ジェームズ・スタンリー (第10代ダービー伯爵)
閣下 第10代ダービー伯爵 PC | |
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国王親衛隊隊長 | |
任期 1715年 – 1723年 | |
君主 | ジョージ1世 |
前任者 | アクスブリッジ伯爵 |
後任者 | スタンホープ卿 |
ランカスター公領大臣 | |
任期 1706年 – 1710年 | |
君主 | アン |
前任者 | ゴア男爵 |
後任者 | ストラットンのバークリー男爵 |
個人情報 | |
生誕 | 1664年7月3日 |
死没 | 1736年2月1日 |
親 | 第8代ダービー伯爵チャールズ・スタンリー ドロシア・ヘレナ・カークホーヴェン |
第10代ダービー伯爵ジェームズ・スタンリー(英語: James Stanley, 10th Earl of Derby PC、1664年7月3日 – 1736年2月1日)は、イギリスの貴族、政治家。1702年までジェームズ・スタンリー閣下の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]第8代ダービー伯爵チャールズ・スタンリーとドロシア・ヘレナ・カークホーヴェン(Dorothea Helena Kirkhoven)の次男として、1664年7月3日に生まれた[1]。セント・ポールズ・スクールで教育を受け、1685年イングランド総選挙では兄にあたる第9代ダービー伯爵ウィリアム・スタンリーの意思を受けてクリセロー選挙区から出馬、庶民院議員に当選した[2]。その後は1689年イングランド総選挙でプレストン選挙区に、1690年イングランド総選挙でランカシャー選挙区に鞍替えして、いずれも当選を果たした[2]。議会では常にホイッグ党の一員として投票した[3]。1689年から1702年までウィリアム3世の寝室宮内官を務めた[2]。
しかし、ジェームズ・スタンリーは軍人の道を歩み、1688年に大尉として従軍、以降1692年に大佐に、1702年に准将に、1704年に少将に昇進した[4]。彼は大同盟戦争ではアイルランドとフランドルを転戦、1693年のネールウィンデンの戦いと1695年のナミュール包囲戦に参戦した[3]。
1702年11月5日、兄の死去に伴いダービー伯爵を継承した[1]。1706年6月10日に枢密顧問官に任命され、同年から1710年までランカスター公領大臣を務め[4]、また1702年から1710年までランカシャー統監を、1702年から1712年までランカシャー副提督務めた[2]。1710年のランカスター公領大臣とランカシャー統監罷免に伴い政界から離れたが、1714年にランカシャー統監に復帰、1715年から1723年まで国王親衛隊隊長を務めるなど名誉職はつづけた[4]。1732年、ストレンジ男爵を継承した。1707年から1708年と1734年から1735年の2度にわたってリヴァプール市長を務めた[4]。
1736年2月1日にノウズリーで死去、オームズカークで埋葬された[3]。マン島領主とストレンジ男爵は第2代アソル公爵ジェームズ・マレーが、ダービー伯爵は第5代準男爵サー・エドワード・スタンリーが継承した[1]。
家族
[編集]1705年2月、メアリー・モーリー(Mary Morley、1667年[3] – 1752年3月29日、ウィリアム・モーリーの娘)と結婚、1男をもうけた[1]。
- ウィリアム(1710年1月31日 – 3月4日)
脚注
[編集]- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 580.
- ^ a b c d Cassidy, Irene (1983). "STANLEY, Hon. James (1664-1736), of Knowsley, Lancs". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月11日閲覧。
- ^ a b c d Lassiter, J. C. "Stanley, James, tenth earl of Derby". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/66592。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d Cruickshanks, Eveline; Harrison, Richard (2002). "STANLEY, Hon. James (1664-1736), of Knowsley, Lancs". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月11日閲覧。
イングランド議会 (en) | ||
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先代 トマス・ストリンガー ヘンリー・マーズデン |
庶民院議員(クリセロー選挙区選出) 1685年 – 1689年 同職:エドワード・アッシュトン |
次代 クリストファー・ウィルキンソン アンソニー・パーカー |
先代 エドワード・フリートウッド アンドリュー・ニューポート |
庶民院議員(プレストン選挙区選出) 1689年 – 1690年 同職:トマス・パッテン |
次代 ウィラビー・デ・エアズビー男爵 クリストファー・グリーンフィールド |
先代 ブランドン子爵 サー・チャールズ・フートン |
庶民院議員(ランカシャー選挙区選出) 1690年 – 1702年 同職:ブランドン子爵 1690年 – 1694年 サー・ラルフ・アッシュトン準男爵 1694年 – 1698年 フィットン・ジェラード 1698年 – 1701年 リチャード・ボルド 1701年 – 1702年 |
次代 リチャード・ボルド リチャード・アッシュトン |
公職 | ||
先代 ゴア男爵 |
ランカスター公領大臣 1706年 – 1710年 |
次代 ストラットンのバークリー男爵 |
先代 アクスブリッジ伯爵 |
国王親衛隊隊長 1715年 – 1723年 |
次代 スタンホープ卿 |
名誉職 | ||
先代 リヴァーズ伯爵 |
ランカシャー統監 1702年 – 1710年 |
次代 ハミルトン公爵 |
ランカシャー副提督 1702年 – 1712年 | ||
空位 最後の在位者 ハミルトン公爵
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ランカシャー統監 1714年 – 1736年 |
空位 次代の在位者 ダービー伯爵
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イングランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・スタンリー |
ダービー伯爵 1702年 – 1736年 |
次代 エドワード・スタンリー |
先代 ヘンリエッタ・アシュバーナム |
ストレンジ男爵 1732年 – 1736年 |
次代 ジェームズ・マレー |
マン島の元首 | ||
先代 ウィリアム・スタンリー |
マン島領主 1702年 – 1736年 |
次代 ジェームズ・マレー |