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フョードル・モルチン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フョードル・コンスタンチノヴィチ・モルチンロシア語: Фёдор Константи́нович Мо́ртин、ラテン文字転写の例:Fyodor Konstantinovich Mortin1918年5月2日 - 1990年12月31日)は、ソ連の軍人、チェキスト。中将。

経歴

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ゴリコフ州マレセフスキー地区クラスナヤ・ポリャーナ村出身。1937年、アルザマス教員大学を卒業。第二次世界大戦に従軍。

1947年、ソビエト軍軍事外交アカデミーを卒業し、国家保安機関に送られる。1947年~1950年、国外で活動。

1950年~1954年、ソ連共産党中央委員会事務局で働く。

1954年10月、ソ連国家保安委員会(KGB)に復帰し、第1総局副総局長に任命された。1958年~1971年、第一副総局長。1966年~1967年、KGB第101学校校長を務めた。

1971年、第1総局長に任命され、1974年まで総局を指導した。

1975年~1982年、KGB議長附属顧問部会先任顧問。1982年、退役。

パーソナル

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レーニン勲章2個、赤旗勲章、一等祖国戦争勲章、労働赤旗勲章、赤星勲章2個、「名誉国家保安機関職員」胸章を受章。


先代
アレクサンドル・サハロフスキー
ソ連KGB第1総局長
1971年 - 1974年
次代
ウラジーミル・クリュチコフ