「岐阜羽島駅」の版間の差分
m →駅設置の経緯 |
|||
54行目: | 54行目: | ||
時の知事・[[松野幸泰]]が要請した大野と国鉄との交渉の際、国鉄は駅を作ることをあえて伏せ、「岐阜県内に一駅作るなら地元を説得しよう」と大野に言わせて顔を立て、[[羽島市]]内に駅を設置することにより、まるで妥協案が成立したかに見えるよう手配したという経緯がある<ref name="yume"/>。岐阜羽島駅設置が決定した際には、この経緯が「政治駅」であるとの批判が起きたとされる<ref name="toyokeizai2016"/>。しかし、大野は「新幹線は国家的問題で、岐阜県の都合だけで左右することはできない」と述べていたとされ、むしろ政治力で決定されていたならば駅は岐阜市になっていたとも指摘されている<ref name="gifu-np20201012" />。 |
時の知事・[[松野幸泰]]が要請した大野と国鉄との交渉の際、国鉄は駅を作ることをあえて伏せ、「岐阜県内に一駅作るなら地元を説得しよう」と大野に言わせて顔を立て、[[羽島市]]内に駅を設置することにより、まるで妥協案が成立したかに見えるよう手配したという経緯がある<ref name="yume"/>。岐阜羽島駅設置が決定した際には、この経緯が「政治駅」であるとの批判が起きたとされる<ref name="toyokeizai2016"/>。しかし、大野は「新幹線は国家的問題で、岐阜県の都合だけで左右することはできない」と述べていたとされ、むしろ政治力で決定されていたならば駅は岐阜市になっていたとも指摘されている<ref name="gifu-np20201012" />。 |
||
国鉄職員だった[[須田 |
国鉄職員だった[[須田寬]]によると関ヶ原ルートに決定されたとき豪雪地帯を通るため、除雪車の待機基地を設置できる駅の候補地として羽島が選定されたと述べている<ref name="gifu-np20201012" />。また、大垣は市街地に近く除雪車が待機するだけの駅用地が確保できず羽島に選定されたことで立ち退きが少なくて済んだと述べている<ref name="gifu-np20201012" />。須田は大野の影響について「駅名に『岐阜』を付けてほしいとは言ったようですが、伴睦さんが羽島に駅を造らせたということは絶対にない」としている<ref name="gifu-np20201012" />。 |
||
{{Main|鉄道と政治#中山道ルートと岐阜羽島駅}} |
{{Main|鉄道と政治#中山道ルートと岐阜羽島駅}} |
2020年12月21日 (月) 03:25時点における版
岐阜羽島駅 | |
---|---|
駅舎(2017年10月) | |
ぎふはしま Gifu-Hashima | |
◄名古屋 (30.3 km) (49.6 km) 米原► | |
所在地 | 岐阜県羽島市福寿町平方645-1 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■東海道新幹線 |
キロ程 | 396.3 km(東京起点) |
電報略号 | ハシ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,794人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月1日 |
乗換 | 新羽島駅(名鉄羽島線) |
備考 |
駅長配置駅(管理駅) JR全線きっぷうりば 有 |
岐阜羽島駅(ぎふはしまえき)は、岐阜県羽島市福寿町平方にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線の駅である。
概要
岐阜県内にある唯一の新幹線駅である。両隣の駅は所在地がそれぞれ愛知県と滋賀県であるため、隣接する3駅連続で所在県が変わる。
駅前には、地元の大物政治家・大野伴睦夫妻の銅像が立ち、政治駅の代名詞として有名であるが[1][2][3]、実際は当初から県内への駅設置が予定されていた(後述)。
2020年(令和2年)現在はほぼ全時間帯で「ひかり」と「こだま」が毎時1本ずつ停車するダイヤとなっている。開業時は新幹線単独駅であったが、1982年(昭和57年)に名鉄羽島線の新羽島駅が隣接部に開業し乗換が可能になった。羽島線はルート選定で揉めた岐阜市と当駅を結ぶアクセス路線として造られた。
名古屋駅 - 米原駅間は在来線の東海道本線とは別線区間となっており、この区間の選択乗車において当駅の乗車券の取扱いは東海道本線岐阜駅を準用している。したがって、名古屋以東または米原以西発着の乗車券であれば当駅発着のものであっても岐阜駅を利用でき、逆に岐阜駅発着のものであっても当駅を利用できる[注釈 1]。また名古屋以東と米原以西の相互間の片道101km以上の乗車券を用いて当駅で途中下車し、岐阜駅から再入場して同じ方向もしくは高山本線方面へ旅行を継続することもできる(逆に岐阜駅で途中下車し、当駅で再入場することもできる)。 岐阜羽島駅の事務管コードは、▲530145となっている[5]。
歴史
駅設置の経緯
東海道新幹線の建設時、名古屋以西のルートは旧東海道を通るルートが有力であったが[注釈 2]、鈴鹿山脈を越えるためにはかなりの難工事が予想され[2]当時の技術的障害や建設コスト面の問題、北陸方面への連絡、さらには1958年(昭和33年)の国鉄幹線調査会で定められた「概ね5年」という工期上の事情などもあり、在来線である東海道本線同様に中山道ルート(関ヶ原経由)と決められた。なお、世界銀行からの融資条件である『1964年東京オリンピック開催までに開業する』という工期の制約があった[3]という説があるが、「名古屋 - 京都間を直線で結べば標高1,000m級の鈴鹿山脈越えとなるのであるが、(中略)工期的に非常な難点のあることが明らかになった[2][3]。一方関ケ原附近も地質的には鈴鹿越えと大差はないが、ずい道が比較的短くすむこと及び北陸との連絡に至便なことから、結局ここが最終案として本決まりになった。こうして全線の基本ルートが定められ、33年8月幹線調査事務所の発注によって航空写真測量が開始されたのである。」[6]とするように、関ヶ原経由が決定したのは、東京オリンピック開催が決定された1959年(昭和34年)よりも前である。国鉄副総裁(当時)磯崎叡も、1964年(昭和39年)6月2日の衆議院予算委員会[7]において、同様に1958年(昭和33年)に現在のルートを採択した旨の答弁を行っている。
国鉄は1958年(昭和33年) - 1959年(昭和34年)に岐阜県内の駅設置の必要性を認識して計画を進めていたが、北に大きく迂回することになる県庁所在地の岐阜市を経由せず、名古屋から関ヶ原までを直線で結ぶ現在の路線に近いルートを予定していた[2][8]。関ヶ原ルート決定後、設置予定駅の第一報では名古屋駅の次は米原駅とされていたが、3日後には羽島市への駅設置が報じられた[9]。これに対して岐阜市や大垣市では駅を誘致する運動が展開された[9]。
時の知事・松野幸泰が要請した大野と国鉄との交渉の際、国鉄は駅を作ることをあえて伏せ、「岐阜県内に一駅作るなら地元を説得しよう」と大野に言わせて顔を立て、羽島市内に駅を設置することにより、まるで妥協案が成立したかに見えるよう手配したという経緯がある[8]。岐阜羽島駅設置が決定した際には、この経緯が「政治駅」であるとの批判が起きたとされる[2]。しかし、大野は「新幹線は国家的問題で、岐阜県の都合だけで左右することはできない」と述べていたとされ、むしろ政治力で決定されていたならば駅は岐阜市になっていたとも指摘されている[9]。
国鉄職員だった須田寬によると関ヶ原ルートに決定されたとき豪雪地帯を通るため、除雪車の待機基地を設置できる駅の候補地として羽島が選定されたと述べている[9]。また、大垣は市街地に近く除雪車が待機するだけの駅用地が確保できず羽島に選定されたことで立ち退きが少なくて済んだと述べている[9]。須田は大野の影響について「駅名に『岐阜』を付けてほしいとは言ったようですが、伴睦さんが羽島に駅を造らせたということは絶対にない」としている[9]。
開業後
1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線の開業と共に岐阜羽島駅も開業した。羽島市の中心部から離れた水田の広がっていた場所に駅が設置されたため、開業当初の駅周辺は水田が広がっている以外は殆ど何もなかった[注釈 3]。のち1970年(昭和45年)、駅南口に岐阜羽島繊維卸センターが完成し、駅南口一帯に問屋街が形成された[10]が、その後[注釈 4]は空き店舗が多くなり、駅周辺の賑わいに欠けていた[11]。 しかし、2016年以降は岐阜羽島駅北西で行われている区画整理[12]による開発が大幅に進み、多数の店舗が軒を連ねる飲食店街[13]ができたり、従来からあった空き店舗へも新規出店するケースが出るなど、過去に例をみないほど賑わっている。また、駅周辺には既に多数のビジネスホテルが営業しているが、観光客等を中心にホテル利用者が増えている事から、特に2016年からは新規開業が相次いでいる。今世紀に入ってから、駅周辺に低料金で利用できる駐車場が数多く造られ、パーク&ライド駅としての性格が強まっている[注釈 5]。
年表
- 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴い開業。
- 1978年(昭和53年):0番線設置。
- 1979年(昭和54年)4月20日:新幹線自由席特急券・乗車券券売機を設置(一万円札も使用可。券裏面に磁気コード付き)。
- 1980年(昭和55年)10月1日:「ひかり」の一部が停車。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東海の駅となる。当初の管轄は東海鉄道事業本部。
- 1996年(平成8年)3月16日:これまで早朝・夜間に限られていた「ひかり」の停車が終日1時間ごとに拡大(名古屋以西各駅停車)。
- 1998年(平成10年)3月10日:自動改札機を導入[14]。
- 2005年(平成17年):リニューアル工事実施。1階部分耐震補強、「JR全線きっぷうりば」等の配置変更。
- 2008年(平成20年)4月1日:管轄が新幹線鉄道事業本部へ変更。
- 2009年(平成21年)10月31日:ホーム上の売店が閉店。
- 2010年(平成22年):ホームの発車標が反転フラップ式からフルカラーLED式に交換された。
※ 近畿日本鉄道(近鉄)が大垣駅から当駅までの新線建設を発表した事がある。養老鉄道養老線(2007年(平成19年)9月まで近鉄が運営)の項目を参照のこと。
駅構造
島式ホーム2面4線を有する高架駅である。中央にホームに接していない本線(通過線)2線があり、副本線に乗り場が4線(0・1番線ホーム、2・3番線ホーム)ある。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0・1 | 東海道新幹線 | 上り | 東京方面 | 通常ダイヤでは1番線のみ使用 |
2・3 | 下り | 新大阪方面 | 通常ダイヤでは2番線のみ使用 |
0番線ホームには2009年(平成21年)3月のダイヤ改正で、名古屋始発となる「のぞみ」(現在は72号)が回送列車として停泊する際に使用される。
本線2本に副本線が4本と東海道新幹線の中間駅では規模が大きい。これは大阪方面の関ヶ原越えに備えるためであり[3]、豪雪で運行を見合わせる際に列車を多く留置できるようになっている。
-
改札口
-
ホーム
駅弁
主な駅弁は下記の通り[15]。
- 松阪牛めし
- 松阪牛の黄金巻
- 松浦のみそカツ
- こだま
- 復刻弁当
- 花ことば
利用状況
「岐阜県統計書」によると、2018年(平成30年)度の1日平均乗車人員は2,955人である[16]。東海道新幹線の駅では最も乗車人員が少ない。
当駅の各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年 | 3,308 |
1999年 | 3,237 |
2000年 | 3,351 |
2001年 | 3,228 |
2002年 | 3,026 |
2003年 | 3,206 |
2004年 | 3,312 |
2005年 | 3,264 |
2006年 | 3,252 |
2007年 | 3,224 |
2008年 | 3,077 |
2009年 | 2,810 |
2010年 | 2,786 |
2011年 | 2,713 |
2012年 | 2,812[1] |
2013年 | 2,818 |
2014年 | 2,800[2] |
2015年 | 2,845 |
2016年 | 2,824 |
2017年 | 2,908 |
2018年 | 2,955[16] |
駅周辺
駅周辺は各社製品の広告看板が目立ち、ホテルが点在する。
- こうか東駐車場・こうか西駐車場
- 名鉄羽島線 新羽島駅
- 桑原川
- 大野伴睦先生御夫妻之像
- 北口広場に開業直後の1964年12月、地元支持者の手によって建立。「岐阜羽島駅設置」を取り付けて1964年7月に新幹線開業を見ずに死去した大野伴睦を顕彰したもので、大野が煙草を手に駅を指し示すのを夫人が見守る構図で[2]、駅と相対して設置されている。
- 岐阜県道206号岐阜羽島停車場線
- 岐阜県道1号岐阜南濃線
- 岐阜羽島インターチェンジ - 名神高速道路
- 岐阜県立看護大学
-
駅前
-
新羽島駅
-
桑原川
-
駅前にある大野伴睦夫妻銅像
バス路線
※ かつては岐阜乗合自動車(岐阜バス)の岐阜駅、大垣駅、墨俣、愛知県一宮市、名古屋市方面への路線が発着していた。
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b “50年前「新幹線開業」の熱気 アサヒグラフはこう伝えた”. AERA dot.. (2014年9月30日) 2020年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g “新幹線「利用者数最少駅」は、なぜできたのか”. 東洋経済オンライン (2016年10月29日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ a b c d “全力リサーチ「何もない!?岐阜羽島駅の謎」”. ドデスカ! (2017年10月18日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ “旅客営業規則>第2編 旅客営業 -第4章 乗車券類の効力 -第2節 乗車券の効力”. 東日本旅客鉄道株式会社 (2020年8月3日). 2020年9月20日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ 『東海道新幹線工事誌 名幹工篇』日本国有鉄道名古屋幹線工事局 26p
- ^ “第46回国会 衆議院 予算委員会 第20号 昭和39年6月2日” (1964年6月2日). 2020年1月10日閲覧。
- ^ a b 碇義朗『「夢の超特急」、走る!- 新幹線を作った男たち』文藝春秋〈文春文庫〉、2007年10月、pp. 255-256頁。ISBN 9784167717483。(ハードカバー版は『超高速に挑む- 新幹線開発に賭けた男たち』ISBN 4163471901)
- ^ a b c d e f “岐阜羽島駅は政治家「鶴の一声」って本当?”. 岐阜新聞. 2020年10月12日閲覧。
- ^ 岐阜婦人子供服工業組合ホームページより2014年10月15日閲覧
- ^ 羽島市土地利用調整計画2014年10月15日閲覧
- ^ 羽島都市計画事業 駅北本郷土地区画整理事業 羽島市公式Webサイト2017年10月16日閲覧
- ^ ザ・ガーデンモール岐阜羽島2017年10月16日閲覧
- ^ “NEWS SUMMARY 1998年3月”. 鉄道友の会 名古屋支部. 2017年5月31日閲覧。
- ^ 『JTB時刻表』2019年3月号、JTBパブリッシング、2019年、47頁。
- ^ a b “令和元年岐阜県統計書” (pdf). 岐阜県. p. 182 (2019年7月). 2020年9月20日閲覧。
- ^ “新駅誕生の波紋”. 開業50周年記念「完全」復刻アサヒグラフ臨時増刊 東海道新幹線 1964 8,1 (朝日新聞出版). (2014-10-30).
- ^ “羽島こうか駐車場”. 羽島高速鉄道高架. 2015年8月2日閲覧。
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 鉄道と政治
- 映画『喜劇 駅前天神』(1964年(昭和39年)、東宝) - 映画の後半、開業したてで周辺がまったく開発されていない岐阜羽島駅が登場。
- 映画『続・何処へ』(1967年(昭和42年)、東宝) - 周辺がほとんど開発されていなかった頃の岐阜羽島駅が登場する。
外部リンク
- 岐阜羽島駅 - 東海旅客鉄道