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2020年12月20日 (日) 05:57時点における版
オリンピックの柔道競技(オリンピックのじゅうどうきょうぎ)は、近代オリンピックの柔道である。
歴史
- 1940年東京オリンピックで柔道が公開競技としての採用決定されるが国際的紛争のために開催中止に[1]。当時はまだ、柔道の国際競技連盟である国際柔道連盟 (IJF) は結成されていなかった。
- 1954年5月 - アテネでのIOC総会で柔道、バレーボール、アーチェリー、ローラースケート(のちのローラースポーツ)のオリンピック競技化が検討されるが全競技保留に[2]。
- 1959年5月 - ミュンヘンでのIOC総会で1964年東京オリンピックの開催が決定[2]。
- 1960年8月 - ローマでのIOC総会で柔道の1964年東京オリンピックでのオリンピック競技化が決定[2]。
- 1963年10月 - バーデン=バーデンでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックからの除外が決定[2]。IJFはIOCに再考を促す。
- 1964年10月 - 東京オリンピックで柔道実施。男子のみであった。
- 1965年10月 - マドリードでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックから除外が再決定および1972年夏季オリンピック(のちのミュンヘンオリンピック)からの柔道の採用が決定[2]。
- 1972年 - ミュンヘンオリンピックから男子柔道が再実施された。
- 1988年 - ソウルオリンピックで女子柔道は公開競技として実施。
- 1992年 - バルセロナオリンピックから女子柔道が正式種目として実施される。大会直前にIJFがプロ出場を解禁し、日本でプロレスのリングにも上がるスベトラーナ・グンダレンコ(EUNロシア)が出場。
- 2012年 - ロンドンオリンピックからは世界ランキング制度に基づいて出場選手が選出されることになった[3]。
- 2020年 - 東京オリンピックからは男女各3名の計6名による混合団体戦を実施[4]。
実施階級
1964年の東京オリンピックでは4階級で実施されたが、その後階級が増え、1988年ソウルオリンピックから男女とも7階級で実施されている。ただし、同一階級ではあるものの選手の大型化が進み徐々に体重制限の上限が大きくなっている。
男子
1964 | 1972-1976 | 1980-1984 | 1988-1992 | 1996- |
---|---|---|---|---|
無差別 | ||||
重量級 80 kg超 |
重量級 93 kg超 |
重量級 95 kg超 |
重量級 100 kg超 | |
軽重量級 100 kg以下 | ||||
軽重量級 95 kg以下 | ||||
軽重量級 93 kg以下 | ||||
中量級 90 kg以下 | ||||
中量級 86 kg以下 | ||||
軽中量級 81 kg以下 | ||||
中量級 80 kg以下 |
中量級 80 kg以下 | |||
軽中量級 78 kg以下 | ||||
軽量級 73 kg以下 | ||||
軽量級 71 kg以下 | ||||
軽中量級 70 kg以下 | ||||
軽量級 68 kg以下 | ||||
軽軽量級 66 kg以下 | ||||
軽軽量級 65 kg以下 | ||||
軽量級 63 kg以下 | ||||
超軽量級 60 kg以下 | ||||
4 | 6 | 8 | 7 | 7 |
女子
1988-1996 | 2000- |
---|---|
重量級 72 kg超 |
重量級 78 kg超 |
軽重量級 78 kg以下 | |
軽重量級 72 kg以下 | |
中量級 70 kg以下 | |
中量級 66 kg以下 | |
軽中量級 63 kg以下 | |
軽中量級 61 kg以下 | |
軽量級 57 kg以下 | |
軽量級 56 kg以下 | |
軽軽量級 52 kg以下 | |
超軽量級 48 kg以下 | |
7 | 7 |
無差別級の廃止
1980年のモスクワオリンピックの際、IOCが無差別級を廃止すると決定したことに、同年7月31日国際柔道連盟 (IJF) は撤回を要求した[5]。1980年10月30日に開かれたIOC理事会に、IJF会長の松前重義が出席し、無差別級の廃止を撤回するよう求めたところ、サマランチは翌年開かれるIOC総会に提案することを約束した[6]。1981年10月1日に西ドイツのバーデンバーデンで開かれたIOC総会で、1984年のロサンゼルスオリンピックで無差別級が実施されることが決定した[7]。その後、1986年のIOC理事会で1988年のソウルオリンピックより、無差別級を廃止することが決定された[8]。
各国のメダル数
順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 日本 (JPN) | 39 | 19 | 26 | 84 |
2 | フランス (FRA) | 14 | 10 | 25 | 49 |
3 | 韓国 (KOR) | 11 | 16 | 16 | 43 |
4 | 中国 (CHN) | 8 | 3 | 11 | 22 |
5 | キューバ (CUB) | 6 | 14 | 16 | 36 |
6 | ソビエト連邦 (URS) | 5 | 5 | 13 | 23 |
7 | ロシア (RUS) | 5 | 4 | 7 | 16 |
8 | イタリア (ITA) | 4 | 4 | 7 | 15 |
9 | ブラジル (BRA) | 4 | 3 | 15 | 22 |
10 | オランダ (NED) | 4 | 2 | 17 | 23 |
11 | ポーランド (POL) | 3 | 3 | 2 | 8 |
12 | ドイツ (GER) | 3 | 2 | 13 | 18 |
13 | ジョージア (GEO) | 3 | 2 | 3 | 8 |
14 | スペイン (ESP) | 3 | 1 | 2 | 6 |
15 | アメリカ合衆国 (USA) | 2 | 4 | 8 | 14 |
16 | 北朝鮮 (PRK) | 2 | 2 | 4 | 8 |
17 | オーストリア (AUT) | 2 | 2 | 1 | 5 |
18 | ベルギー (BEL) | 2 | 1 | 9 | 12 |
19 | スロベニア (SLO) | 2 | 0 | 3 | 5 |
20 | EUN (EUN) | 2 | 0 | 2 | 4 |
21 | 西ドイツ (FRG) | 1 | 4 | 3 | 8 |
22 | ハンガリー (HUN) | 1 | 3 | 5 | 9 |
23 | モンゴル (MGL) | 1 | 3 | 4 | 8 |
24 | 東ドイツ (GDR) | 1 | 2 | 6 | 9 |
25 | ルーマニア (ROU) | 1 | 2 | 3 | 6 |
26 | アゼルバイジャン (AZE) | 1 | 2 | 1 | 4 |
27 | スイス (SUI) | 1 | 1 | 2 | 4 |
28 | アルゼンチン (ARG) | 1 | 0 | 1 | 2 |
ベラルーシ (BLR) | 1 | 0 | 1 | 2 | |
ギリシャ (GRE) | 1 | 0 | 1 | 2 | |
トルコ (TUR) | 1 | 0 | 1 | 2 | |
32 | チェコ (CZE) | 1 | 0 | 0 | 1 |
コソボ (KOS) | 1 | 0 | 0 | 1 | |
34 | イギリス (GBR) | 0 | 8 | 11 | 19 |
35 | ウズベキスタン (UZB) | 0 | 2 | 4 | 6 |
36 | カナダ (CAN) | 0 | 2 | 3 | 5 |
37 | カザフスタン (KAZ) | 0 | 2 | 1 | 3 |
38 | イスラエル (ISR) | 0 | 1 | 4 | 5 |
39 | ブルガリア (BUL) | 0 | 1 | 2 | 3 |
ウクライナ (UKR) | 0 | 1 | 2 | 3 | |
41 | アルジェリア (ALG) | 0 | 1 | 1 | 2 |
コロンビア (COL) | 0 | 1 | 1 | 2 | |
エジプト (EGY) | 0 | 1 | 1 | 2 | |
東西統一ドイツ (EUA) | 0 | 1 | 1 | 2 | |
45 | スロバキア (SVK) | 0 | 1 | 0 | 1 |
46 | エストニア (EST) | 0 | 0 | 3 | 3 |
47 | オーストラリア (AUS) | 0 | 0 | 2 | 2 |
ポルトガル (POR) | 0 | 0 | 2 | 2 | |
ユーゴスラビア (YUG) | 0 | 0 | 2 | 2 | |
50 | チェコスロバキア (TCH) | 0 | 0 | 1 | 1 |
アイスランド (ISL) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
キルギス (KGZ) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
ラトビア (LAT) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
タジキスタン (TJK) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
アラブ首長国連邦 (UAE) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
Total | 137 | 136 | 274 | 547 |
個人記録
メダル
Category | 男子 | 女子 |
---|---|---|
最多優勝 | 3回
|
2回 |
最多メダル | 4個
|
5個
|
最年少金メダリスト |
|
|
最年少メダリスト |
|
|
最年長金メダリスト |
|
|
最年長メダリスト |
|
|
金メダル獲得選手上位一覧
順位 | 選手 | 国籍 | 金メダル | 銀メダル | 銅メダル | 総計 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 野村忠宏 | 日本 | 3 | 0 | 0 | 3 |
2 | 谷亮子 | 日本 | 2 | 2 | 1 | 5 |
3 | テディ・リネール | フランス | 2 | 0 | 1 | 3 |
ダビド・ドゥイエ | フランス | 2 | 0 | 1 | 3 | |
5 | 斉藤仁 | 日本 | 2 | 0 | 0 | 2 |
内柴正人 | 日本 | 2 | 0 | 0 | 2 | |
上野雅恵 | 日本 | 2 | 0 | 0 | 2 | |
谷本歩実 | 日本 | 2 | 0 | 0 | 2 | |
ウィレム・ルスカ | オランダ | 2 | 0 | 0 | 2 | |
ペーター・ザイゼンバッハー | オーストリア | 2 | 0 | 0 | 2 | |
バルデマール・レジェン | ポーランド | 2 | 0 | 0 | 2 | |
冼東妹 | 中国 | 2 | 0 | 0 | 2 | |
ケイラ・ハリソン | アメリカ合衆国 | 2 | 0 | 0 | 2 |
(出典[9]、JudoInside.com)。
オール一本勝ちで優勝した選手
階級 | 優勝選手 | 国籍 | 試合内容 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
東京オリンピック(1964年) 1名 | ||||||
男子軽量級 | 中谷雄英 | 日本 | 5試合全て一本勝ち | |||
ミュンヘンオリンピック(1972年) 1名 | ||||||
男子軽中量級 | 野村豊和 | 日本 | 5試合全て一本勝ち | |||
モントリオールオリンピック(1976年) 0名 | ||||||
モスクワオリンピック(1980年) 0名 | ||||||
ロサンゼルスオリンピック(1984年) 2名 | ||||||
男子86 kg級 | ペーター・ザイゼンバッハー | オーストリア | 5試合全て一本勝ち | |||
男子無差別 | 山下泰裕 | 日本 | 4試合全て一本勝ち | |||
ソウルオリンピック(1988年) 1名 | ||||||
女子72 kg級(公開競技) | イングリッド・ベルグマンス | ベルギー | 3試合全て一本勝ち | |||
バルセロナオリンピック(1992年) 1名 | ||||||
男子78 kg級 | 吉田秀彦 | 日本 | 6試合全てを合技を含まない純粋な一本勝ち | |||
アトランタオリンピック(1996年) 1名 | ||||||
女子66 kg級 | 曺敏仙 | 韓国 | 5試合全て一本勝ち | |||
シドニーオリンピック(2000年) 1名 | ||||||
男子100 kg級 | 井上康生 | 日本 | 総合勝ちを含めて5試合全て一本勝ち | |||
アテネオリンピック(2004年) 3名 | ||||||
男子66 kg級 | 内柴正人 | 日本 | 5試合全てを異なる立ち技で一本勝ち | |||
女子63 kg級 | 谷本歩実 | 日本 | 棄権勝ちを含めて5試合全て一本勝ち | |||
女子78 kg超級 | 塚田真希 | 日本 | 4試合全て一本勝ち | |||
北京オリンピック(2008年) 1名 | ||||||
女子63 kg級 | 谷本歩実 | 日本 | 4試合全て一本勝ち | |||
ロンドンオリンピック(2012年) 0名 | ||||||
リオデジャネイロオリンピック(2016年) 1名 | ||||||
女子78 kg級 | ケイラ・ハリソン | アメリカ合衆国 | 4試合全て一本勝ち |
脚注
- ^ “講道館柔道の歴史”. 講道館. 2020年12月4日閲覧。 “国際的紛争のために開催中止となった1940年東京オリンピックでの公開競技としての採用決定を経て”
- ^ a b c d e 嘉納行光、川村禎三、中村良三、醍醐敏郎、竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)、アテネ書房、日本 東京(原著1999年11月21日)。ISBN 4871522059。「オリンピックの柔道競技」
- ^ ロンドンオリンピック出場資格概要(国際柔道連盟) (PDF)
- ^ 東京五輪の新種目決定 柔道男女3人の「団体」など
- ^ 柔道無差別級廃止 IJF撤回要求へ 読売新聞 1980年8月1日夕刊2ページ
- ^ 無差別級存続、望み IOC会長、再検討約束 読売新聞 1980年10月31日朝刊17ページ
- ^ ロス五輪 新種目が16 女子マラソン決定 柔道無差別級も復活 読売新聞 1981年10月2日夕刊14ページ
- ^ 無差別級廃止でSライト新設 ソウル五輪柔道[要出典]
- ^ judobase.org