イザベラ・フィッツロイ (グラフトン公爵夫人)
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イザベラ・フィッツロイ Isabella FitzRoy | |
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第2代アーリントン女伯 | |
1686年の肖像画 | |
在位 | 1685年 – 1723年 |
称号 | グラフトン公爵夫人 |
出生 |
1668年頃 |
死去 |
1723年2月7日 |
配偶者 | 初代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ |
第4代準男爵トマス・ハンマー | |
子女 | チャールズ |
家名 | ベネット家 |
父親 | 初代アーリントン伯ヘンリー・ベネット |
母親 | イザベラ・ファン・ナッサウ=ベーフェルウィート |
グラフトン公爵夫人および第2代アーリントン女伯爵イザベラ・フィッツロイ(英語: Isabella FitzRoy, Duchess of Grafton, 2nd Countess of Arlington、旧姓ベネット(Bennet)、1668年頃 – 1723年2月7日)は、イギリスの貴族、公爵夫人。
生涯
[編集]初代アーリントン伯爵ヘンリー・ベネットとイザベラ(1718年1月18日没、ローデウェイク・ファン・ナッサウ=ベーフェルウィートの娘)の娘として生まれた[1]。
父が1665年3月14日にアーリントンのアーリントン男爵に、1672年4月22日にアーリントン伯爵とセットフォード子爵に叙されたが、これらの爵位には特別残余権(special remainder)があり、イサベラが爵位を継承できるようにされていた[1]。
1672年8月1日、初代ユーストン伯爵ヘンリー・フィッツロイ(1690年10月9日没、後の初代グラフトン公爵)と結婚、1679年11月6日にふたたび結婚式を挙げた[1]。
- チャールズ(1683年 – 1757年) - 第2代グラフトン公爵、第3代アーリントン伯爵
1685年7月28日に父が死去すると、アーリントン女伯爵の爵位を継承した[1]。
1698年10月14日、ホワイトチャペルで第4代準男爵トマス・ハンマー(1677年 – 1746年、後に庶民院議長を務めた)と再婚した[1]。
1723年2月7日に死去、息子チャールズが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 217–218.
イングランドの爵位 | ||
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先代 ヘンリー・ベネット |
アーリントン女伯爵 1685年 – 1723年 |
次代 チャールズ・フィッツロイ |