「インチクィン男爵」の版間の差分
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最後の{{仮リンク|ソモンド王|en|List of monarchs of Thomond}}であった[[マロー・オブライエン (初代ソモンド伯爵)|マロー・オブライエン]]<small>(-1551)</small>は、イングランドのアイルランド支配に対抗するも結局[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]に降伏し、[[1543年]][[7月1日]]の[[勅許状]]で[[アイルランド貴族]]爵位'''ソモンド伯爵'''(Earl of Thomond)と'''インチクィン男爵'''(Baron of Inchiquin)に叙せられた。インチクィン男爵位は通常通り直系の男系男子に継承される爵位だが、ソモンド伯爵位はマローの甥{{仮リンク|ドノー・オブライエン (第2代ソモンド伯爵)|label=ドノー・オブライエン|en|Donough O'Brien, 2nd Earl of Thomond}}(前ソモンド王{{仮リンク|コナー・オブライエン (ソモンド王)|label=コナー・オブライエン|en|Connor O'Brien, King of Thomond}}の息子)に継承される旨の特別継承権の規定が付けられていた<ref name="thepeerage.com1">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p4194.htm#i41934|title=Murrough O'Brien, 1st Earl of Thomond|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP BI">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
最後の{{仮リンク|ソモンド王|en|List of monarchs of Thomond}}であった[[マロー・オブライエン (初代ソモンド伯爵)|マロー・オブライエン]]<small>(-1551)</small>は、イングランドのアイルランド支配に対抗するも結局[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]に降伏し、[[1543年]][[7月1日]]の[[勅許状]]で[[アイルランド貴族]]爵位'''ソモンド伯爵'''(Earl of Thomond)と'''インチクィン男爵'''(Baron of Inchiquin)に叙せられた。インチクィン男爵位は通常通り直系の男系男子に継承される爵位だが、ソモンド伯爵位はマローの甥{{仮リンク|ドノー・オブライエン (第2代ソモンド伯爵)|label=ドノー・オブライエン|en|Donough O'Brien, 2nd Earl of Thomond}}(前ソモンド王{{仮リンク|コナー・オブライエン (ソモンド王)|label=コナー・オブライエン|en|Connor O'Brien, King of Thomond}}の息子)に継承される旨の特別継承権の規定が付けられていた<ref name="thepeerage.com1">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p4194.htm#i41934|title=Murrough O'Brien, 1st Earl of Thomond|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP BI">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/inchiquin1543.htm|title=Inchiquin, Baron (I, 1543)|accessdate= 2016-02-18 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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この規定によりマローの長男[[ダーモッド・オブライエン (第2代インチクィン男爵)|ダーモッド・オブライエン]]<small>(-1557)</small>は、2代インチクィン男爵位のみを継承した<ref name="CP BI" />。 |
この規定によりマローの長男[[ダーモッド・オブライエン (第2代インチクィン男爵)|ダーモッド・オブライエン]]<small>(-1557)</small>は、2代インチクィン男爵位のみを継承した<ref name="CP BI" />。 |
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6代男爵{{仮リンク|マロー・オブライエン (初代インチクィン伯爵)|label=マロー・オブライエン|en|Murrough O'Brien, 1st Earl of Inchiquin}}<small>(1618–1674)</small>は、[[ピューリタン革命]]期に[[マンスター]]の王党派を指揮した{{sfn|ベケット|1972|p=104/107}}。[[1654年]][[10月21日]]にはアイルランド貴族爵位'''インチクィン伯爵'''(Earl of Inchiquin)と'''クレア県におけるバレンのオブライエン男爵'''(Baron O'Brien, of Burren in the County of Clare)に叙せられた<ref name="CP EI">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
6代男爵{{仮リンク|マロー・オブライエン (初代インチクィン伯爵)|label=マロー・オブライエン|en|Murrough O'Brien, 1st Earl of Inchiquin}}<small>(1618–1674)</small>は、[[ピューリタン革命]]期に[[マンスター]]の王党派を指揮した{{sfn|ベケット|1972|p=104/107}}。[[1654年]][[10月21日]]にはアイルランド貴族爵位'''インチクィン伯爵'''(Earl of Inchiquin)と'''クレア県におけるバレンのオブライエン男爵'''(Baron O'Brien, of Burren in the County of Clare)に叙せられた<ref name="CP EI">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/inchiquin1654.htm|title=Inchiquin, Earl of (I, 1654 - 1855)|accessdate= 2016-02-18 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.com6">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3837.htm#i38366|title=Morrogh O'Brien, 1st Earl of Inchiquin|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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2代伯{{仮リンク|ウィリアム・オブライエン (第2代インチクィン伯爵)|label=ウィリアム・オブライエン|en|William O'Brien, 2nd Earl of Inchiquin}}<small>(1640–1692)</small>は、[[1690年]]から[[1692年]]にかけて[[ジャマイカ総督]]を務めた<ref name="CP EI" /><ref name="thepeerage.com7">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3837.htm#i38367|title=William O'Brien, 2nd Earl of Inchiquin|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2代伯{{仮リンク|ウィリアム・オブライエン (第2代インチクィン伯爵)|label=ウィリアム・オブライエン|en|William O'Brien, 2nd Earl of Inchiquin}}<small>(1640–1692)</small>は、[[1690年]]から[[1692年]]にかけて[[ジャマイカ総督]]を務めた<ref name="CP EI" /><ref name="thepeerage.com7">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3837.htm#i38367|title=William O'Brien, 2nd Earl of Inchiquin|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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5代伯{{仮リンク|マロー・オブライエン (初代ソモンド侯爵)|label=マロー・オブライエン|en|Murrough O'Brien, 1st Marquess of Thomond}}<small>(1726–1808)</small>は、襲爵前に[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の、襲爵後は[[イギリス議会|グレートブリテン議会]]の庶民院議員を務めた。彼は[[1800年]][[12月29日]]に男子なき場合に兄弟への特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位'''ソモンド侯爵'''(Marquess of Thomond)に叙せられた。さらに[[1801年]][[10月2日]]には[[連合王国貴族]]爵位'''バッキンガム州におけるタプロウのソモンド男爵'''(Baron Thomond, of Taplow in the County of Buckingham)に叙せられたことで連合王国議会[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員となったが、彼には男子がなかったためこのソモンド男爵位は彼一代で廃絶している<ref name="CP MT">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
5代伯{{仮リンク|マロー・オブライエン (初代ソモンド侯爵)|label=マロー・オブライエン|en|Murrough O'Brien, 1st Marquess of Thomond}}<small>(1726–1808)</small>は、襲爵前に[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の、襲爵後は[[イギリス議会|グレートブリテン議会]]の庶民院議員を務めた。彼は[[1800年]][[12月29日]]に男子なき場合に兄弟への特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位'''ソモンド侯爵'''(Marquess of Thomond)に叙せられた。さらに[[1801年]][[10月2日]]には[[連合王国貴族]]爵位'''バッキンガム州におけるタプロウのソモンド男爵'''(Baron Thomond, of Taplow in the County of Buckingham)に叙せられたことで連合王国議会[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員となったが、彼には男子がなかったためこのソモンド男爵位は彼一代で廃絶している<ref name="CP MT">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/thomond1800.htm|title=Thomond, Marquess of (I, 1800-1855)|accessdate= 2016-02-18 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.com10">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3834.htm#i38337|title=Murrough O'Brien, 1st Marquess of Thomond|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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初代ソモンド侯の死後、甥にあたる[[ウィリアム・オブライエン (第2代ソモンド侯爵)|ウィリアム・オブライエン]]<small>(1765–1846)</small>が特別継承規定により2代ソモンド侯となる。彼はアイルランド[[貴族代表議員]]としてイギリス貴族院議員を務めた後、[[1826年]][[7月3日]]に連合王国貴族爵位'''ヨーク州におけるタッドカスターのタッドカスター男爵'''(Baron Tadcaster, of Tadcaster in the County of York)に叙せられた。しかし彼にも男子はなかったのでタッドカスター男爵位は彼一代で絶えた<ref name="CP MT" /><ref name="thepeerage.com11">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3835.htm#i38348|title=William O'Brien, 2nd Marquess of Thomond|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
初代ソモンド侯の死後、甥にあたる[[ウィリアム・オブライエン (第2代ソモンド侯爵)|ウィリアム・オブライエン]]<small>(1765–1846)</small>が特別継承規定により2代ソモンド侯となる。彼はアイルランド[[貴族代表議員]]としてイギリス貴族院議員を務めた後、[[1826年]][[7月3日]]に連合王国貴族爵位'''ヨーク州におけるタッドカスターのタッドカスター男爵'''(Baron Tadcaster, of Tadcaster in the County of York)に叙せられた。しかし彼にも男子はなかったのでタッドカスター男爵位は彼一代で絶えた<ref name="CP MT" /><ref name="thepeerage.com11">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3835.htm#i38348|title=William O'Brien, 2nd Marquess of Thomond|accessdate= 2016-02-18 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2020年12月4日 (金) 05:18時点における版
インチクィン男爵(英語: Baron Inchiquin)は、アイルランド貴族の男爵位。
マロー・オブライエンが1543年に叙されたのに始まる。6代男爵マロー・オブライエンの代の1654年にインチクィン伯爵、10代男爵マロー・オブライエンの代の1800年にソモンド侯爵に叙せられているが、両爵位とも1855年に廃絶。インチクィン男爵のみ初代男爵に遡っての分流に継承されて現存している。2016年現在の当主は18代男爵コナー・オブライエン。
歴史
最後のソモンド王であったマロー・オブライエン(-1551)は、イングランドのアイルランド支配に対抗するも結局ヘンリー8世に降伏し、1543年7月1日の勅許状でアイルランド貴族爵位ソモンド伯爵(Earl of Thomond)とインチクィン男爵(Baron of Inchiquin)に叙せられた。インチクィン男爵位は通常通り直系の男系男子に継承される爵位だが、ソモンド伯爵位はマローの甥ドノー・オブライエン(前ソモンド王コナー・オブライエンの息子)に継承される旨の特別継承権の規定が付けられていた[1][2]。
この規定によりマローの長男ダーモッド・オブライエン(-1557)は、2代インチクィン男爵位のみを継承した[2]。
6代男爵マロー・オブライエン(1618–1674)は、ピューリタン革命期にマンスターの王党派を指揮した[3]。1654年10月21日にはアイルランド貴族爵位インチクィン伯爵(Earl of Inchiquin)とクレア県におけるバレンのオブライエン男爵(Baron O'Brien, of Burren in the County of Clare)に叙せられた[4][5]。
2代伯ウィリアム・オブライエン(1640–1692)は、1690年から1692年にかけてジャマイカ総督を務めた[4][6]。
5代伯マロー・オブライエン(1726–1808)は、襲爵前にアイルランド議会の、襲爵後はグレートブリテン議会の庶民院議員を務めた。彼は1800年12月29日に男子なき場合に兄弟への特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位ソモンド侯爵(Marquess of Thomond)に叙せられた。さらに1801年10月2日には連合王国貴族爵位バッキンガム州におけるタプロウのソモンド男爵(Baron Thomond, of Taplow in the County of Buckingham)に叙せられたことで連合王国議会貴族院議員となったが、彼には男子がなかったためこのソモンド男爵位は彼一代で廃絶している[7][8]。
初代ソモンド侯の死後、甥にあたるウィリアム・オブライエン(1765–1846)が特別継承規定により2代ソモンド侯となる。彼はアイルランド貴族代表議員としてイギリス貴族院議員を務めた後、1826年7月3日に連合王国貴族爵位ヨーク州におけるタッドカスターのタッドカスター男爵(Baron Tadcaster, of Tadcaster in the County of York)に叙せられた。しかし彼にも男子はなかったのでタッドカスター男爵位は彼一代で絶えた[7][9]。
2代ソモンド侯の死後、その弟であるジェイムズ・オブライエン(1768–1855)が3代ソモンド侯を継承した。彼は海軍大将まで昇進した海軍軍人だった。子供はなく、彼の死去を以てインチクィン男爵位を除く全爵位(ソモンド侯・インチクィン伯・オブライエン男爵)が廃絶した[7][10]。
インチクィン男爵位は初代男爵に遡っての分流である5代準男爵ルーシャス・オブライエン(1800–1872)に継承された(13代男爵)[2][11]。
13代男爵、14代男爵エドワード・オブライエン(1839–1900)、15代男爵ルーシャス・オブライエン(1864–1929)はアイルランド貴族代表議員として貴族院に議席を持った[2]。
2017年現在の当主は18代インチクィン男爵コナー・オブライエン(1943-)である[2][12]。
邸宅はアイルランド・クレア県にあるソモンド・ハウス(Thomond House)[2]。
現当主の保有爵位・準男爵位
現在の当主18代インチクィン男爵コナー・オブライエンは以下の爵位・準男爵位を保有している[2][12]。
- 第18代インチクィン男爵 (18th Baron Inchiquin)
- 第10代(レメナの)準男爵 (10th Baronet, "of Lemenagh")
一覧
インチクィン男爵 (1543年)
- 初代インチクィン男爵マロー・オブライエン (-1551)
- 2代インチクィン男爵ダーモッド・オブライエン (-1557)
- 3代インチクィン男爵マロー・マクダーモット・オブライエン (1550–1574)
- 4代インチクィン男爵マロー・オブライエン (1563–1597)
- 5代インチクィン男爵ダーモッド・オブライエン (1594–1624)
- 6代インチクィン男爵マロー・オブライエン (1618–1674)
- 1654年にインチクィン伯爵に叙される。
インチクィン伯 (1654年)
- 初代インチクィン伯・6代インチクィン男爵マロー・オブライエン (1618–1674)
- 2代インチクィン伯・7代インチクィン男爵ウィリアム・オブライエン (1640–1692)
- 3代インチクィン伯・8代インチクィン男爵ウィリアム・オブライエン (1662–1719)
- 4代インチクィン伯・9代インチクィン男爵ウィリアム・オブライエン (1700–1777)
- 5代インチクィン伯・10代インチクィン男爵マロー・オブライエン (1726–1808)
- 1800年にソモンド侯爵に叙される
ソモンド侯 (1800年)
- 初代ソモンド侯・10代インチクィン男爵マロー・オブライエン (1726–1808)
- 2代ソモンド侯・11代インチクィン男爵ウィリアム・オブライエン (1765–1846)
- 3代ソモンド侯・12代インチクィン男爵ジェイムズ・オブライエン (1768–1855)
- 彼の死とともにソモンド侯位・インチクィン伯位廃絶
(レメナの)準男爵 (1686年)
- 初代準男爵サー・ドノー・オブライエン (-1717)
- 2代準男爵サー・エドワード・オブライエン (-1765)
- 3代準男爵サー・ルーシャス・オブライエン (-1795)
- 4代準男爵サー・エドワード・オブライエン (-1837)
- 5代準男爵サー・ルーシャス・オブライエン (1800–1872)
- 1855年に第13代インチクィン男爵位を継承
インチクィン男爵 (1543年)
- 13代インチクィン男爵ルーシャス・オブライエン (1800–1872)
- 14代インチクィン男爵エドワード・ドノー・オブライエン (1839–1900)
- 15代インチクィン男爵ルーシャス・ウィリアム・オブライエン (1864–1929)
- 16代インチクィン男爵ドノー・エドワード・フォスター・オブライエン (1897–1968)
- 17代インチクィン男爵フェドリグ・ルーシャス・アンブローズ・オブライエン (1900–1982)
- 18代インチクィン男爵コナー・マイルズ・ジョン・オブライエン (born 1943)
- 推定相続人は、現当主の又従兄弟にあたるコナー・ジョン・アンソニー・オブライエン(1952-)
系譜図
ソモンド王 トゥーロッホ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ソモンド王 コナー (-1540) | ソモンド王 マロー (-1551) 初代ソモンド伯爵 初代インチクィン男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドノー (-1553) 第2代ソモンド伯爵 | ダーモッド (-1557) 第2代インチクィン男爵 | ドノー (-1582) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
コナー (1535-1581) 第3代ソモンド伯爵 | マロー (1550-1573) 第3代インチクィン男爵 | コナー (-1604) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドノー (-1624) 第4代ソモンド伯爵 | マロー (1562-1597) 第4代インチクィン男爵 | ドノー (1595-1635) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (1588-1639) 第5代ソモンド伯爵 | バーナバス (-1657) 第6代ソモンド伯爵 | ダーモッド (1594-1624) 第5代インチクィン男爵 | コナー (1617-1651) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (1620-1691) 第7代ソモンド伯爵 | マロー (1614-1674) 初代インチクィン伯爵 第6代インチクィン男爵 | ドノー (1642-1717) 初代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (-1690) | ウィリアム (1640-1692) 第2代インチクィン伯爵 第7代インチクィン男爵 | ルーシャス (1675-1717) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー (1688-1741) 第8代ソモンド伯爵 | ウィリアム (1662-1719) 第3代インチクィン伯爵 第8代インチクィン男爵 | エドワード (1705-1765) 第2代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム (1700-1777) 第4代インチクィン伯爵 第9代インチクィン男爵 | ジェームズ (1701-1771) | ルーシャス (1731-1795) 第3代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
マロー (1726-1808) 初代ソモンド侯爵 第5代インチクィン伯爵 第10代インチクィン男爵 初代ソモンド男爵 | エドワード (1735-1801) | エドワード (1773-1839) 第4代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム (1765-1846) 第2代ソモンド侯爵 第11代インチクィン男爵 初代タッドカスター男爵 | ジェームズ (1769-1855) 第3代ソモンド侯爵 第12代インチクィン男爵 | ルーシャス (1800-1872) 第13代インチクィン男爵 第5代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
エドワード (1839-1900) 第14代インチクィン男爵 第6代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルーシャス (1864-1929) 第15代インチクィン男爵 第7代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ドノー (1897-1968) 第16代インチクィン男爵 第8代準男爵 | ファエドリグ (1900-1982) 第17代インチクィン男爵 第9代準男爵 | フィオン (1903-1977) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
コナー (1943-) 第18代インチクィン男爵 第10代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コナー (法定推定相続人) (1952-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
出典
- ^ Lundy, Darryl. “Murrough O'Brien, 1st Earl of Thomond” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Inchiquin, Baron (I, 1543)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月18日閲覧。
- ^ ベケット 1972, p. 104/107.
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Inchiquin, Earl of (I, 1654 - 1855)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Morrogh O'Brien, 1st Earl of Inchiquin” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William O'Brien, 2nd Earl of Inchiquin” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ a b c Heraldic Media Limited. “Thomond, Marquess of (I, 1800-1855)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Murrough O'Brien, 1st Marquess of Thomond” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “William O'Brien, 2nd Marquess of Thomond” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Admiral James O'Brien, 3rd Marquess of Thomond” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Lucius O'Brien, 13th Baron of Inchiquin” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Conor Myles John O'Brien, 18th Baron of Inchiquin” (英語). thepeerage.com. 2016年2月18日閲覧。
参考文献
- ベケット, J.C 著、藤森一明 訳『アイルランド史』八潮出版社、1972年。ASIN B000J9GBGE。
関連項目
- オブライエン朝
- カシェル王
- デズモンド王
- マンスター王
- ソモンド王 1119–1543
- 前期インチクィン男爵
- ソモンド伯爵
- ポジルのカーター=キャンベル