「ザポリージャ (潜水艦)」の版間の差分
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[[ソビエト連邦の崩壊]]により、ウクライナと[[ロシア|ロシア連邦]]が共同管理する黒海艦隊へ所属することとなった。[[1994年]]には、黒海艦隊における「優秀な」潜水艦に選出された。同年11月には、「優秀艦」に選出された。この年、 B-435 は 16 日間海上にあり、航行時間は 82 時間、距離にして 243.5 海里を水上で、 4.2 海里を水中で航行した。戦闘訓練を行ったのち、{{仮リンク|バラクラーヴァ湾|uk|Балаклавська_бухта}}へ回航された。[[1995年]]には、バラクラーヴァ湾からセヴァストーポリ南湾へ曳航された。同年[[2月16日]]付けで、南湾に基地を置く{{仮リンク|第 155 潜水艦戦隊|ru|155-я_бригада_подводных_лодок}}に配属替えされた<ref name="deepstorm-Zaporizhzhia"/>。 |
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1995年から[[1996年]]にかけて、セヴァストーポリ市の[[キレン湾]]にある[[第 13 船舶修理工場]]にて中期修理を受けた。修理後、潜水を除く工場航行試験プログラムが実施された。潜水試験が除かれたのは、潜水航行に必要な[[二次電池|蓄電池]]が調達できていなかったためである<ref name="deepstorm-Zaporizhzhia"/>。 |
1995年から[[1996年]]にかけて、セヴァストーポリ市の[[キレン湾]]にある[[第 13 船舶修理工場]]にて中期修理を受けた。修理後、潜水を除く工場航行試験プログラムが実施された。潜水試験が除かれたのは、潜水航行に必要な[[二次電池|蓄電池]]が調達できていなかったためである<ref name="deepstorm-Zaporizhzhia"/>。 |
2020年12月25日 (金) 23:42時点における版
B-435 U01 「ザポリージャ」 | ||
---|---|---|
U01 「ザポリージャ」。 | ||
艦歴 | ||
B-435 Б-435 | ||
起工 | 1970年3月24日 新海軍工廠工場 | |
進水 | 1970年5月29日 | |
竣工 | 1970年6月11日 | |
受領 | 1970年11月6日[* 1] | |
就役 | 1970年11月24日[* 1] | |
所属 | ソビエト連邦海軍北方艦隊 | |
転属 | 1990年8月27日[* 1] | |
所属 | ソビエト連邦海軍黒海艦隊 | |
転属 | 1992年8月 | |
所属 | ウクライナ海軍・ロシア連邦海軍黒海艦隊 | |
退役 | 1997年9月8日[* 1] | |
U01 「ザポリージャ」 U01 «Запоріжжя» | ||
編入 | 1997年5月28日[* 1] | |
退役 | 2014年3月22日[注 1] | |
所属 | ウクライナ海軍 | |
要目 | ||
正式分類 | 大型潜水艦 大型潜水艦 潜水艦あるいは大型潜水艦 | |
形態 | 通常動力型潜水艦 | |
工場番号 | 260 | |
船体 | ||
排水量 | 水上 | 1957 t[* 2] |
水中 | 2485 t[* 2] | |
船体長 | 全長 | 91.3 m |
水線長 | 89.7 m[* 2] | |
耐圧殻長 | 70.1 m[* 2] | |
全幅 | 7.5 m | |
平均喫水 | 5.09 m[* 2][* 3] | |
復原性 | 水上での初期メタセンター高さ | 0.35 m[* 2] |
水中での初期メタセンター長さ | 0.21 m[* 2] | |
予備浮力 | 26.8 %[* 2] | |
構造 | 複殻式 | |
動力装置 | ||
ディーゼル・蓄電池方式 | ||
水上 | ディーゼル機関 37-D | 2 基 |
総出力( 500 rpm 時[* 2]) | 4000 馬力 | |
水中 | 推進用電動機 PG-102 | 1 基 |
出力( 540 rpm 時[* 2]) | 2700 馬力 | |
推進用電動機 PG-101 | 2 基 | |
総出力( 440 rpm 時[* 2]) | 2700 馬力 | |
巡航用電動機 PG-140 | 1 基 | |
出力( 185 rpm 時[* 2]) | 140 馬力 | |
蓄電池 46-SU | 112 個 | |
蓄電池グループ | 4 群 | |
蓄電池個数(各群) | 112 個 | |
プロペラシャフト | 3 軸 | |
推進用スクリュープロペラ | 3 基 | |
燃料 | 通常搭載量 | 266.7 t[* 2] |
強化搭載量 | 477.3 t[* 2] | |
航行性能 | ||
水上 | 速力(燃料通常搭載時[* 2]) | 16.8 kn |
経済速度 | 8.13 kn[* 2] | |
航続距離(燃料強化搭載時) | 30000 nmi/8.1 kn | |
水中 | 速力 | 16.0 kn |
経済速度 | 2.0 kn | |
水中ディーゼル航行時 | 8.0 kn | |
航続距離(燃料強化搭載時) | 15.3 nmi/16 kn 400 nmi/2 kn | |
水中ディーゼル航行時(燃料強化搭載時) | 17900 nmi/8 kn | |
潜水深度 | 作動深度 | 250 m[* 2][* 3] |
限界深度 | 280 m[* 2][* 3] | |
急速潜航所要時間 | 45 - 60 秒 | |
独立行動期間 | 90 日間 | |
連続潜航時間 | 575 時間[* 2] | |
乗員 | ||
士官 | 12 名 | |
准士官 | 13 名 | |
水兵 | 45 名 | |
武装 | ||
533 mm 艦首魚雷装置 | 6 門 | |
533 mm 艦尾魚雷装置 | 4 門 | |
魚雷 | 総数 | 22 本 |
艦首魚雷装置予備魚雷 | 12 本[* 2] | |
対艦魚雷 53-39 、 53-51 、 53-61 、 53-61К または 53-65 、自衛用対潜魚雷 SAET-60 または SAET-60М[* 3] | ||
機雷 PMR-1 (魚雷 16 本に替えて搭載[* 2]) | 32 個 | |
レーダー | ||
水上捜索レーダー MR-600 「フラーク」 | 1 基[* 2] | |
ソナー | ||
全周囲展望[* 4]・能動水中信号聴音装置 MG-200 「アールクチカ-M」[* 3] | ||
水中音響装置「トゥローマ」[* 3] | ||
全周囲展望・音波探知水中音響装置 MG-10 「コーラ」[* 3] | ||
音響水中通信装置 MG-15 「スヴェート-M」 | 1 基[* 4] | |
電子戦手段 | ||
レーダー信号捜索装置 MRP-10 「ナカート」 | 1 基[* 4] | |
射撃管制装置 | ||
雷撃管制装置「レニングラード-641」[* 3] | ||
通信装置 | ||
敵味方識別装置応答機「フローム-K」[* 3] | 1 基[* 2] | |
航法機器 | ||
ジャイロコンパス 「クールス-5」 | 2 基[* 2] | |
無線方位測定儀 「ラームカ」 | 1 基[* 2] | |
潜望鏡 | ||
攻撃潜望鏡 PK-8.5 | 1 基[* 4] | |
艦長潜望鏡 PZNG-8 | 1 基[* 4] | |
要目の出典 | ||
U01 「ザポリージャ」[注 2](ウクライナ語: U01 «Запорі́жжя» )は、ウクライナ海軍の保有する通常動力型潜水艦である。艦名は、ウクライナの都市ザポリージャに由来する。ウクライナ海軍での正式分類は潜水艦( підводний човен )[1]または大型潜水艦( великий підводний човен )[2]であるが、報道機関など一般にはしばしば伝統的な підводний човен (ピドヴォードヌィイ・チョーヴェン)にかえて英語風の субмарина (スブマルィーナ)という呼び方も使用している。意味はどちらでも「潜水艦」である。
概要
建造
「ザポリージャ」は、元はソビエト連邦(以下、ソ連)がソビエト連邦海軍(以下、ソ連海軍)向けに建造した潜水艦であった。当初の艦名は B-435 (ロシア語: Б-435 )で、 641 設計大型潜水艦の最後から 4 番目となる 55 番艦であった[3]。ソ連海軍での正式分類では、大型潜水艦( большая подводная лодка )、特に大型魚雷潜水艦( большая торпедная подводная лодка )に類別された[4]。
建造はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・レニングラード市の新海軍工廠工場で行われ、工場番号は 260 であった[3]。1970年2月11日付けで海軍へ登録され[4]、同年3月24日に起工[3]、同年5月29日に進水[3]、同年6月11日に竣工した[3]。その年の夏のうちに引渡し基地となるラトビア・ソビエト社会主義共和国のリエパーヤ海軍基地へ回航され、受領試験が実施された[4]。同年10月16日には国家試験プログラムが開始され、11月6日付けで海軍へ引き渡された[4]。11月24日付けで、赤旗勲章受章北方艦隊へ編入された[4]。
北方艦隊
1971年1月には艦隊間回航を実施し、ポリャールヌイ市のエカチェリーナ湾にあるポリャールヌイ基地へ回航された。その途上、ビスケー湾において乗員に対する外科手術が行われた。ポリャールヌイ基地に到着した B-435 は、赤旗勲章受章北方艦隊・第 4 潜水艦艦隊・第 96 潜水艦戦隊へ配備された[4]。
1971年5月から同年12月28日まで、大西洋北東域において 210 日間の軍事任務に当たった。その間、10月31日から11月9日にかけてキューバ・ハバナ市を公式訪問した。しかし、ハバナ港においてソ連海軍の大型対潜艦「セヴァストーポリ」と接触事故を起こし、ソナー覆いに損傷を受けた。軍事任務の期間中、外国の潜水艦との遭遇は 5 回を記録した。水上で 18342 海里を航行し、水中を 5340 海里航行、潜水は 71 回行った。消費燃料は 825 t になった[4]。
1972年6月27日から8月10日にかけて、ムルマンスク市ロースタの第 35 船舶修理工場「セヴモルプーチ」において修理を受けた。その後、同じ基地の第 4 潜水艦艦隊・第 161 潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。翌1973年5月3日までの期間、地中海へ派遣されて軍事任務に就いた。1975年10月10日から12月13日にかけても、軍事任務に就いた[4]。
1977年1月3日から9月29日にかけて、今度は第 4 潜水艦艦隊・第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海へ派遣され、軍事任務に就いた。その間、6月30日から7月4日にかけて、チュニジア・チュニス市を訪問した。1979年12月24日から1981年7月14日にかけて、クロンシュタットの国防省クロンシュタット海軍工場において工場修理を受けた[4]。
1982年12月30日から1983年6月30日にかけて、地中海にて軍事任務に就いた。1984年2月20日から4月30日にかけては、大西洋北東域において軍事任務に就いた。1989年にも、二度にわたって軍事任務をこなした[4]。
黒海艦隊
1990年夏には白海を去り、運河を通ってアゾフ海経由で黒海へ回航された。同年8月27日付けで赤旗勲章受章黒海艦隊へ所属を変更した。そして、セヴァストーポリ市の南湾に基地を置く第 14 潜水艦師団・第 153 潜水艦戦隊に配属された[4]。
ソビエト連邦の崩壊により、ウクライナとロシア連邦が共同管理する黒海艦隊へ所属することとなった。1994年には、黒海艦隊における「優秀な」潜水艦に選出された。同年11月には、「優秀艦」に選出された。この年、 B-435 は 16 日間海上にあり、航行時間は 82 時間、距離にして 243.5 海里を水上で、 4.2 海里を水中で航行した。戦闘訓練を行ったのち、バラクラーヴァ湾へ回航された。1995年には、バラクラーヴァ湾からセヴァストーポリ南湾へ曳航された。同年2月16日付けで、南湾に基地を置く第 155 潜水艦戦隊に配属替えされた[4]。
1995年から1996年にかけて、セヴァストーポリ市のキレン湾にある第 13 船舶修理工場にて中期修理を受けた。修理後、潜水を除く工場航行試験プログラムが実施された。潜水試験が除かれたのは、潜水航行に必要な蓄電池が調達できていなかったためである[4]。
ウクライナ海軍
1997年7月11日付けで、ウクライナ海軍へ登録された。潜水艦はザポリージャ市議会の支援を受けたため、同年7月21日付けで U01 「ザポリージャ」に艦名を改めた[4]。ウクライナ海軍では通常、船首に艦番号を記しているが、「ザポリージャ」ではセイルに艦番号 U01 が記入された[5]。同年8月1日には、ウクライナとロシア連邦とのあいだの黒海艦隊分割計画の合意により、同年5月28日付けで公式に潜水艦はウクライナ海軍に受領されたことになった。艦上には、ウクライナ海軍旗が掲揚された。8月3日には、バラクラーヴァ湾へ基地を移動した。蓄電池が調達できなかったため、そのまま繋留された。ロシア連邦海軍からは、同年9月8日付けで退役した。ソ連海軍とあわせて、作戦任務の遂行は 14 回となった[4]。
B-435 のウクライナへの引渡しと同時に、当初は姉妹艦 B-9 もウクライナ側へ引き渡される予定であった。しかし、ウクライナのロシアに対する負債のために差し押さえられ[6]、最終的にはロシア政府によって武装解除の上で解体された[1]。
「ザポリージャ」について国防省は2002年の就役を計画していたが、蓄電池がなく完全な任務遂行能力に欠けていたため、これを断念した[7]。そのため、蓄電池の入手先を探し出した。2002年1月10日に、ギリシャの企業「イェルノマス S.A.」とウクライナの非公開株式会社「UkrBAT」とのあいだで蓄電池購入に関する契約が結ばれたと報ぜられた[8]。代金として 1800 万フルィーウニャ(約 350 万ドル相当[9]が支払われた[10]。支払いは、ウクライナ鉄道によって賄われた[11]。反ウクライナのロシア右派系ニュースサイトによれば、蓄電池はロシアで購入すれば半値であったが、売却を拒否されたという[12]。
2002年8月には、高圧縮空気ボンベの検査期間満了に伴い、バラクラーヴァ船舶修理工場「メタリースト」で乾ドック入りした。2003年2月22日には修理を終え、進水した。翌2月23日には、ウクライナ海軍の海洋曳船 U830 「コーレツィ」、救難曳船 U705 「クレーメネツィ」、港湾曳船 U947 「クラスノペレコープシク」によって曳航され、バラクラーヴァ湾からキレン湾の小港湾へ移った[4]。
その間、2003年1月16日にはウクライナ海軍の大型揚陸艦 U402 「コスチャンティーン・オリシャーンシクィイ」がギリシャから蓄電池を輸送するためセヴァストーポリを出港した[11]。1月20日から26日にかけてギリシャ・カヴァラ港に滞在し[11]、1月29日にはセヴァストーポリへ蓄電池を搭載して帰港した。なお、同時にイェウパトーリヤへ運ぶオリンピックの聖火も持ち帰っている[13]。祖国防衛の日の前日である2月22日には、セヴァストーポリにおいて「ザポリージャ」の進水式が催された。これにより、「ザポリージャ」は現役に復帰した[14]。進水ののち、「ザポリージャ」は黒海艦隊第 13 船舶修理工場へ移動して武装に関する作業と蓄電池の積み込みならびに修理を行う計画になっていた。春には航行試験に入るとアナウンスされた[15]。
2003年3月17日にはウクライナ内閣で、「ザポリージャ」の今後に関する各省庁間の検討委員会の設立が採択された。これに関連して、国防省は「ザポリージャ」の保有は海軍に潜水艦隊という兵科を残すだけではなく、対潜艦艇や対潜哨戒機、対潜ヘリコプターに完全な訓練を行わせるために必要不可欠な意義があると主張した[16]。最終的に、委員会は「ザポリージャ」の現役続行を決定した[17]。
2003年3月31日には、セヴァストーポリ・ストリレーツィ湾にある黒海艦隊第 13 船舶修理工場に入った。修理のために、「AvtoZAZ-大宇」とザポリージャ州政府からの資金援助を受けた[4]。11月17日に発表された2004年度の改革計画では、コルベット「テルノーピリ」の就役、コルベット「ザポリージカ・シーチ」の起工と並んで潜水艦「ザポリージャ」の修理完了がその基幹に据えられた[10]。しかし、主に資金面での問題から工期は延び、その後もずっと黒海艦隊第 13 船舶修理工場に入ったままになった。
2006年4月3日に報じられたテレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューにおいて、 A・S・フルィツェーンコ国防相は、「ザポリージャ」について否定的な見解を示した。それによれば、第一に黒海には潜水艦戦力を必要とするような軍事的・政治的状況がないこと、第二にこの潜水艦は旧式な過去の遺物であり、実戦能力がないこと、第三に潜水艦配備のためには専門職の教育から基地の整備まで、すべてのインフラを整備しなければならないことを挙げた。従って、潜水艦は退役させるべきであり、修理して外国へ売却する決定を採択した、と述べた。フルィツェーンコ国防相は、「海軍予算の半分を食い尽くす」ミサイル巡洋艦「ウクライナ」と並べて、「ザポリージャ」の退役を説明した[18]。
2007年1月1日には、同型艦を保有するリビア海軍へ修理完了ののち売却する計画であると報道された[19]。同年2月12日付けの別の報道では、インドネシアが購入を希望していると伝えられた[20]。同年6月15日の報道では、総司令部長官・ウクライナ軍総司令官 S・O・クィルィチェーンコ上級大将は「ザポリージャ」について、この年の末までに航行試験に入る準備を完了すると述べた。そして、「ザポリージャ」は未だウクライナ海軍に在籍しており、その完成は売却を前提としたものではない、ウクライナ海軍では潜水艦のための乗員が準備されており、売却の最終決定がなされない限りウクライナ海軍で現役に留まる、と強調した。なぜなら、もし買い手は誰も現れなかったという最終決定が出た場合、当てもないまま売却目的で建造した潜水艦は与えられた任務を遂行できないということになるからである[21]。同年7月2日には、フルィツェーンコ国防相が「ザポリージャ」はレストランとして完成されるという噂について、何の根拠もないとし、売却するために修理工事が行われていると説明した[22]。
2008年3月15日には、 Yu・I・イェハヌーロウ国防相は「ザポリージャ」の売却をあり得ないこととして否定した。そして、 1 年後には工事を完了して海上で国家試験が行われると述べた[23]。イェハヌーロウ国防相は、同年3月24日には、「ザポリージャ」の修理には 1200 万フルィーウニャ、つまり毎月 100 万フルィーウニャが必要であり、現在のウクライナにはその財力がない、しかし、ウクライナ海軍の訓練には潜水艦が不可欠であると「コメルサント=ウクライナ」紙のインタビューで答えた[24]。同年7月6日には、イェハヌーロウ国防相は「ザポリージャ」の完成のためには、まず 1700 万フルィーウニャの返済が必要であり、さらに作業の完了のために 1000 万フルィーウニャの支払いが必要である、従って、総額で 2700 万フルィーウニャが必要となると説明した[25]。また、作業のうち 700 万フルィーウニャ分は完了しており、残る 1000 万フルィーウニャ分の作業を考えると、航行試験は翌年初頭になるだろうとの展望を示した[26]。この年の12月8日の時点で、「ザポリージャ」の修復工事の進捗度は 75 % であった[27][28]。予定ではこの年のうちに修理工事を完了するはずであったが、使用予定であった設備がロシア連邦の別の潜水艦 B-380 によって使用されていたため、予定変更を余儀なくされた。
2009年には、黒海艦隊第 13 船舶修理工場で修理作業が新たな段階へ進められることとなった[29]。船体外殻の張替え、底尾部の修理、スクリュー・舵装置の修理、力材パッキングの修理、船首キャプスタンの補修、船体ならびにバラストタンクの洗浄と塗装が行われることとなった。主要動力装置の試験も完全に行われた[4]。3月18日、港湾曳船 U947 「クラスノペレコープシク」に曳航された「ザポリージャ」は、環境対策のため石油廃棄物収集船 U954 MUS-482 を伴って黒海艦隊第 13 船舶修理工場からセヴァストーポリ・トリーツャ湾へ移動した。作業には、セヴァストーポリ商港の離岸曳船「マヤーク」も参加するよう命ぜられた。曳船に曳航され、「ザポリージャ」は浮きドック PD-88 へ入った[30]。「ザポリージャ」艦長の O・A・オルローウ一等佐官によれば、作業日程は 45 日間とされ、その後に乗員は蓄電池を搭載し、繋留試験を行う計画であった[31]。この作業のあいだに底尾部の修理が施工され、船体喫水線下の部分の洗浄と塗装、スクリュー・舵群の点検その他が行われ、潜水艦の稼動に向けた準備作業がなされた[4]。海軍記念日直前の7月3日には、作業の進捗度は 83 % であると発表された[32]。7月18日午後には、セヴァストーポリ商港の離岸曳船「マヤーク」ならびに航路海洋曳船「メハーニク・レーピン」によって「ザポリージャ」は浮きドックから引き出され、蓄電池積み込み作業のため、黒海艦隊第 13 船舶修理工場へ戻った。ウクライナ海軍捜索事故救難作業センターからは港湾曳船 U953 「ドゥーブノ」が派遣され、また環境対策のため海軍の石油廃棄物収集船 U954 MUS-482 も出動した[33]。
2009年9月には、黒海艦隊第 13 船舶修理工場において蓄電池の積み込み作業が行われた。この時点で、修理完了のためには 1000 万フルィーウニャが必要であるとされた[4]。7月の時点では同年末までに「ザポリージャ」は航行試験に入るとアナウンスされていたが[34][32]、実際には修理は完了しなかった。
2010年1月には蓄電池が搭載され、ソナーとレーダー装置、通信装置の修復が行われた[35]。2月4日には、セヴァストーポリにおいて繋留試験および航行試験のための準備指示が、海軍司令官 I・I・テニューフ海軍大将から出された[36]。3月20日には、ラジオ「モスクワのこだま」のインタビューで、ロシア連邦海軍総参謀長第一代理である O・V・ブールツェフ海軍中将が、ウクライナの新大統領( V・F・ヤヌコーヴィチ)とのとの関係改善により、潜水艦の作業についてロシア政府はウクライナに積極的に協力することにした、と宣言した[37][38][39][40]。4月初頭には航行試験についての協議がウクライナ海軍と協力関係にあるトルコ海軍とのあいだでなされ[2]、航行試験までの実務的協力が得られることになった[41]。2010年10月には、「ザポリージャ」の乗員グループから選ばれた士官 4 名が研修を受けるためにロシア連邦海軍黒海艦隊の大型潜水艦「アルローサ」に出向した[42][17]。彼らは難破した潜水艦からの脱出の際の手順を訓練し、出航の際の艦の点検を「アルローサ」の乗員とともに行った。10月6日には、海上での実務遂行に加わった。研修は10月15日に完了した[43]。テレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューに答えた Yu・イリイーン海軍少将によれば、乗員は「アルローサ」が黒海艦隊の水上艦隊と行った合同演習にも参加する機会もあった[42][44][45]。2010年12月に潜水艦は修理を終える予定とアナウンスされている[46]。 Yu・イリイーン海軍少将はテレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューの中で、「ザポリージャ」は2010年12月に繋留試験、2011年5月に航行試験を開始し、そののちウクライナ海軍へ就役すると説明した[42][44][45]。
2012年、「ザポリージャ」はウクライナ海軍に再就役し、8月22日に最初の試験航海を終えた。すでに艦齢は42年に達しての再就役だが、将来新型潜水艦を導入した際のための訓練に用いられるとされている[47]。
ウクライナの潜水艦
1997年から2010年に至るまで、「ザポリージャ」はウクライナ海軍にとっては唯一の潜水艦であった。ミサイル巡洋艦「ウクライナ」とともに、「ザポリージャ」はウクライナ海軍の誇りの象徴的存在であった。しかし、その修理にあまりに手間が掛かっていることや、費用の問題、それに旧式な潜水艦そのものの問題から、ミサイル巡洋艦「ウクライナ」と並んでしばしば不要論が出されてきた[48]。
なぜウクライナ海軍にとって潜水艦が必要なのか、それについてウクライナ国防省の新聞は次のように説明している。
ウクライナ国防省では、予算のうち10ないし12%が装備品の更新に当てている。これはポーランドやトルコにおける50%、カザフスタンの45% に比べて著しく低い。すなわち、ウクライナでは装備の更新が進まないため、相対的に装備の兵器の陳腐が年々進むということを意味している。2011年度は、2010年度よりかなり多くの予算が必要となると指摘されているが、経済状況次第である[50]が、ウクライナ事変でのセヴァストポリを占拠が行われ起こっていた当時は不幸にも同市の港に係留されていたため他の係留艦とともに強制的にロシア軍に接収された。
艦長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | V・M・コセーンコ[51] | 1970/10/16[4][51] | 1976/05/21[4][51] |
2 | S・A・ポテーシュキン[51] | 1976/?[4] | ?[4] |
3 | M・Ya・マナチーンスキイ[51] | ?[4] | 1979/09/[4] または 11/[51] |
4 | D・N・コソラーポフ[4] | 1979/[4] | 1980/01/[4] |
5 | V・V・プチュニーン[51] | 1980/01/06[4][51] | 1983/09/[4][51] |
6 | V・A・セミョーノフ[51] | 1983/09/[4][51] | 1984/10/[4][51] |
7 | O・M・クリーク[51] | 1984/10/[4][51] | 1985/10/[4][51] |
8 | Yu・V・プローホロフ[51] | 1985/10/[4][51] | 1986/09/[4][51] |
9 | V・N・フョードロフ[51] | 1986/09/29[4][51] | 1992/03/11[4][51] |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | S・G・タバーチュヌイ[51] | 1992/03/11[4][51] | 1993/08/14[4][51] |
2 | A・Yu・エゴーロフ[51] | 1993/08/14[4][51] | 1996/12/26[4][51] |
3 | I・I・ドミートリエフ[51] | 1996/12/26[4][51] | 1997/07/11[4][51] |
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | I・I・ジェメラ[51] | 1997/07/11[4][51] | 2000/02/01[4][51] |
2 | O・A・オルローウ[51] | 2000/02/01[4][51] | 2010/11/現在現任[4][51] |
脚注
出典
- ^ a b Заблоцький, В. П.; Ковтриченко, В. В. (1998), с. 11
- ^ a b "Можливість залучення сил та засобів турецького військового флоту до ходових випробувань великого підводного човна ВМС України "Запоріжжя" розглядатимуться в ході візиту до Севастополя представників ВМС Туреччини" (Press release) (ウクライナ語). Міністерство оборони України. 2010-04-01 12:25. 2010-11-05閲覧。
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外部リンク
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