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「リヒテンシュタイン」の版間の差分

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国境を接する全ての国が[[内陸国]]の「[[内陸国#二重内陸国|二重内陸国]]」(海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない国のこと)である。面積は南北に25キロメートル、東西に6キロメートルと狭い。日本の[[小豆島]]とほぼ同じである。世界で6番目に小さい国。ドイツのシュヴェービッシュ・アルプスの延長線上に連なり、国土は山がち(最高地点2599m)だが南風が卓越し比較的温暖である。分水嶺は比較的全土的に分散されており、西はライン川に沿って[[スイス]]([[ザンクト・ガレン州]]・[[グラウビュンデン州]])、東は[[オーストリア]]([[フォアアールベルク州]])と接している。
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2021年1月18日 (月) 23:45時点における版

リヒテンシュタイン公国
Fürstentum Liechtenstein
リヒテンシュタインの国旗 リヒテンシュタインの国章
国旗 国章
国の標語:Für Gott, Fürst und Vaterland
(ドイツ語:神・公・祖国のために)
国歌Oben am jungen Rhein(ドイツ語)
若きライン川上流に
リヒテンシュタインの位置
公用語 ドイツ語
首都 ファドゥーツ
最大の都市 シャーン
政府
リヒテンシュタイン公
 - 摂政
ハンス・アダム2世
アロイス
首相 アドリアン・ハスラー
面積
総計 160km2190位
水面積率 極僅か
人口
総計(2009年 34,761人(210位
人口密度 209人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 43億スイス・フラン
GDP(MER
合計(2017年69億2500万[1]ドル(147位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2014年49億7,800万[2]ドル(179位
1人あたり 139,100[3][4]ドル
形成
独立
 - 日付
1719年1月23日
神聖ローマ帝国より
1806年7月12日
通貨 スイス・フランCHF
時間帯 UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 LI / LIE
ccTLD .li
国際電話番号 423

リヒテンシュタイン公国(リヒテンシュタインこうこく)、通称リヒテンシュタインは、中央ヨーロッパに位置する立憲君主制国家スイスオーストリアに囲まれたミニ国家の一つ。首都はファドゥーツ欧州自由貿易連合(EFTA)加盟国。西欧に分類する見解もある。

国名

正式名称は公用語のドイツ語でFürstentum Liechtensteinドイツ語発音: [ˈfʏʁʃtn̩tuːm ˈlɪçtn̩ʃtaɪn] フュルシュテントゥーム・リヒテンシュタイン)、Liechtensteinと表記する。公式の英語表記はPrincipality of Liechtenstein(プリンシパリティ・オヴ・リクテンスタイン)、略称、Liechtenstein。日本政府による公式の日本語表記はリヒテンシュタイン公国(リヒテンスタイン公国)、略称:リヒテンシュタイン(リヒテンスタイン)。リヒテンシュタイン公国がある現地のアレマン語(リヒテンシュタイン方言)では、Förschtatum Liachtaschta(フェアシュタツーム・リアハタシュタ)と表記される。英語表記で国名・形容詞ともLiechtenstein、国民はLiechtensteiner。

元首であるリヒテンシュタイン家の当主の称号はドイツ語で„Fürst“であり、„Herzog“公爵。英語の"duke")より一段下の爵位であるため、「公爵」ではなく「侯爵」と訳される場合もあるため、国名を「リヒテンシュタイン国」と表記することもある[5]。英語においては「prince(プリンス)」とされ、国家体制は「Principality」と訳される。「Principality」は日本語において通例「公国」と訳される。英語における「プリンス」は多義的であり、公爵位のみを指すものではない。リヒテンシュタイン家の当主の親族(男子)の称号は„Prinz“であり、「プリンス」と同義であるが、これは日本語においては「公子」と訳されるのが通例である。

歴史

リヒテンシュタイン家は神聖ローマ帝国ハプスブルク帝国における大貴族の家系であり、オーストリアモラビアシレジアなどに大きな領土を持っていた。現在のリヒテンシュタインの領域にあたるシェレンベルク=ファドゥーツはその中の一部に過ぎず、歴代君主はウィーンに居住していた。1719年、シェレンベルク=ファドゥーツは領邦国家としてのリヒテンシュタイン公国として認められた[6]

1806年神聖ローマ帝国が解体されると主権独立国家となり、翌年にライン同盟に参加した。地理的にもオーストリア帝国に近く、普墺戦争後もオーストリア側に付き、ドイツ帝国にも加わらなかった。1867年には永世中立国となり、第一次世界大戦では中立を守ったが、連合国側からは不信感を抱かれていた[7]。このため国際連盟には加盟できなかったが、この際にチェコスロバキアを除く国からは国家としての承認を受けている[8]

1938年ナチス・ドイツオーストリアを併合した(アンシュルス)。老齢で、ユダヤ人女性を妻としていたフランツ1世フランツ・ヨーゼフ2世に譲位し、フランツ・ヨーゼフ2世はファドゥーツに移住した。当時、リヒテンシュタインでもナチズムの動きは高まっており、1939年3月にはリヒテンシュタインのドイツ国民運動英語版の一部がドイツとの合邦を宣言して逮捕される動きになった。このため1939年4月4日の総選挙は主要政党のリヒテンシュタイン進歩市民党ドイツ語版祖国連合ドイツ語版にほぼ同数の議席を割り当てることとし、投票は行われなかった(1939年リヒテンシュタイン総選挙英語版)。第二次世界大戦では中立を保ち、戦禍から逃れた。しかし戦前戦後を通じてチェコスロバキア・ポーランド内にあったリヒテンシュタイン家の領地は没収された。1990年国際連合加盟以降は国際機関への参加を積極的に行うようになっている。

年表

政治

元首はリヒテンシュタイン公(侯)で、リヒテンシュタイン家の当主による男子世襲制である。欧州の君主制国家の元首が象徴・儀礼的存在であるのに対して、公は立法権・外交権・議会の解散権・法案の拒否権など強い権限を有している[11]。2003年には君主の権限はさらに強化され、2012年に行われた国民投票でも、公の拒否権保持を76%の国民が支持している[11]。現在の君主、ハンス・アダム2世2004年に長男のアロイス公子を摂政に指名して統治権を譲り、自らは名目上の元首としての地位のみを有している。公の費用はリヒテンシュタイン家の私有財産から拠出されており、さらに別途多大な寄付も行っている[11]

議会一院制で、「Landtag(国会)」と称する。議員定数25、任期4年、解散あり。選挙は、複数投票制比例代表制を組み合わせた直接選挙で行われる。女性参政権が認められたのは、世界的に見ても遅い1984年である。

議院内閣制を採用している。行政府の長である首相は議会の第一党党首が公によって任命される。また、副首相には第二党の党首が任命される。政党はリヒテンシュタイン進歩市民党ドイツ語版Fortschrittliche Bürgerpartei in Liechtenstein)と祖国連合 (リヒテンシュタイン)ドイツ語版(Vaterländische Union)が二大政党である。

歴史的経緯から、民法はオーストリアの民法が基本となっており、刑法はスイスの刑法を基本としている[12]死刑制度は廃止されている。

軍事

普墺戦争で当時密接な関係にあったオーストリアが敗北し、安全保障政策の見直しが必要となった。しかし自国の軍事力では近隣諸国に到底対抗できないため、1868年に軍を解体し非武装中立政策に転換する。

第一次世界大戦後におけるオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊以降はスイスとの関係を強化、1923年に関税同盟を締結してからは実質的にスイスが安全保障を担っている。

また、100名ほどの国家警察は隣接する諸国の軍(スイス軍およびオーストリア軍)と密接な関係を持っている。

国際関係

1919年の合意に拠り、スイスが利益代表を務めている。現在も欧州評議会以外においてはスイスが利益代表を努めている。

日本との関係では、公家と皇室との交流は伝統的に行われていたが、正式に両国が外交関係を結んだのは1996年6月である[7]

対チェコ・スロバキア関係

第一次世界大戦後に成立したチェコスロバキアは貴族称号を廃し、リヒテンシュタイン公家が有していた爵位も廃された。当時、リヒテンシュタイン家はチェコスロバキアにおける第二位の大地主であったが、その半分は1920年から1938年に実施された土地改革で没収され、更に補償金も僅かなものであった。リヒテンシュタインは国際連盟の調停を求めたが、国際問題化を避けようとしたチェコスロバキアはリヒテンシュタインの主権を認めようとしなかった[7]。1938年7月になってようやくチェコスロバキアはリヒテンシュタインの主権を認めたが[5]、まもなくチェコスロバキア自体がナチス・ドイツによって解体されてしまったため、両国関係は進展しなかった。

第二次世界大戦終結直後の1945年、復活したチェコスロバキア政府は、同国領内の敵性国民(旧枢軸国民やチェコ及びスロバキア民族の敵と規定されている)からの農業財産を無償で没収した(ベネシュ布告1945年第28号令)が、これにはリヒテンシュタイン公家の残存領地も含まれていた[13]。リヒテンシュタインはこれに抗議し、長らく両国家関係は緊張した状態が続いた[10]冷戦終結後に解体されたチェコスロバキアの承継国であったチェコスロバキア国家承認も行っていなかったが、2009年にチェコとの間で外交関係を開設することが発表された[10][14]。また、同年12月9日にはスロバキアとの間でも外交関係が開設されることも発表された[15]

地方行政区分

全部で11の基礎自治体(Gemeinde、ゲマインデ)に分かれる。これらは旧ファドゥーツ伯爵領のオーバーラント(Oberland、高地)と旧シェレンベルク男爵領のウンターラント(Unterland、低地)に分けることができ、現在でも国政選挙の選挙区としてこの区分が残っている。

リヒテンシュタインの地理

オーバーラント

ウンターラント

地理

詳細はリヒテンシュタインの地理を参照

ランドサット衛星写真

国境を接する全ての国が内陸国の「二重内陸国」(海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない国のこと)である。面積は南北に25キロメートル、東西に6キロメートルと狭い。日本の小豆島とほぼ同じである。世界で6番目に小さい国。ドイツのシュヴェービッシュ・アルプスの延長線上に連なり、国土は山がち(最高地点2599m)だが南風が卓越し比較的温暖である。分水嶺は比較的全土的に分散されており、西はライン川に沿ってスイスザンクト・ガレン州グラウビュンデン州)、東はオーストリアフォアアールベルク州)と接している。

経済

首都中心部
ファドゥーツ中心部にあるリヒテンシュタインセンター。観光案内の他、パスポートに入国証明のスタンプを押してくれる。

主要な産業は精密機械牧畜医療。ほかに観光国際金融切手発行もよく知られている。スイスとの関税同盟があり、郵便や電話の制度はスイスと共通となっている。

タックス・ヘイブンとしても知られ、税金免除を目的とした外国企業のペーパーカンパニーも集中しており、人口よりも法人企業数が多いと言われる。これら法人税が税収の40%に及び、この結果、一般の国民には直接税所得税相続税贈与税)がない。

近年はEUとの課税に関する条約に調印し、EU市民の預金については利子課税がなされることになった。ただし、これらの税は、個々の預金者の情報を相手国に通知することなしに一括してリヒテンシュタインから各国に支払われるため、銀行の守秘義務そのものは維持されている(同様の銀行守秘義務を維持している国は、欧州ではスイスモナコサンマリノがある)。

OECDが指名する「非協力的タックス・ヘイブン・リスト」(租税回避地)に掲載されている7カ国の1つであった[16]が、2009年5月の時点で他の二カ国(アンドラモナコ)と共にリストから削除されている[17]

この国に拠点を持つ会社としては、薄膜コーティング装置の製造および、コーティングの受託加工のエリコンバルザース社、電動工具・鋲打機・墨出し機などのヒルティ社、プロ用オーディオコネクターのノイトリック社ドイツ語版、歯科材料のイボクラー社ドイツ語版などが有名。労働者の約半数はスイス、オーストリアから毎日越境している。

交通

鉄道・駅の地図

国内の主要な交通は路線バスであり、各所を結ぶ路線が頻繁に運転されている。黄色い車体のリヒテンシュタインバスをよく目にすることができる。主なバス停は郵便局の前であることが多い。バスはライン川対岸のスイスの鉄道駅(ザルガンスやブックス)のほか、オーストリアのフェルトキルヒ駅への路線もある。また、ユーロで運賃を支払うこともできる。

国内を鉄道が走っており、駅が4駅ある(主要駅はシャーン・ファドゥーツ駅)。運行をしているのはオーストリア国鉄である。オーストリアとスイスを結ぶ国際急行列車も通るが、リヒテンシュタイン国内の駅は全て通過する。

空港は存在しない。もっとも近い主要国際空港はスイスのチューリッヒ空港である。

国民

住民はドイツ系が大半で、ゲルマン系ドイツ・アレマン人が86%、その他イタリア人トルコ人などが14%である。

言語

公用語は標準ドイツ語だが、現地住民は上部ドイツ語に属するアレマン語最高地アレマン語ドイツ語版の一方言を使用し、その他にトリーゼンベルクではヴァリス語が使用される[18]

宗教

宗教はローマ・カトリックが79.9%、プロテスタントルター派カルヴァン派)が8.5%、その他にイスラムなどが5.4%存在する(2010年時点)。

婚姻

婚姻の際は、夫婦別姓、同姓、複合姓から選択できる[19]

文化

  • チェコの作家カレル・チャペックの『山椒魚戦争』ではサンショウウオによる世界水没に対処するため、ファドゥーツで各国による国際会議が開かれた。
  • 他の欧州諸国同様UEFAに加盟しているが、加盟する55の国と地域の中で唯一国内プロサッカーリーグを有しておらず、国内のサッカークラブはスイスのスーパーリーグに参加している。このため、UEFAチャンピオンズリーグの予選及び本大会に「国内リーグの結果」によって出場可能なチームが存在しない(スーパーリーグで優勝すればスイスの出場枠での出場することが可能)。一方でカップ戦は開催されているため、UEFAヨーロッパリーグには予選1回戦から出場可能である。
  • リヒテンシュタインでは冬場でも水風呂に入る習慣がある。

スポーツ

欧州小国競技大会を開催、参加している。

観光

著名な出身者

脚注

  1. ^ National Accounts Main Aggregates Database, 2017, (Select all countries, "GDP, Per Capita GDP - US Dollars", and 2016 to generate table), United Nations Statistics Division. Accessed on 17 Jan 2019.
  2. ^ CIA (2019年). “CIA World Factbook Country Comparison :: GDP (purchasing power parity)”. 2020年5月16日閲覧。
  3. ^ CIA (2019年). “CIA World Factbook Country Comparison :: GDP - per capita (PPP)”. 2020年5月16日閲覧。
  4. ^ 2009年のデータである。
  5. ^ a b 佐藤雪野 2017, p. 65.
  6. ^ a b c d 佐藤雪野 2017, p. 59.
  7. ^ a b c d e f g 佐藤雪野 2017, p. 60.
  8. ^ 佐藤雪野 2017, p. 60-61.
  9. ^ 『地球の歩き方 2016〜17 スイス』ダイヤモンド・ビッグ社、2016年、263頁。ISBN 978-4-478-04886-3 
  10. ^ a b c 佐藤雪野 2017, p. 62.
  11. ^ a b c 藤田憲資 2020, p. 34.
  12. ^ 植田健嗣『ミニ国家「リヒテンシュタイン侯国」』(1999年 郁文堂)P131
  13. ^ 佐藤雪野 2017, p. 66.
  14. ^ Liechtenstein and the Czech Republic establish diplomatic relations” (PDF) (英語). Stabsstelle für Kommunikation und Öffentlichkeitsarbeit (2009年7月12日). 2011年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月18日閲覧。
  15. ^ Liechtenstein and the Slovak Republic establish diplomatic relations” (PDF) (英語). Stabsstelle für Kommunikation und Öffentlichkeitsarbeit (2009年12月9日). 2011年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月10日閲覧。
  16. ^ 外務省 - OECD有害税制プロジェクト(非協力的タックス・ヘイブン・リストの公表) - 3. 上記2. の国・地域のうち、2005年末までの透明性の確保及び実効的税務情報交換の実施を約束せず、2002年4月18日に発表された「非協力的タックス・ヘイブン・リスト」には掲載された国である[1]
  17. ^ In May 2009, the Committee on Fiscal Affairs decided to remove all three remaining jurisdictions (Andorra, the Principality of Liechtenstein and the Principality of Monaco) from the list of uncooperative tax havens in the light of their commitments to implement the OECD standards of transparency and effective exchange of information and the timetable they set for the implementation. As a result, no jurisdiction is currently listed as an unco-operative tax haven by the Committee on Fiscal Affairs. [2]
  18. ^ 植田健嗣『ミニ国家「リヒテンシュタイン侯国」』(1999年 郁文堂)P171
  19. ^ Liechtenstein Country Report, Second and Third Periodic Report under Article 16 of the International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights of 16 December 1966.

参考文献

  • 植田健嗣『ミニ国家「リヒテンシュタイン侯国」』郁文堂、ISBN 978-4261072310
  • 『A18 地球の歩き方 スイス 2016~2017』ダイヤモンド・ビッグ社、ISBN 978-4478048863
  • 佐藤雪野「リヒテンシュタインの国家承認問題と第一次チェコスロヴァキア土地改革」『国際文化研究科論集』第25巻、東北大学、2017年、57-66頁。 
  • 藤田憲資「リヒテンシュタインの特徴と、その変化-スイスとの比較、および税逃れ対策の強化による影響に着目して-」『保健医療経営大学紀要』第12巻第4号、保健医療経営大学、2020年、31-46頁。 

関連項目

外部リンク

政府
Fürstentum Liechtenstein – Fürstentum Liechtenstein:リヒテンシュタイン公国政府 (ドイツ語)(英語)
日本政府
リヒテンシュタイン基礎データ | 外務省
在スイス日本国大使館 - 在リヒテンシュタイン大使館を兼轄する
観光
Ferien, Urlaub, Reisen / Fürstentum Liechtenstein:リヒテンシュタイン政府観光局 (ドイツ語)(英語) - 日本語のページも少々ある