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ウィリアム・オブライエン (第3代インチクィン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1690年頃のウィリアム・オブライエン

第3代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエン英語: William O'Brien, 3rd Earl of Inchiquin PC (Ire)、1666年頃 – 1719年12月24日)は、アイルランド王国の貴族。1674年から1692年までオブライエン卿儀礼称号を使用した。

生涯

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第2代インチクィン伯爵ウィリアム・オブライエン英語版と1人目の妻マーガレット・ボイル(Margaret Boyle、1683年没、初代オーラリー伯爵ロジャー・ボイルの娘)の息子として、1666年頃に生まれた[1][2]

1689年に父と同じくジェームズ2世アイルランド議会により私権剥奪された[2]。1692年1月に父が死去すると、インチクィン伯爵の爵位を継承[1]、1695年8月27日にアイルランド貴族院議員に正式に就任した[2]。また、1693年にキンセール総督英語版を務めた[2]

ウィリアム3世暗殺未遂事件の後、1697年12月2日に国王を守る宣言に署名した[2]アン女王ジョージ1世の治世ではアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官を務めたほか、1703年に歩兵連隊の隊長を、1704年から1705年までキルケニー市長英語版を務めた[2][3]

1719年12月24日に死去、27日に埋葬された[2]。長男ウィリアムが爵位を継承した[1]

家族

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最初はマーガレット・オブライエン(Margaret O'Brien、1688年没、ジェームズ・オブライエンの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。1691年4月、メアリー・ヴィリアーズ(Mary Villiers、1753年4月17日没、エドワード・ヴィリアーズ英語版の娘)と再婚[1]、下記の子女を儲けた。

脚注

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  1. ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1066.
  2. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 53–54.
  3. ^ "The Sovereigns and Mayors of Kilkenny 1282-2010". Kilkenny Borough Council (英語). 2020年3月28日閲覧
  4. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 244–245.
アイルランドの爵位
先代
ウィリアム・オブライエン英語版
インチクィン伯爵
1692年 – 1719年
次代
ウィリアム・オブライエン