コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

イーディス・ロードン=ヘイスティングズ (第10代ラウドン女伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カミーユ・シルヴィによる写真、1861年4月30日撮影。

第10代ラウドン女伯爵イーディス・モード・ロードン=ヘイスティングズ英語: Edith Maud Rawdon-Hastings, 10th Countess of Loudoun1833年12月10日1874年1月23日)は、イギリスの貴族。

生涯

[編集]

第2代ヘイスティングズ侯爵ジョージ・ロードン=ヘイスティングズと妻バーバラ英語版(旧姓イェルヴァートン(Yelverton)、1810年5月20日 – 1858年11月19日、第20代グレイ・ド・ルシン女男爵、第19代グレイ・ド・ルシン男爵ヘンリー・イェルヴァートン英語版の娘)の娘として、1833年12月10日に生まれ、1834年1月4日にカースル・ドニントン英語版で洗礼を受けた[1]

1853年4月30日、チャールズ・クリフトン(1880年に初代ドニントン男爵に叙爵)と結婚[1]、4男2女をもうけた[2]。1859年、議会立法により夫が姓を「アブニー=ヘイスティングズ」に改めた[3]

1868年11月10日に弟にあたる第4代ヘイスティングズ侯爵ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズが死去すると、ラウドン女伯爵位を継承した[1]。また、弟の死去に伴いボトリー男爵位、ハンガーフォード男爵位、ド・モリンズ男爵位、ヘイスティングズ男爵位が停止状態になったが、1871年11月6日に解消され、イーディスが継承することとなった[1]

1874年1月23日にワイト島ヴェントナー英語版で死去、息子チャールズ・エドワードが爵位を継承した[1]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 153–154.
  2. ^ "Loudoun, Earl of (S, 1633)". Cracroft's Peerage (英語). 12 July 2012. 2021年1月4日閲覧
  3. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 399.

外部リンク

[編集]
スコットランドの爵位
先代
ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズ
ラウドン女伯爵
1868年 – 1874年
次代
チャールズ・ロードン=ヘイスティングズ
イングランドの爵位
停止
最後の在位者
ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズ
ボトリー女男爵
1871年 – 1874年
次代
チャールズ・ロードン=ヘイスティングズ
ハンガーフォード女男爵
1871年 – 1874年
ド・モリンズ女男爵
1871年 – 1874年
ヘイスティングズ女男爵
1871年 – 1874年