日配信</ref>、2年後に殺人容疑で逮捕された[[看護]]師の女は20人ぐらいの[[点滴静脈注射|点滴]]に[[殺菌剤 (医薬品)|消毒液]][[塩化ベンザルコニウム|ヂアミトール]]を入れたと供述<ref>[http://biz-journal.jp/2018/07/post_24021.html 大口病院・20人殺害か…久保木容疑者、他の看護師への復讐願望を患者に「置き換え」か] - Business Journal 2018年7月11日配信</ref>。
|{{Display none|14/}}[[大口病院連続点滴中毒死事件]]||不明||2016年||[[横浜市]]・[[横浜はじめ病院|旧大口病院]]の4階病棟で7月〜9月に48人死亡しているが<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/14988730/ 大口病院の点滴殺人 2カ月で48人死亡も44人は自然死扱いに] - デイリースポーツ/ライブドアニュース 2018年7月10日配信</ref>、2年後に殺人容疑で逮捕された[[看護]]師の女は20人ぐらいの[[点滴静脈注射|点滴]]に[[殺菌剤 (医薬品)|消毒液]][[塩化ベンザルコニウム|ヂアミトール]]を入れたと供述<ref>[http://biz-journal.jp/2018/07/post_24021.html 大口病院・20人殺害か…容疑者、他の看護師への復讐願望を患者に「置き換え」か] - Business Journal 2018年7月11日配信</ref>。
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|{{Display none|08/}}[[日立市一家6人殺害事件]] ||6||2017年||[[茨城県]][[日立市]]で父親が母子6人を殺害し、自宅に放火した。
|{{Display none|08/}}[[日立市一家6人殺害事件]] ||6||2017年||[[茨城県]][[日立市]]で父親が母子6人を殺害し、自宅に放火した。

2021年2月3日 (水) 12:35時点における版

大量殺人(たいりょうさつじん)は、同一の場所および時間帯において同時に複数名が死亡ないし傷害を負う犯罪を示すとされる[1]。しかし、厳密な定義は存在しない(後述)。

定義

大量殺人という言葉に厳密な定義が存在しないことはフリーランスライターの村野薫[2]、精神科医の影山任佐がそれぞれ著書で触れている[3]。そのため以下に定義の変遷とその時代に大量殺人と認識された事件を記す。

1914年に発生したワグナー事件において、ローベルト・ガウプドイツ語版が論文の題名にMassenmord(大量殺人)を使用したのが最初だと影山は指摘している[4]1920年にはアルブレヒト・ヴェッツェルによる1810年以降のドイツを中心の諸外国を含んだ153件の事例の研究書であるÜber Massenmörder(大量殺人者たち)が出版される[5]。ヴェッツェルは本書において未遂も含んだ二名以上の被害者が出たものから偶発的な殺人者、営利殺人、政治的目的を持つ加害者、プロの毒殺者の4つを外したものを対象とした[6]

司法精神医学者のパーク・ディーツ英語版1968年に大量殺人を家族皆殺し、擬似的な特攻、セットアンドラン[注釈 1]の三つに区分したものを示した[7]

ロナルド・M・ホームズとスティーヴン・T・ホームズはディーツの区分したものをさらに8つに区分した。それによると教祖などの指示により門弟が行う師弟タイプ、一家心中も含めた家族皆殺しタイプ、会社での不満に端を発する不満を持った従業員タイプ、自身の背景や社会への不満から無差別殺人を行う不満を持った市民タイプ、セットアンドランタイプ、精神疾患が原因で行われる精神疾患タイプ、加害者の政治的信念に基づくイデオロギータイプ、学校内銃乱射タイプに分けられている[7]

FBIは2005年に開催された連続殺人に関するシンポジウム報告書の中で大量殺人との違いを各殺人の間に時間が空くか否かとして区別し、大量殺人を同一事件の中において間を置くことなく行われた4つ以上の殺人行為と説明している[8]

法政大学文学部心理学科教授の越智啓太と木戸麻由美は犯行形態に基づいて[9]、公共の場に居合わせた人を狙う無差別大量殺傷型[10]、強盗殺人や暴力団事件、保険金殺人や放火などを含む犯罪型[11]、一家心中の家族対象大量殺傷事件[12]、それから精神疾患や薬物中毒が原因となるケースにも触れている[13]

法務省法務総合研究所による2013年の研究報告では、上記FBIの定義を紹介した上で、ほかにも「しばしば数分又は数時間という短い時間の単一の事件として同じ場所で数人を殺害すること」[14]との定義や「殺人と殺人の間に冷却期間がなく、1か所で3人以上を殺害すること」[15]との定義を併記している[16]

主な大量殺人事件

一般に著名事件とされるものを掲載する。戦後日本の大量殺人については後節を参照のこと。

事件名 場所 犠牲者数 犯人のその後
 (犯人除く)
マウンテン・メドウの大虐殺: Mountain Meadows massacre 1857年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 100/死者100 - 140人 04-死刑執行
バス学校爆破事件 1927年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 045/死者45人 06-自殺
ゴードン・ノースコット事件 1928年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 020/少年ばかり20人 04-死刑執行
津山事件 1938年 日本の旗 日本 030/死者30人・負傷3人 06-自殺
カナディアン航空機爆破事件 1949年 カナダの旗 カナダ 023/死者23人 04-死刑執行
ユナイテッド航空629便爆破事件 1955年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 044/死者44人 04-死刑執行
テキサスタワー乱射事件 1966年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 014/死者14人・負傷31人[17] 06-射殺
シェル湖殺人事件: Shell Lake murders 1967年 カナダの旗 カナダ 009/死者9人 05-獄中で死亡
慶尚南道宜寧郡事件 1982年 大韓民国の旗 韓国 057/死者57人(諸説あり) 人質3名を抱きかかえて自爆
サン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件 1984年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 021/死者21人・負傷19人 06-射殺
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故 1987年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 043/死者43人 06-自殺
ハンガーフォード事件: Hungerford massacre 1987年 イングランドの旗 イングランド 016/死者16人・負傷15人 06-自殺
モントリオール理工科大学虐殺事件 1989年 カナダの旗 カナダ 014/死者14人・負傷14人 06-自殺
ハッピーランド放火事件 1990年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 087/死者87人 02-4350-懲役4350年
ルビーズ銃乱射事件 1991年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 023/死者23人・負傷20人 06-自殺
ブラウンズ・チキン事件: Brown's Chicken massacre 1993年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 007/死者7人 03-終身刑
マクペラの洞窟虐殺事件 1994年 イスラエルの旗 イスラエル 029/死者29人・負傷125人 06-現場で殺害
建国門事件 1994年 中華人民共和国の旗 中国 024/死者24人・負傷30 - 80人 06-射殺
ダンブレーン事件: Dunblane_massacre 1996年 スコットランドの旗 スコットランド 017/死者17人・負傷17人 06-自殺
ポートアーサー事件 1996年 オーストラリアの旗 オーストラリア 035/死者35人・負傷15人 03-終身刑
サヌア事件: Sana'a school shooting 1997年 イエメンの旗 イエメン 006/死者6人・負傷12人 04-死刑執行
コロンバイン高校銃乱射事件 1999年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 013/死者13人・負傷24人 06-自殺
石家荘爆発事件 2001年 中華人民共和国の旗 中国 109/死者109人・負傷38人 04-死刑執行
ネパール王族殺害事件 2001年 ネパールの旗 ネパール 009/死者9人 06-自殺とされる
(一説には謀殺とも)
ツーク州議事堂銃乱射事件: Zuger Attentat 2001年 スイスの旗 スイス 014/死者14人・負傷18人 06-自殺
エアフルト事件 2002年 ドイツの旗 ドイツ 017/死者17人・負傷07人 06-自殺
ナンテール事件: Tuerie de Nanterre 2002年 フランスの旗 フランス 008/死者8人 06-自殺
大邱地下鉄放火事件 2003年 大韓民国の旗 韓国 192/死者192人・負傷0148人 05-無期懲役・獄中で死亡
レッドレイク高校事件: Red Lake shootings 2005年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 009/死者9人 06-自殺
漣川軍部隊銃乱射事件 2005年 大韓民国の旗 韓国 008/死者8人・負傷02人 04-死刑判決
キャピトルヒル事件: Capitol Hill massacre 2006年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 006/死者6人・負傷02人 06-自殺
バージニア工科大学銃乱射事件 2007年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 032/死者32人・負傷29人 06-自殺
ヴィネンデン銃乱射事件 2009年 ドイツの旗 ドイツ 015/死者15人・負傷9人 06-自殺
ビンガムトン銃乱射事件 2009年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 013/死者13人・負傷4人 06-自殺
2011年ツーソン銃撃事件 2011年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 006/死者6人・負傷14人 03-終身刑
リオデジャネイロ小学校銃乱射事件: Massacre de Realengo 2011年 ブラジルの旗 ブラジル 012/死者12人・負傷13人 06-自殺
ノルウェー連続テロ事件 2011年  ノルウェー 077/死者77人・負傷100人以上 逮捕・禁錮21年
オイコス大学銃乱射事件 2012年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 007/死者7人・負傷3人 逮捕
オーロラ銃乱射事件 2012年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 012/死者12人・負傷58人 03-終身刑
サンディフック小学校銃乱射事件 2012年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 026/死者26人・負傷1人 06-自殺
オーランド銃乱射事件 2016年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 049/死者49人・負傷53人 06-射殺
2017年ラスベガス・ストリップ銃乱射事件[18] 2017年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 059/死者59人・負傷0527人 06-自殺
クライストチャーチモスク銃乱射事件 2019年 ニュージーランドの旗 ニュージーランド 050/死者50人・負傷50人 逮捕
エルパソ銃乱射事件 2019年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 059/死者22人・負傷26人 06-逮捕

日本における大量殺人事件

戦後の大量殺人事件

下記は1945年以降に発生した大量殺人事件とされるもののの表である。一部テロ事件や放火事件も含む。事件名の列は都道府県順にソート

戦後日本の大量殺人事件
事件名 犠牲者 発生年 備考
 
27/寿産院事件 85 - 169 1944年~1948年 寿産院経営者らによる嬰児の大量殺人事件。
27/寝屋川工場主一家殺害事件 6 1945年 住み込み従業員が一家を虐殺し家財を処分して逃亡。1948年に死刑執行。
27/小平事件 7 1945年~1946年 東京都などで発生した連続強姦殺人事件。1949年に死刑執行。
30/和歌山一家8人殺害事件 8 1946年01-29 母親に冷たい仕打ちをしたと思いこんだ弟が兄一家を虐殺。死刑判決が出たが後に恩赦され1968年に仮出獄。
40/中間町・雑貨商一家殺害事件 6 1946年04-13 博打で負けたために一張羅を取られた炭鉱夫が逆上して雑貨商一家をツルハシで虐殺。1948年に死刑執行。
09/日光中宮祠事件 6 1946年05-06 警察は旅館経営者一家が心中したとして処理したが、1955年になって実際は強盗放火事件であったことが判明。実行犯2人が死刑執行になったのは1974年のことであった。
20/長野県市田村一家7人殺害事件 7 1946年05-09 長野県下伊那郡市田村で発生。物取りによる計画的犯行とみられるが、時効を迎え迷宮入り。
43/一勝地村農家6人殺害事件 6 1946年08-29 熊本県球磨郡一勝地村(現:球磨村)で発生。朝鮮半島引き揚げようとした朝鮮人3人による犯行。
13/帝銀事件 12 1948年01-26 冤罪が指摘されている毒殺事件。容疑者は犯行を否認したまま獄死。
01/北海道音江村一家8人殺害事件 8 1948年04-02 1948年3月31日、北海道空知郡音江村(現:深川市音江町)にて発生[19]。農家の男性(当時39歳)が自宅から数 km離れた場所に住む一家8人(夫婦と子供6人)を斧で撲殺したとして、強盗殺人罪に問われたが[20]、証拠不十分のため[21]、被告人の男性は1949年(昭和24年)6月22日に旭川地裁無罪判決を言い渡された[22]。その後、旭川地検は判決を不服として札幌高裁に控訴したが、控訴審でも無罪が言い渡され、1952年8月に最高裁で上告が棄却されたため、被告人の無罪が確定した[23]。その後、警察は事件を再捜査しなかったため、同事件は未解決事件となった[24]
13/三鷹事件 6 1949年 国鉄三大ミステリー事件のひとつ。
01/北海道拓殖銀行美深支店事件 6 1950年 銀行住宅にいた支店長夫妻とその娘2人、支店長代理夫妻が殺害され支店事務室にあった現金約100万円を強奪。支店長の娘3人は別室にいて助かったが、犯人が特定できず未解決。
27/黒山事件 6 1951年 大阪府の北八下村で発生した青物商一家放火殺人事件。未解決。
02/青森県新和村一家7人殺害事件 7 1953年 青森県中津軽郡新和村(現:弘前市)にて、実家(リンゴ農家)に味噌を盗みに入った男が家にあった猟銃で父親一家7人を射殺[25]。その際に銃口から出た火が布団に引火して実家が全焼し、長兄の子供1人が焼死(死者計8人)[25]。刑事裁判では「殺人行為におよんだ際は心神喪失状態だった」と認定され、住居侵入のみ有罪(懲役6月・執行猶予2年)とする判決が言い渡された[25]
40/福岡・豊津村一家8人殺害事件 8 1954年09-07 福岡県京都郡豊津村(現:豊津町)で発生。家族11人が同棲していた理髪師の男に襲われ8人が死亡。男には2年後に死刑が確定。
08/茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 9 1954年10-11 茨城県鹿島郡徳宿村(現:鉾田市)で発生。毒殺後住居を放火した事件。被疑者が逮捕後に青酸カリで自殺。
35/仁保事件 6 1954年10-26 著名な冤罪事件のひとつ。
14/川崎市一家7人殺害事件 7 1957年03-04 高校をノイローゼのため中退した男が家族を皆殺しに。検察は統合失調症と判断し不起訴処分にし精神病院に強制収容措置とした。
13/昭和郷アパート放火事件 8 1957年10-27 東京都昭島市で発生。火災保険金目当てに自宅アパートを放火。類焼により大惨事に。
01/北海道真狩村一家6人殺害事件 6 1959年06-04 北海道虻田郡真狩村後志総合振興局管内)で発生。農家で住み込みで働いていた男による犯行。1962年に無期懲役が確定。
11/岩槻一家7人殺害事件 7 1959年07-22 家庭環境に疲れ果てた男が無理心中しようとして自宅を放火。1審では無期懲役であったが控訴審で死刑となり後に確定。
42/島原酒造元一族殺害事件 6 1970年 遺言状により自宅と酒造元常務の地位を親族会議で剥奪された男が、遺言状により財産を譲り受けた叔母夫婦を殺害し自身の家族4人も殺害して自殺。
13/勝田清孝事件 8 1972年~1983年03-27 東海地方・近畿地方で10年間に8人が殺害された事件。10年間で300件にも及ぶ窃盗・強盗殺人事件を起こした。2000年に死刑執行。
13/池袋のアパート放火事件 6 1975年03-27 家賃免除で生活していた男が、大家に無賃で働かされていた事にむしゃくしゃしてアパートに放火。
39/高知・安芸連続射殺事件 6 1975年11-06 統合失調症の病歴のある男が近隣の住民を猟銃で無差別発砲。裁判では検察が心神耗弱状態であったとして無期懲役を求刑し裁判所も無期を言い渡した。
43/熊本・義姉一家ら6人殺害事件 6 1977年 妻に出て行かれた男が妻をかくまっていると疑った義姉一家4人を殺害、自らも子供3人を抱え焼身自殺を図り、うち2人を焼死させ、自身も死亡。
24/熊野一族7人殺害事件 7 1980年01-31 ノイローゼの男が親族会議の場を斧や猟銃で襲撃。篭城後自殺した。
13/新宿西口バス放火事件 6 1980年08-19 路上生活をしていた建設作業員が通行人に腹を立てたため、バスを放火して6人を殺害した。神経衰弱のため、無期懲役が確定し、千葉刑務所で首吊り自殺をした。
01/夕張保険金殺人事件 6 1984年 首謀者の暴力団組長夫婦が実行犯(自首が認定され死刑求刑に対し無期懲役判決)に放火を指示して犯行に及んだ。主犯夫婦は死刑判決を受け控訴するも昭和天皇崩御による恩赦減刑を期待し自ら取り下げ確定、しかしその期待に反して恩赦は行われず、1997年に戦後初めて夫婦2人ともに対して死刑執行された。
28/長崎屋火災 15 1990年 放火の可能性が強いが真相は明らかにならず公訴時効成立。
07/福島悪魔払い殺人事件 6 1995年07-05 自称祈祷師の女とその信者らが除霊と称して信者7人に激しい暴行を加え殺傷した。
14/横浜・麻雀店放火事件 6 1999年 麻雀店の経営者と店長が喧嘩し、店長が放火したため経営者と客ら6人が死亡し自身も焼死した。
09/宇都宮宝石店放火殺人事件 6 2000年 ギャンブルによる多額の借金を抱え返済に行き詰っていた男が貴金属類を奪い従業員らを焼殺した。
27/附属池田小事件 8 2001年06-08 小学校で発生した刃物による無差別殺傷事件。
28/加古川7人殺害事件 7 2004年 近隣に住む親類らに恨みを抱いていた男が親類の2家族7人を殺害し、1人に重傷を負わせた。
13/秋葉原通り魔事件 7 2008年06-08 電子掲示板荒らしに対する抗議の表明として元自動車工場派遣社員が東京秋葉原繁華街にトラックで突っ込み、通行人らをナイフで殺傷した。
27/大阪個室ビデオ店放火事件 16 2008年10-01 会社をリストラされた男が「生きていくのが嫌になった」として大阪難波の雑居ビル1階の個室ビデオ店に放火し16人を殺害。2014年に死刑が確定するも再審請求中。
14/川崎市簡易宿泊所火災 11 2015年 報告書において放火であると結論付けられた。
11/熊谷連続殺人事件 6 2015年 ペルー史上最悪の大量殺人鬼を兄に持つペルー人の男が熊谷市内の住宅街で次々と住宅に侵入し住民6人を殺害した。
14/相模原障害者施設殺傷事件[26] 19 2016年 知的障害者福祉施設に元施設職員の男が侵入し、入所者19人を刺殺した。
14/大口病院連続点滴中毒死事件 不明 2016年 横浜市旧大口病院の4階病棟で7月〜9月に48人死亡しているが[27]、2年後に殺人容疑で逮捕された看護師の女は20人ぐらいの点滴消毒液ヂアミトールを入れたと供述[28]
08/日立市一家6人殺害事件 6 2017年 茨城県日立市で父親が母子6人を殺害し、自宅に放火した。
14/座間9人殺害事件 9 2017年 神奈川県座間市のアパート自室にて、SNSで知り合った人らを次々に殺害し、遺体を室内に遺棄した。
45/高千穂6人殺害事件 6 2018年 宮崎県高千穂町の民家にて小学生の子供含む一家5人と知人男性の計6人の遺体が発見。犯人の次男は橋から飛び降り自殺。
26/京都アニメーション放火殺人事件 36 2019年 京都府京都市伏見区の京都アニメーション第1スタジオに男が侵入、ガソリンを撒き放火した。

関連書籍

脚注

注釈

  1. ^ 爆弾などを仕掛けて逃げることを示す[7]

出典

  1. ^ 越智 2013, p. 27.
  2. ^ 村野 2002, p. 3.
  3. ^ 影山 2010, p. 163.
  4. ^ 影山 2010, p. 164.
  5. ^ 影山 2010, pp. 164–165.
  6. ^ 影山 2010, p. 165.
  7. ^ a b c 越智 & 木戸 2010, p. 114.
  8. ^ Serial Murder - Federal Bureau of Investigation”. Fbi.gov. 2009年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月25日閲覧。
  9. ^ 越智 2013, pp. 27–28.
  10. ^ 越智 2013, p. 28.
  11. ^ 越智 2013, pp. 31–32.
  12. ^ 越智 2013, pp. 33–34.
  13. ^ 越智 2013, p. 34.
  14. ^ Walsh, Anthony (2009). Race and Crime: A Biosocial Analysis. Nova Science Publishers. ISBN 9781604566895 
  15. ^ C・R・バートル, A・M・バートル 著、羽生和紀 訳『犯罪心理学 行動科学のアプローチ』北大路書房、2006年。ISBN 4762824798 
  16. ^ 法務省法務総合研究所 (2013). 無差別殺傷事犯に関する研究 (Report). {{cite report}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明)
  17. ^ 事件の直前に母親と妻を殺している。
  18. ^ FBI、ラスベガス銃乱射の捜査終了 動機は特定されず」『CNNワーナー・メディア・ニュース・スポーツ、2019年1月30日。オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。2020年2月16日閲覧。「そうした気質が今回の大量殺人に…
  19. ^ 斎藤充功 2014, p. 104.
  20. ^ 斎藤充功 2014, pp. 105–106.
  21. ^ 斎藤充功 2014, p. 108.
  22. ^ 斎藤充功 2014, p. 103.
  23. ^ 斎藤充功 2014, p. 109.
  24. ^ 斎藤充功 2014, pp. 109–110.
  25. ^ a b c 最高裁判所事務総局判例調査会『高等裁判所刑事判例集』第11巻第4号、最高裁判所事務総局、1958年、169-187頁。  - 青森県新和村一家7人殺害事件の被告人に対し宣告された仙台高等裁判所秋田支部判決(1958年3月26日)および、その原判決(青森地方裁判所弘前支部:4月5日宣告)を収録。
  26. ^ 曽田晋太郎「<傍聴記>「皆さまにおわび」誰に 相模原事件・地裁初公判」『東京新聞中日新聞社、2020年1月9日、朝刊。オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。2020年2月16日閲覧。「優生思想を背景とした戦後類を見ない大量殺人事件
  27. ^ 大口病院の点滴殺人 2カ月で48人死亡も44人は自然死扱いに - デイリースポーツ/ライブドアニュース 2018年7月10日配信
  28. ^ 大口病院・20人殺害か…容疑者、他の看護師への復讐願望を患者に「置き換え」か - Business Journal 2018年7月11日配信

参考文献

関連項目

外部リンク