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「ソヴェルシェーンヌイ (駆逐艦・初代)」の版間の差分

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[[11月12日]]には、ドックにて[[ドイツ空軍]][[爆撃機]]の[[爆撃]]を受け、激しい損傷を負った。12月には武装解除された。ソヴェルシェーンヌイの[[主砲]]であった130 mm[[大砲|砲]]は、[[マラホフ・クルガン]]で編成された第111[[砲兵]]隊に装備された。


[[1942年]]4月には事実上修繕され、完成作業のためにドックから出された。しかしながら、[[6月15日]]には[[セヴァストポリい_(第二次世界大戦)|セヴァストーポリを包囲]]した[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]の砲撃により撃沈された。
[[1942年]]4月には事実上修繕され、完成作業のためにドックから出された。しかしながら、[[6月15日]]には[[セヴァストポリ包囲 (1941年-1942年)|セヴァストーポリを包囲]]した[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]の砲撃により撃沈された。


戦後、[[1945年]][[10月28日]]には浮揚され、解体された。
戦後、[[1945年]][[10月28日]]には浮揚され、解体された。

2020年12月27日 (日) 05:27時点における版

ベスストラーシュヌイ
ソヴェルシェーンヌイ
艦歴
ベスストラーシュヌイ
Бесстрашный
起工 1936年8月17日 第200工場
再起工 1938年3月3日
進水 1939年2月25日
ソヴェルシェーンヌイ
Совершенный
改称 1940年9月25日
所属 赤色海軍黒海艦隊
解体 1945年10月28日
要目
艦型 7U号計画型
艦種 駆逐艦
工場番号 1073
排水量 基準排水量 1850 t
通常排水量 2150 t
満載排水量 2400 t
全長 112.5 m
全幅 10.2 m
喫水 4.2 m
機関 蒸気タービンGTZA-24 2 基
60000 馬力
ボイラー 4 基
速力 最大速度 39.6 kn
巡航速度 20 kn
航続距離 1400 /20 kn
乗員 士官 15 名
水兵 192 名
武装 50口径130 mm単装B-13-2 4 基
55口径76 mm単装高角砲34K 3 基
46口径45 mm単装高角砲21K 3 基
12.7 mm連装機銃DShK 4 基
533 mm3連装魚雷発射管1-N 2 基(53-38魚雷を使用)
大型爆雷B-1 10 個
小型爆雷M-1 20 個
爆雷投射機BMB-1 2 基
機雷 KB:58 個
または1926年型:62 個
パラヴェーン 4 基
装甲 なし

ソヴェルシェーンヌイ(ロシア語:Совершенныйサヴィルシェーンヌィイ)は、ソ連で建造された駆逐艦(艦隊水雷艇эскадренный миноносец)である。艦名は、「申し分のない、まったくの」といった意味のロシア語の形容詞である。

概要

建造

ソヴェルシェーンヌイは、7号計画によって建造される駆逐艦の1 隻として、1936年8月17日ニコラーエフの第200工場(現在の61コムナール記念造船工場)で起工された。工場番号では第1073艦、当初の名称は「豪胆な」という意味のベスストラーシュヌイ(Бесстрашныйビスストラーシュヌィイ)であった。

しかしながら、7号計画にはトップヘビーなどの性能上の重大な欠陥があり、改設計を経た7U号計画型として再度起工され直すことが決定された。その結果、プロゾルリーヴイは7U号計画型駆逐艦の15番艦として1938年に再起工、1939年2月25日進水した。1940年9月25日には、艦名はソヴェルシェーンヌイに改められた。進水後、艦は完成作業のためセヴァストーポリへ曳航された。大祖国戦争の開戦した1941年6月22日の時点で、工程の90 %が完成していた。

大祖国戦争

しかし、ソヴェルシェーンヌイが正式に黒海艦隊に配備されることはついになかった。1941年9月30日には、セヴァストーポリにて行われていた赤軍機雷試験で暴発事故がおき、ソヴェルシェーンヌイは損傷を負った。そのため、10月2日には乾ドックへ曳航され、そこで修理に入った。

11月12日には、ドックにてドイツ空軍爆撃機爆撃を受け、激しい損傷を負った。12月には武装解除された。ソヴェルシェーンヌイの主砲であった130 mmは、マラホフ・クルガンで編成された第111砲兵隊に装備された。

1942年4月には事実上修繕され、完成作業のためにドックから出された。しかしながら、6月15日にはセヴァストーポリを包囲したドイツ軍の砲撃により撃沈された。

戦後、1945年10月28日には浮揚され、解体された。

関連項目

脚注

外部リンク