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'''ソ連国家保安委員会第1総局'''(ソれんこっかほあんいいんかいだいいちそうきょく {{lang-ru|Первое главное управление}})は、[[ソ連国家保安委員会]](KGB)における対外諜報を担当する機関。第1総局を略して'''PGU'''(発音はペーゲーウー、ロシア語での略称は「ПГУ」)と呼ばれる。[[ソ連崩壊]]後は、[[ロシア対外情報庁]](SVR)となる。 |
'''ソ連国家保安委員会第1総局'''(ソれんこっかほあんいいんかいだいいちそうきょく {{lang-ru|Первое главное управление}})は、[[ソ連国家保安委員会]](KGB)における対外諜報を担当する機関。第1総局を略して'''PGU'''(発音はペーゲーウー、ロシア語での略称は「ПГУ」)と呼ばれる。[[ソビエト連邦の崩壊]]後は、[[ロシア対外情報庁]](SVR)となる。 |
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== 概要 == |
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2020年12月26日 (土) 00:25時点における版
ソ連国家保安委員会第1総局(ソれんこっかほあんいいんかいだいいちそうきょく ロシア語: Первое главное управление)は、ソ連国家保安委員会(KGB)における対外諜報を担当する機関。第1総局を略してPGU(発音はペーゲーウー、ロシア語での略称は「ПГУ」)と呼ばれる。ソビエト連邦の崩壊後は、ロシア対外情報庁(SVR)となる。
概要
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組織
中央機構
局(Управление)
- R局 - 作戦計画及び分析
- K局 - 防諜
- S局 - イリーガル
- OT局 - 作戦技術
- I局 - コンピュータ
- T局 - 科学技術諜報
- 諜報情報局 - 分析及び評価
- RT局 - ソ連領内の作戦
局(Служба)
- A局 - 偽情報。秘密作戦
- R局 - 無線通信
- 第1総局第8局A局 - 暗号
課(Отдел)
- 第1課 - アメリカ、カナダ
- 第2課 - ラテンアメリカ
- 第3課 - イギリス、オーストラリア、アフリカ、ニュージーランド、スカンジナビア
- 第4課 - 東ドイツ、西ドイツ、オーストリア
- 第5課 - ベネルクス諸国、フランス、スペイン、ポルトガル、スイス、ギリシア、イタリア、ユーゴスラビア、アルバニア、ルーマニア
- 第6課 - 中国、ベトナム、ラオス、カンボジア、北朝鮮
- 第7課 - タイ、インドネシア、日本、マレーシア、シンガポール、フィリピン
- 第8課 - 近東アラブ諸国、アフガニスタン、イラン、イスラエル、トルコ
- 第9課 - 英語圏アフリカ諸国
- 第10課 - フランス語圏アフリカ諸国
- 第11課 - 社会主義諸国との接触
- 第12課 - 登録及び公文書
- 第13課 - 電子傍受及び西側諸国の暗号機関に対する作戦
- 第14課 - インド、スリランカ、パキスタン、ネパール、バングラデシュ、ビルマ
- 第15課 - 近東アラブ諸国、エジプト
- 第16課 - 移民
- 第17課 - 発展途上国との接触
海外駐在部
模範的な海外駐在部の構成の例。
- 駐在部長
- PRライン - 政治、経済及び軍事・戦略諜報、積極的行動
- 報告書作成官
- Khライン - 科学技術諜報
- Nライン - イリーガル支援
- EMライン - 亡命者
- 特殊予備員
- KRライン - 対外防諜及び保安
名称の変遷
ロシア革命から現在までの変遷を記す。
- ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部(NKVD)附属全ロシア反革命・サボタージュ取締非常委員会外国課 (1920年12月~1922年2月)
- ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国NKVD国家保安局(GPU)外国課 (1922年2月~1923年11月)
- 人民委員会議附属統合国家政治局(OGPU)外国課 (1923年11月~1934年7月)
- ソ連NKVD国家保安総局第7課 (1934年7月~1939年7月)
- ソ連NKVD国家保安総局第5課 (1939年7月~1941年2月)
- ソ連国家保安人民委員部(NKGB)第1局 (1941年2月~1946年3月)
- ソ連国家保安省第1局 (1946年3月~1947年)
- ソ連閣僚会議附属情報委員会 (1947年~1949年2月)
- ソ連外務省附属情報委員会 (1949年2月~1952年2月)
- ソ連国家保安省第1総局 (1952年2月~1953年3月)
- ソ連内務省第2総局 (1953年3月~1954年3月)
- ソ連閣僚会議附属国家保安委員会(KGB)第1総局 (1954年3月~1978年7月)
- ソ連KGB第1総局 (1978年7月~1991年9月)
- ソ連中央情報庁 (1991年9月~12月)
- ロシア対外情報庁(SVR) (1991年12月~)
歴代対外情報部長
職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
チェーカー外国課長 | ヤコフ・ダヴィドフ | 1920-1921 | ペテルブルク大学中退 | 外務人民委員部沿バルト諸国課主任 | |
チェーカー外国課長 | ルーベン・カタニャン | 1921.1-4 | モスクワ大学 | モスクワ・チェーカー | |
GPU外国課長 | ソロモン・モギリョフスキー | 1921.8-1922.5 | ペテルブルク大学 | チェーカー特別課特別全権代表 | |
GPU(OGPU)外国課長 | メール・トリリッセル | 1922.5-1930.10 | アストラハン市立実科学校 | 外国課長補佐 | |
OGPU外国課長 | スタニスラフ・メッシング | 1929.9-1931.7 | 共産党員 | ペトログラードOGPU長官 | |
OGPU外国課長 | アルトゥール・アルトゥゾフ | 1931.7-1935.5 | ペトログラード工科大学 | 外国課副課長 | |
NKVD国家保安総局第7課長 | アブラム・スルツキー | 二等国家保安委員 | 1935.5-1938.2 | 中央アジア大学 | OGPU外国課長 |
NKVD国家保安総局第7課長代行 | セルゲイ・シュピーゲリグラス | 国家保安少佐 | 1938.2 | モスクワ大学中退 | 第7課副課長 |
NKVD国家保安総局第5課長 | ゼリマン・パッソフ | 国家保安上級少佐 | 1938.3-10 | 第1局第5課長 | |
NKVD国家保安総局第5課長代行 | パヴェル・スドプラトフ | 1938.11-12 | キエフ政治職員訓練課程 | 第5課副課長 | |
NKVD国家保安総局第5課長 | ウラジーミル・デカノゾフ | 1939 | サラトフ大学、バキン大学 | グルジア人民委員会議副議長 | |
NKVD国家保安総局第5課長 | パーヴェル・フィーチン | 中将 | 1939-1946.6 | チミリャゼフ名称農業アカデミー | 第5課副課長 |
ピョートル・クバトキン | 中将 | 1946.6-9 | NKVD中央学校 | レニングラード州国家保安局長 | |
情報委員会副議長 | ピョートル・フェドトフ | 中将 | 1946.9-1949.9 | 防諜局長 | |
情報委員会副議長 | セルゲイ・サフチェンコ | 中将 | 1949.9-1953.3 | 国家保安次官 | |
ワシーリー・リャースノイ | 中将 | 1953.3-5 | 国家保安次官 | ||
エフゲニー・ピトヴラノフ | 中将 | 1953 | モスクワ輸送技師大学 | ||
アレクサンドル・コロトコフ | 1953-1954 | ||||
KGB第1総局長 | アレクサンドル・パニュシキン | 少将 | 1953.7-1955 | レニングラード騎兵学校 | 駐華非常全権大使 |
KGB第1総局長 | アレクサンドル・サハロフスキー | 大将 | 1956-1971 | V.I.レーニン名称軍事政治アカデミー | |
KGB第1総局長 | フョードル・モルチン | 中将 | 1971-1974 | アルザマス教員大学 | 第1総局副総局長 |
KGB第1総局長 | ウラジーミル・クリュチコフ | 1974-1988 | サラトフ法律専門学校 | 第1総局副総局長 | |
KGB第1総局長 | レオニード・シェバルシン | 中将 | 1989-1991 | モスクワ国立国際関係大学 | 第1総局副総局長 |
SVR長官 | エフゲニー・プリマコフ | 1991-2000 | モスクワ東洋学大学 | 中央情報庁長官 | |
SVR長官 | ヴャチェスラフ・トルブニコフ | 上級大将 | 1996.1-2000.5 | モスクワ国立国際関係大学 | SVR第一次官 |
SVR長官 | セルゲイ・レベジェフ | 上級大将 | 2000.5-2007.10 | キエフ工業大学チェルニゴフ分校 | 駐米SVR公式代表 |
SVR長官 | ミハイル・フラトコフ | 予備役大佐 | 2007.10- | モスクワ工作機械大学 | 首相 |
参考文献
- "КГБ: разведывательные операции от Ленина до Горбачева", Олег Гордиевский, Кристофер Эндрю
脚注
- ^ KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史(下)の付録Cから