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「酒井田柿右衛門 (14代目)」の版間の差分

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== 受賞 ==
== 受賞 ==
*日本伝統工芸展「日本工芸会奨励賞」 ([[1986年]]、[[1992年]])
*日本伝統工芸展「日本工芸会奨励賞」 ([[1986年]]、[[1992年]])
*[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]表彰 ([[1999年]])
*[[文部大臣]]表彰 ([[1999年]])
*[[佐賀新聞]]文化賞 ([[2001年]])
*[[佐賀新聞]]文化賞 ([[2001年]])
*勲三等[[旭日中綬章]] (2001年)
*勲三等[[旭日中綬章]] (2001年)

2020年12月30日 (水) 09:22時点における版

14代目 酒井田 柿右衛門(14だいめ さかいだ かきえもん、1934年8月26日 - 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。本名:酒井田 柿右衛門、改名前-正(まさし)[1]

来歴・人物

佐賀県西松浦郡有田町で、13代目の息子として生まれる。

絵付けの基礎となる部分を会得するため多摩美術大学日本画科で日本画を学び、卒業後帰郷して父親に弟子入りする。下積みを重ね父と祖父(先々代)が蘇らせた“濁手”(にごして)の技法なども学んでいく。1971年、改名前の本名の酒井田正(さかいだまさし)名義で日本工芸会会員となり、この後のほぼ10年は本名で公募展や個展に出品した。

1982年、父の死を受け14代目を襲名。翌年アメリカ合衆国で「クローズ・アップ・オブ・ジャパン・イン・サンフラシスコ」にて海外で初出品し、サンフランシスコ市長から名誉市民号を贈られた。「14代目柿右衛門展」は国内だけでなく海外で高い評価を集めた。

2001年重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定された。また広く後進の育成にも力を入れ、大学で教えるほか、2011年にはJリーグの地元クラブ・サガン鳥栖のデザインアドバイザーにも就任した。

2008年前後に癌が見つかってからは治療しながら活動を続けていたが、2013年5月、体調が急に悪くなり佐賀大学医学部付属病院に入院[2]。それからひと月ほどで死去。死因は直腸癌転移肝腫瘍であった[3]。なお、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」の洗面所に使用されている洗面鉢が遺作となった[4]

受賞

著書

  • 『余白の美 酒井田柿右衛門』(集英社新書、2004年11月)。聞き書き
  • 『遺言 愛しき有田へ』(白水社、2015年10月)。遺著

役職

テレビ出演・CM

脚注

  1. ^ NHK 100年インタビュー「陶芸家 十四代 酒井田柿右衛門」襲名後裁判所に行って改名手続きをした事を語っている
  2. ^ 死去を伝えた当時のNHKの報道による。
  3. ^ “14代酒井田柿右衛門さん死去”. 佐賀新聞 (佐賀新聞佐賀のニュースサイト). (2013年6月15日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2483104.article.html 2013年6月15日閲覧。 
  4. ^ 総工費30億 これがこだわりの豪華車両だ!JR九州「ななつ星」 スポーツニッポン 2013年9月14日閲覧

外部リンク