アーリントン男爵
アーリントン男爵 (英: Baron Arlington) はイギリスの男爵、貴族。イングランド貴族爵位。
チャールズ2世の側近の一人ヘンリー・ベネットが1664年に叙されたことに始まり、グラフトン公爵家へと女系継承がなされたのち1936年に停止したが、1999年に停止解除が認められて以降はフォーウッド家が保持する。
歴史
[編集]政治家ヘンリー・ベネット (1618-1685) は清教徒革命時に王党派であったため、クロムウェル台頭期は大陸に亡命を余儀なくされた[1][2]。 しかし王政復古が実現して帰国を果たすと、1664年頃にイングランド貴族としてミドルセックス州アーリントンのアーリントン男爵 (Baron Arlington, of Arlington in the County of Middlesex) に叙されたほか、チャールズ2世の側近グループ(CABAL)の一員として活躍し、国王を補佐した[1][2][3][4]。 なお、この爵位は彼の両系男子に相続を認める特別継承権を帯びていた[3]。
ベネットはドーヴァーの密約調印後の1672年4月22日にはアーリントン伯爵 (Earl of Arlington) に位階を進めるとともに、あわせてノーフォーク州セットフォードのセットフォード子爵 (Viscount Thetford, of Thetford in the County of Norfolk) に叙せられた[1][2][3][4]。この両爵位には両系男子に加えて、彼の兄初代オソルストン男爵[注釈 1]の男子にも相続を認める規定がなされていたほか、アーリントン男爵位も同様の承継条件をとるべく、男爵位の再授与がなされている[3]。
グラフトン公爵家への流出
[編集]初代伯には男子がなかったため、先述の特別継承権に基づいてその娘イザベラが爵位を相続した[3][5]。 彼女はグラフトン公爵家へと嫁いだことから爵位は同家に流出、以降8代・213年にわたってグラフトン公爵の従属爵位として歴史を歩んだ[3][6]。
しかし、10代男爵(兼9代公)ジョン (1914-1936) がレーシング事故にて劇的な最期を遂げると、爵位は彼の2人の妹マーガレットとメアリーとの間で優劣がつかず停止となった[注釈 2][3][7]。 他方、グラフトン公爵位は従兄弟のチャールズ (1892-1970) がその後を襲って現在に至っている[6]。また、姉妹がその生涯で爵位の請願を行うことはなかった[3]。
爵位の共同推定相続人マーガレットの長女ジェニファー・フォーウッドは自身が1/4の爵位相続分を持つことから、貴族院に対して爵位回復の請願を行った[3]。その結果、1999年4月28日にアーリントン男爵のみ彼女に帰属する旨の決定がなされて、63年ぶりに停止解除となった[3][8][9]。
その11代女男爵ジェニファー (1939-) が現在のアーリントン男爵位を帯びている。
伯・子爵位の共同相続人
[編集]アーリントン伯爵位及びセットフォード子爵位は次に掲げる者に対して、以下の持分によって停止している。
共同推定相続人 | 生年月日 | 爵位相続分 |
---|---|---|
第11代アーリントン女男爵ジェニファー・フォーウッド | 1939年 - | 1/4 |
第7代準男爵サー・フレデリック・セバスチャン・チャムリー | 1968年 - | 1/4 |
リンダ・ジェーン・オリオル・ウィリアムズ | 1947年 - | 1/2 |
アーリントン男爵(1664年)
[編集]- 初代アーリントン男爵(初代アーリントン伯爵)ヘンリー・ベネット (1618–1685)
- 第2代アーリントン女男爵(第2代アーリントン女伯爵)イザベラ・フィッツロイ (c. 1668–1723)
- 第3代アーリントン男爵(第2代グラフトン公爵)チャールズ・フィッツロイ (1683–1757)
- 第4代アーリントン男爵(第3代グラフトン公爵)オーガスタス・ヘンリー・フィッツロイ (1735–1811)
- 第5代アーリントン男爵(第4代グラフトン公爵)ジョージ・ヘンリー・フィッツロイ (1760–1844)
- 第6代アーリントン男爵(第5代グラフトン公爵)ヘンリー・フィッツロイ (1790–1863)
- 第7代アーリントン男爵(第6代グラフトン公爵)ウィリアム・ヘンリー・フィッツロイ (1819–1882)
- 第8代アーリントン男爵(第7代グラフトン公爵)オーガスタス・チャールズ・レノックス・フィッツロイ (1821–1918)
- 第9代アーリントン男爵(第8代グラフトン公爵)アルフレッド・ウィリアム・メイトランド・フィッツロイ (1850–1930)
- 第10代アーリントン男爵(第9代グラフトン公爵)ジョン・チャールズ・ウィリアム・フィッツロイ (1914–1936) (1936年爵位停止)
- 第11代アーリントン女男爵ジェニファー・フォーウッド (1999年アーリントン男爵のみ回復)
爵位の法定推定相続人は、現当主の長男パトリック・ジョン・ダドリー・フォーウッド閣下(1967 - )。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c Osmund Airy, Osmund Airy (1885). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 04. London: Smith, Elder & Co. p. 230-233.
- ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 2 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 558–559.
- ^ a b c d e f g h i j “Arlington, Baron (E, 1664)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月16日閲覧。
- ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 415
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 217–218.
- ^ a b “Grafton, Duke of (E, 1675)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月16日閲覧。
- ^ 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年、151頁。ISBN 978-4469240979。
- ^ “The Barony of Arlington (Hansard, 27 May 1999)”. api.parliament.uk. 2020年4月15日閲覧。
- ^ “No.24609”. The Edinburgh Gazette 25 May 1999. 2020年4月16日閲覧。