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[[世界報道自由度ランキング|報道の自由度ランキング]]の上位国であり{{Refnest|group="注"|[[国境なき記者団]]が毎年発表する。政府による報道への規制等を国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは2007年と2012年が第3位、2019年第11位。日本は、2019年第67位で、2011年第11位が過去最高である。}}、[[公用語]]は[[エストニア語]]。複数の言語を話せる国民が多い<ref name="大使館"/><ref>エストニア、2013年度「[http://www.efjapan.co.jp/epi/about-epi/ 英語能力指数(EF EPI)]」で世界第4位 [http://www.efjapan.co.jp/epi/]。</ref>。また、[[Skype|Skype(スカイプ)]]を産んだ国であり、外国の[[情報技術|IT]]企業の進出も多く[[ソフトウェア]]開発が盛んである<ref>独立行政法人 労働政策研究・研修機構、[http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_10/east_europe_01.htm 海外労働情報・国別労働トピック]{{リンク切れ|date= 2018-12}}</ref>。早期のIT教育<ref>[http://wired.jp/2012/09/07/estonia-reprograms-first-graders-as-web-coders/ 小学1年生からプログラミング授業] WIRED news 2012.9.7</ref>や[[OECD生徒の学習到達度調査|国際学力調査]]で[[ヨーロッパ|欧州]]の上位国としても知られる{{Refnest|group="注"|2012年の調査結果では、ヨーロッパで「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)<ref>OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA) [http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/pisa2012_result_outline.pdf 『~2012年調査国際結果の要約~』] P10表1より</ref>。}}。 |
[[世界報道自由度ランキング|報道の自由度ランキング]]の上位国であり{{Refnest|group="注"|[[国境なき記者団]]が毎年発表する。政府による報道への規制等を国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは2007年と2012年が第3位、2019年第11位。日本は、2019年第67位で、2011年第11位が過去最高である。}}、[[公用語]]は[[エストニア語]]。複数の言語を話せる国民が多い<ref name="大使館"/><ref>エストニア、2013年度「[http://www.efjapan.co.jp/epi/about-epi/ 英語能力指数(EF EPI)]」で世界第4位 [http://www.efjapan.co.jp/epi/]。</ref>。また、[[Skype|Skype(スカイプ)]]を産んだ国であり、外国の[[情報技術|IT]]企業の進出も多く[[ソフトウェア]]開発が盛んである<ref>独立行政法人 労働政策研究・研修機構、[http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_10/east_europe_01.htm 海外労働情報・国別労働トピック]{{リンク切れ|date= 2018-12}}</ref>。早期のIT教育<ref>[http://wired.jp/2012/09/07/estonia-reprograms-first-graders-as-web-coders/ 小学1年生からプログラミング授業] WIRED news 2012.9.7</ref>や[[OECD生徒の学習到達度調査|国際学力調査]]で[[ヨーロッパ|欧州]]の上位国としても知られる{{Refnest|group="注"|2012年の調査結果では、ヨーロッパで「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)<ref>OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA) [http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/pisa2012_result_outline.pdf 『~2012年調査国際結果の要約~』] P10表1より</ref>。}}。 |
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[[13世紀]]以降、[[デンマーク]]、[[ドイツ騎士団]]、[[スウェーデン]]、[[ロシア帝国]]などの支配を経て、[[第一次世界大戦]]末期の[[1918年]]にロシア帝国より独立。[[第二次世界大戦]]中の[[1940年]]に[[ソビエト連邦]]により占領([[バルト諸国占領]])され、翌[[1941年]]に[[独ソ戦]]で[[ナチス・ドイツ]]が占領。[[1944年]]、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合された。[[1991年]]、[[ソ連崩壊]]の過程で[[エストニアの独立回復|独立を回復]]し、[[2004年]]、[[欧州連合加盟国|EU]]・[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟した。[[2008年]][[北大西洋条約機構|NATO]]の[[サイバーテロ]]防衛機関の本部所在国となる<ref name="NATOdefence">機関名「[https://ccdcoe.org/index.html NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence]」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/estonia/data.html]</ref>。 |
[[13世紀]]以降、[[デンマーク]]、[[ドイツ騎士団]]、[[スウェーデン]]、[[ロシア帝国]]などの支配を経て、[[第一次世界大戦]]末期の[[1918年]]にロシア帝国より独立。[[第二次世界大戦]]中の[[1940年]]に[[ソビエト連邦]]により占領([[バルト諸国占領]])され、翌[[1941年]]に[[独ソ戦]]で[[ナチス・ドイツ]]が占領。[[1944年]]、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合された。[[1991年]]、[[ソビエト連邦の崩壊]]の過程で[[エストニアの独立回復|独立を回復]]し、[[2004年]]、[[欧州連合加盟国|EU]]・[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟した。[[2008年]][[北大西洋条約機構|NATO]]の[[サイバーテロ]]防衛機関の本部所在国となる<ref name="NATOdefence">機関名「[https://ccdcoe.org/index.html NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence]」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/estonia/data.html]</ref>。 |
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エストニアはITを[[行政]]に活用する「[[電子政府]]」を構築しており、国外の[[外国人]]にも[[インターネット]]経由で行政サービスを提供する「電子居住権」(E-Residency) 制度に5万人以上が登録している<ref>{{Cite news|url=https://medium.com/e-residency-blog/e-residency%E3%81%AE%E5%8F%96%E5%BE%97%E3%82%92%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89-%E3%81%BE%E3%81%9A%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AB%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84%E8%A8%98%E4%BA%8B-c7b80dd1f982|title=e-residencyの取得を検討しているなら-まず最初に読んでほしい記事 |work=|publisher=『[[Medium]]』|date=2018年9月7日}}</ref>。この制度は[[投資]]を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やし、ロシアに対する抑止力を高める狙いもある<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLZO12043610U7A120C1905E00/|title=エストニアの「電子居住権」、小国の生命線 |work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』|date=2017年1月24日}}</ref>。 |
エストニアはITを[[行政]]に活用する「[[電子政府]]」を構築しており、国外の[[外国人]]にも[[インターネット]]経由で行政サービスを提供する「電子居住権」(E-Residency) 制度に5万人以上が登録している<ref>{{Cite news|url=https://medium.com/e-residency-blog/e-residency%E3%81%AE%E5%8F%96%E5%BE%97%E3%82%92%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89-%E3%81%BE%E3%81%9A%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AB%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84%E8%A8%98%E4%BA%8B-c7b80dd1f982|title=e-residencyの取得を検討しているなら-まず最初に読んでほしい記事 |work=|publisher=『[[Medium]]』|date=2018年9月7日}}</ref>。この制度は[[投資]]を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やし、ロシアに対する抑止力を高める狙いもある<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLZO12043610U7A120C1905E00/|title=エストニアの「電子居住権」、小国の生命線 |work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』|date=2017年1月24日}}</ref>。 |
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[[1917年]]の[[ロシア革命]]で[[ロシア帝国]]が崩壊すると自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。[[1918年]][[2月24日]]に[[エストニア共和国 (1918年-1940年)|エストニア第一共和国]]の独立を宣言。その後はソ連や[[ドイツ帝国]]の軍事介入を撃退して独立を確定させた。[[1920年]]の[[タルトゥ条約]]でソ連から[[国家の承認|独立を承認]]され、[[1921年]]には[[国際連盟]]にも参加した。 |
[[1917年]]の[[ロシア革命]]で[[ロシア帝国]]が崩壊すると自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。[[1918年]][[2月24日]]に[[エストニア共和国 (1918年-1940年)|エストニア第一共和国]]の独立を宣言。その後はソ連や[[ドイツ帝国]]の軍事介入を撃退して独立を確定させた。[[1920年]]の[[タルトゥ条約]]でソ連から[[国家の承認|独立を承認]]され、[[1921年]]には[[国際連盟]]にも参加した。 |
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しかし、[[1940年]]にソ連に占領され、[[独ソ戦]]で[[1941年]]から[[1944年]]までは[[ナチス・ドイツ]]に占領され、[[第二次世界大戦]]末期の1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。[[ソ連崩壊]]直前の[[1991年]]に[[エストニアの独立回復|独立回復]]を宣言し、同年には[[国際連合]]にも加盟した。 |
しかし、[[1940年]]にソ連に占領され、[[独ソ戦]]で[[1941年]]から[[1944年]]までは[[ナチス・ドイツ]]に占領され、[[第二次世界大戦]]末期の1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。[[ソビエト連邦の崩壊]]直前の[[1991年]]に[[エストニアの独立回復|独立回復]]を宣言し、同年には[[国際連合]]にも加盟した。 |
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[[1994年]][[8月31日]]に[[ロシア軍]]が完全撤退したあと、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。[[2004年]][[3月29日]]、[[北大西洋条約機構]](NATO)に加盟した。さらに、同年[[5月1日]]には[[欧州連合]](EU)に加盟している。[[ロシア連邦]]との間に国境問題が存在する(後述)。 |
2020年12月25日 (金) 23:06時点における版
- エストニア共和国
- Eesti Vabariik
-
(国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:Mu isamaa, mu õnn ja rõõm
我が故国、我が誇りと喜び -
公用語 エストニア語 首都 タリン 最大の都市 タリン 独立
- 宣言
- 承認
- 宣言
- 承認ロシアより
ロシア・ソビエト連邦から
1918年2月24日
1920年2月2日
ソビエト連邦から
1991年8月20日
1991年9月6日通貨 ユーロ (€)(EUR) 時間帯 UTC+2 (DST:+3) ISO 3166-1 EE / EST ccTLD .ee 国際電話番号 372
エストニア共和国(エストニアきょうわこく、エストニア語: Eesti Vabariik)、通称エストニア(エストニア語: Eesti)は、北ヨーロッパの共和制国家。バルト三国のひとつで、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、経済協力開発機構(OECD)の加盟国であり、通貨はユーロ。人口は132万人[注 1]。首都はタリンである。
概要
フィンランド、ロシアとともにフィンランド湾に面する3つの国のひとつで、湾をはさみフィンランドから約90キロメートル南に位置する[注 2]。また、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中でもっとも北の国でもある。国土は北はフィンランド湾、西はバルト海に面する。南はラトビア、東はロシアと国境を接する。面積は九州本島の1.23倍[注 3]。地形は平坦で、最高標高318メートル[注 4]。国連の分類では北ヨーロッパの国である[注 5]。
中世ハンザ都市として栄えた港湾都市でもある首都のタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市のひとつである。特に85キロメートル北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発である[5][注 6]。
報道の自由度ランキングの上位国であり[注 7]、公用語はエストニア語。複数の言語を話せる国民が多い[2][6]。また、Skype(スカイプ)を産んだ国であり、外国のIT企業の進出も多くソフトウェア開発が盛んである[7]。早期のIT教育[8]や国際学力調査で欧州の上位国としても知られる[注 8]。
13世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国などの支配を経て、第一次世界大戦末期の1918年にロシア帝国より独立。第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦により占領(バルト諸国占領)され、翌1941年に独ソ戦でナチス・ドイツが占領。1944年、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合された。1991年、ソビエト連邦の崩壊の過程で独立を回復し、2004年、EU・NATOに加盟した。2008年NATOのサイバーテロ防衛機関の本部所在国となる[10]。
エストニアはITを行政に活用する「電子政府」を構築しており、国外の外国人にもインターネット経由で行政サービスを提供する「電子居住権」(E-Residency) 制度に5万人以上が登録している[11]。この制度は投資を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やし、ロシアに対する抑止力を高める狙いもある[12]。
国名
正式名称はエストニア語で、Eesti Vabariik(発音 [ˈeːsti ˈʋɑbɑriːk]、エースティ・ヴァバリーク)。略称は、Eesti(発音 [ˈeːsti])。
日本語表記は、エストニア共和国。通称エストニア。
歴史
現在のエストニアの地にもともと居住していたエストニア族(ウラル語族)と、外から来た東スラヴ人、ノルマン人などとの混血の過程を経て、10世紀までには現在のエストニア民族が形成されていった。13世紀以降、デンマークとドイツ騎士団がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリンがハンザ同盟に加盟し海上交易で栄えた。ただし、その後もスウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊すると自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年2月24日にエストニア第一共和国の独立を宣言。その後はソ連やドイツ帝国の軍事介入を撃退して独立を確定させた。1920年のタルトゥ条約でソ連から独立を承認され、1921年には国際連盟にも参加した。
しかし、1940年にソ連に占領され、独ソ戦で1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領され、第二次世界大戦末期の1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。ソビエト連邦の崩壊直前の1991年に独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟した。
1994年8月31日にロシア軍が完全撤退したあと、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。2004年3月29日、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。さらに、同年5月1日には欧州連合(EU)に加盟している。ロシア連邦との間に国境問題が存在する(後述)。
2007年4月27日、タリン解放者の記念碑撤去事件を機に「青銅の夜」と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリンで起こり、ロシアとの関係が悪化した。同時にロシアから、世界初の大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われ[13]、国全体で通常時の数百倍のトラフィックが発生し、エストニアのネット機能が麻痺した。
これを機に、2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関であるNATOサイバー防衛協力センターが首都のタリンに創設された[10]。エストニアの電子政府は、改竄などがされにくいブロックチェーン技術を採用。同国政府はさらに、将来の大規模サイバー攻撃や国土への武力侵攻に備えて、2018年、国民の情報のバックアップを保管する「データ大使館」をNATO加盟国であるルクセンブルクに設置した[14]。
ソ連とナチス・ドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から、それぞれの象徴であった「鎌と槌」と「鉤十字」の使用と掲揚は、2007年施行の法律で禁止されている。
2014年2月18日、エストニアとロシアの領有権問題について両国外相は、ソ連時代の国境線を追認する(すなわち、エストニア側が領有権主張を放棄する)形での国境画定条約に署名した[15]。これに従ってエストニア議会は国境条約批准プロセスを進めたが、その後はロシア側がエストニアの「反露感情」について抗議を繰り返し[15]、2019年に至っても批准プロセスは停滞したままとなっている[16]。
政治
政体は共和制。議会(リーギコグ、Riigikogu)は一院制で、任期は4年である。大統領は議会によって選ばれ、任期は5年である。2007年2月26日から28日に世界で初めて議会選挙に関してインターネットを利用した電子投票を行った[17]。
電子化が進んでおり、議会への出席時にノートパソコン等の電子端末持ち込みが自由であり、かつ、インターネットでの議会出席も許可されているため、議論への参加や投票のとき以外は、議員が議会へ直接実際に出向く必要もない。政府が発行する個人IDカードは15歳以上のエストニア国民のほとんどが持っており、行政サービスのほとんどが個人端末から済ませることが可能である。また、このIDカードは運転免許証や、ショッピングの際のポイントカードとしても機能している。役所などでは人員や紙などのコストを4分の1、窓口の人員は10分の1ほどに減らすことが可能になった[18]。
フランスと同じく、エストニアは欧州連合(EU)加盟国中で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と国交を結んでいない国である。
軍事
陸海空の三軍のほか、郷土防衛部隊としてのKaitseliitを有する。NATOに加盟して欧米諸国と同盟関係にあり、サイバー防衛のほかNATO各国空軍による領空警備を提供されている。国際貢献として、アフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)やイラク駐留軍にも人員を派遣した。また徴兵制度により18 - 28歳の男性は8 - 11か月の兵役を務める。
エストニア軍は第一次世界大戦後の独立に際して創設されたが、第二次世界大戦以降はソ連への併合に伴う赤軍の駐留や、ナチス・ドイツによる占領にともなう反共義勇兵(第20SS武装擲弾兵師団)の募兵などが行われていた。現在のエストニア軍は1991年の再独立にともなって再創設された。
地方行政区分
15の県 (maakond) に分かれる。なお、括弧内はある程度流通していると思われる日本語の慣用読みである。
- ハリュ県(ハリウ県) Harju maakond
- イダ゠ヴィル県 Ida-Viru maakond
- レーネ゠ヴィル県(ラーネ゠ヴィル県) Lääne-Viru maakond
- ラプラ県 Rapla maakond
- ヒーウ県 Hiiu maakond
- イェルヴァ県 Järva maakond
- レーネ県(ラーネ県) Lääne maakond
- ヨゲヴァ県 Jõgeva maakond
- ペルヌ県(パルヌ県) Pärnu maakond
- ヴィリャンディ県 Viljandi maakond
- サーレ県 Saare maakond
- タルトゥ県 Tartu maakond
- ポルヴァ県 Põlva maakond
- ヴァルガ県 Valga maakond
交通
地理
南のラトビアとの国境線は267キロメートル、東のロシアとの国境線は290キロメートルあり、フィンランド湾に面する北の海岸は主に石灰岩からなる。
国土の最高標高地点はスールムナマギ(大きな卵の丘)で標高318メートル、1812年に最初の展望台が建設され、現在、展望台は5つあり[注 9]、東にロシア領、南にラトビア領が望める[19](位置:左地図参照)。
首都タリンからフィンランド湾の北の対岸フィンランドの首都ヘルシンキまで85キロメートル、同じく湾の東奥ロシアのサンクトペテルブルクまで350キロメートルである[2]。
最大の湖は東部のペイプシ湖で、面積は琵琶湖の5.22倍、湖の中央にはロシアとの国境線がある。国土の50.5%は森林となっている。
ペイプシ湖から、タルトゥに次ぐエストニア第3の都市ナルヴァ(ロシアとの国境の街)を経て、フィンランド湾に流れ込むナルヴァ川は、エストニアとロシアの国境線となっている。
2000以上の島がある[20]。
地形
都市
- クレッサーレ(アレンスブルク) Kuressaare / Arensburg
- タリン(レーファル) Tallinn / Reval
- ペルヌ(ペルナウ) Pärnu / Pernau
- タルトゥ(ドルパット) Tartu / Dorpat, Derpt
- ナルヴァ Narva / Narwa
- ヴァルガ(ヴァルク) Valga / Walk
- コフトラ・ヤルヴェ(コホテル゠テュルプザール) Kohtla Järve / Kochtel-Türpsal
- ヴィリャンディ(フェリーン) Viljandi / Fellin
- クンダ Kunda
- ムーガ(ミュンケンホーフ) Muuga / Münkenhof
- パルディスキ(ローガーヴィーク) Paldiski / Rogervik
- ハープサル(ハプザール) Haapsalu / Hapsal
- サク Saku Parish
リヴォニア帯剣騎士団・ドイツ騎士団・スウェーデン・ロシアの支配を経験したため、市町村に複数の名称がある[21]。
自然
国立公園
- カルラ国立公園 Karula National Park
- ラヘマー国立公園 Lahemaa National Park
- マッツァル国立公園 Matsalu National Park
- ソーマー国立公園 Soomaa National Park
- ヴィルサンディ国立公園 Vilsandi National Park
経済
IMFの統計によると、2018年のエストニアのGDPは303億ドルである。1人あたりのGDPは2万2,990ドルで、EU平均の3万6,735ドル[22]の約62.6%ほどではあるが、バルト三国の中ではもっとも高い[1]。
エストニアの経済状況はバルト三国中でもっとも良好である。フィンランドから高速船で1時間半という立地と、世界遺産に登録されたタリン歴史地区を背景に、近年は観光産業が発達している。1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。そのほかにもIT産業が堅調で、最近ではeストニアと呼ばれている[23]。ヨーロッパのIT市場においてオフショア開発の拠点となっており[注 10]、IT技術者が多い。ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカー(単に高度なIT技術を有する人物を指す語であり、その技術を反社会的に利用するクラッカーとの違いに注意)が多いとも言われる。そして、2018年には同盟国・ルクセンブルクにデータ大使館を開設。領土外に専用サーバーを保有、バックアップをとっておくことで、国が扱うあらゆるデータ、情報システムの破壊や紛失、盗難に備えることを目的としている。
また、アメリカの大手シンクタンク・ヘリテージ財団による経済自由度指標[24]では、世界第15位(2019年現在)にランク付けされており、政府による経済統制はほとんどないとされる。すなわち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランドがある。
通貨は、2010年までクローンを用いていたが、1度の延期(2007年)を経て2011年1月1日にユーロへの移行が完了した。1999年のユーロ導入以来17か国目で、旧ソ連圏から初めてユーロ圏の一員となった。2010年には、イスラエル、スロベニアとともにOECD加盟国となった。
国民・言語
住民は、フィン・ウゴル系のエストニア人が69.7%、ロシア人が25.2%、ウクライナ人が1.7%、ベラルーシ人が1.0%、フィンランド人が0.6%、その他3.8%である(2011年)。1989年のソ連時代はエストニア人61.5%、ロシア人30.3%であった。
国語・公用語であるエストニア語は国民の68.54%の母語であり、フィンランド語と同じく、ウラル語族の言語である。ロシア語を母語とする人は29.60%を占める。隣国の言語であるフィンランド語は同じウラル系言語として近接関係にあることと交流の活発化により理解度が高まっている。そのほか、ドイツ語、英語、スウェーデン語が比較的よく通じる[2]。
宗教はキリスト教圏で、福音ルター派、正教会など。歴史的な問題により、国民の信仰は比較的薄い。
婚姻の際は、婚前姓を保持する(夫婦別姓)も、共通の姓として夫婦いずれかの姓に統一する(同姓)ことも、配偶者の姓を後置する(複合姓)こともできる[25]。
非国籍者問題とロシア語
ソ連からの独立後、国内に残った残留ロシア人の問題を抱えている。2010年時点では全人口のうち、エストニア国籍を持つものはわずか84.1%に過ぎず、全人口の7.03%がロシア連邦国籍、7.26%が無国籍者(大多数は民族ロシア人)である。エストニア国籍を持たないものは地方行政区への投票権を持つが、リーギコグや欧州議会への投票権は持っていない。
ロシア語を母語とする人は、特に首都タリンでは46.7%と半数近く、ロシア国境に位置するナルヴァでは93.85%と大半がロシア語を母語とする住民で占められているなど、都市部では実質的なロシア語圏の様相を持っていると言えるが、公用語には制定されていない。看板・広告などでのロシア語表記は制限されているが、テレビやラジオなどではロシア語系住民のためのロシア語放送がある。しかしながら、反露感情の強い国民性のうえに若年層のエストニア人の間では独立後にロシア語教育が必須でなくなったことと、2004年のEU加盟によりイギリスやアイルランドでの留学、労働経験者が急増したことで英語能力が急速に高まり、英語が話せてもロシア語を話すことができない若者が急増している。一方、ソ連時代に教育を受けた40歳前後以上の世代ではロシア語はほぼ理解できるが英語は苦手である場合が多い。さらに、ロシア語系住民は若年層を除くとエストニア語が苦手であるなど、エストニア人とロシア語系住民の断絶が続いている。このように、ロシア語系住民との融和が大きな課題としてのしかかっている。
文化
この節の加筆が望まれています。 |
宗教
伝統的にはドイツ系移民が多くてルーテル教会信者が多かったが、その後ロシア系移民が多くなり、正教会信者への素地ができた。最近2015年の調査では、国民全体の51%がクリスチャン、49%は無宗教であり、クリスチャンは25%が正教会(ほぼEstonian Orthodox Church )、20%がルーテル教会(ほぼEstonian Evangelical Lutheran Church)であった。
食文化
この節の加筆が望まれています。 |
音楽
国際的に著名なクラシック音楽、現代音楽の作曲家にはエドゥアルド・トゥビン、ヴェリヨ・トルミス、アルヴォ・ペルト、レポ・スメラ、エリッキ=スヴェン・トゥールなどがいる。
指揮者ではパーヴォ・ヤルヴィが2015年からNHK交響楽団の首席指揮者を務めており、父のネーメ・ヤルヴィも国際的に著名である。
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文学
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世界遺産
エストニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。
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タリン歴史地区 - (1997年、文化遺産)
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シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産)
祝祭日
日付 | 日本語表記 | エストニア語表記 | 備考 |
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1月 1日 | 元日 | Uusaasta | |
2月24日 | 独立記念日 | Iseseisvuspäev | |
復活祭の前々日 | 聖金曜日 | Suur reede | |
移動祝日(日曜日) | 復活祭 | 1.ülestõusmispüha | |
復活祭の翌日 | 復活祭月曜日 | 2.ülestõusmispüha | |
5月 1日 | メーデー | Kevadpüha | |
復活祭後の第7日曜日 | 聖霊降臨祭 | ||
6月14日 | 記念祭の全国日 | Leinapäev | 1941年のこの日にエストニア人の巨大追放が行われた。 |
6月23日 | 戦勝記念日 | Võidupüha | ドイツ軍をエストニア解放戦争で破ったことを記念 |
6月24日 | 夏至祭・聖ヨハネ祭 | Jaanipäev | |
8月20日 | 独立回復記念日 | Taasiseseisvumispäev | |
12月24日 | クリスマスイブ | Jõululaupäev | |
12月25日 | クリスマス | 1. jõulupüha | |
12月26日 | ボクシング・デー | 2. jõulupüha |
著名な出身者
脚注
注釈
- ^ 沖縄県約143万人、福岡市約153万人の人口に近い。
- ^ フィンランド湾、北岸のフィンランド首都ヘルシンキ、南岸のエストニア首都タリン、両首都間の距離は85km[2]。
- ^ エストニアの面積45,226km²、九州本島の面積36,749.82km² (九州の面積42,194.75km²から屋久島・種子島・奄美大島・五島列島など離島除く)。
- ^ 国土の最高標高318mの地点は、タリンから南東に約250km、ロシアとラトビアとの国境近くの「スールムナマギ」(大きな卵の丘)。
- ^ 国際連合統計局の分類より[3]。日本の外務省欧州局は西欧課が担当する[4]
- ^ ヘルシンキとは1日7便(85km 所要時間最短で90分)、バルト海西岸のストックホルム(スウェーデン)とは1日1便(375km 所要時間15時間)等、2013年度[2]。
- ^ 国境なき記者団が毎年発表する。政府による報道への規制等を国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは2007年と2012年が第3位、2019年第11位。日本は、2019年第67位で、2011年第11位が過去最高である。
- ^ 2012年の調査結果では、ヨーロッパで「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)[9]。
- ^ 「On the hill, there have been 5 towers. The first tower, built in 1812」 en:Suur Munamägi#History
- ^ Skypeが開発されたのもタリン。
出典
- ^ a b c d e “World Economic Outlook Database, April 2019” (英語). IMF (2019年4月). 2019--5-11閲覧。
- ^ a b c d e 駐日エストニア共和国大使館HP[リンク切れ]
- ^ 地図 および次の「Northern Europe」参照 [1] 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。
- ^ 外務省欧州局 2011年4月2日閲覧。
- ^ タリン市観光局公式HP、フィンランド・スウエーデン等との定期航路図
- ^ エストニア、2013年度「英語能力指数(EF EPI)」で世界第4位 [2]。
- ^ 独立行政法人 労働政策研究・研修機構、海外労働情報・国別労働トピック[リンク切れ]
- ^ 小学1年生からプログラミング授業 WIRED news 2012.9.7
- ^ OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA) 『~2012年調査国際結果の要約~』 P10表1より
- ^ a b 機関名「NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より[3]
- ^ “e-residencyの取得を検討しているなら-まず最初に読んでほしい記事”. 『Medium』. (2018年9月7日)
- ^ “エストニアの「電子居住権」、小国の生命線”. 『日本経済新聞』. (2017年1月24日)
- ^ 日本の外務省HP、エストニア共和国、外交・国防、3.国防より、[4]。
- ^ 【Disruption 断絶の先に】第1部 ブロックチェーンが変える未来①国土破れてもデータあり/絵ストアニア 起業の花咲く『日本経済新聞』朝刊2019年4月3日(11面)2019年4月3日閲覧。
- ^ a b Vahtla, Aili (2018年5月23日). “Moscow: Border treaty won't be ratified if Estonia doesn't change conduct”. BNS, ERR. ERR 2019年3月30日閲覧。
- ^ Vahtla, Aili (2019年3月21日). “Budget cuts may be necessary this year, says Ratas”. ERR 2019年3月30日閲覧。
- ^ BBC NEWS | Europe | Estonia claims new e-voting first
- ^ エストニア「電子国家」で変わる生活 ワールドビジネスサテライト 2018年1月16日放送[リンク切れ]
- ^ エストニア語への招待[リンク切れ]
- ^ “Introduction to Estonia” (2020年7月22日). 2020年9月1日閲覧。
- ^ 以下のリンクなどを参照。 [5], [6], [7]
- ^ 独立行政法人 日本貿易振興機構(ジェトロ) (2019年4月26日). “HP>国・地域別に見る>欧州>EU>基礎的経済指標”. 2019年5月11日閲覧。
- ^ 講談社>現代メディア「またの名を「eストニア」バルトの小国はEU期待の星」
- ^ ヘリテージ財団 (2019年). “経済自由度指標 エストニア”. 2019年5月11日閲覧。
- ^ Nimeseadus, Riigi Teataja.
関連項目
外部リンク
- 政府
- Estonian government information portal | Eesti.ee:エストニア政府公式サイト
- Valitsus.ee | Eesti Vabariigi Valitsus:エストニア共和国政府 (エストニア語)
- 駐日エストニア共和国大使館
- エストニア政府観光局
- 日本外務省 - エストニア