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[[ファイル:20100403下園選手.JPG|250px|thumb|2010年4月3日、明治神宮野球場]] |
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{{by|2010年}}、初の開幕一軍入りを果たすと、新監督の[[尾花高夫]]から「左投手を上手に打つ」と評価を受け<ref name="obana">{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100414-618181.html |title=下園「涙が…」、貴重な適時打 |publisher=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date=2010年4月14日|accessdate=2017年6月1日 }}</ref>、また[[出塁率]]を重視する同監督の方針もあって<ref>{{Cite news |url=http://www.kanaloco.jp/article/7644 |title=尾花監督「投手に足が向く」 |publisher=カナロコ([[神奈川新聞]]) |date=2010年2月1日|accessdate=2017年6月1日 }}</ref>4月下旬から[[スターティングメンバー|スタメン]]に定着。[[打順]]や守備位置は流動的ながら自身初の[[規定打席]]に到達し、打率.286(チーム3位)・出塁率.365(チーム2位)などで自己最高の成績を残した。 |
{{by|2010年}}、初の開幕一軍入りを果たすと、新監督の[[尾花髙夫|尾花高夫]]から「左投手を上手に打つ」と評価を受け<ref name="obana">{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100414-618181.html |title=下園「涙が…」、貴重な適時打 |publisher=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date=2010年4月14日|accessdate=2017年6月1日 }}</ref>、また[[出塁率]]を重視する同監督の方針もあって<ref>{{Cite news |url=http://www.kanaloco.jp/article/7644 |title=尾花監督「投手に足が向く」 |publisher=カナロコ([[神奈川新聞]]) |date=2010年2月1日|accessdate=2017年6月1日 }}</ref>4月下旬から[[スターティングメンバー|スタメン]]に定着。[[打順]]や守備位置は流動的ながら自身初の[[規定打席]]に到達し、打率.286(チーム3位)・出塁率.365(チーム2位)などで自己最高の成績を残した。 |
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{{by|2011年}}[[3月11日]]の[[オープン戦]]の守備で打球を追った際[[柵|フェンス]]に激突して右足[[脛骨]]を[[骨折]]する重傷を負い、シーズン序盤を欠場した。[[リハビリテーション|リハビリ]]を経て6月29日に一軍昇格すると、同日の対[[中日ドラゴンズ]]戦において代打本塁打を放った。復帰後は上位打順でスタメン起用され、前半の離脱が影響して規定打席には到達しなかったものの、チームトップとなる45四球、出塁率.365を記録した。 |
2020年12月23日 (水) 05:09時点における版
横浜DeNAベイスターズ 二軍打撃コーチ #70 | |
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2012年5月3日 横浜スタジアム | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市) |
生年月日 | 1984年11月22日(40歳) |
身長 体重 |
179 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
初出場 | 2007年6月30日 |
最終出場 | 2017年6月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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下園 辰哉(しもぞの たつや、1984年11月22日 - )は、宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市)出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称は「ゾノ」[1]。2020年から横浜DeNAベイスターズ二軍打撃コーチ。
経歴
プロ入り前
宮崎日本大学高等学校では1年生から外野手の定位置を獲得し、2年生では九州地区の春季大会で優勝を果たす。高校のチームメイトに藤岡好明がいた。
九州国際大学に進学後は1年生からレギュラーとなり、九州六大学リーグでベストナイン4回、打点王2回、首位打者1回、優秀選手賞1回を獲得したほか、リーグ通算114安打で当時の連盟新記録も樹立した。
2006年の大学生・社会人ドラフトで、横浜ベイスターズから4位指名を受け、入団。
プロ入り後
2007年は二軍で63試合に出場、打率.269、4本塁打、21打点の成績を残し、6月30日に一軍デビューも果たした。
2008年、主に二軍で外野手のレギュラーとして起用され79試合に出場、打率.270、11本塁打、44打点の成績を残した。
2009年は開幕を二軍で迎えたが、打率・打点・四球数がいずれもイースタン・リーグ1位と好調で、二軍監督の田代富雄から「根性がある。選球眼もいいしね[2]」と評価された。その田代が一軍監督代行に就任した翌日の5月19日に一軍昇格すると、主に1番打者として多くの出場機会を得た。
2010年、初の開幕一軍入りを果たすと、新監督の尾花高夫から「左投手を上手に打つ」と評価を受け[3]、また出塁率を重視する同監督の方針もあって[4]4月下旬からスタメンに定着。打順や守備位置は流動的ながら自身初の規定打席に到達し、打率.286(チーム3位)・出塁率.365(チーム2位)などで自己最高の成績を残した。
2011年3月11日のオープン戦の守備で打球を追った際フェンスに激突して右足脛骨を骨折する重傷を負い、シーズン序盤を欠場した。リハビリを経て6月29日に一軍昇格すると、同日の対中日ドラゴンズ戦において代打本塁打を放った。復帰後は上位打順でスタメン起用され、前半の離脱が影響して規定打席には到達しなかったものの、チームトップとなる45四球、出塁率.365を記録した。
2012年、新監督の中畑清の下でシーズンを通して一軍に在籍したものの、先発起用は少なく、代打での出場試合が過半数を占めた。同年オフ、同年限りで引退した新沼慎二の後任として球団の選手会長に就任した。
2013年、春季キャンプ中に左足を故障しオープン戦を全休するなど出遅れ、公式戦でもナイジャー・モーガンの加入や多村仁志の復帰もあり、26試合の出場に留まった。
2014年のシーズン前半戦は梶谷隆幸と筒香嘉智の外野手転向などにより出場機会を減らし、夏場は二軍暮らしが続いた。筒香が故障離脱した8月14日に一軍復帰して以降は代打やスタメンで多く起用され、一定の成績を残した。
2015年、梶谷の故障離脱に伴い5月14日に一軍初昇格。6月23日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では戸根千明から連敗を12で止める代打決勝タイムリーを放ったが、月間打率.118と奮わず7月2日に二軍降格となる。8月18日に再昇格し同月24日には4年ぶりに1番打者で出場し、4打席3打数3安打1四球と活躍した。同年オフに球団選手会長を退任し、山口俊へ引き継いだ。
2016年は新監督のアレックス・ラミレスの下でも代打中心での起用となる。4月1日の阪神タイガース戦では1対1で迎えた9回裏2アウト1,2塁の場面で代打で出場し歳内宏明からプロ10年目で初のサヨナラヒットを放ち、5月12日の中日ドラゴンズ戦では6回裏に若松駿太から左越え同点2点本塁打を代打で放った。5月15日の阪神タイガース戦では8回裏マルコス・マテオから同点に追い付くタイムリーを代打で放つなど、シーズンを通して1軍に帯同し7月に復帰した後藤武敏とともに、代打の切り札としてチームを支えた。交流戦では指名打者で出場し.375(16打数6安打)を記録。得点圏打率は.400(30打数12安打)を記録するなど勝負強さを見せた。同年は両リーグ最多の代打起用61回、セ・リーグトップタイの代打打点11を記録した。
2017年は春季キャンプ直前に溶連菌感染症を患って出遅れ、また新人の佐野恵太が代打要員に抜擢された事で開幕一軍からも外れ、5月23日に一軍初昇格した。その日の中日ドラゴンズ戦では代打でラウル・バルデスからシーズン初安打を放った。6月1日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では7番指名打者でシーズン初のスタメン出場を果たしたが、1軍復帰後10打数1安打と奮わず6月5日二軍降格となった。その後は1軍復帰することなく、わずか8試合の出場に終わった。9月下旬、チームメイトの山崎憲晴、高崎健太郎らと共に来季の戦力構想から外れていることが報じられた。10月5日、球団から戦力外通告が発表され、10月11日、現役引退が発表された。
現役引退後
12月に同じく2017年限りで横浜DeNAを戦力外になり引退した小杉陽太と共にトークショーを開催した。
DeNAからは球団職員として球団に残る打診を受けたが、これを断り、12月から馬肉や馬油製品を取り扱う株式会社Diaraに入社している[5][6]。2018年3月26日に下園がプロデュースし、調理も担当する馬肉料理専門店「桜馬」を横浜市の元町で開店した[6]。2018年9月、横浜元町の馬革専門店SILOKUをプロデュースし、店長を務めている[7]。
2020年からは、横浜DeNAベイスターズ二軍打撃コーチに就任。
選手としての特徴・人物
打撃は、ファンから『ゾノアイ』とも称される[8]選球眼の良さが特徴で[2]、出塁率が打率を1割前後上回るシーズンもある。変化球への対応力も高く[9]、また左打者でありながら、一般的に相性が悪いとされる左投手をあまり苦にしなかった[3][10]。
守備は中堅手での出場経験もあるが、主に外野の両翼(右翼手、左翼手)で起用された。ただし代打での出場試合が主となった2012年以降は、守備機会自体が少なくなっている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 横浜 DeNA |
28 | 32 | 29 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | .207 | .281 | .276 | .557 |
2008 | 19 | 58 | 53 | 7 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 15 | 0 | .208 | .263 | .226 | .490 | |
2009 | 81 | 221 | 198 | 29 | 51 | 7 | 0 | 6 | 76 | 11 | 2 | 2 | 1 | 1 | 20 | 0 | 1 | 34 | 2 | .258 | .327 | .384 | .711 | |
2010 | 131 | 461 | 402 | 41 | 115 | 21 | 3 | 3 | 151 | 28 | 1 | 1 | 6 | 2 | 49 | 2 | 2 | 82 | 8 | .286 | .365 | .376 | .741 | |
2011 | 85 | 350 | 298 | 31 | 79 | 10 | 1 | 4 | 103 | 25 | 2 | 2 | 5 | 0 | 45 | 0 | 2 | 54 | 5 | .265 | .365 | .346 | .711 | |
2012 | 90 | 150 | 139 | 10 | 35 | 8 | 1 | 0 | 45 | 14 | 0 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | 0 | 21 | 6 | .252 | .302 | .324 | .626 | |
2013 | 26 | 45 | 41 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 10 | 1 | .146 | .222 | .146 | .369 | |
2014 | 68 | 117 | 101 | 14 | 28 | 4 | 0 | 1 | 35 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | 1 | 18 | 1 | .277 | .371 | .347 | .718 | |
2015 | 53 | 84 | 74 | 8 | 21 | 4 | 0 | 1 | 28 | 8 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 0 | 14 | 2 | .284 | .354 | .378 | .732 | |
2016 | 67 | 85 | 74 | 5 | 20 | 2 | 0 | 1 | 25 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 | 1 | 13 | 1 | .270 | .353 | .338 | .691 | |
2017 | 8 | 11 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | .100 | .182 | .100 | .282 | |
NPB:11年 | 656 | 1614 | 1419 | 148 | 373 | 59 | 5 | 16 | 490 | 110 | 5 | 5 | 17 | 4 | 167 | 3 | 7 | 274 | 27 | .263 | .343 | .345 | .688 |
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2007 | 横浜 DeNA |
9 | 2 | 0 | 1 | 0 | .667 |
2008 | 18 | 33 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2009 | 53 | 69 | 2 | 2 | 0 | .973 | |
2010 | 115 | 195 | 5 | 4 | 1 | .980 | |
2011 | 82 | 147 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2012 | 28 | 35 | 1 | 2 | 0 | .947 | |
2013 | 7 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 23 | 32 | 0 | 2 | 0 | .941 | |
2015 | 15 | 13 | 1 | 3 | 1 | .824 | |
2016 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算:10年 | 354 | 539 | 13 | 14 | 2 | .975 |
記録
- 初出場:2007年6月30日、対阪神タイガース9回戦(横浜スタジアム)、9回表に左翼手で出場
- 初打席:同上、9回裏に渡辺亮の前に空振り三振
- 初安打:2007年7月17日、対広島東洋カープ13回戦(横浜スタジアム)、9回裏に上野弘文から右中間二塁打
- 初先発出場:2007年8月19日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、7番・左翼手で先発出場
- 初打点:2008年10月4日、対広島東洋カープ22回戦(横浜スタジアム)、4回裏にコルビー・ルイスから中越適時二塁打
- 初本塁打:2009年5月22日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、1回表に涌井秀章から右越先制ソロ
- 初盗塁:2009年7月18日、対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)、4回裏に二盗(投手:吉見一起、捕手:谷繁元信)
背番号
- 50 (2007年 - 2017年)
- 70 (2020年 -)
登場曲
脚注
- ^ “スタジアムミュージック・応援歌”. 横浜DeNAベイスターズ公式. 2016年8月3日閲覧。
- ^ a b “オバQ横浜大変身のナゾ”. リアルライブ. 2015年9月15日閲覧。
- ^ a b “下園「涙が…」、貴重な適時打”. nikkansports.com. (2010年4月14日) 2017年6月1日閲覧。
- ^ “尾花監督「投手に足が向く」”. カナロコ(神奈川新聞). (2010年2月1日) 2017年6月1日閲覧。
- ^ “元DeNA・下園氏、家族全員で大泣きも引退決断 「違う道でもう1回自分の名前世に出せればカッコイイ」”. 俺の人生第二幕. zakzak (2017年12月26日). 2018年4月2日閲覧。
- ^ a b “元横浜ベイスターズの下園選手がプロデュース!ヘルシーな馬肉料理専門店が元町にオープン”. NewsWalker. (2018年3月30日) 2018年4月2日閲覧。
- ^ “横浜元町の馬革専門店へ!店長さんは横浜に馴染み深い…あの人!|るるぶ&more.”. rurubu.jp. 2019年9月28日閲覧。
- ^ “CS出場へ向けた躍進の鍵を握る代打陣が熱い!”. マイナビ (2016年7月27日). 2016年8月3日閲覧。
- ^ 『プロ野球カラー名鑑2007』ベースボール・マガジン社、2007年、274頁。ISBN 978-4-583-61449-6。
- ^ “横浜DeNAベイスターズ・下園 辰哉 外野手「来るチャンスを逃さないためには」”. 高校野球ドットコム (2015年4月30日). 2016年7月22日閲覧。
関連項目
- 宮崎県出身の人物一覧
- 九州国際大学の人物一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 藤岡好明 - 高校時代の同級生。後にプロ野球選手としてもチームメイトとなる。
外部リンク
- 個人年度別成績 下園辰哉 - NPB.jp 日本野球機構