「チャールズ・フィッツロイ (第2代グラフトン公)」の版間の差分
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2020年12月4日 (金) 05:17時点における版
チャールズ・フィッツロイ Charles FitzRoy 2nd Duke of Grafton | |
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第2代グラフトン公 | |
在位 | 1690年 - 1757年 |
称号 | 第2代グラフトン公爵、第2代ユーストン伯爵、第2代イプスウィッチ子爵、第2代サドバリー男爵、第3代アーリントン伯爵、第3代セットフォード子爵、第3代アーリントン男爵、ガーター勲章勲爵士(KG) |
出生 |
1683年10月25日 |
死去 |
1757年5月6日(73歳没) |
配偶者 | ヘンリエッタ(旧姓サマセット) |
子女 | 下記参照 |
父親 | 初代グラフトン公 |
母親 | イザベラ(旧姓ベネット) |
第2代グラフトン公チャールズ・フィッツロイ(英: Charles FitzRoy, 2nd Duke of Grafton, KG, PC、1683年10月25日 - 1757年5月6日)は、イギリスの貴族。
経歴
1683年10月25日、チャールズ2世の私生児である初代グラフトン公爵ヘンリー・フィッツロイとその妻イザベラ(初代アーリントン伯ヘンリー・ベネットの女子相続人。後に第2代アーリントン女伯爵位を継承)の間の一人息子としてロンドンのアーリントン・ハウスに生まれる[1][2]。
1690年10月9日に父が第2代グラフトン公爵位を継承[1][2]。
ケンブリッジ大学を卒業[2]。1705年から1757年にかけてサフォーク統監を務めた[1][2]。
1714年に王室執事長を務めた[1]。1715年に枢密顧問官に列する[1][2]。
1719年、王立音楽アカデミー社に出資した[3]。
1721年から1724年にかけてアイルランド総督を務めた[1]。
1723年2月7日の母の死により第3代アーリントン伯爵位を継承した[1][2][4]。
1724年から1757年にかけて宮内長官を務めた[1][2]。
1739年に創設された捨子養育院の初代総裁の1人だった[5]。
1749年に王立協会フェロー(FRS)となる[2]。1757年5月6日に死去[1][2]。爵位は孫のオーガスタス・フィッツロイが継承した。彼は政界で出世し、首相を務めることになる[6]。
栄典
爵位
1690年10月9日の父ヘンリーの死により以下の爵位を継承[1][2]。
- ノーサンプトン州における第2代グラフトン公爵 (2nd Duke of Grafton, in the County of Northampton)
- サフォーク州における第2代ユーストン伯爵 (2nd Earl of Euston, in the County of Suffolk)
- サフォーク州における第2代イプスウィッチ子爵 (2nd Viscount Ipswich, in the County of Suffolk)
- (1672年8月16日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- サフォーク州におけるサドバリーの第2代サドバリー男爵 (2nd Baron Sudbury of Sudbury, in the County of Suffolk)
- (1672年8月16日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
1723年2月7日に母イザベラの死により以下の爵位を継承した[1][2]。
- 第3代アーリントン伯爵 (3rd Earl of Arlington)
- ノーフォーク州における第3代セットフォード子爵 (3rd Viscount Thetford, in the County of Norfolk)
- (1672年4月22日創設のイングランド貴族爵位)
- ミドルセックス州におけるアーリントンの第3代アーリントン男爵 (3rd Baron Arlington, of Arlington, in the County of Middlesex)
- (1672年4月22日創設のイングランド貴族爵位)
家族
1713年4月30日、ウスター侯爵チャールズ・サマセットの娘ヘンリエッタ・サマセットと結婚。彼女との間に以下の7子を儲けた[1][2]。
- 長男チャールズ・ヘンリー・フィッツロイ(1714年 - 1715年) - 儀礼称号でユーストン伯
- 次男ジョージ・フィッツロイ(1715年 - 1747年) - 儀礼称号でユーストン伯。スキャンダルが多かった[7]。
- 三男オーガスタス・フィッツロイ(1716年 - 1741年) - 3代グラフトン公オーガスタス・フィッツロイと初代サウサンプトン男爵チャールズ・フィッツロイの父
- 四男チャールズ・フィッツロイ(1718年 - 1739年)
- 長女キャロライン・フィッツロイ(1722年 - 1784年) - 第2代ハリントン伯爵ウィリアム・スタンホープと結婚
- 次女ハリエット・フィッツロイ(1723年 - 1735年)
- 三女イザベラ・フィッツロイ(1726年 - 1782年) - 初代ハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイと結婚
また非嫡出子としてチャールズ・フィッツロイ=スカダモア(1713年頃 - 1782年)がいる[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l Heraldic Media Limited. “Grafton, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Lundy, Darryl. “Charles Fitzroy, 2nd Duke of Grafton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月5日閲覧。
- ^ Milthous, Judith; Hume, Robert D (January 1986). "The Charter for the Royal Academy of Music". Music and Letters (英語). 67 (1): 51. doi:10.1093/ml/67.1.50。
- ^ 森護 1987, p. 145.
- ^ (英語) A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children. p. 3
- ^ 森護 1987, p. 146.
- ^ 森護 1987, p. 145-146.
参考文献
- 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4469240979。
公職 | ||
---|---|---|
先代 第2代ボルトン公爵 |
アイルランド総督 1720年 - 1724年 |
次代 第2代カートレット男爵 |
先代 初代ニューカッスル公爵 |
宮内長官 1724年 - 1757年 |
次代 第4代デヴォンシャー公爵 |
名誉職 | ||
空位 最後の在位者 初代デヴォンシャー公爵
|
王室執事長 1714年 |
空位 次代の在位者 初代クーパー男爵
|
先代 第3代ディザート伯爵 |
サフォーク統監 1705年 - 1757年 |
次代 第3代グラフトン公爵 |
サフォーク副提督 1705年 - 1757年 |
空位 次代の在位者 第2代ハートフォード侯爵
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イングランドの爵位 | ||
先代 ヘンリー・フィッツロイ |
第2代グラフトン公爵 1690年 - 1757年 |
次代 オーガスタス・フィッツロイ |
先代 イザベラ・ベネット |
第3代アーリントン伯爵 1723年 - 1757年 |