「オッチャーヤンヌイ (駆逐艦・2代)」の版間の差分
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[[1985年]][[5月2日]]から[[5月6日]]にかけて、[[アルジェリア]]を訪問した。[[1992年]][[6月26日]]には、[[ムルマンスク|ムールマンスク]]で[[オーバーホール]]が開始された。しかし、[[ソビエト連邦の崩壊]]とその後のロシア連邦の不況の影響を直接に受け、オーバーホール作業が完了せぬまま予備役に入れられた。最終的に現役復帰は諦められ、[[1998年]]には海軍より除籍された。その後、[[2003年]]6月にムールマンスクにて解体された。 |
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== 関連項目 == |
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2020年12月26日 (土) 00:08時点における版
オッチャーヤンヌイ Отчаянный | ||
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1986年8月1日、機動艦隊の1 艦として地中海上を進むオッチャーヤンヌイ | ||
艦歴 | ||
起工 | 1975年5月7日 第190造船工場 | |
進水 | 1980年3月29日 | |
竣工 | 1982年9月30日 | |
所属 | ソ連海軍北方艦隊 ロシア海軍北方艦隊 | |
除籍 | 1998年 | |
解体 | 2003年 | |
要目 | ||
艦種 | 駆逐艦 | |
艦型 | 956 「サルィーチ」設計 | |
工場番号 | 862 | |
排水量 | 基準排水量 | 6500 t |
満載排水量 | 7940 t | |
全長 | 156.37 m | |
全幅 | 17.19 m | |
喫水 | 7.79 m | |
機関 | 蒸気タービン2 基 | 99500 馬力(73100 kWt) |
KVN-98/64缶 | 4 基 | |
推進 | 2軸推進 | |
電源 | ディーゼル発電機4 基 | 各600 kWt |
タービン発動機2 基 | 各1250 kWt | |
速力 | 最大速度 | 33.4 kn |
巡航速度 | 18.4 kn | |
航続距離 | 2400 浬/32 kn 4500 浬/18.4 kn | |
乗員 | 士官 | 31 名 |
水兵 | 313 名 | |
武装 | KT-190「モスキート」4連装艦対艦ミサイル発射機 | 2 基(3M80「モスキート」ミサイル8 発) |
3K90 M-22「ウラガーン」艦対空ミサイル連装発射機 | 1 基(9M38Mミサイル48 発) | |
130 mm連装両用砲AK-130 | 2 基 | |
30 mm6砲身機関砲AK-630M | 4 基 | |
533 mm2連装魚雷発射管DTA-53 | 2 基 | |
6連装対潜ロケット弾発射機RBU-1000「スメールチ3」 | 2 基(RGB-10ロケット48 発) | |
機雷 | 40 個 | |
レーダー | 対空・対水上捜索照準レーダー「フレガートM」 | 1 基 |
水上捜索照準レーダー「ヴォールガ」 | 3 基 | |
射撃管制レーダー | 「ミネラール」(「モスキート」用) | 1 基 |
MR-700「オレーフ」(「ウラガーン」用) | 6 基 | |
MR-184「レーフ218M」(130 mm砲用) | 1 基 | |
MR-123「ヴィーンペル」(CIWS用) | 2 基 | |
ソナー | MGK-335S「プラーチナS」 | 1 基 |
水中通信システムMG-7 | 1 基 | |
電子戦装備 | MR-405M「スタールト2」 | 1 基 |
チャフ・フレア連装発射機PK-2 | 2 基 | |
チャフ・フレア10連装発射機PK-10「スメールイ」 | 8 基 | |
諸装備 | 光学航法システムDVU-2 | 1 基 |
電波航法システム | 2 基 | |
通信システム | 1 式 | |
敵味方識別装置 | 各種 | |
搭載機 | Ka-27PS/PL | 1 機 |
オッチャーヤンヌイ(ロシア語:Отчаянныйアッチャーヤンヌィイ)は、ソ連・ロシア連邦の駆逐艦(艦隊水雷艇:Эскадренный миноносец)である。艦名は「向こう見ずの」といった意味のロシア語の形容詞である。
概要
1975年5月7日、956 「サルィーチ」設計艦隊水雷艇の2番艦となる工場番号第862号艦がソ連海軍に登録された。この艦は、1977年3月4日にレニングラート(現サンクトペテルブルク)の第190造船工場(A・A・ジュダーノフ記念工場、現セーヴェルナヤ・ヴェールフィ)で起工、オッチャーヤンヌイと命名された。1980年3月29日には進水、1982年9月30日には竣工し、11月24日には赤旗受賞北方艦隊に配備された。
1985年5月2日から5月6日にかけて、アルジェリアを訪問した。1992年6月26日には、ムールマンスクでオーバーホールが開始された。しかし、ソビエト連邦の崩壊とその後のロシア連邦の不況の影響を直接に受け、オーバーホール作業が完了せぬまま予備役に入れられた。最終的に現役復帰は諦められ、1998年には海軍より除籍された。その後、2003年6月にムールマンスクにて解体された。
関連項目
外部リンク
- Эскадренный миноносец пр. 956 "Отчаянный"
- Сайт «АТРИНА» • Эскадренный миноносец пр.956 «САРЫЧ» типа «Современный», Sovremenny class
- Эскадренные миноносцы проекта 956
- Эскадренные миноносцы проекта 956 (класса "Современный") - Army.lv
- Russarms.com / Корабли ВМФ / Эскадренные миноносцы / Проект 956 «Сарыч»
- Эсминцы типа “Современный” (проект 956)
- RusArmy.com - Эскадренный миноносец проекта 956 "Сарыч"
- TARGET&ЗВО / ЭСКАДРЕННЫЕ МИНОНОСЦЫ СССР 1945-1991