「ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズ (第4代ヘイスティングズ侯爵)」の版間の差分
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1864年にフローレンス・パジェット(Florence Paget、{{仮リンク|ヘンリー・パジェット_(第2代アングルシー侯爵)|en|Henry_Paget,_2nd_Marquess_of_Anglesey|label=第2代アングルシー侯爵}}の一人娘)と結婚した<ref name=":0" /><ref name="Malcomson2006" />。その際に、フローレンスは{{仮リンク|ヘンリー・チャップリン_(初代チャップリン子爵)|en|Henry_Chaplin,_1st_Viscount_Chaplin|label=ヘンリー・チャップリン}}からも求婚を受けており、それを承諾していたためスキャンダルを引き起こしている<ref>[http://www.macla.co.uk/blankney/chaplin2.htm The 1867 Derby at macla.co.uk]</ref>。 |
1864年にフローレンス・パジェット(Florence Paget、{{仮リンク|ヘンリー・パジェット_(第2代アングルシー侯爵)|en|Henry_Paget,_2nd_Marquess_of_Anglesey|label=第2代アングルシー侯爵}}の一人娘)と結婚した<ref name=":0" /><ref name="Malcomson2006" />。その際に、フローレンスは{{仮リンク|ヘンリー・チャップリン_(初代チャップリン子爵)|en|Henry_Chaplin,_1st_Viscount_Chaplin|label=ヘンリー・チャップリン}}からも求婚を受けており、それを承諾していたためスキャンダルを引き起こしている<ref>[http://www.macla.co.uk/blankney/chaplin2.htm The 1867 Derby at macla.co.uk]</ref>。 |
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1868年に僅か26歳で死去、夫妻に子供はなかった<ref name=":0" />。そのため、父方に由来するヘイスティングズ侯爵やモイラ伯爵は廃絶した<ref name=":0" />。一方で、女系継承を認めるラウドン伯爵以下3つの[[スコットランド貴族]]爵位はエディスに相続されたが、母方由来の6つの[[イングランド貴族]]爵位はヘンリーの4人の姉妹間で優劣がつかず[[停止 (爵位)|停止]]となった<ref>{{Cite web|title=Hastings of Hastings, Baron (E, 1461 - abeyant 1960)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
1868年に僅か26歳で死去、夫妻に子供はなかった<ref name=":0" />。そのため、父方に由来するヘイスティングズ侯爵やモイラ伯爵は廃絶した<ref name=":0" />。一方で、女系継承を認めるラウドン伯爵以下3つの[[スコットランド貴族]]爵位はエディスに相続されたが、母方由来の6つの[[イングランド貴族]]爵位はヘンリーの4人の姉妹間で優劣がつかず[[停止 (爵位)|停止]]となった<ref>{{Cite web|title=Hastings of Hastings, Baron (E, 1461 - abeyant 1960)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/hastings1461.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-06-05}}</ref>。 |
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== 栄典 == |
== 栄典 == |
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1851年1月17日に兄ポーリンの死去に伴って、以下の爵位と[[準男爵]]位を継承した<ref name=":0">{{Cite web|title=Hastings, Marquess of (UK, 1817 - 1868)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/hastings1817.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-06-05}}</ref><ref name="burke">{{cite book|title=Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood|publisher=Burke's Peerage & Gentry|editor=Mosley, Charles|edition=107|year=2003|page=3474|pages=|ref=Burke|isbn=0-9711966-2-1|date=|volume=3}}</ref>。 |
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* '''第4代[[ヘイスティングズ侯爵]]'''<small>(4th Marquess of Hastings)</small><br />(1816年12月6日の勅許状による[[連合王国貴族]]爵位) |
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* '''第8代(ダウン県モイラの)準男爵'''<small>(Baronet, of Moira, Down)</small><br />([[1665年]]創設のアイルランド準男爵位) |
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1858年11月19日に母バーバラの死去に伴って、以下の爵位を継承した<ref>{{Cite web|title=Grey of Ruthin, Baron (E, 1325 - abeyant 1963)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
1858年11月19日に母バーバラの死去に伴って、以下の爵位を継承した<ref>{{Cite web|title=Grey of Ruthin, Baron (E, 1325 - abeyant 1963)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/greyr1324.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-06-05}}</ref>。 |
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* '''第21代{{仮リンク|ルシンのグレイ男爵|en|Baron_Grey_of_Ruthin}}'''<small>(21st Baron Grey de Ruthyn)</small><br />([[1325年]][[10月10日]]の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) |
2020年12月4日 (金) 05:39時点における版
第4代ヘイスティングズ侯爵 ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズ | |
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レスターシャー・ヨーマン連隊付少尉として。1861年 | |
個人情報 | |
生誕 | 1842年7月22日 |
死没 | 1868年11月10日 (26歳没) |
配偶者 | フローレンス・パジェット |
親戚 | エディス・ロードン=ヘイスティングズ (姉) |
親 | 第2代ヘイスティングズ侯爵 第20代ルシンのグレイ女男爵バーバラ・エルバーストン |
第4代ヘイスティングズ侯爵ヘンリー・ウェイズフォード・チャールズ・プランタジネット・ロードン=ヘイスティングズ(英語: Henry Weysford Charles Plantagenet Rawdon-Hastings, 4th Marquess of Hastings、1842年7月22日 - 1868年11月10日)は、イギリスの貴族。その生涯でイングランド、スコットランド、アイルランド三王国の爵位を保持したほか、グレートブリテン貴族爵位及び連合王国貴族爵位も帯びていた。
生涯
第2代ヘイスティングズ侯爵と第20代ルシンのグレイ女男爵バーバラ・エルバーストンとの次男として誕生した[1]。ヘンリーが2歳の時に父が亡くなると兄ポーリンが父の爵位を継承したが、その兄も1851年に亡くなったため、僅か9歳にしてヘイスティングズ侯爵を相続した[1]。さらに、1858年に母からもルシンのグレイ男爵を継承している[2][3]。その結果、イングランド、スコットランド、アイルランド三王国の爵位をすべて保持するに至った。
1864年にフローレンス・パジェット(Florence Paget、第2代アングルシー侯爵の一人娘)と結婚した[1][2]。その際に、フローレンスはヘンリー・チャップリンからも求婚を受けており、それを承諾していたためスキャンダルを引き起こしている[4]。
1868年に僅か26歳で死去、夫妻に子供はなかった[1]。そのため、父方に由来するヘイスティングズ侯爵やモイラ伯爵は廃絶した[1]。一方で、女系継承を認めるラウドン伯爵以下3つのスコットランド貴族爵位はエディスに相続されたが、母方由来の6つのイングランド貴族爵位はヘンリーの4人の姉妹間で優劣がつかず停止となった[5]。
栄典
1851年1月17日に兄ポーリンの死去に伴って、以下の爵位と準男爵位を継承した[1][6]。
- 第4代ヘイスティングズ侯爵(4th Marquess of Hastings)
(1816年12月6日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第9代ラウドン伯爵(9th Earl of Loudoun)
(1633年5月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位) - 第5代モイラ伯爵(5th Earl of Moira)
(1762年1月30日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第4代ロードン伯爵(4th Earl of Rawdon)
(1762年1月30日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第4代ラウドン子爵(4th Viscount Loudoun)
(1762年1月30日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第20代ボトリー男爵(20th Baron Botreaux)
(1367/8年2月24日の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) - 第19代ハンガーフォード男爵(19th Baron Hungerford)
(1425年1月7日の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) - 第17代ド・モリンズ男爵(17th Baron De Moleyns)
(1444/5年1月13日の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) - 第17代ヘイスティングズのヘイスティングズ男爵(17th Baron Hastings of Hastings)
(1461年7月26日の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) - 第17代ハンガーフォードのヘイスティングズ男爵(17th Baron Hastings of Hungerford)
(1482年11月15日の議会召集令状によるイングランド貴族爵位) - 第9代ラウダンのキャンベル卿(9th Lord Campbell of Loudoun)
(1601年6月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位) - 第9代タリネイン=モホリン卿(9th Lord Tarrinzean and Mauchline)
(1633年5月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位) - 第5代ダウン県におけるモイラのロードン男爵(5th Baron Rawdon, of Moira in the County of Down)
(1750年4月9日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) - 第4代ヨーク州におけるロードンのロードン男爵(4th Baron Rawdon, of Rawdon in the County of York)
(1783年3月4日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) - 第8代(ダウン県モイラの)準男爵(Baronet, of Moira, Down)
(1665年創設のアイルランド準男爵位)
1858年11月19日に母バーバラの死去に伴って、以下の爵位を継承した[7]。
出典
- ^ a b c d e f “Hastings, Marquess of (UK, 1817 - 1868)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年6月5日閲覧。
- ^ a b Malcomson, A. P. W. (2006) (英語). The Pursuit of the Heiress: Aristocratic Marriage in Ireland 1740-1840. Ulster Historical Foundation. p. 269. ISBN 978-1-903688-65-6 6 March 2020閲覧。
- ^ Haydn, Joseph (1851) (英語). The Book of Dignities: Containing Rolls of the Official Personages of the British Empire ... from the Earliest Periods to the Present Time ... Together with the Sovereigns of Europe, from the Foundation of Their Respective States; the Peerage of England and Great Britain .... Longmans, Brown, Green, and Longmans. p. 538 6 March 2020閲覧。
- ^ The 1867 Derby at macla.co.uk
- ^ “Hastings of Hastings, Baron (E, 1461 - abeyant 1960)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年6月5日閲覧。
- ^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. 3 (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 3474. ISBN 0-9711966-2-1
- ^ “Grey of Ruthin, Baron (E, 1325 - abeyant 1963)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年6月5日閲覧。
外部リンク
イギリスの爵位 | ||
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先代 ポーリン・ロードン=ヘイスティングズ |
ヘイスティングズ侯爵 1851–1868 |
廃絶 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ポーリン・ロードン=ヘイスティングズ |
モイラ伯爵 1851–1868 |
廃絶 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ポーリン・ロードン=ヘイスティングズ |
ラウドン伯爵 1851–1868 |
次代 エディス・ロードン=ヘイスティングズ |
イングランドの爵位 | ||
先代 ポーリン・ロードン=ヘイスティングズ |
ヘイスティングズのヘイスティングズ男爵 ハンガーフォードのヘイスティングズ男爵 ボトリー男爵 ハンガーフォード男爵 ド・モリンズ男爵 1851–1868 |
次代 保持者不在 次の在位者 エディス・ロードン=ヘイスティングズ, 1871 |
先代 バーバラ・ロードン=ヘイスティングズ |
ルシンのグレイ男爵 1858–1868 |
次代 保持者不在 次の在位者 バーサ・クリフトン, 1885 |