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1992年5月5日、クリミア議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国を宣言した。ウクライナ議会は5月15日に独立無効を決議したが、[[黒海艦隊]]の基地として戦略的に重要なクリミアへの関心を持つロシアは独立の動きを支持し、5月21日にクリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を行った。しかし、ロシアで独立を宣言していた[[チェチェン共和国]]に対し、1994年にロシアが武力鎮圧を開始すると、一方で自国からのチェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのは自己矛盾であるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を取りやめた<ref name="yamakawa">{{Cite book|和書|editor=伊東孝之|others=井内敏夫、中井和夫 編|title=ポーランド・ウクライナ・バルト史|year=1998|publisher=山川出版社|id={{ISBN2|4-634-41500-3}}、ISBN 978-4-634-41500-3|ncid=BA39089582|}}</ref>{{rp|415}}。 |
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2020年12月26日 (土) 00:41時点における版
座標: 北緯45度18分 東経34度24分 / 北緯45.30度 東経34.40度
- クリミア共和国
- ロシア語:Республика Крым
ウクライナ語: Республіка Крим
クリミア・タタール語: Къырым Джумхуриети -
国旗 国章 -
国歌 不明 公用語 首府 シンフェロポリ 首長 セルゲイ・アクショーノフ 閣僚会議議長 ユーリ・ゴツァニュク 構成体種別 共和国 連邦管区 南部連邦管区 経済地区 北カフカース経済地区 面積(暫定順位)
- 総計国内第46位
26,200km2人口(2015年)(暫定順位)
- 総計
- 人口密度
- 都市/地方比率国内第27位
1,895,915人
72.69人/km2
不明 : 不明時間帯 UTC +3(DST: なし) ISO 3166-2:RU 未定 番号 未定 ウェブサイト [1] - *ロシア以外の国の多数は編入を承認していない。
クリミア共和国(クリミアきょうわこく)は、ウクライナから事実上分離し、ロシアに連邦構成主体のクリミア連邦管区として編入された国家である。2016年7月28日以降は、南部連邦管区に属している。黒海北岸に位置するクリミア半島を領域とし、ロシア以外の国の多くがウクライナの地方行政区画であるクリミア自治共和国としている地域に相当する。
概要
ウクライナ領のクリミア半島にあったクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市は、2014年ウクライナ騒乱、ロシアのクリミア侵攻を経て、ロシア連邦への編入を前提とする独立宣言を議会で採択した上で、ロシアへの編入かウクライナの下での自治権拡大かを問う住民投票を実施した。その結果、ロシアへの編入賛成多数であったことを受けて、住民投票翌日の2014年3月17日にクリミア自治共和国がセヴァストポリを特別な地位を有する都市として包括したクリミア共和国として独立し、ロシアへの編入を求める決議を議会が行った。翌3月18日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は編入要請を受け入れることを表明、クリミアのセルゲイ・アクショーノフ首長兼首相との二国間条約に調印した[2]。3月21日に条約がロシア連邦議会で批准され、ロシアとしての編入手続きを完了した[3]。
しかしながら、ウクライナ政府、および欧米日などの諸外国は、クリミア共和国の独立およびロシアへの編入を認めていない(2014年クリミア危機)。
名称
公用語であるロシア語、ウクライナ語、クリミア・タタール語での正式名称はロシア語でРеспублика Крым(レスプーブリカ・クルィム)、ウクライナ語でРеспубліка Крим(レスプーブリカ・クルィム)、クリミア・タタール語でКъырым Джумхуриети(クルム・ジュムフリイェティ)。クリミア・タタール語はソ連崩壊後、ラテン文字への切り替えが進んでいたが、ロシア連邦議会はロシア連邦内のすべての言語はキリル文字を使用しなければならないとしている。ウクライナ管轄下においては公用語はウクライナ語のみであり、ウクライナ管轄下の離脱後にソビエト連邦の崩壊後初めて、ロシア語とクリミア・タタール語がウクライナ語と共に公用語に追加された。
三言語共通の地名であるクルィム(クルム)の語源についてはクリミア半島を参照。
諸外国はクリミア共和国の独立とロシア編入を認めていないため、従来の「クリミア自治共和国」という名称も使われている。
地理
クリミア共和国はクリミア半島のうち、同じくロシアに編入され、連邦市として対等の連邦構成主体であるセヴァストポリを除く全域を管轄する。北はペレコープ地峡を介してウクライナのヘルソン州と接し、ロシアはヘルソン州と旧・クリミア自治共和国の境界線を国境と主張している(クリミア編入条約第6条第2項[4])。東はケルチ海峡を挟んでロシア本土のクラスノダール地方と隣り合う。
民族・言語
2014年の統計によると、65.2%をロシア人が占め、次いでウクライナ人16.0%、クリミア・タタール人12.6%、タタール人2.3%の順となっている。一方、言語はロシア語が84%、次いでクリミア・タタール語7.9%、タタール語3.7%、ウクライナ語3.3%となっており、ウクライナ語の割合は2001年の10.1%から大幅に低下した。
標準時
この地域は、モスクワ時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+3時間で、夏時間はない。ロシア編入前は標準時がUTC+2で、夏時間がUTC+3であった。2014年3月に通年UTC+4に変更された。しかし、同年10月に通年UTC+3に変更された。
交通
航空便はシンフェローポリ国際空港があり、ロシア国内と結ばれている。2018年5月15日にロシア本土との間のケルチ海峡に、クリミア大橋が開通した。ウクライナ側とは鉄道・道路で結ばれているが、ウクライナとを結ぶ鉄道の運行は中止されている。
政治
クリミア共和国の政府は自治共和国のものを継承している。
立法府は100議席の「国家会議」(クリミア自治共和国最高会議から改称を宣言)である。
行政府は閣僚会議(内閣)が司り、閣僚会議議長(首相)がこれを代表する。
2014年3月18日に調印、21日に批准された条約により、クリミア共和国は条約調印日をもってロシア連邦に編入したものとされ(条約第1条)、3月17日に事実上独立した国となったクリミア共和国はわずか1日の短命に終わった。ロシア連邦の構成主体としての政府を発足させるための選挙は2015年9月14日に行われ、それまでは編入以前の議会と内閣が暫定的に存続する(第8条)。
3月17日以前、クリミア自治共和国に含まれていなかったセヴァストポリは、特別市としてクリミア共和国に包括されて独立を宣言したが[5]、セヴァストポリ市は16日の住民投票において単独で連邦市としてロシア連邦に編入されることを承認されており[6]、編入後はクリミア共和国と対等な連邦構成主体である連邦市となった(条約第2条)。
なお、条約批准で編入されても、ロシア国内法上でクリミア共和国を連邦構成主体として編入する手続きは、ロシア連邦憲法の連邦構成主体の章を改正する必要がある。
行政区画
クリミア共和国は従前の自治共和国の地方行政区分を踏襲している。3月17日から18日までの事実上の独立国であった間は、セヴァストポリを特別市として包括していたが、ロシア編入後はクリミア共和国とセヴァストポリ連邦市は対等な連邦構成主体となった。主な都市はシンフェロポリ、ヤルタ、バフチサライ、イェウパトーリヤ、ケルチ、フェオドシヤ等である。
郡 | 基礎自治体 |
国際的な認知
国際連合総会決議68/262(ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入の無効性について採択した国連総会決議)参照。
歴史
略史
18世紀にロシア帝国に併合されたクリミアは、1921年にソビエトの支配を受け、クリミア自治ソビエト社会主義共和国が設置された。第二次世界大戦中の1944年にロシア併合以前からの住民である少数民族のクリミア・タタール人が追放され、翌1945年に自治共和国から州に改組された。1954年にはクリミア州はソ連最高会議幹部会令によりロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国に帰属先が変更された。
ソビエト連邦の崩壊によりウクライナは自治共和国を復活させ、また中央アジアからのクリミア・タタール人の帰還が許可された。しかし、帝政期以来の多数派であるロシア人はクリミアがウクライナ領になったことに不満を持ち、再びロシアへ帰属することを求めるようになった。
1992年5月5日、クリミア議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国を宣言した。ウクライナ議会は5月15日に独立無効を決議したが、黒海艦隊の基地として戦略的に重要なクリミアへの関心を持つロシアは独立の動きを支持し、5月21日にクリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を行った。しかし、ロシアで独立を宣言していたチェチェン共和国に対し、1994年にロシアが武力鎮圧を開始すると、一方で自国からのチェチェンの独立を禁圧しながらウクライナからのクリミアの独立を支持するのは自己矛盾であるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を取りやめた[7]:415。
その結果、クリミア内での独立運動も後ろ盾を失って急速に沈静化し、またウクライナ側でもロシアに敵対的な民族主義政党の活動が和らいだため、クリミア議会もウクライナ共和国内の自治共和国であることを認めるようになった。
クリミアの自治権は1996年に制定されたウクライナ憲法で再確認され、クリミア自治共和国の設置が規定されたが、同時にクリミア半島は「ウクライナの不可分な構成部分」とされ、自治共和国の離脱権は否定された[8]。
ロシア連邦による一方的併合
- クリミア共和国
- ロシア語:Республика Крым
ウクライナ語:Республіка Крим
クリミア・タタール語:Къырым Джумхуриети -
←
←
←2014年3月17日 - 2014年3月18日 →
→
→(国旗) (国章) -
公用語 ロシア語
ウクライナ語
クリミア・タタール語[1]首都 シンフェロポリ - 国家会議議長
-
2014 - 2014 ウラジーミル・コンスタンチノフ - 閣僚会議議長
-
2014 - 2014 セルゲイ・アクショーノフ - 面積
-
26,945km² - 人口
-
2014年1月1日推計[9] 2,353,129人 - 変遷
-
独立宣言 2014年3月17日 ロシアに編入 2014年3月18日
時間帯 UTC +2(DST: なし)ロシア編入後の2014年3月30日午前0時よりUTC+4 ccTLD なし
2014年クリミア危機において、3月11日にクリミア自治共和国最高会議(議会)とセヴァストポリ特別市会議(市議会)は、クリミアおよびセヴァストポリ独立宣言を採択し、ウクライナからの一方的な独立を求めた[10]。
3月16日に実施された住民投票で、ロシアの連邦構成主体としてロシアに統合するか、以前の憲法を復活させて自治権を強化した上でウクライナに留まるかが問われた。住民投票の結果、ロシアへの帰属を求めてウクライナから独立することを承認する票が多数(発表によれば80%を超える有効投票数の95%以上)に達した[11][12]。ただし、アメリカ合衆国、欧州連合、そして日本政府は、投票がウクライナの国内法に違反し非合法なものであるとしている[11][13]。
住民投票を受けて、3月17日にクリミアの議会はクリミア共和国の独立を宣言し、ロシアはその日のうちに国家承認を行った[14][15]。
翌3月18日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は演説でクリミアとセヴァストポリの編入を宣言、直後にクリミア共和国のアクショーノフ首相、クリミア自治議会のウラジーミル・コンスタンチノフ議長、そしてセヴァストポリ特別市評議会のアレクセイ・チャリ議長と編入条約[4]に署名した。条約の正式決定には憲法裁判所の確認、下院の批准、上院の承認などの手続きが必要となるが[16]、条約の第1条は署名の日をもってクリミア共和国はロシア連邦に編入されることとしており、条約署名をもってクリミアはロシアに編入されたとの見解を示した[2]。
ロシア国内の批准手続きは3月21日の上院承認により完了し、ロシア・クリミア両者の間での二国間条約としての編入が発効した[3]。しかし3月27日には、国連総会はこの編入を認めない旨を決議した(決議68/262)[17]。
脚注
- ^ a b Парламент Крыма принял постановление «О гарантиях восстановления прав крымскотатарского народа и его интеграции в крымское сообщество»(2014年3月12日時点のアーカイブ)
- ^ a b “ロシア大統領、クリミア編入を表明 両者が条約に署名”. 朝日新聞デジタル (March 18, 2014). 2014年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 18, 2014閲覧。
- ^ a b “クリミア:ロシアが編入手続き完了 上院が条約批准”. 毎日新聞社 (March 21, 2014). 2014年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 21, 2014閲覧。
- ^ a b “Договор между Российской Федерацией и Республикой Крым о принятии в Российскую Федерацию Республики Крым и образовании в составе Российской Федерации новых субъектов” (March 18, 2014). March 19, 2014閲覧。
- ^ インターファクス (March 18, 2014). “クリミア議会 クリミアの独立決議を採択”. ロシアの声. 2014年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 19, 2014閲覧。
- ^ “Lawmakers in Crimea Move Swiftly to Split From Ukraine”. The New York Times. (17 March 2014) 17 March 2014閲覧。
- ^ 伊東孝之 編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』井内敏夫、中井和夫 編、山川出版社、1998年。 NCID BA39089582。ISBN 4-634-41500-3、ISBN 978-4-634-41500-3。
- ^ “Constitution of Ukraine, 1996”. March 12, 2014閲覧。
- ^ Citypopulation.de Ukraine 2014-01-01 Estimate Population
- ^ “Парламент Крыма принял Декларацию о независимости АРК и г. Севастополя”. Государственный Совет Республики Крым (11 March 2014). 2014年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。18 March 2014閲覧。
- ^ a b BBC News - Crimea referendum: Voters 'back Russia union'
- ^ Crimeans vote over 90 percent to quit Ukraine for Russia | Reuters
- ^ Japan does not recognise Crimea vote - govt spokesman | Reuters
- ^ Подписан Указ о признании Республики Крым
- ^ “Crimea, Putin move closer to Russian annexation”. USA Today. (March 17, 2014)
- ^ “クリミア:プーチン大統領演説「歴史的にも死活的に重要」”. 毎日新聞社 (March 19, 2014). 2014年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。March 19, 2014閲覧。
- ^ “Backing Ukraine’s territorial integrity, UN Assembly declares Crimea referendum invalid”. UN Daily News (the News and Media Division, Department of Public Information, United Nations): pp.1-2. (27 March 2014) .
関連項目
- 2014年クリミア危機
- クリミア独立宣言
- ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入
- 沿ドニエストル共和国(モルドバ共和国の一部が事実上独立。ロシア系住民が多く、再三ロシアに編入を求めている)
- 南オセチア(グルジア領内のオセット人居住地区。グルジア領であるが、オセット人住民保護を名目にロシアが独立を支援・承認している)
- アブハジア(グルジア領内の自治共和国だったが、ロシアが独立を支援・承認している。)