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[[林内閣]]において[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]への入閣の要請があったものの辞退している。[[1937年]](昭和12年)、[[帝国芸術院]]会員、[[1943年]](昭和18年)、[[文化勲章]]受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』([[冨山房]]百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録・日本図書センターで再刊)『宇宙』等。『[[ジャパン・レビュー]]』への寄稿もある。
[[林内閣]]において[[文部大臣]]への入閣の要請があったものの辞退している。[[1937年]](昭和12年)、[[帝国芸術院]]会員、[[1943年]](昭和18年)、[[文化勲章]]受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』([[冨山房]]百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録・日本図書センターで再刊)『宇宙』等。『[[ジャパン・レビュー]]』への寄稿もある。


== 親族 ==
== 親族 ==

2020年12月30日 (水) 09:00時点における版

三宅雪嶺

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日万延元年5月19日) - 1945年昭和20年)11月26日)は、日本哲学者国粋主義者評論家加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎

人物

1860年(万延元年)、加賀藩家老本多家の儒医・三宅恒の子として生まれる。官立東京開成学校を経て、東京大学文学部哲学科(のち帝国大学文科大学)卒。

卒業後の1883年(明治16年)、東京大学編輯所に就職。のち文部省編輯局を経て、1887年(明治20年)、東京専門学校哲学館で講議を担当[1]

同じ頃、後藤象二郎大同団結運動条約改正反対運動など自由民権運動に関わる。1888年(明治21年)、志賀重昂杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。その後も、個人雑誌として『我観』を創刊、『中央公論』等に論説を発表するなどして注目を集めた。

林内閣において文部大臣への入閣の要請があったものの辞退している。1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員、1943年(昭和18年)、文化勲章受章。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』(冨山房百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録・日本図書センターで再刊)『宇宙』等。『ジャパン・レビュー』への寄稿もある。

親族

1892年(明治25年)[1]に結婚した三宅花圃(みやけかほ、旧姓:田辺)は樋口一葉と同門だった小説家歌人衆議院議員中野正剛娘婿

著書

  • 『基督教小史 第1冊』集成社 1886
  • 『哲学涓滴』文海堂 1889
  • 『論理学』文学社 1890
  • 『真善美日本人』政教社 1891、講談社学術文庫 1985
  • 『偽悪醜日本人』政教社 1891、同上
  • 『我観小景』政教社 1892
  • 王陽明』政教社 1893
  • 『馬鹿趙高』政教社 1894
  • 『雪嶺漫筆』小谷保太郎編 吉川弘文館 1903
  • 『大塊一塵』政教社 1904
  • 『小泡十種』鶏声堂 1906
  • 『明治丁未題言集』政教社出版部 1908
  • 『宇宙』政教社 1909
  • 『偉人の跡』丙午出版社 1910
  • 『明治思想小史』丙午出版社 1913
  • 『青年訓』菊地暁汀編 修道文庫刊行会 1915
  • 『三宅雪嶺修養語録』生田春月新潮社 1915
  • 『三宅雪嶺人生訓』衛藤利夫編 東亜堂書房 1915
  • 『三宅雪嶺美辞名句集』京橋堂 内外文豪美辞名句叢書 1917
  • 『内実の力』アルス 1920
  • 『三宅雪嶺格言全集』藤田信亮編 有宏社 1927
  • 『隔日随想』帝都日日新聞社出版部 1934
  • 『初台雑記』帝都日日新聞社 1936
  • 『面白くならう』帝都日日新聞社 1938
  • 『武将論』千倉書房 1938
  • 『今の時局に野依君が十人あれば』小貫修一郎、宇野正盛共編 実業之世界社 1939
  • 『英雄論』千倉書房 1939
  • 『人物論』千倉書房 1939
  • 『生活の磨き』千倉書房 1939
  • 『祖国の姿』千倉書房 1939、改訂版 慧文社、2015
  • 『爆裂して』秀文閣書房 1942
  • 『爆裂の前』実業之世界社 1942
  • 『激動の中』秀文閣書房 1944
  • 『大学今昔譚』我観社 1946
  • 『出発の準備』百万人文庫 1949
  • 『同時代史』全6巻 岩波書店 1949-1954
  • 『自分を語る』朝日新聞社 1950
  • 『学術上の東洋西洋』実業之世界社 1954-1955
  • 『人生八面観』実業之世界社 1955
  • 『雪嶺絶筆』実業之世界社 1955
  • 『東西美術の関係』実業之世界社 1955
  • 『妙世界建設』実業之世界社 1955
  • 『人類生活の状態』実業之世界社 1955-1956
  • 『東洋教政対西洋教政』実業之世界社 1956
  • 明治文学全集 第33 三宅雪嶺集』柳田泉筑摩書房 1967
  • 日本の名著 37 陸羯南・三宅雪嶺』鹿野政直責任編集 中央公論社 1971
  • 近代日本思想大系 5 三宅雪嶺集』本山幸彦編 筑摩書房 1975
  • 『日本人の自伝 5 (徳富猪一郎 三宅雪嶺)』平凡社 1982
  • 『三宅雪嶺 自伝 自分を語る』日本図書センター(人間の記録) 1997

共著

  • 『断雲流水』志賀重昂共著 政教社 1896
  • 『日本人論』 冨山房 1908。芳賀矢一「国民性十論」と共著

論文

  • 「明治哲学界の回顧 附記」岩波書店(『岩波講座哲学』所収、井上哲次郎「明治哲学界の回顧」の附記) 1932
  • 「信州敎育の試練」『教育』第1巻 1号、1933

翻訳

  • レスタル・ワード『社会学』文海堂[ほか] 1888

関連書籍

脚注

  1. ^ a b 雪嶺プロフィール”. www.rku.ac.jp. 流通経済大学. 2020年10月17日閲覧。

関連項目

外部リンク