チャールズ・ロードン=ヘイスティングズ (第11代ラウドン伯爵)
第11代ラウドン伯爵チャールズ・エドワード・ロードン=ヘイスティングズ(英語: Charles Edward Rawdon-Hastings, 11th Earl of Loudoun、出生名チャールズ・エドワード・アブニー=ヘイスティングズ(Charles Edward Abney-Hastings)、1855年1月5日 – 1920年5月17日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]チャールズ・フレデリック・クリフトン(1822年6月17日 – 1895年7月2日、1859年に姓をアブニー=ヘイスティングズに改め、1880年にドニントン男爵に叙爵[1])と第10代ラウドン女伯爵イーディス・ロードン=ヘイスティングズ(1833年12月10日 – 1874年1月23日)の息子として、1855年1月5日に生まれ、6月20日にグローヴナー・チャペルで洗礼を受けた[2]。
1874年1月23日に母が死去すると、ラウドン伯爵、ボトリー男爵、ド・モリンズ男爵、ヘイスティングズ男爵位を継承[3]、1876年5月8日にヘイスティングズ男爵として貴族院議員に就任、1880年5月20日にボトリー男爵として貴族院議員に就任した[2]。
1874年6月23日、レスターシャー・ライフル志願兵第3軍団の大尉に任命された[4]。1879年2月26日にレスターシャー・ヨーマンリーの定員外少尉(2nd Lieutenant (Supernumerary))に任命され[5]、1883年3月28日にヨーマンリーから辞任した[6]。
1883年時点で(父との合算で[注釈 1])エアシャーに18,638エーカーの、レスターシャーに10,174エーカーの、ダービーシャーに2,750エーカーの、ウェスト・ライディング・オブ・ヨークシャーに1,348エーカーの土地(年収39,977ポンドに相当)を所有する大地主であり、ロワラン城、ラウドン城、ウィレスリー・ホール、ドニントン・ホールなど多くの邸宅を擁した[2]。
1887年4月8日、ヴィクトリア女王の認可状を得て、父とともに姓を「ロードン=ヘイスティングズ」(Rawdon-Hastings)に改めた[2]。1895年7月24日に父が死去すると、ドニントン男爵位を継承した[2]。
1920年5月17日に死去、ラウドン伯爵位は弟ポーリン・フランシス・カスバート(Paulyn Francis Cuthbert、1856年10月21日 – 1907年10月19日)の娘イーディス・モードが、ドニントン男爵位は弟ギルバート・セオフィラス・クリフトンが継承し、ボトリー男爵位、ハンガーフォード男爵位、ド・モリンズ男爵位、ヘイスティングズ男爵位は弟ポーリン・フランシス・カスバートの娘3名(イーディス・モード、エリザベス・フランシス、フローラ・アン)の間で停止状態になった[3]。3人は1920年12月17日に貴族院の議決により4男爵位と(ノッキンの)ストレンジ男爵位、スタンリー男爵位の共同相続人に認定された[3]。その後、これらの爵位の停止状態の一部が1921年2月23日に解消され、イーディス・モードがボトリー男爵、ヘイスティングズ男爵、スタンリー男爵を、エリザベス・フランシスがハンガーフォード男爵、ド・モリンズ男爵、ストレンジ男爵を継承した[3]。
家族
[編集]1880年2月4日、アリス・メアリー・エリザベス・フィッツアラン=ハワード(Alice Mary Elizabeth Fitzalan-Howard、1856年6月20日 – 1915年5月10日、初代グロソップのハワード男爵エドワード・ジョージ・フィッツアラン=ハワードの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[3]。
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 399.
- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 153–154.
- ^ a b c d e "Loudoun, Earl of (S, 1633)". Cracroft's Peerage (英語). 12 July 2012. 2021年1月22日閲覧。
- ^ "No. 24107". The London Gazette (英語). 23 June 1874. p. 3150.
- ^ "No. 24682". The London Gazette (英語). 25 February 1879. p. 934.
- ^ "No. 25216". The London Gazette (英語). 27 March 1883. p. 1699.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the 2nd Baron Donington
スコットランドの爵位 | ||
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先代 イーディス・ロードン=ヘイスティングズ |
ラウドン伯爵 1874年 – 1920年 |
次代 イーディス・アブニー=ヘイスティングズ |
イングランドの爵位 | ||
先代 イーディス・ロードン=ヘイスティングズ |
ボトリー男爵 1874年 – 1920年 |
停止 次代の在位者 イーディス・アブニー=ヘイスティングズ
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ヘイスティングズ男爵 1874年 – 1920年 | ||
ハンガーフォード男爵 1874年 – 1920年 |
停止 次代の在位者 エリザベス・フィリップス
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ド・モリンズ男爵 1874年 – 1920年 | ||
イギリスの爵位 | ||
先代 チャールズ・ロードン=ヘイスティングズ |
ドニントン男爵 1895年 – 1920年 |
次代 ギルバート・アブニー=ヘイスティングズ |