ジョージ・ウォルドグレイヴ (第4代ウォルドグレイヴ伯爵)
第4代ウォルドグレイヴ伯爵ジョージ・ウォルドグレイヴ(英語: George Waldegrave, 4th Earl Waldegrave PC ADC、1751年11月23日 – 1789年10月22日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。1774年から1780年まで庶民院議員を務めた。
生涯
[編集]第3代ウォルドグレイヴ伯爵ジョン・ウォルドグレイヴとエリザベス・ルーソン=ゴア(Elizabeth Leveson-Gower)の長男として生まれた[1]。1759年から1764年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1768年にエンサインとして第3近衛歩兵連隊に入隊、1773年に中尉に、1778年に中佐に、1782年に大佐に昇進した[2]。1779年より第87歩兵連隊隊長を務め、1788年には第63ウェスト・サフォーク歩兵連隊隊長に転じた[2]。
議会では1774年イギリス総選挙で立候補してニューカッスル=アンダー=ライン選挙区で当選したが、コーンウォリス伯爵のエー=ド=カンを務めたため1776年2月から1778年1月まで、1778年4月から11月まで、1779年7月から1782年1月まで米州に滞在し、議会では1775年2月に1度演説し、1779年3月に一度投票しただけだった[2]。1780年イギリス総選挙では立候補せず[2]、その後は1782年から1784年まで宮内副長官を務め[1]、1784年にシャーロット王妃の主馬頭に任命され[1][2]、1784年5月3日に枢密顧問官に任命された[2]。1784年10月22日に父が死去すると、ウォルドグレイヴ伯爵の爵位を継承した[1]。
1789年10月22日に死去、息子ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1782年5月5日、いとこのエリザベス・ウォルドグレイヴと結婚、4男1女をもうけた[1]。
- マリア・ウィルヘルミナ(1783年 – 1805年2月20日) - 1804年1月26日、ナサニエル・ミックルスウェイト(Nathaniel Micklethwait)と結婚
- ジョージ(1784年 – 1794年) - 第5代ウォルドグレイヴ伯爵、早世
- ジョン(1785年 – 1846年) - 第6代ウォルドグレイヴ伯爵、子供あり
- エドワード・ウィリアム(1787年8月29日 – 1809年1月22日) - 軍人。スペインから帰国するときに海難死した
- ウィリアム(1788年 – 1859年) - 第8代ウォルドグレイヴ伯爵
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 2055.
- ^ a b c d e f Brooke, John (1964). "WALDEGRAVE, George, Visct. Chewton (1751-1789)". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月4日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 アレクサンダー・フォレスター ジョージ・ヘイ |
庶民院議員(ニューカッスル=アンダー=ライン選挙区選出) 1774年 – 1780年 同職:ジョージ・ヘイ 1774年 – 1779年 トレンサム子爵 1779年 – 1780年 |
次代 トレンサム子爵 サー・アーチボルド・マクドナルド |
軍職 | ||
新設連隊 | 第87歩兵連隊隊長 1779年 – 1783年 |
連隊解体 |
先代 アレクサンダー・レズリー |
第63ウェスト・サフォーク歩兵連隊隊長 1788年 – 1789年 |
次代 バルカレス伯爵 |
先代 ジョン・ダグラス |
第14ベッドフォードシャー歩兵連隊隊長 1789年 |
次代 ジョージ・ホサム |
公職 | ||
先代 ヒンチングブルック子爵 |
宮内副長官 1782年 – 1784年 |
次代 ハーバート卿 |
先代 ウォルドグレイヴ伯爵 |
シャーロット王妃の主馬頭 1784年 – 1789年 |
空位 次代の在位者 ハーコート伯爵
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グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョン・ウォルドグレイヴ |
ウォルドグレイヴ伯爵 1784年 – 1789年 |
次代 ジョージ・ウォルドグレイヴ |