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高校は[[滋賀県立北大津高等学校]]へ入学し、[[硬式野球]]に転向。1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で[[則本昂大]]擁する[[滋賀県立八幡商業高等学校]]に勝利するも決勝で[[小熊凌祐]]擁する[[近江高等学校]]に敗れ、準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。2年からは4番セカンドとして定着し、春に[[第79回選抜高等学校野球大会]]へ出場、初戦で3安打1打点2得点の活躍を見せたが初戦敗退となった。同年夏は滋賀大会決勝で近江高に敗れ準優勝だったものの、以降主将となり同年秋季滋賀大会で準優勝、近畿大会ベスト8となり、翌3年春に[[第80回選抜高等学校野球大会]]に出場した。初戦突破し2回戦で[[倉本寿彦]]、[[土屋健二]]、[[筒香嘉智]]らを擁する[[横浜高校]]戦では4番として出場し6回裏に土屋から大会通算600号の記念ホームランを放ち、滋賀県勢として横浜高校に初勝利するも3回戦で敗れた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/senbatsu/2008/news/p-bb-tp3-20080328-341137.html 北大津2発!横浜を圧倒/センバツ ] 日刊スポーツ 2008年3月28日</ref>。同年春季大会は3回戦敗退、夏の滋賀大会は初戦の[[石部高等学校]]との試合中に左手首付近に死球を受け負傷退場し、その後左[[尺骨]][[骨折]]で全治1カ月と診断され離脱した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/14/kiji/K20080714Z00000090.html イタッ!通算49本塁打二塁手死球で全治1カ月] スポーツニッポン 2008年7月14日</ref>。チームは準々決勝で敗退し夏の甲子園出場は果たせなかった。高校通算49本塁打を記録したがプロ志望届は提出しなかった。高校時代の2学年下に[[西野颯]]が所属していた。 |
高校は[[滋賀県立北大津高等学校]]へ入学し、[[硬式野球]]に転向。1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で[[則本昂大]]擁する[[滋賀県立八幡商業高等学校]]に勝利するも決勝で[[小熊凌祐]]擁する[[近江高等学校]]に敗れ、準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。2年からは4番セカンドとして定着し、春に[[第79回選抜高等学校野球大会]]へ出場、初戦で3安打1打点2得点の活躍を見せたが初戦敗退となった。同年夏は滋賀大会決勝で近江高に敗れ準優勝だったものの、以降主将となり同年秋季滋賀大会で準優勝、近畿大会ベスト8となり、翌3年春に[[第80回選抜高等学校野球大会]]に出場した。初戦突破し2回戦で[[倉本寿彦]]、[[土屋健二]]、[[筒香嘉智]]らを擁する[[横浜高校]]戦では4番として出場し6回裏に土屋から大会通算600号の記念ホームランを放ち、滋賀県勢として横浜高校に初勝利するも3回戦で敗れた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/senbatsu/2008/news/p-bb-tp3-20080328-341137.html 北大津2発!横浜を圧倒/センバツ ] 日刊スポーツ 2008年3月28日</ref>。同年春季大会は3回戦敗退、夏の滋賀大会は初戦の[[石部高等学校]]との試合中に左手首付近に死球を受け負傷退場し、その後左[[尺骨]][[骨折]]で全治1カ月と診断され離脱した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/07/14/kiji/K20080714Z00000090.html イタッ!通算49本塁打二塁手死球で全治1カ月] スポーツニッポン 2008年7月14日</ref>。チームは準々決勝で敗退し夏の甲子園出場は果たせなかった。高校通算49本塁打を記録したがプロ志望届は提出しなかった。高校時代の2学年下に[[西野颯]]が所属していた。 |
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高校卒業後は明治大学[[政治経済学部]]に進学し、硬式野球部に入部する。しかし1年時は前年の手首の骨折の影響、2年時は春に左ひざ靭帯損傷、3年時には打球が左目に当たり損傷による視力低下などのケガに苦しんだ。3年時の[[2012年]][[3月15日]]に行われた[[阪神タイガース (ファーム)|阪神タイガース]]とのプロアマ交流戦では[[ロバート・ザラテ]]から3ラン本塁打を放つなどの活躍をみせ頭角を現した<ref>[https://meisupo.net/news/detail/5151 石川ダメ押し3ラン!阪神タイガースに快勝] 明スポ 2012年3月15日</ref>。4年春から[[副将]]に就任しに、同シーズンにようやくリーグ戦初出場を果たし、三塁のレギュラーとなると、打率はリーグ8位タイの.321、2本塁打、13打点を記録する。4年秋は再びケガに苦しみ5試合の出場に終わり、プロ志望届けは提出しなかった。リーグ通算20試合に出場、66打数20安打、打率.303、2本塁打、13打点、1盗塁を記録。大学時代のチームメイトは2学年上に[[荒木郁也]]、1学年上に[[野村祐輔]]、[[阿部寿樹]]、[[島内宏明]]、[[柴田章吾]]、同学年に[[上本崇司]]、1学年下に[[岡大海]]、[[関谷亮太]]、2学年下に[[山崎福也]]、[[糸原健斗]]、[[福田周平 (野球)|福田周平]]、3学年下に[[上原健太]]、[[坂本誠志郎]]、[[ |
高校卒業後は明治大学[[政治経済学部]]に進学し、硬式野球部に入部する。しかし1年時は前年の手首の骨折の影響、2年時は春に左ひざ靭帯損傷、3年時には打球が左目に当たり損傷による視力低下などのケガに苦しんだ。3年時の[[2012年]][[3月15日]]に行われた[[阪神タイガース (ファーム)|阪神タイガース]]とのプロアマ交流戦では[[ロバート・ザラテ]]から3ラン本塁打を放つなどの活躍をみせ頭角を現した<ref>[https://meisupo.net/news/detail/5151 石川ダメ押し3ラン!阪神タイガースに快勝] 明スポ 2012年3月15日</ref>。4年春から[[副将]]に就任しに、同シーズンにようやくリーグ戦初出場を果たし、三塁のレギュラーとなると、打率はリーグ8位タイの.321、2本塁打、13打点を記録する。4年秋は再びケガに苦しみ5試合の出場に終わり、プロ志望届けは提出しなかった。リーグ通算20試合に出場、66打数20安打、打率.303、2本塁打、13打点、1盗塁を記録。大学時代のチームメイトは2学年上に[[荒木郁也]]、1学年上に[[野村祐輔]]、[[阿部寿樹]]、[[島内宏明]]、[[柴田章吾]]、同学年に[[上本崇司]]、1学年下に[[岡大海]]、[[関谷亮太]]、2学年下に[[山崎福也]]、[[糸原健斗]]、[[福田周平 (野球)|福田周平]]、3学年下に[[上原健太]]、[[坂本誠志郎]]、[[髙山俊]]などがおり、阿部とはプロ入り後再びチームメイトとなっている。在学時コーチだった[[松岡功祐]]もプロ入り後再び同じチームに所属している。 |
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大学卒業後は[[ENEOS野球部|JX-ENEOS]]へ入社し、背番号2番でプレーすることになる。しかし入社してすぐ急性虫垂炎で入院し離脱した。[[第84回都市対抗野球大会]]では2回戦で2本塁打を放ち<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/19/kiji/K20130719006245360.html JX-ENEOS 石川 150メートル弾 初出場で2発] スポーツニッポン 2013年7月19日</ref>、決勝ではのちのチームメイトとなる[[阿知羅拓馬]]や[[石岡諒太]]が所属する[[JR東日本硬式野球部]]に勝利し優勝に貢献するなど、大会中打率.400、3本塁打、7打点の成績を残し[[若獅子賞]]と二塁手部門の大会優秀選手を受賞する。[[第39回社会人野球日本選手権大会]]にも出場したが[[秋吉亮]]や[[足立祐一]]が所属する[[パナソニック野球部]]に敗れて初戦敗退だった。翌年の[[第85回都市対抗野球大会]]では準決勝で敗退となった。[[8月21日]]に行われた神奈川県県野球交流戦決勝戦では逆転につながる犠飛を放つなどの活躍で初優勝に貢献した<ref>[https://www.kanaloco.jp/sports/entry-50963.html 県野球交流戦:JXがベイに逆転勝ち 初の頂点に] 神奈川新聞 2014年8月22日</ref>。9月には[[2014年アジア競技大会|仁川アジア大会]]の[[第17回アジア競技大会野球日本代表|野球日本代表]]に選ばれ出場した。 |
大学卒業後は[[ENEOS野球部|JX-ENEOS]]へ入社し、背番号2番でプレーすることになる。しかし入社してすぐ急性虫垂炎で入院し離脱した。[[第84回都市対抗野球大会]]では2回戦で2本塁打を放ち<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/19/kiji/K20130719006245360.html JX-ENEOS 石川 150メートル弾 初出場で2発] スポーツニッポン 2013年7月19日</ref>、決勝ではのちのチームメイトとなる[[阿知羅拓馬]]や[[石岡諒太]]が所属する[[JR東日本硬式野球部]]に勝利し優勝に貢献するなど、大会中打率.400、3本塁打、7打点の成績を残し[[若獅子賞]]と二塁手部門の大会優秀選手を受賞する。[[第39回社会人野球日本選手権大会]]にも出場したが[[秋吉亮]]や[[足立祐一]]が所属する[[パナソニック野球部]]に敗れて初戦敗退だった。翌年の[[第85回都市対抗野球大会]]では準決勝で敗退となった。[[8月21日]]に行われた神奈川県県野球交流戦決勝戦では逆転につながる犠飛を放つなどの活躍で初優勝に貢献した<ref>[https://www.kanaloco.jp/sports/entry-50963.html 県野球交流戦:JXがベイに逆転勝ち 初の頂点に] 神奈川新聞 2014年8月22日</ref>。9月には[[2014年アジア競技大会|仁川アジア大会]]の[[第17回アジア競技大会野球日本代表|野球日本代表]]に選ばれ出場した。 |
2020年11月15日 (日) 22:33時点における版
日本野球機構 (NPB) からの正式公示がなされるまでは、テンプレートや定義文の所属球団、詳細情報(背番号含む)を変更・削除するなど、入団・退団・移籍に関する編集は行わないでください。編集を行った場合、このページが編集出来ない状態になる可能性があります。 NPBの公式ホームページ https://npb.jp/announcement/ にて公表されてから記述してください。 |
中日ドラゴンズ #9 | |
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2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県草津市 |
生年月日 | 1990年5月26日(34歳) |
身長 体重 |
178 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2014年 ドラフト4位 |
初出場 | 2016年6月8日 |
最終出場 | 2020年7月15日 |
年俸 | 600万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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石川 駿(いしかわ しゅん、1990年5月26日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。
経歴
プロ入り前
草津市立草津第二小学校在学中に日の出ファイターズ入団し軟式野球を始め、草津市立草津中学校では軟式野球部に所属していた。
高校は滋賀県立北大津高等学校へ入学し、硬式野球に転向。1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で則本昂大擁する滋賀県立八幡商業高等学校に勝利するも決勝で小熊凌祐擁する近江高等学校に敗れ、準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。2年からは4番セカンドとして定着し、春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場、初戦で3安打1打点2得点の活躍を見せたが初戦敗退となった。同年夏は滋賀大会決勝で近江高に敗れ準優勝だったものの、以降主将となり同年秋季滋賀大会で準優勝、近畿大会ベスト8となり、翌3年春に第80回選抜高等学校野球大会に出場した。初戦突破し2回戦で倉本寿彦、土屋健二、筒香嘉智らを擁する横浜高校戦では4番として出場し6回裏に土屋から大会通算600号の記念ホームランを放ち、滋賀県勢として横浜高校に初勝利するも3回戦で敗れた[2]。同年春季大会は3回戦敗退、夏の滋賀大会は初戦の石部高等学校との試合中に左手首付近に死球を受け負傷退場し、その後左尺骨骨折で全治1カ月と診断され離脱した[3]。チームは準々決勝で敗退し夏の甲子園出場は果たせなかった。高校通算49本塁打を記録したがプロ志望届は提出しなかった。高校時代の2学年下に西野颯が所属していた。
高校卒業後は明治大学政治経済学部に進学し、硬式野球部に入部する。しかし1年時は前年の手首の骨折の影響、2年時は春に左ひざ靭帯損傷、3年時には打球が左目に当たり損傷による視力低下などのケガに苦しんだ。3年時の2012年3月15日に行われた阪神タイガースとのプロアマ交流戦ではロバート・ザラテから3ラン本塁打を放つなどの活躍をみせ頭角を現した[4]。4年春から副将に就任しに、同シーズンにようやくリーグ戦初出場を果たし、三塁のレギュラーとなると、打率はリーグ8位タイの.321、2本塁打、13打点を記録する。4年秋は再びケガに苦しみ5試合の出場に終わり、プロ志望届けは提出しなかった。リーグ通算20試合に出場、66打数20安打、打率.303、2本塁打、13打点、1盗塁を記録。大学時代のチームメイトは2学年上に荒木郁也、1学年上に野村祐輔、阿部寿樹、島内宏明、柴田章吾、同学年に上本崇司、1学年下に岡大海、関谷亮太、2学年下に山崎福也、糸原健斗、福田周平、3学年下に上原健太、坂本誠志郎、髙山俊などがおり、阿部とはプロ入り後再びチームメイトとなっている。在学時コーチだった松岡功祐もプロ入り後再び同じチームに所属している。
大学卒業後はJX-ENEOSへ入社し、背番号2番でプレーすることになる。しかし入社してすぐ急性虫垂炎で入院し離脱した。第84回都市対抗野球大会では2回戦で2本塁打を放ち[5]、決勝ではのちのチームメイトとなる阿知羅拓馬や石岡諒太が所属するJR東日本硬式野球部に勝利し優勝に貢献するなど、大会中打率.400、3本塁打、7打点の成績を残し若獅子賞と二塁手部門の大会優秀選手を受賞する。第39回社会人野球日本選手権大会にも出場したが秋吉亮や足立祐一が所属するパナソニック野球部に敗れて初戦敗退だった。翌年の第85回都市対抗野球大会では準決勝で敗退となった。8月21日に行われた神奈川県県野球交流戦決勝戦では逆転につながる犠飛を放つなどの活躍で初優勝に貢献した[6]。9月には仁川アジア大会の野球日本代表に選ばれ出場した。
2014年プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。背番号は9に決まった。JX-ENEOSでは、ともに仁川アジア大会に出場した井領雅貴も中日から6位指名を受け、入団している。三上朋也は1年間、大城基志は2年間チームメイトであった。
中日時代
2015年は、春季キャンプは北谷公園野球場で行われた一軍キャンプに帯同し、3月2日に行われたオープン戦では初スタメンでチームの新人第一号となるホームランを放ったが、開幕前に腰痛を発症し離脱する。1ヶ月半のリハビリを経て復帰するが復帰初日に打球を受け左鎖骨周辺の上部肋軟骨を骨折する怪我が相次ぎ、同期生で唯一一軍出場できず二軍戦でも19試合で2安打という成績に終わり、11月20日の契約更改では25%ダウン提示でサインした。
2016年は春季キャンプは読谷平和の森球場で行われた二軍キャンプスタートだったものの、6月7日に一軍初登録され、翌日地元関西の京セラドーム大阪で一軍初出場を果たすもノーヒット、6月11日には初犠打を決めたが結局ノーヒットのまま6月15日に出場選手登録抹消された。7月1日にはフレッシュオールスターゲームへ選出され、1安打を放った。その後は一軍登録されずシーズンを終え、10月には2年連続でフェニックス・リーグへ参加した。11月11日には100万円ダウンの推定年俸650万円で2年連続ダウン更改した[7]。
2017年も春季キャンプから二軍だったが、3月に一軍合流し、オープン戦で結果を残し自身初の開幕一軍登録を果たすも、5打数ノーヒットで4月10日に登録抹消された。その後は長らく一軍登録されず、9月30日に一軍再登録され、10月3日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で一軍初安打、さらに一軍初猛打賞も記録した[8]。10月10日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でこの日が引退試合となった安藤優也から左翼ポール際に一軍初本塁打を放ち、同時に一軍初打点を記録した[9]。試合翌日10月11日には宮崎に移動し3年連続でフェニックス・リーグへ参加し、同年11月22日の契約更改では現状維持の推定650万円でサインした[10]。12月30日には自身が小中学生時代にプレーした草津グリーンスタジアムで野球教室を開催し、同日KUSATSU BOOSTERSへの加入と委嘱式が行われた[11]。
2018年は3年ぶりに一軍キャンプスタートだったが2月下旬に怪我で離脱し、4月上旬に実戦復帰を果たす。7月7日に同年一軍初登録され、7月9日に代打出場したものの安打は放てず、以降は試合出場することなく7月18日に登録抹消された。同日ウエスタンリーグの試合に出場したが、守備中の打球処理の際に脱臼し、シーズン終了まで実戦復帰はなかった。その後リハビリを経て10月に4年連続で参加したフェニックス・リーグで実戦復帰を果たしたが、11月24日の契約更改では一軍出場1試合に終わったこともあり50万円ダウンの600万円で契約更改した[12]。
2019年も2年連続で一軍キャンプキャンプスタートだったが、二軍の内野手不足によりキャンプ終了後に二軍合流となった。5月3日に一軍初登録された[13]が5打数ノーヒットで5月23日に抹消された。ウエスタンリーグで首位打者に到達していた9月19日に一軍再登録された[14]。9月25日に代打出場し、2年ぶりの安打で、一軍初となる適時三塁打を放つも[15]、同年の一軍安打はこの一本に終わった。9月27日のウエスタンリーグ全日程終了に伴い打率.317で首位打者、出塁率.368で最高出塁率[16]のタイトルが確定した[17]。10月からは5年連続でフェニックス・リーグに参加したものの、秋季キャンプは主力メンバーの集まる北谷組から外された。11月9日に契約更改し、現状維持の600万円でサインした[18]。11月26日にNPB AWARDSに初参加し、前述の首位打者と最高出塁率及びウエスタンリーグ優秀選手賞の表彰を受けた[19]。
2020年も3年連続で一軍キャンプキャンプスタートで、オープン戦も一軍帯同したのもも開幕延期となった。6月から再開された練習試合からも一軍帯同を続けたが、6月4日に軽度の熱中症との診断、6日に腰の違和感と張りのため、病院に向かう[20]といったアクシデントに見舞われたがその影響もなく3年ぶりの開幕一軍を掴み取った。代打や途中出場起用が多かったなか6月28日に大学の後輩でもある森下暢仁からシーズン公式戦初安打と初打点を記録した[21]。7月14日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)では6番・二塁手として3年ぶりのスタメン出場。2打数1安打1死球を記録するも、4回の守備でショートゴロで併殺をとろうと遊撃手からボールを転送された際、二塁を踏み損ねてしまい、一度は併殺崩れで一塁ランナーのみアウトの判定だったものの、リプレー検証で全てセーフに判定が覆った[22]。試合後、監督の与田剛は「明らかにやってはいけないプレー」[22]「次にそういうプレーをしないように反省しないといけない」と話した[23]。スタメン出場はこの1試合のみで打席に立つ機会は少ないながらも、11試合に出場して打率3割を維持していた。しかし、左手首痛のため7月20日に病院で検査を受けたところ、左手軟骨損傷と診断され、翌21日に登録を抹消された[24]。8月9日にタマホームスタジアム筑後行われたウエスタンリーグ公式戦で守備での実戦復帰を果たしたが、以降はしばらく試合出場はなかった。8月下旬には故障が癒え始めていたと報道されたが[25]、以降は9月17日にナゴヤ球場でおこなわれた公式戦に守備出場したのみで、その後は試合出場すらなく、この年はウエスタンリーグ2試合の出場のみで打席に立つこともなく、一軍復帰の目途が立たずにいた。11月3日、球団より戦力外通告を受け[26]、同日には「野球はお腹いっぱいです」「野球を引退して次の道を進もうと思う」と現役引退を表明した[27][28]。
選手としての特徴・人物
ヘッドを効かせたスイングで広角にライナー性の打球を飛ばす右の強打者。積極的な打撃が持ち味。当時のスカウト部長だった中田宗男から「パワーに加えて、バットのヘッドの使い方がうまい。相当本塁打を打つよ。チームで一番打つ可能性がある」「即戦力のトップクラス」と絶賛された[29]。
あこがれのプロ野球選手は北大津の先輩にあたる中西健太で、過去に一緒に練習を行っていた[30]。
現役引退表明時、指導を受けた落合博満、加藤秀司、小笠原道大の3人に感謝の気持ちを示し、「この世界に入ったから出会えました」と有り難がった[27]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 中日 | 2 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2017 | 9 | 17 | 17 | 1 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .353 | .353 | .529 | .882 | |
2018 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2019 | 8 | 8 | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .375 | .500 | |
NPB:4年 | 20 | 32 | 31 | 1 | 7 | 0 | 1 | 1 | 12 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | .226 | .226 | .387 | .613 |
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
三塁 | 一塁 | 二塁 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2016 | 中日 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2017 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 4 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2019 | - | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||
通算 | 3 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 4 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
- 2019年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場 :2016年6月8日、対オリックス・バファローズ2回戦(京セラドーム大阪)、8番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回表に松葉貴大から三直
- 初安打:2017年10月3日、対横浜DeNAベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)、2回表に綾部翔から左前安打
- 初本塁打・初打点:2017年10月10日、対阪神タイガース25回戦(阪神甲子園球場)、8回表に安藤優也から左越ソロ
背番号
- 9 (2015年 - )
代表歴
- 2014年アジア競技大会 野球日本代表
脚注
- ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球 日刊スポーツ 2020年1月30日閲覧。
- ^ 北大津2発!横浜を圧倒/センバツ 日刊スポーツ 2008年3月28日
- ^ イタッ!通算49本塁打二塁手死球で全治1カ月 スポーツニッポン 2008年7月14日
- ^ 石川ダメ押し3ラン!阪神タイガースに快勝 明スポ 2012年3月15日
- ^ JX-ENEOS 石川 150メートル弾 初出場で2発 スポーツニッポン 2013年7月19日
- ^ 県野球交流戦:JXがベイに逆転勝ち 初の頂点に 神奈川新聞 2014年8月22日
- ^ 中日石川「力になれず」1軍デビューも100万減 日刊スポーツ 2016年11月11日
- ^ 石川、プロ初安打&初猛打賞 「やっとプロ野球選手になれた」 中日スポーツ 2017年10月4日
- ^ 【中日】石川、プロ初本塁打!「必死にいった」引退登板の安藤からプロ1号 スポーツ報知 2017年10月10日
- ^ 中日石川は現状維持で更改「継続して1年間できた」 日刊スポーツ 2017年11月22日
- ^ 滋賀)中日・石川内野手が児童に指導 草津で野球教室 朝日新聞 2017年12月31日
- ^ 中日・石川「契約していただいただけで納得」50万円減の600万円 スポーツニッポン 2018年11月24日
- ^ 中日 4選手入れ替え 福&石川駿が今季初の1軍昇格 スポニチ 2019年5月3日
- ^ ウエスタン・リーグ首位打者が1軍合流 中日・石川駿が今季2度目の昇格
- ^ 中日・石川駿 今季初安打がプロ初三塁打!ウエスタンL打率トップが代打で走者一掃打 スポーツニッポン 2019年9月25日
- ^ 2019年度 表彰選手 (ウエスタン・リーグ) NPB 公式サイト
- ^ 中日所属選手の首位打者は2011年の柳田殖生以来8年ぶり
- ^ 「勝負できる形はできた」小笠原道大前2軍監督からの言葉を胸に中日・石川駿ブレーク誓う ウエスタン首位打者も1軍では1安打 中日スポーツ 2019年11月9日
- ^ ウエスタンリーグ2冠も「1軍で成績残せてナンボ」中日・石川駿 表彰に気を引き締める 中日スポーツ 2019年11月26日
- ^ 中日・石川駿 腰の違和感と張りで病院へ スポーツニッポン 2020年6月6日
- ^ 中日・石川駿が明大後輩の広島・森下撃ち今季初安打 中日スポーツ 2020年6月28日
- ^ a b ““ベース踏み損ね”中日・石川駿に「喝!!」張本勲氏「セカンドが絶対にやっちゃいけない」川藤幸三氏「これアカンわね」”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2020年7月19日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ “【与田語録】いいプレーもあった石川駿、守備ミスは反省を”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2020年7月15日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ “中日・石川駿が『左手軟骨損傷』で抹消、谷元が今季初昇格”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2020年7月21日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ 高橋雅人 (2020年8月22日). “先日、ナゴヤ球場に“化け物”がいた。2軍は遠征中で、残留組の練習も終了した昼下がり。左手のけがが癒えた石川駿の…”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ 2020年11月3日閲覧。
- ^ "来季の契約について". 公式サイト. 中日ドラゴンズ. 3 November 2020. 2020年11月3日閲覧。
- ^ a b “中日戦力外の石川駿は現役引退表明 30歳「野球はお腹いっぱいです」指導を受けた落合博満さんらに感謝”. 中日スポーツ. (2020年11月3日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ “戦力外の中日小熊「覚悟していた」伊藤準規「感謝」”. 日刊スポーツ. (2020年11月3日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ 中日スポーツ 2014年10月29日
- ^ ボールパーク便り ルーキー特集(8)県立高校出身の強打者 石川駿 明大スポーツ
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 石川駿 - NPB.jp 日本野球機構