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* [[ZEEBRA]]「Stop Playin' A Wall」(2006年12月6日、[[ポニーキャニオン|UBG Records]])
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* [[餓鬼レンジャー]]「CALL 〜Skit〜」アルバム『ラッキー・ボーイズ』収録(2004年7月21日、[[ビクターエンタテインメント]])[[高田延彦]]の[[ものまね]]で参加。
* [[餓鬼レンジャー]]「CALL 〜Skit〜」アルバム『ラッキー・ボーイズ』収録(2004年7月21日、[[ビクターエンタテインメント]])[[髙田延彦|高田延彦]]の[[ものまね]]で参加。


=== 雑誌 ===
=== 雑誌 ===

2020年12月23日 (水) 04:25時点における版

有田ありた 哲平てっぺい
本名 有田 哲平
ニックネーム アリペイ、アリペー
生年月日 (1971-02-03) 1971年2月3日(53歳)
出身地 日本の旗 熊本県 熊本市東区
血液型 不明[1]
身長 173cm[2]
言語 日本語
方言 共通語 熊本弁
最終学歴 熊本県立済々黌高等学校卒業
師匠 コント山口君と竹田君
コンビ名 くりぃむしちゅー
相方 上田晋也
芸風 漫才コントツッコミボケ
立ち位置
事務所 プライムナチュラルエイト
活動時期 1991年 -
同期 キャイ〜ン ほか
現在の代表番組 有田ジェネレーション
全力!脱力タイムズ
過去の代表番組 ご対面バラエティー 7時にあいましょう
アリケン
有田とマツコと男と女
私の何がイケないの?
有田とヤラシイ人々(→有田のヤラシイハナシ有田のヤラシイ...
半分、青い。
作品 特典映像(監督作品)
他の活動 俳優
配偶者 既婚[3]
親族 有田真平(実弟)
矢野暢(叔父)
公式サイト https://naturaleight.co.jp/cream/
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有田 哲平(ありた てっぺい、1971年昭和46年〉2月3日 - )は、日本の男性お笑いタレント司会者放送作家俳優。お笑いコンビ・くりぃむしちゅーのボケ担当。相方は上田晋也。愛称はアリペイアリペー

熊本県熊本市東区出身。ナチュラルエイト所属。身長173cm

略歴

1971年2月3日、熊本県熊本市東区に生まれる。幼少時から大学入学直後まで裕福な家庭で育つ。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部し上田と出会う[4]。プロレスの話や2人が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合[4]。高校卒業後、明治大学夜間部に合格したが一浪して立教大学法学部に入学。弁護士を目指したが、早稲田大学中退した上田からの誘いを受け、有田も大学を中退。1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。

2001年9月に、『新・ウンナンの気分は上々。』の「負けたら改名」の企画にて、さまぁ〜ずとの対決に敗れた際に、コンビ名を「海砂利水魚」からウッチャンナンチャン内村光良命名の「くりぃむしちゅー」に改名された事が話題になりブレイク

2008年DVD『特典映像』で監督としてデビュー。

2016年12月5日、『しゃべくり007』にて、2016年11月29日付で入籍したことを発表した[3][5]

2018年7月19日NHK連続テレビ小説半分、青い。」への出演が決まったことが公式サイトで発表された[6]

2020年12月7日、第1子女児の誕生を報告[7]

人物

学生時代

小学校1、2年時には日本舞踊を習っていたが、今では何も覚えていないとのこと[8]

小学校半ばからお笑いが好きで、当時は前述の通りお笑いスター誕生!!が好きだった。小学校の文化祭では友人と共にコントを作って演じていたが、コント自体はいつの間にか服を脱ぐような劇だった[9]

熊本大学教育学部附属中学校在学中の2年生時には、アメリカホームステイしていた事もある。

高校のラグビー部時代、試合では上田がレギュラーだったのに対し、有田はベンチ要員だった[10]。その上、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたとのこと。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし、審判に注意された。その後、気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語していた[11]

現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ熊本壺溪塾学園で浪人する。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は敢え無く不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたそうだが、「お前は立教がいい」と言い包められ、結局立教大学に入学した。しかし、有田も上田と同様に大学での生活に馴染むことが出来ず、友人も殆ど作れなかったことから、しばしば一人ぼっちでキャンパス内のベンチに座り、煙草を吸いながら時間を潰していたといい、最終的に中退に至ったのも、この事に起因した部分もあったと語っている。

なお、コント山口君と竹田君によると、有田は大学中退に関しては少し迷ったようだが父親が亡くなってしまい、学生生活を続けることが出来なくなったのでそれでふんぎりがついたとのこと[12]

家族・親類

3人兄弟の次男。弟は放送作家有田真平、兄は地元で教師をしている。

母は水泳オリンピックの代表候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールで管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている[13]。その母は、2008年にマスターズ世界水泳選手権の平泳ぎ・シニア部門で6位に入賞した[14]

父は広告代理店を経営していた。有田によると有田の父は厳格かつワンマン気質で有田を含めて兄弟全員その怖い父親が苦手だったらしく、一年を通して会話らしい会話はなかった[15]。しかし、有田の大学入学後に会社が倒産、授業料を滞納する事態となった。それに関する父親からの報告と、有田からの「大学を中退してお笑いをやりたい」旨の報告とが偶然にも重なり、有田は勘当を覚悟したが、父親に「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛された。後に知るが、その時点で会社が傾いていたらしく[16]、有田が物心付いた頃からずっと住んでいた思い出のつまった実家も売られていた。父親の事業破綻後に両親は離婚。程なくして父親が死去。祖父や祖母もそれと前後して立て続けに亡くなる[17]

有田は後に当時を振り返り「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」と述べた[18]。有田がやっとそのアパートを探し当てると父親は「言い訳じゃないけどな、ここ(安アパート)に住み始めたらこっちの方が住みやすいなあと思ってな」と言った[19]。その後、有田がお笑いの道を志すことを承諾した父親が有田に50万円をくれたが、どうやらそのお金はサラ金で借金して作ったお金だったらしく、それを最後に父親は亡くなった[20]

有田が『王様のブランチ』の中継コーナーのレギュラーだった頃、ゲストレポーターのX-GUNが「有田の売られてしまった実家に潜入」という趣旨の企画で有田の元実家を訪れたことがある。昔有田の部屋だった所は物置となっていたが、有田が壁に落書きした「飛龍」の文字は残っていた事が判明したので有田はレポートをしてくれたX-GUNに感謝した[21]

いとこに小説家の鵜波美布(代表作に『武運』等)がいる。

叔父(有田の母親の兄)は政治学者で、日本初のノーベル賞選考委員やスウェーデン王立アカデミーの会員を務めた矢野暢。「幼少期より、よく両親から『親戚にいる大学教授の叔父さんを見習え』と言われていたが、その人がセクハラで訴えられた」というネタをよく使う(セクハラの詳細は矢野事件を参照)。

身体的特徴

あごがしゃくれている。

年々太ってきており、デビュー当時と比べて15kg程太ったこともあった。ファンや上田から、とろサーモンの久保田 かずのぶに似てきていると指摘されており、視聴者が久保田を見て有田と間違った事もあるとのこと。有田と久保田はあまりにも周りから似ていると言われるため、2013年9月2日のグリグリくりぃむで「どっちが有田でどっちが久保田」という企画が行われた(企画内容は本物の有田の座をかけ、有田と久保田が有田の得意とする様々な競技で対決し、勝者が本物の有田と認定されるというものだった)[22]。一方で、関東の先輩芸人ヒロミが経営する加圧トレーニングジムに通っていた事がある。

人間ドック脂肪肝が判明し、ウエストの測定結果は97cmという危険な数値(メタボリックシンドロームの基準値は85cm)だったため、2007年11月から炭水化物を完全に抜き、年内に体重を75kg、ウエストサイズを85cmにまで減らす事を同年放送の『オールナイトニッポン』で宣言した[23]。そして同番組にて年末に体重測定を行った結果、83kgから76kg(脱衣時75kg)にまで減量していたが、約束の体重を1kgオーバーしていた為、上田の取り決めにより番組内で罰ゲームをする羽目になった[24]。翌2008年6月24日の放送で久々に体重測定を行った結果、82kgへと再びリバウンドしてしまった[25]

高校時代から芸人デビュー前まで寄生虫持ちだったため、今とは比べ物にならないほどスリムな体型だった。高校時代にラグビー部を引退した後、上田共々部活をやっていた頃と同様の暴飲暴食を辞められなかったことから、上田が急激太りだしたのとは対照的に、全く太ることは無かった。一方で、その当時は年に4回ほど尻の猛烈な痒みに苦しめられてもいた。

頭髪が薄く、自身は祖父からの隔世遺伝であると述べている[26]育毛剤を使用しているが、その育毛剤の力を強くする為に「モミダッシュ」なる頭皮洗浄用の機器を使用している。その効果もあってか、近年は薄毛の進行が止まっているようにも見える。

2008年5月1日放送の『アリケン』の企画で、左頬のシミを消すプチ整形を行った。

趣味・嗜好

プロレス

大のプロレスファンで、自身の芸風にも活かされている。メジャー・インディー団体問わず、選手やマット界の動向にも非常に詳しい。毎週欠かさず週刊プロレスを愛読(第一号から全て)している他、多くのプロレスグッズも所有している。『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際には、同誌をタモリへの土産として持参した事がある。

選手個人としては長州力の大ファンであり、自身の著書で有田は「大げさでも何でもなく(長州は)僕の師匠です。何かあると長州力の語録やインタビューや試合を見て自分自身にカツを入れてきました」と記している[27](そして長年の思いが叶い、週刊プレイボーイの2011年1/17〜1/24号にて有田と長州力の対談が実現した)。

1998年4月4日、東京ドームにて行われた敬愛するアントニオ猪木の引退試合を観戦した際、入場時には声援を送っていたものの、肝心の試合時に居眠りしていたのを『ダウンタウンDX』のコーナー「視聴者は見た!」で暴露される。この回には猪木本人も出演しており、その場でビンタ制裁を受けた。

ハッスル・エイド2006』では、自前の「高田総統」のコスプレをしてオープニングに登場。翌2007年12月31日の『大晦日!ハッスル祭り2007』でも、高田将軍(戦国時代バージョン)が現れた後に、有田総統としてリングに登場した。

2010年7月に「プロレスラー 伝説のビッグマウス!」というプロレス本を出した。なおその本には同じくプロレスファンのケンドーコバヤシとの対談も収録されている。有田はプロレスから場を活性化させるための仕掛けや反骨心を学んだと言い、プロレスとは魅力的なジャンルでレスラーの言葉には人に影響を与えて動かす力があると述べている[28]

2016年11月に有田と週刊プロレスとというプロレストーク番組を始めた。有田曰く「夢のよう」[29]。 尚、この番組は有田が、『週プロ』を題材に30分しゃべるトーク番組で、題材となる週刊プロレス該当号は有田も事前に知らされずに渡される。よって、番組プロデューサーの上田暁子はインタビュー記事で「(有田さんは)封筒から週刊プロレスを出したときに、どの号が出るかご存知ないので、たいてい5秒くらい「あ~」とおっしゃるのですが、その5秒の間で記憶を呼び起こしながら、どこから話し始めてどこを最後に持っていくかを頭の中で構成しておられるのだと思います。この番組は大体1話30分の配信ですが、実は収録時間もほぼ同じくらいなんです。つまり、あの「あ~」という間に、30分のお話を組み立てて語っているんですよね。収録でそれを目の当たりにして、本当にいつも鳥肌が立ちます。」と述べている[30]

アニメ・ゲーム

TVアニメ新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、『アメトーーク!』に「エヴァンゲリオン芸人」として出演した事もある(2008年4月24日放送)。

いわゆるヘビーゲーマー。『オールナイトニッポン』等で、ゲームソフト『実況パワフルプロ野球9』(コナミ)の「サクセスモード」について熱く語っていた事があり、『パワプロクンポケット7』には有田をモデルにした「有田修吾」というキャラクターが登場した。また、定期的にオールナイトニッポンのスタッフ達を集めてパワプロ大会を行っているとのこと。しかし、実際の野球にはあまり興味が無い上に疎い。

龍が如く』(セガ〈後のセガゲームス〉)に関しては、同番組で面白いゲームであると太鼓判を押したため[31]、本人が知らない内に「くりぃむしちゅー有田も大絶賛」というキャッチコピーを付けられていた。後にマネージャー大橋によりその仕事を引き受けていたことが判明した。

音楽

好きな音楽ジャンルはヒップホップ。ヒップホップアーティスト・ZEEBRAとも親交があり、『シュガーヒルストリート』では、「ALI-T(途中からFAKE-Aに改名)」に扮してZEEBRAと一緒に司会を務めた。これが縁で、ZEEBRAのシングル「Stop Playin' A Wall」のプロモーションビデオにも出演している。

ほかに、兄の影響からビートルズのファンでもある。ビートルズが好きなあまりビートルズのコピーバンドの店に行くほど。一番好きなビートルズのアルバムは「リボルバー」[32]。 なお、ビートルズ全曲をイントロ1秒のみ聴いて曲名を当てることが出来るという特技の持ち主でもある[33]

またギターを練習して、『くりぃむナントカ』のスタッフらと共にバンドを結成、ボーカルとしてビートルズの楽曲でライブを開催したり[34]映画アイアンマン』他のDVD販促キャンペーンでは自作の「応援歌」を披露した[35]

映画鑑賞

映画鑑賞が好きで好きな日本映画天城越え (松本清張)。映画好きが高じてなんでもアリタっ!と題する「有田哲平と設楽統をなんでも自由に使い映画監督短編映画を撮ってもらう」という企画のバラエティ番組もやった。

2005年にスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐が公開された際にはスター・ウォーズにはまっていたが、本人曰く「ドハマりすると飽きも早い」らしく、マネージャーが家に来た際、スター・ウォーズのグッズをすべて譲った。

2014年4月25日には伊集院光のラジオ、伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!にゲスト出演。有田がお勧めした映画はアメリカのホラー映画 エスター[36]

ほかに、2015年12月4日公開の007 スペクターに先駆けて同年10月に『007』シリーズの世界での宣伝史上初となる『007』公式アンバサダーとして、有田が就任した[37]

その他

カジノが好きで、海外旅行は専ら韓国アメリカ等のカジノがある国が多い。

菅野美穂の大ファン2009年1月19日放送の『しゃべくり007』で念願の対面を果たした。その後も菅野と共演する度にネタにされ、彼女が独身だった当時は『ペケ×ポン』では○回正解する度にメールアドレス交換やデートといった特別ルールが設けられていた。

交友関係

  • アンタッチャブル山崎弘也を可愛がっており、2013年まで山崎と同じマンションの上下階に住んでいた(有田は2012年の1月頃に東京都内の一戸建てを購入し、2013年の春に入居したという記事が週刊女性 2013年8/13号に掲載された)。
  • おぎやはぎ矢作兼とも大変仲が良く、独身だった頃は山崎を含めた男3人で毎年旅行に出かけていた。
  • 番組収録の合間に山崎やおぎやはぎ、次長課長等の後輩芸人を集めて、芸に対するアドバイスやダメ出しを行う(「有田塾」と呼ばれている)が、「全くためにならない話ばかり」しているという。また、土田晃之には「『銭形金太郎』のロケで泣け。」とアドバイスをした[38]。その一方で、的確なアドバイスもしており、土田は有田に言われた「『好きな芸人は誰ですか?』という街頭インタビューがあった時、お前の名前は挙がらないかもしれない。しかし、『土田の事を面白いと思うか?』という問いで、9割の人が面白いと答えてくれる様な芸人になれ。」という言葉は、雛壇芸人等のサブとして活動していこうと覚悟を決める際に重要なアドバイスだったと語っている。
  • 上記の土田晃之U-turnとして若手時代、GAHAHA王国という番組に出演していた頃、先輩芸人達から陰口を叩かれた際、有田が庇ってくれたと話したことがある。GAHAHA王国にはショートコントの勝ち抜け戦があり、当時U-turnが参戦し勝ち続けたことがあったが、先輩芸人達から「U-turnとか全然面白くねぇわ。何であんなんが勝ち抜いてるん?」と、楽屋で陰口を叩かれた時、有田はU-turnの陰口を叩いた芸人達に、「お前ら、それ違うだろ!対戦形式でお客さんがどっちが面白いか決めて、それでU-turnが勝ってんだから、U-turnがおもしれぇんだよ」「お前らが負けてんだよ」と言ってU-turnの事を庇った[39]
  • 共演の多いネプチューン堀内健からは、「これからの事も、お笑いの事も真剣によく考えているし、芸術を見るセンスもある。とにかく凄くいい奴。」と評されている。
  • 同じく共演の多いバナナマン設楽統は有田の事を分析力が高くバランス感覚に優れたオールラウンドプレーヤーと評し、動きやトーク等の芸人の能力をレーダーチャートにして表したら限りなく五角形に近い人だと述べたことがある[40]
  • かつて、ものまね芸人の原口あきまさは自分はキャリアの途中からものまねの世界に入った故に自分のものまねは他の同業者達の芸と比較すると似ていないのではと苦悩し、もうものまねはやめようかと思い悩んでいた。だがある日、飲みの席で有田に「原口のものまねはそんなに似ていなくてもそれが面白いからいいんじゃない」と言われて原口は似ていると言われるよりも面白いと言われたいと思うようになった。後に原口はそれで心が救われたと当時の事を振り返っている[41]
  • オールナイトニッポンをやっていた当時、相方・上田の2人の姪(上田の実兄・上田啓介の娘で1995年以降に誕生)を大変可愛がっており、叔父でもある上田を心配させていた。有田曰く、「どんなにユルいギャグを言ってもウケるから気分がいい。」との事で、休日には2人と遊ぶ為だけにわざわざ熊本まで帰省し、当時流行していたナルミヤ・インターナショナルのジュニア向けブランド服メゾピアノ」等をプレゼントした事もあるという。当時、2人は有田を「ありぶす」と呼び、「ありぶす、お前顎伸びたな〜。」などと散々な事を言われていた。ちなみに、アンタッチャブルの山崎を「やまぶー」、柴田英嗣を「しばめんこ」と呼び、2人ともメールでの近況報告等もしていた。

芸風

近年ではテレビ局等に企画を持ち込み、自分立案企画の番組をやる場合もある[42] [43] [44]。この件に関して有田はとあるインタビュー記事で「自分がどうしたいかを考えるのは好きなんです。ただ、それが必ずしも面白くならなかったりするんですよね。で、“こんな企画できましたー、やってくださーい”って言われてやる方が意外に楽しくなったり」と述べている。なお、その記事では件の有田の発言の次に「でもいつかは、自分が面白いと思ったものが他人にも間違いなく面白がられるようになりたいと思っている。」とも書かれている[45]

  • ちなみに全力!脱力タイムズを有田と共に手掛ける総合演出の名城ラリータは自身のインタビューで「有田さんがすごいのは、必ずヒットが打てる人なんですよ。みんなで番組について考えているときでも、すごく面白いアイデアが出てくる。その発想力や瞬発力は本当にすごい」と発言している[46]
  • また、2019年05月30日放送のアメトーーク「バラエティ観るの大好き芸人」という出演芸人達が好きなバラエティ番組について語る回では「有田さんの番組って(有田さんが)作家として一緒に企画を考えているのが多いから、だから面白いんですよ。」と話題になっている[47]

格闘技ネタを得意とする。ものまねのレパートリーは、自身が大のプロレスファンという事もあり、プロレスラーが多数を占めている。中でもアントニオ猪木のものまねは、『内村プロデュース』での「○○で勝利するをプロデュース(スポーツシリーズ)」で内村光良のふりで披露、後に鉄板ネタとなった。

長州小力がする長州力のものまね「キレてないですよ」(実際は「キレちゃいないよ」である)は、有田のネタが元となっている。後に『笑いの金メダル』で小力と組んで「W長州」としてネタを披露した。

ものまねのレパートリー

ほか

エピソード

  • 2001年6月、相方と共に出演していた瀬戸内海放送(KSB)の人気深夜番組『ばちこい!』の企画で、「Bachicco!(ばちっ娘!)」というローカルアイドルプロデュースし、見事デビューさせた。なお、デビュー曲「ばっちり恋しよう!」には有田のラップパートが収録されている。
  • 新コンビ名の由来にもなったクリームシチューが大好物だと公言していたが、『いきなり!黄金伝説。』の企画「クリームシチューだけで1週間過ごすコンビ」に挑戦した際にかなりの野菜嫌いだった事が判明し[49]、クリームシチューの殆どを相方の上田に食べさせていた。上田曰く「有田が好きなのは、クリームスープ」。
  • H/K(話変わるけど)」という若者言葉を作った。『銭形金太郎』の深夜放送時代にVTRの前フリで好んで使用していた。
  • かつては愛煙家であり、若手時代より相方の上田から「そろそろ禁煙しろ」と度々注意されていたが、2011年2月TBSテレビ廊下和田アキ子とすれ違って挨拶をした際に、「絶対、タバコはやめたほうがいいぞ」と言われ改心し、禁煙に成功した[50]
  • 有田は上田ちゃんネルを毎週見ており再放送も見ている。
  • アンタッチャブルの山崎と少女時代のコンサートを観に行っていて少女時代のメンバーにもその事を知られている。
  • お笑い芸人として生計を立てられるようになるまではキャバクラウェイター警備員お好み焼き屋等のアルバイトをしていたことがある[51]
  • お笑い芸人になろうと上田と共に芸能プロダクションの面接を受けた若き日の有田が、担当の面接官に「将来の夢は何かある?」と質問された際、うっかりマジ間違いで「立派な弁護士になりたいです。」と言ってしまい、驚いた上田が思わず「違うだろっ!」とマジツッコミを入れたそうだが、この一連のやりとりを面接官がネタと勘違いしたために、見事面接に合格した[52]
  • 有田は平成19年3月1日付けの済々黌の同心会会報に自身の在学時の思い出を載せている。有田は高校3年生の時、文化祭で毎年恒例のイベントである「歌の祭典」というイベントに参加する事になり、同級生達と共に夜遅くまでギャグのネタを考え、段取りを練り直し、揃いのTシャツも発注し、リハーサルを何度も重ねて準備に励み、イベントを立ち上げるその過程を楽しんでいた。だが、本番一週間前なり、昭和天皇の病状が悪化した為、全国各地で華々しい催し等は中止もしくは縮小となり、「歌の祭典」も開催中止となった。有田はそのイベントが出来なかった事が心残りなまま高校を卒業したが、あのやり残した「歌の祭典」を実現させてみたい、という気持ちは後に有田がお笑いを志す上でひとつのきっかけになった。有田はこの事について、「済々黌に置いてきたこと。それを今もずっとやり続けています。」と会報に寄稿している。

女性関係

  • ロンドンハーツ』で、相方の上田から「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼され、騙しの合コンをセッティングするという企画が組まれた。この企画は3回に渡って放送されたが、全て番組が仕掛けた落とし穴に落下している。女性と2人きりになった時、淳の指令でその女性が「クルトンって呼んでいい?」と言った事から、番組では「クルトン(有田)[53]」と呼ばれる様になった。その仕返しとして有田は、「上田の好感度を落としたい」として田村淳に上田を騙す為のハニートラップを依頼したが、その中で上田は、有田とは正反対の硬派な振る舞いを見せ、放送終了後、番組ホームページBBSには上田を絶賛する女性視聴者からの書き込みが多数寄せられ、逆に上田の好感度を上げてしまう結果となった。その放送後には、上田の硬派キャラをパクって合コンをしている事をアンタッチャブル山崎弘也に暴露され、再度、同様の騙し合コンに引っ掛かり、最後にはまた落とし穴に落下している。
  • 2004年8月女優深田恭子との泊まりがけデート写真週刊誌フライデーにスクープされた。更に同じ月、山崎と合コンを行った帰りにラブホテルに入る様子を同誌に激写されている。また、別の女性との同棲も報じられ、ルックスに似合わずプレイボーイとして有名。上田からは「フライデーに連載を持っているのか?」と揶揄された。しかし深田との一件以来モテなくなったと発言している。
  •  写真週刊誌の一件以来、しばらくは合コンを自粛していたが最近では年に2〜3回は行くらしい。本人曰く合コンのお陰で色々と学んだことがあるとのこと。

オールナイトニッポン

  • レギュラー化する前の『海砂利水魚のオールナイトニッポンスペシャル』時代に上田と対決し負け、放送終了後に番組プロデューサーの勅使川原昭によって丸坊主にされた。
  • 2005年7月5日山崎弘也矢作兼と共に夜に中華料理店へ行き、2人からを勧められ、一度は断るものの、この後にオールナイトニッポンの初回放送があるにも拘わらず飲んでしまい、本番で上田に叱られた。
  • 前述の様に、番組内で度々ダイエット企画を行っているが、本人曰く、外は色々な誘惑が多い為、家に籠りがちだという。その時の家での生活は、ゲームをして、週刊プロレスを読み、朝から地ビールを飲んで一日を終えるというもので、上田は「俺に言わせればゴミ」だと呆れ返った。
  • 番組では「月に一度のお楽しみ」として上田に無茶振りをしていたが、あっさりとこなされる為、有田は「無茶振りなんて大した事無い」と思っていた。だが有田が『むちゃぶり!』という番組を企画して立ち上げて、実際に自ら無茶振りを受けてみると思いのほか難しいと有田は感じ、後にオールナイトニッポンで上田を「無茶振りの天才」と褒めた。
  • 2009年4月16日に、『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』にゲスト出演。第一声は、有田がオールナイトニッポンの冒頭で必ず口にしていた「まいったね…」であった。その後も、2010年の2月25日から3月18日、そして3月25日に出演。ただし以前の回とは違いアンタッチャブル柴田英嗣が急な形で無期限休業に入ったためのゲスト出演だった。
  • 2016年6月17日に第一回目、2016年12月6日に第二回目、2017年5月29日に第三回目、2018年8月31日に第四回目、2020年9月22日に第五回目の復活特番が放送された。

出演

以下は、有田哲平のみの出演番組を記載する。コンビでの出演番組は、くりぃむしちゅーの項目を参照のこと。

現在の出演番組

過去の出演番組

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

劇場アニメ

インターネット

CM

PV

雑誌

作品

DVD

代表曲

  • 小さい秋みつけた

書籍

  • プロレスラー 伝説のビッグマウス!(2010年7月、河出書房新社)責任編集

脚注

注釈

  1. ^ テレビ放送版のみの出演。DVD版では後藤史彦が吹き替えている。

出典

  1. ^ ~ナチュラルエイト~ くりぃむしちゅー:上田晋也・有田哲平、マツコデラックス、コトブキツカサ、浜ロン所属の芸能事務所”. 株式会社ナチュラルエイト. 2016年12月6日閲覧。
  2. ^ https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M06-0129
  3. ^ a b くりぃむ有田哲平が結婚発表! しゃべくりメンバーも祝福”. ORICON STYLE (2016年12月5日). 2016年12月5日閲覧。
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  5. ^ “くりぃむ有田、電撃「合コン婚」お相手、プロポーズの言葉を明かす”. モデルプレス. (2016年12月5日). https://mdpr.jp/wedding/detail/1643297 2016年12月6日閲覧。 
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関連項目

外部リンク