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== ノッキンのストレンジ男爵 第2期 (1299年) ==
== ノッキンのストレンジ男爵 第2期 (1299年) ==
上記ロジャーの甥にあたり、[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]のウェールズやスコットランド征服戦争に従軍したジョン・ル・ストレンジが[[1299年]][[9月26日]]にノッキンのストレンジ男爵{{small|(Baron Strange of Knockin)}}として議会招集されたのに始まる<ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p56833.htm#i568322|title=John Lestrange, 1st Lord Strange (of Knockyn)1|accessdate= 2019-11-7 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。女系継承でストレンジ家から[[ダービー伯爵]]スタンリー家、[[セント・デイヴィッズ子爵]]フィリップス家へと移り、現在に至っている<ref name="CP BS1299">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/strangek1299.htm|title=Strange of Knokyn, Baron (E, 1299 - abeyant 1594 - restored 1921)|accessdate= 2019-11-7 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>
上記ロジャーの甥にあたり、[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]のウェールズやスコットランド征服戦争に従軍したジョン・ル・ストレンジが[[1299年]][[9月26日]]にノッキンのストレンジ男爵{{small|(Baron Strange of Knockin)}}として議会招集されたのに始まる<ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p56833.htm#i568322|title=John Lestrange, 1st Lord Strange (of Knockyn)1|accessdate= 2019-11-7 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。女系継承でストレンジ家から[[ダービー伯爵]]スタンリー家、[[セント・デイヴィッズ子爵]]フィリップス家へと移り、現在に至っている<ref name="CP BS1299">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/strangek1299.htm|title=Strange of Knokyn, Baron (E, 1299 - abeyant 1594 - restored 1921)|accessdate= 2019-11-7 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>
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*初代ストレンジ男爵'''ジョン・ル・ストレンジ''' {{small|(John le Strange, 1254頃–1309)}}
*初代ストレンジ男爵'''ジョン・ル・ストレンジ''' {{small|(John le Strange, 1254頃–1309)}}
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== ブラックミアのストレンジ男爵 第3期 (1309年) ==
== ブラックミアのストレンジ男爵 第3期 (1309年) ==
第1期ストレンジ男爵ロジャーの甥、また第2期のノッキンの初代ストレンジ男爵ジョンの従兄弟にあたる{{仮リンク|ファルク・ル・ストレンジ (ブラックミアの初代ストレンジ男爵)|label=ファルク・ル・ストレンジ|en|Fulk le Strange, 1st Baron Strange of Blackmere}}が[[1309年]][[3月4日]]にブラックミアのストレンジ男爵{{small|(Baron Strange of Blackmere)}}として議会招集されたのに始まる<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p56830.htm#i568292|title=Fulk Lestrange, 1st Lord Strange (of Blackmere)|accessdate= 2019-11-7 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP BSB">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/strangeb1309.htm|title=Strange of Blackmere, Baron (E, 1309 - abeyant 1777)|accessdate= 2019-11-7 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。女系継承によりストレンジ家から[[シュルーズベリー伯爵]]タルボット家、[[ノーフォーク公爵]][[ハワード家]]へと移ったが、1777年に9代ノーフォーク公[[エドワード・ハワード (第9代ノーフォーク公)|エドワード・ハワード]]が死去して以降現在まで[[停止 (爵位)|保持者不在]]となっている<ref name="CP BSB"/>。
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[[File:Blason_Craincourt_57.svg|thumb|150px|ブラックミアのストレンジ男爵の紋章: ''Argent two lions passant in pale gules'']]
[[File:Blason_Craincourt_57.svg|thumb|150px|ブラックミアのストレンジ男爵の紋章: ''Argent two lions passant in pale gules'']]
*初代ストレンジ男爵'''{{仮リンク|ファルク・ル・ストレンジ (ブラックミアの初代ストレンジ男爵)|label=ファルク・ル・ストレンジ|en|Fulk le Strange, 1st Baron Strange of Blackmere}}''' {{small|(Fulk le Strange, 1267–1324)}}
*初代ストレンジ男爵'''{{仮リンク|ファルク・ル・ストレンジ (ブラックミアの初代ストレンジ男爵)|label=ファルク・ル・ストレンジ|en|Fulk le Strange, 1st Baron Strange of Blackmere}}''' {{small|(Fulk le Strange, 1267–1324)}}
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== ストレンジ男爵 第5期 (1628年) ==
== ストレンジ男爵 第5期 (1628年) ==
[[1628年]][[3月7日]]に上記のノッキンのストレンジ男爵(1299年)をダービー伯爵家がまだ保持していると議会が勘違いしたことによりダービー伯爵の[[法定推定相続人]]だった[[ジェームズ・スタンリー (第7代ダービー伯爵)|ジェームズ・スタンリー]]がストレンジ男爵として議会召集されてしまい、これが新規創設のストレンジ男爵とみなされている([[錯誤により創設された男爵]])。女系継承によりダービー伯爵スタンリー家からアソル公爵マレー家、さらにドラモンド家へと移り、現在に至っている<ref name="CP BS1628">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/strange1627.htm|title=Strange, Baron (E, 1627/8)|accessdate= 2019-11-7 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
[[1628年]][[3月7日]]に上記のノッキンのストレンジ男爵(1299年)をダービー伯爵家がまだ保持していると議会が勘違いしたことによりダービー伯爵の[[法定推定相続人]]だった[[ジェームズ・スタンリー (第7代ダービー伯爵)|ジェームズ・スタンリー]]がストレンジ男爵として議会召集されてしまい、これが新規創設のストレンジ男爵とみなされている([[錯誤により創設された男爵]])。女系継承によりダービー伯爵スタンリー家からアソル公爵マレー家、さらにドラモンド家へと移り、現在に至っている<ref name="CP BS1628">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/strange1627.htm|title=Strange, Baron (E, 1627/8)|accessdate= 2019-11-7 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。
*7代ダービー伯/初代ストレンジ男爵'''[[ジェームズ・スタンリー (第7代ダービー伯爵)|ジェームズ・スタンリー]]''' {{small|(James Stanley, 1607–1651)}}
*7代ダービー伯/初代ストレンジ男爵'''[[ジェームズ・スタンリー (第7代ダービー伯爵)|ジェームズ・スタンリー]]''' {{small|(James Stanley, 1607–1651)}}
*8代ダービー伯/2代ストレンジ男爵'''{{仮リンク|チャールズ・スタンリー (第8代ダービー伯爵)|label=チャールズ・スタンリー|en|Charles Stanley, 8th Earl of Derby}}''' {{small|(Charles Stanley, 1628–1672)}}
*8代ダービー伯/2代ストレンジ男爵'''{{仮リンク|チャールズ・スタンリー (第8代ダービー伯爵)|label=チャールズ・スタンリー|en|Charles Stanley, 8th Earl of Derby}}''' {{small|(Charles Stanley, 1628–1672)}}

2020年12月4日 (金) 06:07時点における版

ストレンジ男爵(Baron Strange)は、イングランド貴族男爵位。過去に5回創設されており、いずれも議会招集令状(Writs of summons)による爵位であり、男子がない場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる。

エレズミアのストレンジ男爵 第1期 (1295年)

ヨークシャーシェリフやトレント南部の巡回裁判官英語版を務めたロジャー・ル・ストレンジは、1295年6月24日にエレズミアのストレンジ男爵(Baron Strange of Ellesmere)として議会招集を受けた。しかし子供がなく彼一代で廃絶した[1]

  • 初代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ (?-1311)

ノッキンのストレンジ男爵 第2期 (1299年)

上記ロジャーの甥にあたり、エドワード1世のウェールズやスコットランド征服戦争に従軍したジョン・ル・ストレンジが1299年9月26日にノッキンのストレンジ男爵(Baron Strange of Knockin)として議会招集されたのに始まる[2]。女系継承でストレンジ家からダービー伯爵スタンリー家、セント・デイヴィッズ子爵フィリップス家へと移り、現在に至っている[3]

ノッキンのストレンジ家の紋章: Gules, two lions passant argent
  • 初代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1254頃–1309)
  • 2代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1282頃–1311)
  • 3代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1297頃–1323)
  • 4代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ Roger le Strange, 1301–1349) 2代男爵の息子
  • 5代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ Roger le Strange, 1327頃–1382)[4]
  • 6代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1350頃–1397)
  • 7代ストレンジ男爵リチャード・ル・ストレンジ (Richard le Strange, 1381–1449)
  • 8代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ英語版 (John le Strange, 1440頃–1477)
  • 9代ストレンジ女男爵ジョアン・ル・ストレンジ英語版 (Joan le Strange, 1460頃–1514)
スタンリー家紋章: Argent, on a bend azure three buck's heads cabossed or

ブラックミアのストレンジ男爵 第3期 (1309年)

第1期ストレンジ男爵ロジャーの甥、また第2期のノッキンの初代ストレンジ男爵ジョンの従兄弟にあたるファルク・ル・ストレンジ英語版1309年3月4日にブラックミアのストレンジ男爵(Baron Strange of Blackmere)として議会招集されたのに始まる[5][6]。女系継承によりストレンジ家からシュルーズベリー伯爵タルボット家、ノーフォーク公爵ハワード家へと移ったが、1777年に9代ノーフォーク公エドワード・ハワードが死去して以降現在まで保持者不在となっている[6]

ブラックミアのストレンジ男爵の紋章: Argent two lions passant in pale gules

ストレンジ男爵 第4期 (1326年)

ノッキンのストレンジ男爵のヤンガーサンであるユーバラスは、1326年12月3日にストレンジ男爵として議会召集されたが、子供はなく、彼一代で終わった[7]

ストレンジ男爵 第5期 (1628年)

1628年3月7日に上記のノッキンのストレンジ男爵(1299年)をダービー伯爵家がまだ保持していると議会が勘違いしたことによりダービー伯爵の法定推定相続人だったジェームズ・スタンリーがストレンジ男爵として議会召集されてしまい、これが新規創設のストレンジ男爵とみなされている(錯誤により創設された男爵)。女系継承によりダービー伯爵スタンリー家からアソル公爵マレー家、さらにドラモンド家へと移り、現在に至っている[8]

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Roger Lestrange, 1st and last Lord Strange (of Ellesmere)” (英語). thepeerage.com. 2019年11月7日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “John Lestrange, 1st Lord Strange (of Knockyn)1” (英語). thepeerage.com. 2019年11月7日閲覧。
  3. ^ Heraldic Media Limited. “Strange of Knokyn, Baron (E, 1299 - abeyant 1594 - restored 1921)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年11月7日閲覧。
  4. ^ Douglas Richardson, Plantagenet Ancestry, p. 692-693.
  5. ^ Lundy, Darryl. “Fulk Lestrange, 1st Lord Strange (of Blackmere)” (英語). thepeerage.com. 2019年11月7日閲覧。
  6. ^ a b Heraldic Media Limited. “Strange of Blackmere, Baron (E, 1309 - abeyant 1777)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年11月7日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Ebles Lestrange, 1st Lord Strange” (英語). thepeerage.com. 2019年11月7日閲覧。
  8. ^ Heraldic Media Limited. “Strange, Baron (E, 1627/8)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年11月7日閲覧。

関連項目