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「ペテルブルク路面電車機械工場」の版間の差分

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1930年代から1940年代初頭までLM-33の製造が行われた他、市電で使用されていた従来の電車([[2軸車]])の修理も担当した。だが、第二次世界大戦中に勃発した[[レニングラード包囲戦]]の影響で路面電車車両の生産は中断され、工場は弾薬の生産や戦車・自走砲のエンジンの修理に用いられた。車両の製造が再開されたのは解放後の[[1944年]]からとなり、[[1949年]]から作られた[[LM-49]]以降はレニングラード市電以外の路面電車への導入も開始された。[[1966年]]には初の[[連接台車|連接車]](2車体連接車)となる{{仮リンク|LVS-66|ru|ЛВС-66}}が試作されたが、本格的な連接車の量産は1980年代後半から製造が開始された[[LVS-86]]以降となった。路面電車車両以外にも[[1981年]]からは[[トロリーバス]]の生産にも着手し、ソ連各地の都市へ導入された。また、1970年代から1980年代にかけては「'''レニングラード都市電気車両修理工場'''(ЗРГЭТ)」という社名を名乗っていた{{r|PTMF_History_1}}{{r|Museum_1}}<ref name="LM-49_0">{{cite web|url = http://tramnn.narod.ru/history/cars/lm49/ttx.html|title = Трамвайные вагоны ЛМ-49 и ЛП-49: Технические данные|publisher = Нижегородский Трамвай-Троллейбус|archiveurl = https://web.archive.org/web/20120206094949/http://tramnn.narod.ru/history/cars/lm49/ttx.html |archivedate = 2010-2-6|accessdate = 2020-3-22}}</ref>{{sfn|ПТМЗ|2004|p=5}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=6}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=7}}。
1930年代から1940年代初頭までLM-33の製造が行われた他、市電で使用されていた従来の電車([[2軸車]])の修理も担当した。だが、第二次世界大戦中に勃発した[[レニングラード包囲戦]]の影響で路面電車車両の生産は中断され、工場は弾薬の生産や戦車・自走砲のエンジンの修理に用いられた。車両の製造が再開されたのは解放後の[[1944年]]からとなり、[[1949年]]から作られた[[LM-49]]以降はレニングラード市電以外の路面電車への導入も開始された。[[1966年]]には初の[[連接台車|連接車]](2車体連接車)となる{{仮リンク|LVS-66|ru|ЛВС-66}}が試作されたが、本格的な連接車の量産は1980年代後半から製造が開始された[[LVS-86]]以降となった。路面電車車両以外にも[[1981年]]からは[[トロリーバス]]の生産にも着手し、ソ連各地の都市へ導入された。また、1970年代から1980年代にかけては「'''レニングラード都市電気車両修理工場'''(ЗРГЭТ)」という社名を名乗っていた{{r|PTMF_History_1}}{{r|Museum_1}}<ref name="LM-49_0">{{cite web|url = http://tramnn.narod.ru/history/cars/lm49/ttx.html|title = Трамвайные вагоны ЛМ-49 и ЛП-49: Технические данные|publisher = Нижегородский Трамвай-Троллейбус|archiveurl = https://web.archive.org/web/20120206094949/http://tramnn.narod.ru/history/cars/lm49/ttx.html |archivedate = 2010-2-6|accessdate = 2020-3-22}}</ref>{{sfn|ПТМЗ|2004|p=5}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=6}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=7}}。


[[ソ連崩壊]]後、同社は形態を[[合資会社]]に改め、社名も「'''ペテルブルク路面電車機械工場'''(Петербургский трамвайно-механический завод)」に変更した。その後も引き続きレニングラード市電改めサンクトペテルブルク市電向けの車両の生産を続けた一方、[[シベリア|シベリア地方]]を始めとした他都市への導入も本格的に視野に入れた車両開発を進め、[[1999年]]以降量産された[[LM-99]]は[[首都]]・[[モスクワ]]([[モスクワ市電]])にも導入された。また[[2005年]]からは車内の一部の床上高さを下げ[[バリアフリー]]に対応した[[超低床電車|部分超低床電車]]の生産に順次移行し、[[ロシア連邦]]や[[ウクライナ]]各地の路面電車事業者向けに多数の車両が作られた{{r|PTMF_History_1}}{{sfn|服部重敬|2019|p=100}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=8}}<ref name="LM-93_1">{{cite web|url = http://www.retrotechno.ru/products/6/354/|title = ЛМ-93|publisher = Военно-патриотический клуб|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref name="LM-99A_1_1">{{cite web|url = http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=305|title = ЛМ-99А|website = Трамвайные вагоны – Твой Транспорт|archiveurl = https://web.archive.org/web/20180131233554/http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=305|archivedate = 2018-1-31|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.cs-dopravak.cz/zpravy/2018/11/17/kyjev-poptv-nov-tramvaje|title = KYJEV POPTÁVÁ DALŠÍ NOVÉ TRAMVAJE|author = Vít Hinčica|publisher = Československý Dopravák|date = 2018-11-17|accessdate = 2020-3-22}}</ref>。
[[ソビエト邦の崩壊]]後、同社は形態を[[合資会社]]に改め、社名も「'''ペテルブルク路面電車機械工場'''(Петербургский трамвайно-механический завод)」に変更した。その後も引き続きレニングラード市電改めサンクトペテルブルク市電向けの車両の生産を続けた一方、[[シベリア|シベリア地方]]を始めとした他都市への導入も本格的に視野に入れた車両開発を進め、[[1999年]]以降量産された[[LM-99]]は[[首都]]・[[モスクワ]]([[モスクワ市電]])にも導入された。また[[2005年]]からは車内の一部の床上高さを下げ[[バリアフリー]]に対応した[[超低床電車|部分超低床電車]]の生産に順次移行し、[[ロシア連邦]]や[[ウクライナ]]各地の路面電車事業者向けに多数の車両が作られた{{r|PTMF_History_1}}{{sfn|服部重敬|2019|p=100}}{{sfn|ПТМЗ|2004|p=8}}<ref name="LM-93_1">{{cite web|url = http://www.retrotechno.ru/products/6/354/|title = ЛМ-93|publisher = Военно-патриотический клуб|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref name="LM-99A_1_1">{{cite web|url = http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=305|title = ЛМ-99А|website = Трамвайные вагоны – Твой Транспорт|archiveurl = https://web.archive.org/web/20180131233554/http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=305|archivedate = 2018-1-31|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.cs-dopravak.cz/zpravy/2018/11/17/kyjev-poptv-nov-tramvaje|title = KYJEV POPTÁVÁ DALŠÍ NOVÉ TRAMVAJE|author = Vít Hinčica|publisher = Československý Dopravák|date = 2018-11-17|accessdate = 2020-3-22}}</ref>。


[[2003年]]にはダイダロスグループ(группа "Дедал")の完全子会社となり、[[2011年]]には同グループの傘下企業であった{{仮リンク|ワゴンマッシュ|ru|Вагонмаш}}が手掛ける[[地下鉄]]車両の量産も可能とする工場の拡張計画も発表された。だが、同時期にはサンクトペテルブルク市電を始めとした各地の需要減少に加えて製造車両の信頼製低下が重なり、ペテルブルク路面電車機械工場の経営は悪化の一途を辿った。その結果、[[2012年]]に[[ウクライナ]]・[[マリウポリ]]({{仮リンク|マリウポリ市電|uk|Маріупольський трамвай}})向けに製造された電車を最後に生産が停止し、[[2013年]][[5月]]に破産宣告が下された。負債総額は18億[[ロシア・ルーブル|ルーブル]]で、うち13億ルーブルは[[ロシア貯蓄銀行]]からの[[融資]]分だった{{r|PTMF_History_1}}{{r|PTMF_End_1}}{{sfn|服部重敬|2019|p=100}}<ref>{{cite web|url = http://old.gov.spb.ru/print_version/news7258.html/|title = «ВАГОНМАШ» будет выпускать вагоны метро четвертого поколения|date = 2011-1-14|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140222045057/http://old.gov.spb.ru/print_version/news7258.html/|archivedate = 2014-2-22|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref name="LM-2008_71-153_1">{{cite web|url = http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=68|title = ЛМ-2008 (71-153)|website = Трамвайные вагоны – Твой Транспорт|archiveurl = https://web.archive.org/web/20180202053050/http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=68|archivedate = 2018-2-2|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref>{{cite web|url =https://www.kommersant.ru/doc/523120|title = "Дедал" садится на трамвай транспортное машиностроение|author = ИВАН Ъ-СТУПАЧЕНКО|publisher = Издательский дом Коммерсантъ|date = 2004-11-9|accessdate = 2020-3-22}}</ref>。
[[2003年]]にはダイダロスグループ(группа "Дедал")の完全子会社となり、[[2011年]]には同グループの傘下企業であった{{仮リンク|ワゴンマッシュ|ru|Вагонмаш}}が手掛ける[[地下鉄]]車両の量産も可能とする工場の拡張計画も発表された。だが、同時期にはサンクトペテルブルク市電を始めとした各地の需要減少に加えて製造車両の信頼製低下が重なり、ペテルブルク路面電車機械工場の経営は悪化の一途を辿った。その結果、[[2012年]]に[[ウクライナ]]・[[マリウポリ]]({{仮リンク|マリウポリ市電|uk|Маріупольський трамвай}})向けに製造された電車を最後に生産が停止し、[[2013年]][[5月]]に破産宣告が下された。負債総額は18億[[ロシア・ルーブル|ルーブル]]で、うち13億ルーブルは[[ロシア貯蓄銀行]]からの[[融資]]分だった{{r|PTMF_History_1}}{{r|PTMF_End_1}}{{sfn|服部重敬|2019|p=100}}<ref>{{cite web|url = http://old.gov.spb.ru/print_version/news7258.html/|title = «ВАГОНМАШ» будет выпускать вагоны метро четвертого поколения|date = 2011-1-14|archiveurl = https://web.archive.org/web/20140222045057/http://old.gov.spb.ru/print_version/news7258.html/|archivedate = 2014-2-22|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref name="LM-2008_71-153_1">{{cite web|url = http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=68|title = ЛМ-2008 (71-153)|website = Трамвайные вагоны – Твой Транспорт|archiveurl = https://web.archive.org/web/20180202053050/http://vagons.ttransport.ru/compact.php?mid=68|archivedate = 2018-2-2|accessdate = 2020-3-22}}</ref><ref>{{cite web|url =https://www.kommersant.ru/doc/523120|title = "Дедал" садится на трамвай транспортное машиностроение|author = ИВАН Ъ-СТУПАЧЕНКО|publisher = Издательский дом Коммерсантъ|date = 2004-11-9|accessdate = 2020-3-22}}</ref>。

2020年12月26日 (土) 01:04時点における版

ペテルブルク路面電車機械工場
Петербургский трамвайно-механический завод
略称 PTMF(ПТМЗ)
本社所在地 ロシアの旗ロシア連邦
サンクトペテルブルク
設立 1929年[1][2]
業種 輸送用機器
事業内容 鉄道車両(路面電車車両)・トロリーバスの製造、整備など[1]
外部リンク (英語)http://www.ptmz.ru/en_index.htm
特記事項:2013年に倒産[1][2][3]
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ペテルブルク路面電車機械工場ロシア語: Петербургский трамвайно-механический завод、ПТМЗ)は、かつてロシア連邦(旧:ソビエト連邦)のサンクトペテルブルク(旧:レニングラード)に存在した輸送用機器メーカー。地元のサンクトペテルブルク市電向けの電車を中心とした路面電車トロリーバスの製造を行っていたが、2013年に倒産した。1934年の操業開始時から1960年代までは「車両修理工場(Вагоноремонтного завода、ВАРЗ)」、1970年代から1990年代初頭までは「レニングラード都市電気車両修理工場(Ленинградском заводе по ремонту городского электрического транспорта、ЗРГЭТ)」と言う社名であった[1][2][3][4]

歴史

ペテルブルク路面電車機械工場は、元々レニングラード市電で使用される電車を始めとした車両の修理を手掛ける工場「車両修理工場(ВАРЗ)」として計画された経緯を持ち、1929年に設立後同年から建設が始まった。一方、同時期のレニングラード市電では大型ボギー車LM-33)の大量導入が検討されていたが、市電の車両基地の設備では量産に適さず、新たな施設が必要となった。そこで、この修理工場を路面電車車両の生産に用いる事が決定し、設計を変更した上で翌1934年5月15日から操業が始まった[1][5][6]

1930年代から1940年代初頭までLM-33の製造が行われた他、市電で使用されていた従来の電車(2軸車)の修理も担当した。だが、第二次世界大戦中に勃発したレニングラード包囲戦の影響で路面電車車両の生産は中断され、工場は弾薬の生産や戦車・自走砲のエンジンの修理に用いられた。車両の製造が再開されたのは解放後の1944年からとなり、1949年から作られたLM-49以降はレニングラード市電以外の路面電車への導入も開始された。1966年には初の連接車(2車体連接車)となるLVS-66ロシア語版が試作されたが、本格的な連接車の量産は1980年代後半から製造が開始されたLVS-86以降となった。路面電車車両以外にも1981年からはトロリーバスの生産にも着手し、ソ連各地の都市へ導入された。また、1970年代から1980年代にかけては「レニングラード都市電気車両修理工場(ЗРГЭТ)」という社名を名乗っていた[1][4][7][8][9][10]

ソビエト連邦の崩壊後、同社は形態を合資会社に改め、社名も「ペテルブルク路面電車機械工場(Петербургский трамвайно-механический завод)」に変更した。その後も引き続きレニングラード市電改めサンクトペテルブルク市電向けの車両の生産を続けた一方、シベリア地方を始めとした他都市への導入も本格的に視野に入れた車両開発を進め、1999年以降量産されたLM-99首都モスクワモスクワ市電)にも導入された。また2005年からは車内の一部の床上高さを下げバリアフリーに対応した部分超低床電車の生産に順次移行し、ロシア連邦ウクライナ各地の路面電車事業者向けに多数の車両が作られた[1][3][11][12][13][14]

2003年にはダイダロスグループ(группа "Дедал")の完全子会社となり、2011年には同グループの傘下企業であったワゴンマッシュロシア語版が手掛ける地下鉄車両の量産も可能とする工場の拡張計画も発表された。だが、同時期にはサンクトペテルブルク市電を始めとした各地の需要減少に加えて製造車両の信頼製低下が重なり、ペテルブルク路面電車機械工場の経営は悪化の一途を辿った。その結果、2012年ウクライナマリウポリマリウポリ市電)向けに製造された電車を最後に生産が停止し、2013年5月に破産宣告が下された。負債総額は18億ルーブルで、うち13億ルーブルはロシア貯蓄銀行からの融資分だった[1][2][3][15][16][17]

経営破綻後も工場の建物は放置されていたが2015年3月31日に500 m2が焼失する火災が発生し、翌2016年から2018年にかけて建物および内部に放置された製造途中の車両の解体が行われた。跡地には立地条件の良さを活かし野菜専門店を建設する計画も存在したが、最終的に2014年に実施された入札でスウェーデンのVTE社が落札し、住宅地として再開発される事になっている[1][18][19]

主要製品

以下、太字で書かれた形式は量産が実施されたものである他、「路面電車」欄で「○○・△△」と記されている形式名については、「○○」は運転台主電動機集電装置を備えた電動車、「△△」はそれらを有していない付随車を示す[8][9]

路面電車

ボギー車

連接車

トロリーバス

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Петербургский трамвайно-механический завод открылся 85 лет назад”. АО «ГАТР» (2019年5月15日). 2020年3月22日閲覧。
  2. ^ a b c d Полина Гриценко, Петр Третьяков (2014年6月2日). “Трамвайный завод продан”. Ведомостиа. 2020年3月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 服部重敬 2019, p. 100.
  4. ^ a b ОТКРЫТАЯ КОЛЛЕКЦИЯ. ТРАМВАЙНЫЙ ПОЕЗД ПОПОЛНИЛ ЭКСПОЗИЦИЮ МУЗЕЯ”. Музей городского электрического транспорта (2016年6月3日). 2020年3月22日閲覧。
  5. ^ «Американка» - легенда ленинградских магистралей”. ГУП "Горэлектротранс" (2019年3月18日). 2020年3月22日閲覧。
  6. ^ ПТМЗ 2004, p. 4.
  7. ^ Трамвайные вагоны ЛМ-49 и ЛП-49: Технические данные”. Нижегородский Трамвай-Троллейбус. 2010年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月22日閲覧。
  8. ^ a b c d ПТМЗ 2004, p. 5.
  9. ^ a b c d e f g h i ПТМЗ 2004, p. 6.
  10. ^ a b c ПТМЗ 2004, p. 7.
  11. ^ a b c d e f g ПТМЗ 2004, p. 8.
  12. ^ ЛМ-93”. Военно-патриотический клуб. 2020年3月22日閲覧。
  13. ^ ЛМ-99А”. Трамвайные вагоны – Твой Транспорт. 2018年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月22日閲覧。
  14. ^ Vít Hinčica (2018年11月17日). “KYJEV POPTÁVÁ DALŠÍ NOVÉ TRAMVAJE”. Československý Dopravák. 2020年3月22日閲覧。
  15. ^ «ВАГОНМАШ» будет выпускать вагоны метро четвертого поколения” (2011年1月14日). 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月22日閲覧。
  16. ^ ЛМ-2008 (71-153)”. Трамвайные вагоны – Твой Транспорт. 2018年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月22日閲覧。
  17. ^ ИВАН Ъ-СТУПАЧЕНКО (2004年11月9日). “"Дедал" садится на трамвай транспортное машиностроение”. Издательский дом Коммерсантъ. 2020年3月22日閲覧。
  18. ^ На месте ПТМЗ могут построить овощехранилище за 1 млрд рублей”. dp.ru (2015年6月1日). 2020年3月22日閲覧。
  19. ^ ПТМЗ застроит «неизвестный лидер рынка»”. Restate.ru (2014年6月3日). 2020年3月22日閲覧。
  20. ^ 服部重敬 2019, p. 98.
  21. ^ ПТМЗ 2004, p. 11.
  22. ^ ПТМЗ 2004, p. 12.
  23. ^ ПТМЗ 2004, p. 10.
  24. ^ 服部重敬 2019, p. 102.
  25. ^ a b c Олег Бодня (2018年11月). “Троллейбусы, достойные памяти”. Грузовик Пресс. 2020年3月22日閲覧。
  26. ^ ПТМЗ 2004, p. 13.

参考資料

  • ПТМЗ (2004年). “70 лет”. 2020年3月22日閲覧。
  • 服部重敬「定点撮影で振り返る路面電車からLRTへの道程 トラムいま・むかし 第10回 ロシア」『路面電車EX 2019 vol.14』、イカロス出版、2019年11月19日、96-105頁、ISBN 978-4802207621