「プロレス最強論」の版間の差分
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[[アントニオ猪木]]らが、プロレスは「打・投・極」のあるバランスのとれた最も実戦的な[[徒手格闘技]]であると主張し、それを証明するため、[[空手道|空手]]、[[柔道]]、[[ボクシング]]などの他の格闘技と[[異種格闘技戦]]を繰り広げた。柔道[[無差別級]][[ミュンヘンオリンピック]]金メダリストの[[ウィレム・ルスカ]]を破り、ボクシング世界ヘビー級王者[[モハメド・アリ]]と引き分けるなどの猪木の実績により、当時の[[新日本プロレス]]ファンの間にプロレス最強論は広く受け入れられた。 |
[[アントニオ猪木]]らが、プロレスは「打・投・極」のあるバランスのとれた最も実戦的な[[徒手格闘技]]であると主張し、それを証明するため、[[空手道|空手]]、[[柔道]]、[[ボクシング]]などの他の格闘技と[[異種格闘技戦]]を繰り広げた。柔道[[無差別級]][[ミュンヘンオリンピック]]金メダリストの[[ウィレム・ルスカ]]を破り、ボクシング世界ヘビー級王者[[モハメド・アリ]]と引き分けるなどの猪木の実績により、当時の[[新日本プロレス]]ファンの間にプロレス最強論は広く受け入れられた。 |
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[[総合格闘技]]の世界的普及の幕開けとなった[[UFC]]1では、[[ケン・シャムロック]]がプロレスラー([[シューティングスタイル]])の代表として参戦している。[[PRIDE.1]]での、[[ヒクソン・グレイシー]]vs[[高田延彦]]の一戦も、「プロレス最強」を賭けた戦いとして話題となった。一般には、高田と[[船木誠勝]]がヒクソンに敗れたことでプロレス最強論は下火になった観があるが、「今のレスラーが負けたからといってプロレスが弱いとは限らない」([[ルー・テーズ]]、[[カール・ゴッチ]]、[[ダニー・ホッジ]]といった往年の[[ガチンコ|シューター]]の全盛時ならヒクソンに負けるようなことはない)という議論もある。[[ビル・ロビンソン]]は「全盛時のホッジが[[オクタゴン]]で[[ホイス・グレイシー]]と戦ったら」という質問に「5分以内に手足全部へし折ってホッジが勝つ」と答えている。 |
[[総合格闘技]]の世界的普及の幕開けとなった[[UFC]]1では、[[ケン・シャムロック]]がプロレスラー([[シューティングスタイル]])の代表として参戦している。[[PRIDE.1]]での、[[ヒクソン・グレイシー]]vs[[髙田延彦|高田延彦]]の一戦も、「プロレス最強」を賭けた戦いとして話題となった。一般には、高田と[[船木誠勝]]がヒクソンに敗れたことでプロレス最強論は下火になった観があるが、「今のレスラーが負けたからといってプロレスが弱いとは限らない」([[ルー・テーズ]]、[[カール・ゴッチ]]、[[ダニー・ホッジ]]といった往年の[[ガチンコ|シューター]]の全盛時ならヒクソンに負けるようなことはない)という議論もある。[[ビル・ロビンソン]]は「全盛時のホッジが[[オクタゴン]]で[[ホイス・グレイシー]]と戦ったら」という質問に「5分以内に手足全部へし折ってホッジが勝つ」と答えている。 |
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なお「プロレス最強論」では、主に新日本プロレス及びその系統のレスラーのみが対象となることが多く、[[ジャイアント馬場]]の[[全日本プロレス]]系のレスラーが議論に上がることは少ない。この風潮は、馬場が「プロレスはプロレスである」と言い、他の格闘技と試合をする必要などないという「純プロレス」の立場を堅持していたことに由来する。実際、プロレスラーの中には、普通の総合格闘技ルールでは禁止技とされる[[頭突き]]を必殺技とする人物([[ボボ・ブラジル]]など)や[[凶器 (プロレス)|凶器]]や火炎殺法を主武器とする人物([[ザ・シーク]]など)、電流爆破などの過激な[[デスマッチ]]を売りにする人物([[大仁田厚]]など)もおり、幅広く存在するプロレスラーのスタイルのうち、総合格闘技の枠にはまる者はごく一部であるといえる。 |
なお「プロレス最強論」では、主に新日本プロレス及びその系統のレスラーのみが対象となることが多く、[[ジャイアント馬場]]の[[全日本プロレス]]系のレスラーが議論に上がることは少ない。この風潮は、馬場が「プロレスはプロレスである」と言い、他の格闘技と試合をする必要などないという「純プロレス」の立場を堅持していたことに由来する。実際、プロレスラーの中には、普通の総合格闘技ルールでは禁止技とされる[[頭突き]]を必殺技とする人物([[ボボ・ブラジル]]など)や[[凶器 (プロレス)|凶器]]や火炎殺法を主武器とする人物([[ザ・シーク]]など)、電流爆破などの過激な[[デスマッチ]]を売りにする人物([[大仁田厚]]など)もおり、幅広く存在するプロレスラーのスタイルのうち、総合格闘技の枠にはまる者はごく一部であるといえる。 |
2020年12月23日 (水) 04:46時点における版
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プロレス最強論(プロレスさいきょうろん)は、プロレスが最強の格闘技であるという主張。
アントニオ猪木らが、プロレスは「打・投・極」のあるバランスのとれた最も実戦的な徒手格闘技であると主張し、それを証明するため、空手、柔道、ボクシングなどの他の格闘技と異種格闘技戦を繰り広げた。柔道無差別級ミュンヘンオリンピック金メダリストのウィレム・ルスカを破り、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリと引き分けるなどの猪木の実績により、当時の新日本プロレスファンの間にプロレス最強論は広く受け入れられた。
総合格闘技の世界的普及の幕開けとなったUFC1では、ケン・シャムロックがプロレスラー(シューティングスタイル)の代表として参戦している。PRIDE.1での、ヒクソン・グレイシーvs高田延彦の一戦も、「プロレス最強」を賭けた戦いとして話題となった。一般には、高田と船木誠勝がヒクソンに敗れたことでプロレス最強論は下火になった観があるが、「今のレスラーが負けたからといってプロレスが弱いとは限らない」(ルー・テーズ、カール・ゴッチ、ダニー・ホッジといった往年のシューターの全盛時ならヒクソンに負けるようなことはない)という議論もある。ビル・ロビンソンは「全盛時のホッジがオクタゴンでホイス・グレイシーと戦ったら」という質問に「5分以内に手足全部へし折ってホッジが勝つ」と答えている。
なお「プロレス最強論」では、主に新日本プロレス及びその系統のレスラーのみが対象となることが多く、ジャイアント馬場の全日本プロレス系のレスラーが議論に上がることは少ない。この風潮は、馬場が「プロレスはプロレスである」と言い、他の格闘技と試合をする必要などないという「純プロレス」の立場を堅持していたことに由来する。実際、プロレスラーの中には、普通の総合格闘技ルールでは禁止技とされる頭突きを必殺技とする人物(ボボ・ブラジルなど)や凶器や火炎殺法を主武器とする人物(ザ・シークなど)、電流爆破などの過激なデスマッチを売りにする人物(大仁田厚など)もおり、幅広く存在するプロレスラーのスタイルのうち、総合格闘技の枠にはまる者はごく一部であるといえる。
2000年代に入り、プロレスラーが総合格闘技のリングに上がるようになる。プロレス最強論の中心だった新日本プロレスからは永田裕志が出場してミルコ・クロコップ、エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦したが、開始数分で敗れている。しかし、同じプロレス出身の藤田和之や桜庭和志らは総合格闘技でも多くの勝利を収めた。特に桜庭は日本人格闘家の誰もが苦渋を舐めたグレイシー一族(ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアン)相手に4連勝を重ねるなど、日本総合格闘技人気の発展に大きく貢献した。その他も船木誠勝や柴田勝頼など、多くのプロレスラーが総合格闘技に挑戦している。
なお、猪木の側近として異種格闘技戦を推進した新間寿は、「馬場さんみたいにアメリカのプロレス界に強力なネットワークがあったら異種格闘技戦なんかやる必要なかった」と後年語っている。
プロレスラーの総合格闘技での主な実績
- 1995年4月7日、ケン・シャムロックがUFC 5でホイス・グレイシーと時間切れ引き分け。グレイシー初の引き分け試合。
- 1995年12月16日、ダン・スバーンがUFCの上位入賞者を集めたUltimate Ultimate 1995で優勝。
- 1997年2月7日、高橋和生がUFC 12でヴァリッジ・イズマイウを破る。UFCにおける日本人初勝利。
- 1998年10月11日、アレクサンダー大塚がブラジルの伝説的格闘家だったマルコ・ファスを破る。
- 1999年11月21日、桜庭和志がホイラー・グレイシーを下しUFC以後初めてグレイシー一族を総合格闘技試合で破る。
- 2000年5月1日、桜庭和志がホイス・グレイシーに勝利。
- 2000年5月21日、藤田和之が元UFC王者であり当時霊長類ヒト科最強の格闘家と言われていたマーク・ケアーを破る。
- 2000年8月27日、桜庭和志がヘンゾ・グレイシーに勝利。
- 2000年12月23日、桜庭和志がハイアン・グレイシーに勝利。
- 2008年11月15日、ブロック・レスナーがUFC世界ヘビー級王座を獲得。