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小さい頃は野球少年で憧れの選手は[[広島東洋カープ]]の[[山内泰幸]]だった。小学2年時に友人に誘われ、サッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である[[尾道市]]のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に[[平石健太]]がいる。ジュニアユースではFWのポジションを担当しており、[[島卓視]]らから指導を受けた<ref name="ASSIST2009summer">サンフレッチェアシストマガジンAssist3009年夏号</ref>。 |
小さい頃は野球少年で憧れの選手は[[広島東洋カープ]]の[[山内泰幸]]だった。小学2年時に友人に誘われ、サッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である[[尾道市]]のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に[[平石健太]]がいる。ジュニアユースではFWのポジションを担当しており、[[島卓視]]らから指導を受けた<ref name="ASSIST2009summer">サンフレッチェアシストマガジンAssist3009年夏号</ref>。 |
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2002年に[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]ユースへ昇格した。同期には[[前田俊介]]、[[佐藤昭大]]、[[髙萩洋次郎]]、[[髙柳一誠]]、[[桒田慎一朗]]、[[藤井大輔 (サッカー選手)|藤井大輔]]、[[大屋翼]]、[[冨成慎司]]らがいる。ユースではサイドバックにコンバートされ[[森山佳郎]]や[[沢田謙太郎]]らから指導をうけた。ユース監督の森山佳郎はコンバートの理由について「ユースレベルならFWでも十分なレベルだが、プロではDFのほうが見込みがある」と語っている。高校2年時の2003年に右サイドバックとしてレギュラーに定着し、広島ユースはこの年に全国大会で活躍しユース2冠を達成した。翌2004年も引き続きレギュラーとしてチームに貢献し、ユース3大大会のうち全てで決勝に進出、うち2大会で優勝した<ref name="ASSIST2009summer" /><ref>{{Cite web|date=2005-01-21|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/05kikaku/shinjin/moriwaki.html|title=飛翔へ サンフレの新人たち|publisher=[[中国新聞]]|accessdate=2010-01-25}}</ref>。同年にはトップチームに[[2種登録選手|2種登録]]され、怪我で離脱していた[[駒野友一]]の代わりにナビスコカップ・[[セレッソ大阪]]戦で右ウイングバックとして先発フル出場した<ref>{{Cite web|date=2004-06-05|url=http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/2004/Ss04060501.html|title=ユース森脇 攻守に活躍 初先発、フル出場|publisher=中国新聞|accessdate=2010-01-25}}</ref>。 |
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=== サンフレッチェ広島 === |
=== サンフレッチェ広島 === |
2020年11月30日 (月) 04:00時点における版
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---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | モリ | |||||
カタカナ | モリワキ リョウタ | |||||
ラテン文字 | MORIWAKI Ryota | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年4月6日(38歳) | |||||
出身地 | 広島県福山市 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 京都サンガF.C. | |||||
ポジション | DF / MF | |||||
背番号 | 46 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
幕山サッカー教室 | ||||||
1999-2001 | サンフレッチェびんごジュニアユース | |||||
2002-2004 | サンフレッチェ広島ユース (吉田高) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2012 | サンフレッチェ広島 | 141 | (13) | |||
2006-2007 | →愛媛FC (loan) | 79 | (4) | |||
2013-2019 | 浦和レッズ | 182 | (11) | |||
2020- | 京都サンガF.C. | |||||
代表歴2 | ||||||
2011-2013 | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月19日現在。 2. 2013年7月25日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
森脇 良太(もりわき りょうた、1986年4月6日 - )は、広島県福山市出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。京都サンガF.C.所属。元日本代表。
来歴
プロ入り前
小さい頃は野球少年で憧れの選手は広島東洋カープの山内泰幸だった。小学2年時に友人に誘われ、サッカーを始めた。1999年に地元福山市の隣町である尾道市のサンフレッチェびんごジュニアユースへ入団した。一期上に平石健太がいる。ジュニアユースではFWのポジションを担当しており、島卓視らから指導を受けた[1]。
2002年にサンフレッチェ広島ユースへ昇格した。同期には前田俊介、佐藤昭大、髙萩洋次郎、髙柳一誠、桒田慎一朗、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司らがいる。ユースではサイドバックにコンバートされ森山佳郎や沢田謙太郎らから指導をうけた。ユース監督の森山佳郎はコンバートの理由について「ユースレベルならFWでも十分なレベルだが、プロではDFのほうが見込みがある」と語っている。高校2年時の2003年に右サイドバックとしてレギュラーに定着し、広島ユースはこの年に全国大会で活躍しユース2冠を達成した。翌2004年も引き続きレギュラーとしてチームに貢献し、ユース3大大会のうち全てで決勝に進出、うち2大会で優勝した[1][2]。同年にはトップチームに2種登録され、怪我で離脱していた駒野友一の代わりにナビスコカップ・セレッソ大阪戦で右ウイングバックとして先発フル出場した[3]。
サンフレッチェ広島
2005年にトップに昇格し正式にプロ契約を結んだ。同期に、前田、佐藤、髙柳、桒田、入船和真、中尾真那、西河翔吾がいる。びんごジュニアユース出身としては初のトップ昇格選手となった。昇格後しばらくはレギュラーである駒野の前に出場機会に恵まれなかった[4]。
2006年に出場機会を求めて望月一仁が監督を務める愛媛FCへレンタル移籍され、第1節からレギュラーとして起用された。翌2007年も引き続き愛媛に在籍し同チームの天皇杯ベスト8に貢献した[4]。
2008年、広島に復帰。駒野が磐田へ移籍したこともあり当初は右アウトサイドの起用を検討されていた[5] が、ミハイロ・ペトロヴィッチは右センターバックに抜擢し[6]、盛田剛平の怪我によりレギュラーに定着し、以降主力として活躍[4]。2010年はミハエル・ミキッチや山岸智、服部公太らに負傷が相次いだため、CBだけではなくサイドのポジションでもプレーした[7]。
2010年にはAFCアジアカップ2011に出場する日本代表の予備登録メンバーに選ばれ、大会直前に酒井高徳の腰痛による負傷離脱に伴い代替としてメンバー入りした[8]。同大会で選手登録されたフィールドプレイヤーとしては唯一試合に出場できなかったものの、バックアッパーやムードメーカーとして優勝に貢献した[9][10]。2011年3月29日に開催された東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチでは日本代表チームの一員としてプレーした[11] が、試合数日前に行われた募金の呼びかけ兼握手会では、募金をした女性と握手をしようとするもスルーされ岡崎慎司と長谷部誠に慰められた[12]。6月1日のキリンカップペルー戦で、日本代表初出場を果たした。2012年にはリーグ戦33試合に出場し、広島のJ1初優勝に貢献した。
浦和レッズ
2012年12月17日、広島時代の恩師となるペトロヴィッチが監督を務める浦和レッズへの完全移籍が発表された[13]。背番号は自身の誕生日である46に決まった。
2013年7月、EAFF東アジアカップ2013の日本代表に選出された。
2014年3月15日Jリーグ第3節サンフレッチェ広島戦で交代でピッチから退場した後アディショナルタイムに原口元気の追加点が決まると、ゴールを決めた原口元気、槙野智章とゴールパフォーマンスに参加。ところがベンチに戻ろうとした際ピッチに入ってしまい、これがサッカー競技規則第12条ファウルと不正行為に抵触し、すでにイエローカードを受けていたためレッドカードで退場となり、ベンチへ退いた交代選手が退場になる珍事が起きた。しかしルールを把握しておらず、この判定に激高し主審に詰め寄ろうとしてしまうが、いち早く気付いたピッチサイドリポーターを務めていた朝井夏海がなだめロッカールームに戻った。興奮が収まらなかったが、チームスタッフがルールを教え、ここでようやく自分の犯したミスに気がついた。この退場はすでに交代していた興梠慎三、柏木陽介以外のスタメン出場選手は気がついておらず、試合終了後選手整列で一部始終を目撃していた濱田水輝によって知らされた。
2016年から槙野智章のリベロ転向、遠藤航の加入もあり左センターバックでスタメン出場したが3月6日Jリーグ第2節ジュビロ磐田自身のミスから失点に絡んでしまう、続く3月12日第3節アビスパ福岡戦も同ポジションで出場したが不安定さと攻撃にリズムが出ず後半から本来の右センターバックに戻った。
2017年5月4日に行われた第10節の鹿島アントラーズ戦で、試合終盤の78分に選手同士の小競り合いが発生した際に、森脇が鹿島のレオ・シルバに対して「臭い」等の侮辱的発言を行った疑いがあるとして、7日にJリーグによる事情聴取が行われた結果、2試合の出場停止処分となった[14]。処分の明けた5月31日のACL決勝トーナメント1回戦2ndレグ 済州ユナイテッドFC戦では、1回戦突破を決める大事な逆転ゴールを挙げ、試合後のヒーローインタビューで「幼稚な発言でたくさんの迷惑をかけた」と改めて反省の言葉を述べ、「それでもファンの皆さんは練習場に来て、どんなことがあってもお前を支える、ついていくと言ってくれた。何としても、ここで終わるわけにはいかないと、そういう思いで戦った。勝つことだけが僕らに求められた使命だった」と話した[15]。
京都サンガF.C.
2019年12月19日、京都サンガF.C.へ完全移籍により加入すると発表された[16]。
プレースタイル
強引な突破とシュートが特徴の右アウトサイド。本職はサイドバックだが、ミハイロ・ペトロヴィッチは攻撃参加や楔のパスを評価し[17] 広島ではセンターバックとしてプレーすることが多かった[18][19]。
人物
通称「太陽の男」[19]。節目でゴールを奪う傾向があり、特に愛媛FCに所属した2006年には四国ダービーでホーム・アウェー共に得点をあげたことから「ダービー男」と呼ばれた[4]。
俳優の毎熊克哉は福山市の小学校、中学校の同級生で、小学生の時は同じサッカー少年団に所属していた[20]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 広島Y | 14 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2004 | 広島 | 35 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2005 | 29 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2006 | 愛媛 | 15 | J2 | 42 | 3 | - | 1 | 0 | 43 | 3 | |
2007 | 37 | 1 | - | 3 | 0 | 40 | 1 | ||||
2008 | 広島 | 24 | 21 | 5 | - | 3 | 1 | 24 | 6 | ||
2009 | J1 | 29 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 34 | 2 | ||
2010 | 31 | 0 | 5 | 0 | 2 | 1 | 38 | 1 | |||
2011 | 27 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 28 | 2 | |||
2012 | 33 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 4 | |||
2013 | 浦和 | 46 | 33 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 38 | 3 | |
2014 | 33 | 3 | 5 | 1 | 1 | 1 | 39 | 5 | |||
2015 | 30 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 35 | 2 | |||
2016 | 33 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 1 | |||
2017 | 26 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |||
2018 | 11 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 16 | 0 | |||
2019 | 16 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 19 | 2 | |||
2020 | 京都 | J2 | - | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 302 | 19 | 35 | 1 | 16 | 2 | 353 | 22 | |
日本 | J2 | 100 | 9 | - | 7 | 1 | 107 | 10 | |||
日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
総通算 | 402 | 28 | 35 | 1 | 24 | 3 | 461 | 32 |
- 2004年は広島ユース所属。
その他の公式戦
- 2008年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2015年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
- 2016年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2017年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 24 | 5 | 0 | - | |
2012 | - | 2 | 0 | |||
2013 | 浦和 | 46 | 5 | 0 | - | |
2015 | 4 | 1 | - | |||
2016 | 7 | 0 | - | |||
2017 | 8 | 1 | 1 | 0 | ||
2019 | 5 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 34 | 2 | 3 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2017年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
出場歴
- 公式戦初出場:2004年6月5日ナビスコカップ セレッソ大阪戦 (広島ビ)
- 先発フル出場
- プロ初出場:2005年5月21日ナビスコカップ第3節 川崎フロンターレ戦 (広島ビ)
- 先発フル出場
- Jリーグ初出場:2006年3月4日J2第1節 横浜FC戦 (愛媛陸)
- 先発フル出場
- Jリーグ初得点:2006年3月21日J2第4節 コンサドーレ札幌戦 (愛媛陸)
- 先発フル出場、1得点 (73分)
タイトル
クラブ
- サンフレッチェ広島ユース
- 高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会:1回(2004年)
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会:2回(2003年、2004年)
- Jユースカップ:1回(2003年)
- サンフレッチェ広島
- 浦和レッズ
- J1リーグ 1stステージ:1回(2015年)
- J1リーグ 2ndステージ:1回(2016年)
- Jリーグカップ:1回(2016年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2018年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2017年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2017年)
代表
- 日本代表
代表歴
出場大会
- U-18日本代表
- 第8回国際ユースサッカー in 新潟 (2004年)
- 日本代表
- AFCアジアカップ2011日本代表 (追加登録)
- EAFF東アジアカップ2013
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2011年 - 2013年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2011 | 1 | 0 |
2012 | 1 | 0 |
2013 | 1 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
出典
- ^ a b サンフレッチェアシストマガジンAssist3009年夏号
- ^ “飛翔へ サンフレの新人たち”. 中国新聞 (2005年1月21日). 2010年1月25日閲覧。
- ^ “ユース森脇 攻守に活躍 初先発、フル出場”. 中国新聞 (2004年6月5日). 2010年1月25日閲覧。
- ^ a b c d 紫熊倶楽部2008年7月号
- ^ “森脇、早くも存在感 3年ぶり復帰「J2経験生かす」”. 中国新聞 (2008年1月30日). 2010年1月25日閲覧。
- ^ “サンフレ戦力分析<下>守備 攻守のバランス意識”. 中国新聞 (2008年3月7日). 2010年1月25日閲覧。
- ^ “森脇、3000万円で合意 中心選手として期待”. 中国新聞 (2011年1月6日). 2011年2月11日閲覧。
- ^ “森脇を代替招集 初代表「びっくり」”. 中国新聞 (2011年1月9日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ “森脇、出番なしでも貢献=アジア杯サッカー”. 時事通信 (2011年1月30日). 2011年1月30日閲覧。
- ^ “ザッケローニ監督帰国会見要旨 (1/2)AFCアジアカップ2011”. スポーツナビ (2011年1月31日). 2011年2月1日閲覧。
- ^ “【チャリティーマッチ 日本代表 vs J選抜】試合終了後の日本代表コメント”. J's GOAL (2011年3月29日). 2011年3月30日閲覧。
- ^ 胃腸炎の岡崎は出場に意欲、デイリースポーツ、2011年3月27日
- ^ “森脇良太選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッズ公式サイト (2012年12月17日). 2012年12月17日閲覧。
- ^ 「臭い」発言の浦和レッズDF森脇良太に2試合の出場停止処分…鹿島戦で騒動 goal.com、2017年5月9日
- ^ 森脇良太、劇的決勝弾に号泣。「幼稚な発言で迷惑かけた」とファンの支えに感謝 フットボールチャンネル、2017年5月31日
- ^ "森脇良太選手 加入のお知らせ" (Press release). 京都サンガF.C. 19 December 2019. 2019年12月19日閲覧。
- ^ “サンフレ戦力分析<中> 攻撃”. 中国新聞 (2009年3月2日). 2010年1月29日閲覧。
- ^ “森脇良太さん(サンフレッチェ広島)”. 法務省人権啓蒙活動 (2009-01-??). 2010年1月25日閲覧。
- ^ a b “負けない気持ち DF24 森脇良太”. サンフレッチェ広島公式 (2009年1月25日). 2010年1月25日閲覧。
- ^ 森脇良太の2019年2月10日のツイート、2019年2月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 森脇良太 – FIFA主催大会成績
- 森脇良太 - J. League Data Siteによる選手データ
- 森脇良太 (@moriwaki46ryota) - X(旧Twitter)
- 森脇良太 Ryota Moriwaki (@moriwaki46_official) - Instagram
- 森脇良太 - TheFinalBall.com
- 森脇良太 - Soccerwayによる個人成績