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「An-30 (航空機)」の版間の差分

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:放射線[[観測機]]。[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]に出動した。
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;An-30-100
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:[[ソ連崩壊]]後、An-30を改造して製造された[[要人|VIP]]輸送型。乗客20名。
:[[ソビエト邦の崩壊]]後、An-30を改造して製造された[[要人|VIP]]輸送型。乗客20名。


== 運用 ==
== 運用 ==

2020年12月26日 (土) 00:42時点における版

アントーノフ An-30/Антонова Ан-30

オープンスカイ条約に基づき運用されているロシア空軍のAn-30

オープンスカイ条約に基づき運用されているロシア空軍のAn-30

An-30ロシア語: Ан-30)は、ソビエト連邦ウクライナ)の観測機偵察機輸送機としても運用されている。アントーノフ設計局An-24を原型機としている。NATOコードネームは、「クランク」(Clank)。

開発

アントーノフ設計局は、航空地図作成を目的としてAn-24観測機型An-24FKとして開発した。FKは、写真による地図作成を意味する「fotokartograficheskiy」に由来する[2]

機体前方の設計変更が行われ、An-24よりも良好な視界を得られるコックピットガラス張りの機首、胴体下方にカメラの追加が行われた。この設計変更が認められ、An-30という新たな名称が与えられた生産型は、1971年よりキエフの工廠で生産が開始され[3]、同年には最初の生産型が完成した。 1975年パリ航空ショーで展示され、この時に与えられたNATOコードネームがクランクである[1]。1980年には生産が完了している[3]

特徴

乗員は、An-24の4名から増加し7名となった。カメラなどを運用するオペレーター2名の席が増設され、食料庫や休憩用の座席も設けられた。「ベランダ」というあだ名を持つ、機首の観測スペースへの移動は、機内を這って進まねばならなかった。このスペースを設けたことで、レーダーは取り除かれ、あらたに小型のドップラー・レーダーが装備されたが、性能的に不十分であったため、一部の機体にはGroza-M30 レーダーが追加装備された[1]

胴体には撮影用の窓が設けられ、不要時には閉じることでひび割れの防止や、離着陸時に巻き上げる小石などからの防御が可能であった。右前方の大型のドアは維持され、機材の積み卸しに活用された。機体側面の窓は、An-24や試作型のAn-24FKと異なり、An-32と同様にその大半が存在しなかった[1]

カメラは、3機が機体中心下部に直線に配され、2機がそれぞれ28度の角度で取り付けられていた[3]。高度2,000-7,000mの範囲で、20万分の1-1,500万分の1までの解像度で撮影が可能であった[4]

型式

An-24FK
試作機。
An-30A
民間型。アエロフロート65機、政府機関6機、輸出18機を製造。
An-30B
ソ連空軍向けの型。チャフディスペンサーを装備。偵察機としても運用された。
An-30D
シビリャーク(Сибіряк)と呼ばれる長距離型。An-30を改造して5機が製造され、排他的経済水域の監視や輸送に用いられた。
An-30FG
チェコスロバキア空軍向けの発展型。
An-30M
気象制御目的の散布装置搭載型。(Метеозащіта、Meteozashchita)と呼ばれる。
An-30R
放射線観測機チェルノブイリ原子力発電所事故に出動した。
An-30-100
ソビエト連邦の崩壊後、An-30を改造して製造されたVIP輸送型。乗客20名。

運用

An-30Mは、人工降雨による農作物の損害回避などの気象制御に用いられた。式典時の晴天演出も任務とし、メーデー1997年9月のモスクワ850年記念式典などが知られている[5]

アフガニスタン紛争に際しては、1982年から航空写真による地図作成を行い、1機が損傷を受けた後墜落した。また、キューバの保有機は、1987年アンゴラで活動を行っている。

喪失

2011年までに、運用中に2機が失われている[6]

1985年3月11日ソ連空軍のAn-30Bがアフガニスタンカブール国際空港の北25km付近で、地対空ミサイルにより被弾、エンジンに損傷を負い着陸に失敗して2名が死亡した[7]

1992年3月22日、ミャチコヴォ・アヴィア(Myachkovo Avia)の機体がニジネヤンスク(en:Nizhneyansk)の西53km付近でオートパイロットの操作ミスにより空中分解を起こし、川に墜落した。乗員乗客10名全員が死亡した[8]

要目

出典[1][3][9]

運用者

ソ連空軍アエロフロート
ロシア空軍モスコビア・エアen:Moskovia Airlines)1機、(Lukiaviatrans)5機、ミャチコヴォ航空(Myachkovo Air Services)4機、ノヴォシビルスク航空en:Novosibirsk Air Enterprise)3機、ポレット航空en:Polet Airlines)3機、(Practical Geodinamics Center)3機。
ウクライナ空軍ARP 410航空が2機、ウクライナ航空が6機運用。
1985年アフガニスタン空軍が1機を受領している。
キューバ空軍
スーダン空軍にAn-30A-100が1機存在している。
チェコスロバキア空軍
チェコ空軍が保有。2003年退役。
中国人民解放軍空軍が7機を運用している[9]中国民用航空局が1機運用。
ブルガリア空軍
ベトナム空軍ベトナムエアサービスが1機運用。
モンゴル空軍MIAT モンゴル国営航空が1機運用。
ルーマニア空軍1976年に1機目を受領している[10]。合計3機、現存1機[11]

軍用機以外の出典は、Flight International, 3–9 October 2006による。

出典

  1. ^ a b c d e An-30, An-32, & An-140Greg Goebel / In The Public Domain
  2. ^ Yefim Gordon, Dmitriy Komissarov and Sergey Komissarov (2003) Antonov's Turboprop Twins. Hinckley, UK: Midland Publishing. ISBN 1-85780-153-9, p. 73.
  3. ^ a b c d airforce-technology.com
  4. ^ Yefim Gordon, Dmitriy Komissarov and Sergey Komissarov前掲書、p. 75.
  5. ^ M J H Taylor, ed (1999). Brassey's World Aircraft & Systems Directory 1999/2000 Edition. Brassey's. ISBN 1 85753 245 7 
  6. ^ Aviation Safety Network
  7. ^ Aviation Safety Network
  8. ^ Aviation Safety Network
  9. ^ a b An-24/-26/-30 Turboprop Transport AircraftSinoDefence.com
  10. ^ ルーマニア空軍
  11. ^ Marnix Sap, Carlo Brummer: Fortele Aeriene Romane in: Lotnictwo Nr. 4/2010, p.39 (ポーランド語)

外部リンク