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* [[1941年]] [[独ソ戦]]では、黒海艦隊は[[ナチス・ドイツ]]の航空機の攻撃により壊滅的な打撃を受ける。[[セヴァストポリ包囲戦 (1941年-1942年)|セヴァストーポリの防衛戦]]をはじめ、地上部隊への掩護、補給作戦が主となる。最終的に、ドイツ軍は国外へ駆逐される。 |
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2020年12月27日 (日) 05:26時点における版
国防省 |
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主要艦隊 |
他作戦部隊 |
歴史・伝統 |
その他 |
黒海艦隊(こっかいかんたい、ロシア語:Черноморский флот チョルナモールスキイ・フロート、略称ЧФ)は、黒海に駐留している艦隊である。ロシア連邦の管轄下にあり、ロシア海軍に所属している。
現在、主要基地であるウクライナ領(2014年3月18日にロシアが連邦への編入を宣言したが国際的には認められていない)セヴァストポリに加え、ロシア領ノヴォロシースクでも拠点の建設作業が行われている。
概要
かつてはロシア帝国海軍やソ連海軍の一部であり、クリミア戦争や独ソ戦などを経験した。その中で、黒海艦隊は戦艦や巡洋艦、攻撃型潜水艦が配属されるなど主力艦隊の一翼を担っていた。ロシア帝国時代から黒海艦隊の兵員は多くがウクライナ人で占められており、1917年の時点で構成員の80 %を占めていた。そのため、ロシア革命後には黒海艦隊は長らく反ロシア共産党派についた。しかし、1965年から段階的にその割合は減ぜられ、ロシア人の割合が上昇した。
冷戦期には、黒海から地中海へ艦艇を継続的に進出させて、アメリカ海軍やイギリス海軍と対峙していた。米英海軍艦艇との接触事故も何度か発生している。NATO軍との戦争が勃発した場合はブルガリア海軍及びルーマニア海軍と協力してボスポラス海峡からマルマラ海、ダーダネルス海峡を制圧して黒海から地中海方面への交通路を確保する事が任務となっていた為、海軍歩兵や戦闘爆撃機を装備した海軍航空隊を保有している。
ソビエト連邦の崩壊の過程で、主要基地であったセヴァストポリ軍港がウクライナ領になったことから艦隊の帰属が宙に浮くことになった。長らく二国間で協議が進められた結果、艦隊の分割と基地の使用権に関する協定が結ばれた。この協定により、ロシア海軍は2017年(後の合意により2025年まで延長)までセヴァストポリに駐留することが認められた。 なお、ウクライナ海軍が引き取った大型艦艇の多くは、後に天然ガスの代金の未納分で相殺する形でロシア船籍となっている。
2004年にウクライナでオレンジ革命と呼ばれる政変が起こり、ヴィクトル・ユシチェンコ政権が成立した。同政権はNATO加盟を目指すなど親西側路線を掲げる一方、ロシアに対しては2017年までに黒海艦隊を撤退させるよう要求した。 しかし2010年の選挙で親露派と目されるヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が成立したことにより、黒海艦隊の駐留期限をさらに25年延長する協定が結ばれた。これにより、黒海艦隊は少なくとも2042年まではセヴァストポリを母港とすることが可能となったが、そのヤヌコーヴィチ政権が崩壊した2014年にロシアはクリミア半島全域を支配下に置き、編入を宣言した。
現在、黒海艦隊にとって最大の問題は艦艇の老朽化である。以下の「編成」の頁で示すように、依然として旧式艦が多数在籍しており、約40隻の在籍艦艇中、稼動状態にあるものは20隻程度でしかない[1]。しかも、黒海はグルジアに面しており、2008年8月のような武力紛争が再び発生した場合には黒海艦隊が海上優勢の確保や輸送を担わなければならない。
このため、ロシア海軍は今後10年間で黒海艦隊の近代化を重点的に進める予定で、6隻のフリゲート、6隻のディーゼル・エレクトリック潜水艦、2隻の大型揚陸艦を含む20隻を配備する予定である。フリゲートはインド海軍向けのタルワー級をロシア海軍向けに改修した11356M型、潜水艦は636型(キロ級)、強襲揚陸艦はイワン・グレン級が配備される見込み。
歴史
- 帝政ロシア時代から黒海にはオスマン帝国を牽制するための水上艦が配備。数次にわたる露土戦争で、オスマン・タタール艦隊との間に多くの海戦を行う。艦船は、次第に近代化される。
- 1856年 クリミア戦争後のパリ条約によって黒海での艦隊の保有が禁じられる。
- 1871年 条約改定の結果再軍備が認められ、艦隊が再建される。ただしボスポラス海峡とダーダネルス海峡の艦艇の通行は禁止された。
- 1904年 日露戦争勃発。黒海艦隊の出動も検討されるがイギリスなどの圧力により断念。商船に偽装した仮装巡洋艦数隻の出動にとどまる。
- 1905年 ロシア第一革命の時期に、戦艦ポチョムキン=タヴリーチェスキー公上での水兵の反乱である戦艦ポチョムキンの反乱や防護巡洋艦オチャーコフ上での巡洋艦オチャーコフの反乱、セヴァストーポリの蜂起が発生する。しかし、反乱はすべて鎮圧される。
- 1914年 第一次世界大戦では、ドイツ帝国・オスマン帝国海軍との間に幾度かの大規模海戦を行う。しかし、このとき黒海方面に配備されていたのは旧式艦が主で、ロシア帝国海軍の主力はバルト海方面にあった。
- 1917年 3月に二月革命が行われ、黒海艦隊は臨時政府の所属となる。しかし、臨時政府は十月革命とその後の紛争に敗れ壊滅し、臨時政府黒海艦隊の一部はウクライナ人民共和国軍黒海艦隊となる。また、一部は赤軍黒海艦隊となる。残る一部は白軍が掌握する。
- 1918年 ブレスト=リトフスク条約により中央同盟国と連合したウクライナ人民共和国が赤軍を一蹴してクリミア半島全土を掌握すると、黒海艦隊の多くはウクライナ人民共和国に接収される。一部は、ノヴォロシースクに逃れて赤軍に編入される。4月にヘーチマンの政変によりウクライナ国が成立すると、ウクライナ国海軍を構成する。これが、ウクライナの黒海艦隊の全盛期となる。ウクライナ国黒海艦隊はウクライナ独立の象徴となる一方、ドイツ帝国海軍黒海艦隊としての任務も担う。12月のドイツの降伏によりウクライナ国は崩壊しクリミア半島は白軍に掌握され、ウクライナの黒海艦隊は白軍に接収される。
- 1919年 クリミア半島で組織された白軍合同組織南ロシア軍に参加する。
- 1920年 南ロシア軍組織の改変により、ロシア軍黒海艦隊となる。11月には多くの艦船が国外脱出する。12月にはチュニジアでフランス政府によって艦船が差し押さえられ、ロシア軍黒海艦隊主力は消滅する。ロシア国内に残された艦艇は、多くが脱出に際し破壊された状態となる。一部の艦艇が労農赤軍によって修復される。
- 1935年 ソビエト連邦政府により正式に黒海艦隊と命名される。
- 1941年 独ソ戦では、黒海艦隊はナチス・ドイツの航空機の攻撃により壊滅的な打撃を受ける。セヴァストーポリの防衛戦をはじめ、地上部隊への掩護、補給作戦が主となる。最終的に、ドイツ軍は国外へ駆逐される。
- 1991年 ソ連崩壊により帰属が宙に浮く。
- 1992年 クリミア共和国が独立を宣言する。しかし、のちウクライナへの帰属が決定し自治共和国となる。
- 1997年 ロシアとウクライナ間で艦隊を分割した上で、ウクライナはロシアに対し20年間の基地使用権を与える協定が結ばれる。
- 2005年 ウクライナとロシアのガス紛争に絡み、ロシア艦隊の基地使用権が問題となる。
- 2008年8月 南オセチア紛争においてアブハジア沿岸に進出。グルジア海軍の4隻のミサイル艇及び哨戒艇と遭遇しこれと交戦、小型ロケット艦ミラージュが対艦ミサイルによりグルジア艇1隻を撃沈した。[1]
- 2010年 2014年を期限とする艦隊の駐留期限が2025年まで延長。ロシアからウクライナに向けた天然ガス代金の優遇措置が条件として合意されたもの[2]。
- 2014年 ウクライナでの動乱に対し軍事介入を行い歩兵隊がクリミア半島へ上陸。半島内のウクライナ軍に対し降伏勧告と最後通牒を通告する。
- 2015年 5月に地中海では初めて中国海軍との合同演習を実施した[3]。
編制
艦艇部隊
以下の編成は、2014年現在のデータに基づく。また、艦級は運用側呼称ではなく慣用による。
- 黒海艦隊旗艦:スラヴァ級ミサイル巡洋艦モスクワ
- 第30水上艦艇師団:セヴァストポリ
- 第11対潜艦旅団:セベルナヤ湾/セヴァストポリ
- スラヴァ級ミサイル巡洋艦:モスクワ
- カシン型ミサイル駆逐艦:スメトリーヴイ
- クリヴァクI型フリゲート:ラードヌイ
- クリヴァクII型フリゲート:プイトリーヴイ
- 第11対潜艦旅団:セベルナヤ湾/セヴァストポリ
- 第4潜水艦旅団:ノヴォロシスク
- キロ型潜水艦:B-871アルローサ
- 改キロ型潜水艦:B-261ノヴォロシスク、B-237ロストフ・ナ・ドヌー、B-262スターリー・オスコル、B-265クラスノダール
- 第197揚陸艦旅団:セベルナヤ湾/セヴァストポリ
- ロプーチャI型揚陸艦:ツェーザリ・クニコフ、ノヴォチェルカッスク、ヤーマル
- ロプーチャII型揚陸艦:アゾフ
- アリゲーター型揚陸艦:ニコライ・フィリチェンコフ、サラートフ、オルスク
- 第41ミサイル艦旅団:セヴァストポリ
- 第166ノヴォロシスク小型ミサイル艦大隊:セベルナヤ湾/セバストポリ
- ダーガチ型SES型ミサイルコルベット:ボラ、サムーム
- ナヌチュカIII型ミサイルコルベット:シュティーリ、ミラージィ
- 改ブヤン型ミサイルコルベット:ゼレニ・ドニ、セルプホフ
- 第295スリンスク・ミサイル艇大隊:カランティンナ湾/セバストポリ
- タランタルII型ミサイル艇:R-71
- タランタルIII型ミサイル艇:R-60ブルヤ、R-109、R-239グロザ、R-334イワノヴェツ
- 第166ノヴォロシスク小型ミサイル艦大隊:セベルナヤ湾/セバストポリ
- 第68水域警備艦旅団:セヴァストポリ
- 第400対潜艦大隊:セベルナヤ湾/セヴァストポリ
- グリシャIII型対潜コルベット:アレクサンドロヴェツ
- グリシャV型対潜コルベット:スズダレツ、ムロメツ、ポヴォリノ
- ムーハ型水中翼型魚雷艇:ウラジミレツ
- 第418掃海艇大隊:ユジナヤ湾/セヴァストポリ
- ナーチャI型航洋掃海艇:トゥルビニスト、イワン・ゴルヴェツ、コヴロヴェツ、ヴィツェアドミラル・ジューコフ
- 第400対潜艦大隊:セベルナヤ湾/セヴァストポリ
- 第184水域警備艦旅団:ノヴォロシスク
- 第181対潜艦大隊:ノヴォロシスク
- グリシャV型対潜コルベット:カシモフ、エイスク
- 第170掃海艇大隊:ノヴォロシスク
- ゴーリャ型航洋掃海艇:ジェレズニャコフ
- 改ナーチャI型航洋掃海艇:ヴァレンティン・ピクリ
- 02668型航洋掃海艇:ヴィツェアドミラル・ザハリン
- ソーリャ型沿岸掃海艇:ミネラルニー・ヴォデイ、レイテナント・イリイン
- 第181対潜艦大隊:ノヴォロシスク
- 第183支援・捜索・救難大隊:セヴァストポリ
- ヌイリャトII型水中作業母船:VM-86、VM-108
- ポザールヌイ型消防船:PZHK-58
- 23370型港内作業艇:SMK-2094
- オフテンスキー型航洋曳船:SB-4
- 23040型水中作業母船:RVK-764、RVK-762、RVK-767、RVK-771、RVK-1045
- サルベージ重量物運搬船:コムーナ
- ミハイル・ルドニスキー級救難艦:サヤニイ
- SK-620型交通船:PSK-1321
- 第519独立偵察艦大隊:セヴァストポリ
- ヴィシュニヤ型情報収集艦:プリアゾヴェ
- モマ型情報収集艦:エクヴァトル、キルディン、リマン
- 第9海洋保障船舶旅団:セヴァストポリ
- 1606型曳船:BUK-645
- ボリス・チリキン級補給艦:イワン・ブブノフ
- ラマ型ミサイル弾薬補給艦:ジェネラル・リャビコフ
- 貨物船:ドヴィニツァ50、ヴォログダ50
- 03180型油槽船:VTN-73
- オビ級病院船:エニセイ
- シェロンII型通信船:KSV-2155、KSV-67
海軍航空隊
海軍歩兵・沿岸防衛部隊
- 第810独立海軍歩兵連隊:セヴァストポリ
- 第382独立海軍歩兵大隊:テムリュク
- 第11沿岸ミサイル・砲兵旅団:アナパ
- 第219独立電波電子戦連隊:オトラドノエ
- 第102独立対水中破壊工作大隊:セヴァストポリ
- 第431海上偵察所(軍部隊51212):トゥアプセ。海軍スペツナズ
主要根拠地
発足以来、黒海艦隊は長年にわたりセヴァストポリを根拠地としてきたが、ソ連崩壊以降は1997年のロシア-ウクライナ間協定により同地の使用権を期限付きで得ているものの、ウクライナの政治情勢により使用権・協定更新などの扱いが変動し、また艦艇・装備の更新も認められていないなど不安定な状態に置かれてきた。一方、ロシア領内のノヴォロシースクにも海軍基地は設置されていたものの規模が小さく、大規模な部隊の配置には不適であった[4]。
このような情勢に対処するため、2000年代以降ロシア海軍はノヴォロシースクの基地を拡張して黒海艦隊の主力をこちらに移すこととし、2005年からノヴォロシースク海軍基地の拡張作業が開始された[4]。この拡張計画により、それまでノヴォロシースク港の海軍埠頭には艦船数隻程度の接岸が可能であるに過ぎなかったところを、2010年までに複数の埠頭を整備し、2020年までに航空基地などの附属施設も整備することとしていた[4]。その後、黒海艦隊への新造艦配備計画に関連して、これら新造艦をロシア-ウクライナ間協定に縛られないノヴォロシースク基地に配備して運用するため、拡張計画の規模は更に拡大され、2014年までに新造艦の配備・運用に必要な施設を整備することとなっていた[5]。しかしながら、2014年のロシアによるクリミア半島編入により、ロシアはセヴァストポリを安定して使用できる状況が生じつつあり、今後のセヴァストポリ・ノヴォロシースク両基地の位置付けも変化することとなる。
国外ではシリアの港湾都市ラタキア、タルトゥースを長年補給拠点としており、これらを策源地として2015年にロシア軍がシリア内戦でアサド政権を支援して介入した。黒海艦隊は、トルコの支配下にあるボスポラス・ダーダネルス両海峡というチョークポイントを抱え、両海峡はモントルー条約により軍艦の通過に制約を課せられていることから、その外側にあるシリアの基地は貴重な存在となっている。
歴代司令官
職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
司令官 | ウラジーミル・コモエドフ | 大将 | 1998.7-2002.10 | ||
司令官 | ウラジーミル・マソリン | 大将 | 2002.10-2005.2 | 黒海高等海軍学校 | カスピ小艦隊司令官 |
司令官 | アレクサンドル・タタリノフ | 大将 | 2005.2-2007.7 | 黒海高等海軍学校 | 黒海艦隊参謀長 |
司令官 | アレクサンドル・クレツェコフ | 中将 | 2007.7-2010.7 | バルト艦隊参謀長 | |
司令官 | ウラジーミル・コロロフ | 中将 | 2010.7-2011.6 | ||
司令官 | アレクサンドル・フェドテンコフ | 少将 | 2011.6- |
関連項目
出典
- ^ "Черноморский флот до 2020 года получит 6 фрегатов и 6 ДЭПЛ," ИТАР-ТАСС, 27 октября 2010. ヴィソツキー海軍総司令官の発言
- ^ “ウクライナ問題に決着つけるエネルギー価格”. スマートエネルギー情報局. (2014年5月23日) 2014年6月18日閲覧。
- ^ “中露軍が地中海演習を終了”. 産経新聞. (2015年5月22日)
- ^ a b c 『世界の艦船』2008年7月号(No.692) pp.226-227
- ^ 『世界の艦船』2014年5月号(No.797) p.153
外部リンク
- 黒海艦隊 /