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<!--砂川市立砂川小学校卒業、砂川市立豊沼中学校卒業。-->中学卒業後、[[スーパータイガージム]]に入門。インストラクターの[[平直行]]に従い、1986年に[[シュートボクシング]]へ移籍。戦績は7戦5勝2敗だった。後に同団体のエースとなる[[吉鷹弘]]との対戦経験を持つ。
<!--砂川市立砂川小学校卒業、砂川市立豊沼中学校卒業。-->中学卒業後、[[スーパータイガージム]]に入門。インストラクターの[[平直行]]に従い、1986年に[[シュートボクシング]]へ移籍。戦績は7戦5勝2敗だった。後に同団体のエースとなる[[吉鷹弘]]との対戦経験を持つ。


1989年、[[UWF#第2次UWF|第2次UWF]]に入門するが、練習中に首を負傷しその影響からデビュー出来ず、団体分裂後は[[高田延彦]]が率いる[[UWFインターナショナル]]へ合流するも離脱。その後、[[前田日明]]率いる[[リングス]]に入門し、1991年8月1日、[[ヘルマン・レンティング]]戦でデビューを果たした。グリーンボーイながら同年12月7日には[[ジェラルド・ゴルドー]]と対戦しTKO負けを喫した。敗れはしたものの高い評価を得て前途を嘱望されるが、1992年10月29日に[[佐竹雅昭]]にKO負けした。以後は後輩の台頭や負傷などで精彩を欠き、1994年には「リングスはプロレスではない」との前田の発言に反発、「僕はプロレスラーです」との言動が前田の逆鱗に触れ、[[比叡山]]へ修行へ行かされる。1996年8月24日にはエース外国人選手の[[ディック・フライ]]にも勝利。
1989年、[[UWF#第2次UWF|第2次UWF]]に入門するが、練習中に首を負傷しその影響からデビュー出来ず、団体分裂後は[[髙田延彦|高田延彦]]が率いる[[UWFインターナショナル]]へ合流するも離脱。その後、[[前田日明]]率いる[[リングス]]に入門し、1991年8月1日、[[ヘルマン・レンティング]]戦でデビューを果たした。グリーンボーイながら同年12月7日には[[ジェラルド・ゴルドー]]と対戦しTKO負けを喫した。敗れはしたものの高い評価を得て前途を嘱望されるが、1992年10月29日に[[佐竹雅昭]]にKO負けした。以後は後輩の台頭や負傷などで精彩を欠き、1994年には「リングスはプロレスではない」との前田の発言に反発、「僕はプロレスラーです」との言動が前田の逆鱗に触れ、[[比叡山]]へ修行へ行かされる。1996年8月24日にはエース外国人選手の[[ディック・フライ]]にも勝利。


1997年6月、[[全日本キックボクシング連盟]]のプロライセンスを取得。9月28日には全日本キックボクシング興行に参戦し、ドゥリュー・リードに判定負け。
1997年6月、[[全日本キックボクシング連盟]]のプロライセンスを取得。9月28日には全日本キックボクシング興行に参戦し、ドゥリュー・リードに判定負け。

2020年12月23日 (水) 04:26時点における版

長井 満也
長井 満也の画像
2019.11.21後楽園
プロフィール
リングネーム 長井 満也
蛇が井 満也
ウラジミール長井
魔界5号
本名 長井 弘和
ニックネーム 疾風怒濤
身長 187cm
体重 97kg
誕生日 (1968-11-10) 1968年11月10日(56歳)
出身地 北海道砂川市
所属 ドラディション
スポーツ歴 シュートボクシング
トレーナー 平直行
前田日明
デビュー 1991年8月1日
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長井 満也(ながい みつや、1968年11月10日 - )は、日本プロレスラー。本名:長井 弘和(ながい ひろかず)。

来歴

中学卒業後、スーパータイガージムに入門。インストラクターの平直行に従い、1986年にシュートボクシングへ移籍。戦績は7戦5勝2敗だった。後に同団体のエースとなる吉鷹弘との対戦経験を持つ。

1989年、第2次UWFに入門するが、練習中に首を負傷しその影響からデビュー出来ず、団体分裂後は高田延彦が率いるUWFインターナショナルへ合流するも離脱。その後、前田日明率いるリングスに入門し、1991年8月1日、ヘルマン・レンティング戦でデビューを果たした。グリーンボーイながら同年12月7日にはジェラルド・ゴルドーと対戦しTKO負けを喫した。敗れはしたものの高い評価を得て前途を嘱望されるが、1992年10月29日に佐竹雅昭にKO負けした。以後は後輩の台頭や負傷などで精彩を欠き、1994年には「リングスはプロレスではない」との前田の発言に反発、「僕はプロレスラーです」との言動が前田の逆鱗に触れ、比叡山へ修行へ行かされる。1996年8月24日にはエース外国人選手のディック・フライにも勝利。

1997年6月、全日本キックボクシング連盟のプロライセンスを取得。9月28日には全日本キックボクシング興行に参戦し、ドゥリュー・リードに判定負け。

1997年11月20日、WORLD MEGA BATTLE TORNAMENTの2回戦で長井の師匠でもある前田との試合後、リング上で前田に突如としてビンタされる騒ぎを起こす。以降、長井は試合を行うことなく翌1998年3月にリングスを退団した。

1998年にはK-1に参戦し、日本人のトップファイターである武蔵とも対戦している。1999年、佐山聡主宰の格闘技団体「掣圏道」プロレス部門に参戦。

2000年、格闘探偵団バトラーツのヤング・ジェネレーション・バトルで準優勝。全日本プロレスでは、垣原賢人と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦、2001年は、垣原とともにアジアタッグ王座を獲得する。年末には川田利明とのタッグで世界最強タッグ決定リーグ戦に2度目の出場を果たし準優勝を果たす。2002年、若手中心のリーグ戦「ジャイアント馬場杯」で優勝を果たした。数年後の全日本プロレスの世界最強タッグ前で川田とシングルで対戦した後、川田から「おいっ長井。オレのパートナーはお前しかいないから。待ってるぞ!」とラブコールを受け、再び最強タッグに出場した。

2003年、新日本プロレス魔界倶楽部のメンバーとして登場、当初はマスクマン「魔界5号」としてだったが2月両国国技館のリング上で自らマスクを取った。魔界5号と名乗っていたのに週刊プロレスの選手名鑑では「本名の長井満也」を名乗ると言う嘘のつけない性格であることがわかった。魔界5号としては、魔界4号(正体は柴田勝頼)との「破悧魔王'Z(はりまおうず)」というタッグチームで活動した。長井は魔界倶楽部解散後も反体制派についているが、リングスで長井と一緒だった本隊の成瀬昌由の熱いアピールもあり、タッグを結成しアジア・タッグ王座も獲得している。

2006年1月、新日本プロレスを退団[1]キングスロードへの参戦を表明。さらにZERO1-MAXにも進出、Y2P-160kg率いるP-Force Menの「NP5」としても活動している。DDTにも当初はケロ軍団(田中秀和後藤達俊、長井)として参戦し、現在はポイズン澤田JULIE率いるDDT蛇界本隊の一員として活躍している。

2007年秋にはキンターマンこと金村キンタローの欠場の代役としてミツヤーマンとしてクロダーマン(黒田哲広)とのタッグでハッスルにも登場した。

また新日本プロレス退団組による新団体無我ワールド・プロレスリング(現・ドラディション)への参戦、後に正式入団、2009年には反乱軍を起こしドラディションで大暴れするなど活躍。プロレス団体DEPにも定期的に参戦している。

2011年12月7日、ロシアのプロレス団体IWFの日本人エージェント、ウラジミール長井としてユニオンプロレス新木場大会に登場した。

2014年1月、古巣の全日本プロレスに11年ぶりに参戦しKENSOとダーク・キングダムで活躍している。2017年現在はKENSOが退団したため新ユニット「ダーク・ナイトメア」として5代目ブラック・タイガーなどと共闘中。2017年後半よりプロレスリング・ノアにも参戦。

得意技

キックなどを生かした技を得意としている。

ハイパーニー空牙(くうが)
スワンダイブニーアタック
陸牙(りくが)
ランニングニーリフト
RDO
長井選手が使用する垂直落下式魔神風車DDTの技名。
相手の前面に立ち、左腕で相手の首を下から捕らえ、相手の左腕を背中に回してから下側から自分の右腕で手首を掴む(自分の手の置き方が上下逆だが、要するにチキンウイング、もしくは魔神風車固めの体勢から、後ろに反り投げない形)。この状態に固めてから相手を担ぎ上げ垂直に落とす。
キャプチュード
ナガイロック
変形の鎌固め
魔界ドライバー
ファルコン・アロー
魔界スリーパー
相手の正面に脇から腕を通して、逆側の腕をハンマーロックに固定して、もう片方の手は、相手の空いてる手首をロックしながらフロントネックロックに、極める超難解な関節技。両手と首を極める変形「フロントスリーパー」。 首極め腕卍
各種キック
地獄突き(アイアンフィンガー・アルミホイル装着)※DDT参戦時に使用。
アイアンフィンガー・アルミホイルをはめての地獄突き(長井のかつてのライバルである飯塚高史のアイアンフィンガー・フロム・ヘルのパクリから。)。

戦績

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 武蔵 1R 3:00 KO(左ミドルキック) K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 2回戦】
1999年8月22日
× 村上竜司 3分2R+延長R終了 判定0-3 K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】
1999年8月22日
トファン・ピラーニ 2R終了時 ノーコンテスト(ピラーニの負傷) K-1 SURVIVAL '99 1999年6月6日
× アンドレ・マナート 2R 1:20 KO(右ストレート) K-1 RISING SUN '99 1999年2月3日
× ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ 1R 2:51 TKO(3ノックダウン:左ストレート) K-1 JAPAN '98 〜神風〜 1998年10月28日
× 中迫剛 2R 2:55 TKO(2ノックダウン:左ミドルキック) K-1 BUSHIDO '98
【K-1 JAPAN GP 1回戦】
1998年8月28日
× ドゥリュー・リード 3R終了 判定0-3 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER IX」 1997年9月28日
岡田克彦 延長2回 判定 シュートボクシング「シュートボクシングvsムエタイ第2弾」 1988年11月5日
岡田克彦 本戦4:27 KO シュートボクシング「SB新世代戦争」 1988年7月9日
津山圭介 延長2回 判定 シュートボクシング「SBワールドレボリューション宣言」 1988年5月21日
久保徹 延長1回 判定 シュートボクシング「SBワールドレボリューション宣言」 1988年4月3日
× 川上一弘 延長1回 判定 「シュートボクシングvs沖縄空手チェンジングマッチ」 1987年10月10日

総合格闘技

タイトル歴

全日本プロレス
リアルジャパンプロレス
その他
  • FUCK!認定偏差値U-30世界インターナチュラル級王座:3代

脚注

  1. ^ 契約更改に関するお知らせ 新日本プロレス公式サイト 2006年1月31日

外部リンク