「ジェイムズ・ウォルドグレイヴ (第2代ウォルドグレイヴ伯爵)」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
5行目: | 5行目: | ||
[[1715年]][[3月4日]]、初代[[ウォルドグレイヴ伯爵]][[ジェイムズ・ウォルドグレイヴ (初代ウォルドグレイヴ伯爵)|ジェイムズ・ウォルドグレイヴ]]とその妻メアリー(Mary, 旧姓ウェブ(Webbe))の間の長男として生まれる<ref name="DNB">{{cite DNB|wstitle=Waldegrave, James (1715-1768)}}</ref>。 |
[[1715年]][[3月4日]]、初代[[ウォルドグレイヴ伯爵]][[ジェイムズ・ウォルドグレイヴ (初代ウォルドグレイヴ伯爵)|ジェイムズ・ウォルドグレイヴ]]とその妻メアリー(Mary, 旧姓ウェブ(Webbe))の間の長男として生まれる<ref name="DNB">{{cite DNB|wstitle=Waldegrave, James (1715-1768)}}</ref>。 |
||
[[イートン校]]を卒業<ref name="DNB"/>。[[1741年]]に父の死により爵位を継承した<ref name="DNB"/>。[[1743年]]から[[1752年]]にかけて[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の{{仮リンク|寝室侍従長|en|Lord of the Bedchamber}}を務め、国王と最も親密な友人・助言者となった<ref name="DNB"/>。1752年に[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]]に列するとともに皇太子[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ]](のちの国王ジョージ3世)の{{仮リンク|手許金会計官|en|Keeper of the Privy Purse}}に就任し、[[1756年]]まで務めた<ref name="DNB"/>。また[[1751年]]から[[1763年]]にかけては{{仮リンク|錫鉱区裁判所所長|en|Lord Warden of the Stannaries}}を務めた<ref name="CP EW">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[イートン校]]を卒業<ref name="DNB"/>。[[1741年]]に父の死により爵位を継承した<ref name="DNB"/>。[[1743年]]から[[1752年]]にかけて[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の{{仮リンク|寝室侍従長|en|Lord of the Bedchamber}}を務め、国王と最も親密な友人・助言者となった<ref name="DNB"/>。1752年に[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]]に列するとともに皇太子[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ]](のちの国王ジョージ3世)の{{仮リンク|手許金会計官|en|Keeper of the Privy Purse}}に就任し、[[1756年]]まで務めた<ref name="DNB"/>。また[[1751年]]から[[1763年]]にかけては{{仮リンク|錫鉱区裁判所所長|en|Lord Warden of the Stannaries}}を務めた<ref name="CP EW">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/waldegrave1729.htm|title=Waldegrave, Earl (GB, 1729)|accessdate= 2019-1-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。1757年から1763年にかけて{{仮リンク|財務省出納官|en|Teller of the Exchequer}}を務めた<ref name="CP EW"/>。[[1757年]]4月に実質的な首相だった[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|大ピット]]がジョージ2世の[[ハノーファー王国|ハノーファー]]優先策と対立して[[南部担当大臣]]から解任された後、同年6月末に[[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|初代ニューカッスル公爵]]と大ピットの内閣が成立するまでの間の政治的混乱の中で、国王から依頼を受けて各方面との交渉に当たり、大ピットとジョージ2世の和解に努めた。この間の[[6月8日]]から[[6月12日|12日]]までの5日間だけ[[ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵)|第4代デヴォンシャー公爵]]に代わって[[第一大蔵卿]]を務めたため、[[イギリスの首相|首相]]と見なされることもある<ref name="DNB"/><ref name="thepeerage">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10279.htm#i102787|title=James Waldegrave, 2nd Earl Waldegrave|accessdate= 2019-01-31 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
||
[[1757年]]に[[ガーター勲章]]を受勲した<ref name="DNB"/>。[[1763年]][[4月13日]]に死去した。女子しかなかったため、爵位は弟の[[ジョン・ウォルドグレイヴ (第3代ウォルドグレイヴ伯爵)|ジョン・ウォルドグレイヴ]]が継承した<ref name="CP EW"/>。 |
[[1757年]]に[[ガーター勲章]]を受勲した<ref name="DNB"/>。[[1763年]][[4月13日]]に死去した。女子しかなかったため、爵位は弟の[[ジョン・ウォルドグレイヴ (第3代ウォルドグレイヴ伯爵)|ジョン・ウォルドグレイヴ]]が継承した<ref name="CP EW"/>。 |
2020年12月4日 (金) 05:52時点における版
第2代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴ(英語: James Waldegrave, 2nd Earl Waldegrave, KG、PC, FRS、1715年3月4日 - 1763年4月13日)は、イギリスの貴族、政治家。1757年中に5日間だけ第一大蔵卿を務めているため、首相と見做されることがある。
経歴
1715年3月4日、初代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴとその妻メアリー(Mary, 旧姓ウェブ(Webbe))の間の長男として生まれる[1]。
イートン校を卒業[1]。1741年に父の死により爵位を継承した[1]。1743年から1752年にかけてジョージ2世の寝室侍従長を務め、国王と最も親密な友人・助言者となった[1]。1752年に枢密顧問官に列するとともに皇太子ジョージ(のちの国王ジョージ3世)の手許金会計官に就任し、1756年まで務めた[1]。また1751年から1763年にかけては錫鉱区裁判所所長を務めた[2]。1757年から1763年にかけて財務省出納官を務めた[2]。1757年4月に実質的な首相だった大ピットがジョージ2世のハノーファー優先策と対立して南部担当大臣から解任された後、同年6月末に初代ニューカッスル公爵と大ピットの内閣が成立するまでの間の政治的混乱の中で、国王から依頼を受けて各方面との交渉に当たり、大ピットとジョージ2世の和解に努めた。この間の6月8日から12日までの5日間だけ第4代デヴォンシャー公爵に代わって第一大蔵卿を務めたため、首相と見なされることもある[1][3]。
1757年にガーター勲章を受勲した[1]。1763年4月13日に死去した。女子しかなかったため、爵位は弟のジョン・ウォルドグレイヴが継承した[2]。
家族
1759年5月に初代英国首相として知られる初代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポールの次男エドワード・ウォルポール(1706-1784)の娘マリア・ウォルポール(1736-1807)と結婚。彼女との間に以下の3子を儲ける[2]。
- 長女エリザベス・ローラ・ウォルドグレイヴ (Lady Elizabeth Laura Waldegrave, 1760-1816) : 第4代ウォルドグレイヴ伯爵ジョージ・ウォルドグレイヴと結婚
- 次女シャーロット・マリア・ウォルドグレイヴ (Lady Charlotte Maria Waldegrave 1761-1808):第4代グラフトン公爵ジョージ・フィッツロイと結婚
- 三女アン・ホレーシャ・ウォルドグレイヴ (Lady Anne Horatia Waldegrave, 1762-1801):ヒュー・シーモア卿と結婚
なお妻のマリアは1766年に王族のグロスター=エディンバラ公爵ウィリアム・ヘンリーと再婚している[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Waldegrave, Earl (GB, 1729)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年1月28日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “James Waldegrave, 2nd Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
外部リンク
- Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
公職 | ||
---|---|---|
先代 トマス・ピット |
錫鉱区裁判所所長 1751年–1762年 |
次代 ハンフリー・モーリス |
先代 初代ウォルポール男爵 |
財務省出納官 1757年–1763年 |
次代 ロバート・ヘンリー |
先代 第4代デヴォンシャー公爵 |
第一大蔵卿 1757年6月8日–1757年6月12日 |
次代 第4代デヴォンシャー公爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・ウォルドグレイヴ |
第2代ウォルドグレイヴ伯爵 1741年–1763年 |
次代 ジョン・ウォルドグレイヴ |