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2020年11月10日 (火) 22:18時点における版
楽天モンキーズ #1 | |
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ピッツバーグ・パイレーツ時代 (2014年4月11日) | |
基本情報 | |
国籍 | 中華民国(台湾) |
出身地 | 台東県台東市 |
生年月日 | 1983年1月22日(41歳) |
身長 体重 |
178 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手→外野手 |
プロ入り | 2006年 |
初出場 |
NPB / 2006年5月17日 CPBL / 2015年9月2日 |
最終出場 | NPB / 2012年10月17日 |
年俸 | 月給22万台湾元(2018年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | チャイニーズタイペイ代表 |
WBC | 2006年、2013年 |
この表について
|
陽 耀勲 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 陽 耀勳 |
簡体字: | 阳 耀勋 |
拼音: | Yáng Yàoxūn |
注音符号: | ㄧㄤˊㄧㄠˋㄒㄩㄣ |
発音転記: | ヤン・ヤオシュン |
英語名: | Yang Yao-Hsun |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
チャイニーズタイペイ | ||
アジア競技大会 | ||
銀 | 2010 |
陽 耀勲(ヤン・ヤオシュン、1983年1月22日 - )は、台湾(中華民国)の台東県台東市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。台湾のアミ族出身。弟は読売ジャイアンツの陽岱鋼。
経歴
プロ入り前
2002年にイタリアで開催された第1回世界大学野球選手権大会のチャイニーズタイペイ代表に外野手として出場。
2004年に母国の台湾で開催された第2回世界大学野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表に外野手として出場。同じチャイニーズタイペイ代表として姜建銘(元巨人)が選出された。
2005年に日本で開催された第23回アジア野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表に投手として出場。肩の故障のために大学時代は外野や指名打者での出場が多く、ようやく故障が癒えた直後の投手としての選出だった。陽はこの年、本格的に投手に転向することを望んでいたが、打者として戦力にあげられており、大学では投手兼指名打者の役割を担っていた。秋に福岡ソフトバンクホークスに入団。
ソフトバンク時代
2006年、1年目から一軍で5試合に登板。また第1回WBCチャイニーズタイペイ代表に投手として出場。同大会には弟の仲壽も出場している。これまでに様々な大会に出場してきたが、仲壽と同チームになるのは初めてである。11月初旬に母国台湾で開催された、第16回IBAFインターコンチネンタルカップチャイニーズタイペイ代表代表に投手として出場。
2007年は度重なる左足の怪我に悩まされ、一軍、二軍共に不出場に終わった。
2008年7月27日の千葉ロッテマリーンズ戦で12回表2死から登板し無失点で切り抜けた後、その裏に本多雄一のサヨナラタイムリーが出てプロ初勝利を挙げた。また、2日後の7月29日北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初先発、2死球、2四球と乱れ1死しか取れずに降板し敗戦投手となった。
2009年、一軍出場は4試合に留まった。二軍では22試合に登板し、3勝1敗1セーブ、防御率4.25をマーク。
2010年は先発4試合を含む自己最多の14試合に登板し、7月18日のオリックス・バファローズ戦では、先発での初勝利を挙げるなど、同年は比較的に安定した成績を残した。さらに、10月17日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージの対ロッテ第4戦でも先発を務める(3 2/3回3安打2失点で敗戦投手)など、飛躍の年になった。
オフの11月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。準決勝の日本戦で勝利投手となり、決勝では韓国に敗れたが銀メダルを獲得した。
2011年は4年ぶりに一軍登板なしに終わった。二軍では15試合に登板し、6勝5敗、防御率3.25の成績を残した。
2012年は二軍戦で好投し、12試合で防御率1.80をマーク。8月4日に一軍昇格を果たすと、登板3試合目となる8月17日のオリックス戦で先発し、被安打3、奪三振10で初完投勝利を無四球完封で飾った。8月8日の日本ハム戦7回裏に弟の岱鋼(仲壽から改名)と一軍公式戦での初対戦を果たした(結果は初球を中前安打される)。シーズン終盤には先発ローテーションの一角を任され、一軍登板9試合・先発7回で2勝3敗と勝ち星こそ伸びなかったものの、防御率1.48、WHIP0.98、奪三振率9.49と入団以来最高の成績を残した。10月17日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージの対日本ハム第1戦で先発し、CSでも岱鋼との兄弟対戦が実現。6回までを1安打に抑える好投を見せるが、7回に糸井嘉男に同点2ランを浴びて降板し勝敗はつかず。また9月21日に第3回WBC予選のチャイニーズタイペイ代表に選出された[2]。11月に第3回WBC予選前にキューバ代表との国際親善試合であるサンダーシリーズのチャイニーズタイペイ代表に選出された[3]。第3回WBC予選では11月18日のニュージーランド戦に先発登板し、4回5奪三振と好投。チャイニーズタイペイ代表のWBC本大会進出に貢献した。
2013年は前年に契約更改を約束し契約未更改のまま帰国していたが、その後、2013シーズン終了後のメジャーリーグ挑戦容認を陽が求めたことで契約がまとまらず、春季キャンプをボイコットする[4]。その後ソフトバンク側が譲歩、メジャーリーグ挑戦を容認した契約で、春季キャンプ開始後の2月3日に契約を更改、春季キャンプに合流した[5]。また1月14日第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された[6]。
シーズンでは一軍戦での登板はなかった。二軍戦でも9試合に投げ、防御率8.84の成績に終わった。10月15日、球団から退団が発表された[7]。
ソフトバンク退団後
2014年2月13日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、招待選手としてスプリングトレーニングに参加することが発表された[8]。スプリングトレーニングでは5試合に登板し4イニングで3失点を喫する。開幕後はAA級アルトゥーナ・カーブに所属することとなった。アルトゥーナでは11試合の登板で0勝1敗、防御率6.61、WHIP2.02に終わり7月10日に解雇となる。その後、台湾ポップコーンリーグ(社会人野球のリーグ)へ入団した。
Lamigo・楽天時代
2015年、中華職業棒球大聯盟のドラフト会議では指名されなかったが、後にLamigoモンキーズに入団した。左肩の故障によりアマチュア時代以来となる外野手に再転向し、9月2日の義大ライノズ戦に「2番・中堅手」でスタメン初出場を果たした。
2016年開幕前の1月29日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」のチャイニーズタイペイ代表27名に選出された[9]が、3月3日にインフルエンザのため辞退した[10]。8月27日の統一ライオンズ戦では明らかな外角高めのボール球をスタンドへ運び、話題になった[11]。
2017年はオールスターゲームのホームラン競争で、3連覇中だった林智勝を押さえて優勝を果たした。シーズンオフには弟の陽岱鋼と金銭問題のトラブル起こし、絶縁と報道された[12]。
2019年は7月24日の中信兄弟戦で自身初となる満塁ホームランを放った。9月11日の対富邦ガーディアンズ二軍戦では4年ぶりにマウンドへ上がった[13]。
2020年は6月21日の中信兄弟戦で自身最多となる1試合5打点を挙げた[14]。同月26日の統一ライオンズ戦では先頭打者ホームランを放ち、弟の陽岱鋼と海を越えてのアベック弾となった[15]。9月1日の富邦ガーディアンズ戦では12点差で負けていた9回に一軍では2015年以来となるマウンドに上がり、1回を無失点に抑えた[16]。
人物
家族
それぞれもプロ野球選手である、陽耀華(元長崎セインツ・愛媛マンダリンパイレーツ内野手)および陽岱鋼(仲壽から改名)は実弟[17][18]、陽介仁は叔父[17]、張奕は従兄[19]。岱鋼とは投手時代にパ・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで対戦したこともある。
さらにバスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹に当たる[17]。
選手としての特徴
投手としてはスリークォーターから投げる平均球速約145km/h[20]、最速155km/h[21]のストレートを最大の武器とした。変化球は、スライダーに加え、スプリッター・カーブを投げるが、NPBでの通算与四球率4.67と制球が悪い。
台湾プロ野球のLamigoモンキーズに入団以降は故障により外野手に転向した。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | ソフトバンク | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 11 | 2.0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 | 9.00 | 3.00 |
2008 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 24 | 3.2 | 5 | 0 | 3 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 7 | 7 | 17.18 | 2.18 | |
2009 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 48 | 9.2 | 12 | 0 | 6 | 0 | 2 | 10 | 0 | 0 | 10 | 7 | 6.52 | 1.86 | |
2010 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 149 | 32.2 | 33 | 2 | 18 | 0 | 3 | 28 | 1 | 0 | 18 | 8 | 2.20 | 1.56 | |
2012 | 9 | 7 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 | 0 | 1 | .400 | 168 | 42.2 | 24 | 1 | 18 | 0 | 4 | 45 | 1 | 0 | 10 | 7 | 1.48 | 0.98 | |
2015 | Lamigo 楽天 |
1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 0.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | ---- | ---- |
2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 1.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
NPB:5年 | 38 | 12 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 | 1 | .500 | 400 | 90.2 | 78 | 3 | 47 | 0 | 13 | 87 | 2 | 1 | 47 | 31 | 3.08 | 1.38 | |
CPBL:2年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 5.00 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | ソフトバンク | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2015 | Lamigo 楽天 |
25 | 99 | 87 | 24 | 37 | 5 | 0 | 0 | 42 | 10 | 5 | 2 | 0 | 1 | 9 | 0 | 2 | 8 | 0 | .425 | .485 | .483 | .968 |
2016 | 89 | 391 | 359 | 74 | 101 | 12 | 6 | 17 | 176 | 48 | 19 | 5 | 0 | 2 | 25 | 1 | 4 | 74 | 6 | .281 | .333 | .490 | .825 | |
2017 | 57 | 195 | 181 | 38 | 63 | 14 | 0 | 5 | 92 | 25 | 8 | 5 | 1 | 0 | 13 | 0 | 0 | 38 | 3 | .348 | .392 | .508 | .900 | |
2018 | 40 | 138 | 127 | 18 | 33 | 5 | 0 | 3 | 47 | 14 | 1 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 27 | 0 | .260 | .319 | .370 | .689 | |
2019 | 39 | 80 | 72 | 12 | 19 | 4 | 0 | 3 | 32 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 19 | 2 | .264 | .329 | .444 | .773 | |
2020 | 65 | 229 | 212 | 35 | 67 | 17 | 1 | 9 | 113 | 38 | 5 | 1 | 0 | 1 | 12 | 1 | 3 | 53 | 3 | .316 | .360 | .533 | .893 | |
NPB:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
CPBL:6年 | 315 | 1132 | 1038 | 201 | 320 | 57 | 7 | 37 | 502 | 145 | 38 | 17 | 1 | 4 | 77 | 3 | 9 | 219 | 14 | .308 | .360 | .484 | .844 |
- 2020年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB投手記録
- 初登板:2006年5月17日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、8回裏2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:2006年6月2日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏にシェーン・スペンサーから空振り三振
- 初勝利:2008年7月27日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、12回表2死に4番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初先発登板:2008年7月29日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、1/3回4失点で敗戦投手
- 初先発勝利:2010年7月18日、対オリックス・バファローズ15回戦(京セラドーム大阪)、5回6被安打2失点
- 初ホールド:2012年8月8日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(帯広の森野球場)、7回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初完投・初完投勝利・初完封勝利:2012年8月17日、対オリックス・バファローズ16回戦(京セラドーム大阪)、3被安打10奪三振(与四死球なし)
背番号
- 91 (2006年 - 2013年)
- 23 (2015年 - 2019年)
- 1 (2020年 - )
代表歴
- 2002年世界大学野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表
- 2004年世界大学野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表
- 2005年アジア野球選手権大会チャイニーズタイペイ代表
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2006 IBAFインターコンチネンタルカップ チャイニーズタイペイ代表
- 2010年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック予選 チャイニーズタイペイ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
脚注
- ^ 【有片】桃猿調薪陳俊秀晉50萬元級 朱育賢3年約 蘋果及時 (2018年1月13日) 2018年5月6日閲覧
- ^ 2012 WBC資格賽中華隊28人名單最後確認 CPBL公式サイト 中国語 (2012年9月21日) 2015年3月28日閲覧
- ^ WBC 資格賽《賽前組訓熱身賽》球員出賽參考名單 2015年4月19日閲覧
- ^ http://npn.co.jp/article/detail/78640117/ 2014年3月5日閲覧。
- ^ ソフトバンクの陽耀勲がキャンプ合流 来季米挑戦で契約更改 日本経済新聞 2013年2月3日 2014年3月5日閲覧
- ^ 2013 WBC中華隊28人名單 CPBL公式サイト (2013年1月14日) 2015年3月28日閲覧
- ^ 退団のお知らせソフトバンク球団公式サイト2013年10月15日配信
- ^ “元ソフトB・陽耀勲、パイレーツとマイナー契約”. サンケイスポーツ. (2014年2月14日) 2014年3月6日閲覧。
- ^ 中職日職對抗賽 代表隊參賽名單出爐 中華職棒大聯盟全球資訊網The Official Site of CPBL (2016年1月29日) 2016年2月17日閲覧
- ^ 侍ジャパン強化試合 出場選手変更のお知らせ野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト
- ^ “【球界名場面番外編】どうやって打った? 台湾で陽岱鋼の兄が放った規格外の“悪球アーチ””. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2020年5月7日閲覧。
- ^ “巨人・陽岱鋼、元ソフトバンクの兄・陽耀勲と絶縁か。賭博、借金…不信感募る”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2017年11月16日閲覧。
- ^ 自由體育. “中職》相隔4年登板! 陽耀勳飆全場最快球速 - 自由體育”. sports.ltn.com.tw. 2020年6月21日閲覧。
- ^ “陽耀勳開轟貢獻5打點 樂天8:1打退兄弟重返龍頭”. www.cpbl.com.tw. 2020年6月21日閲覧。
- ^ “巨人・陽岱鋼が海を越えて兄弟同日アベック弾 兄・陽耀勲も台湾で一発|ニフティニュース”. ニフティニュース. 2020年7月1日閲覧。
- ^ “先發全員安打 富邦輕取樂天奪3連勝”. www.cpbl.com.tw. 2020年9月1日閲覧。
- ^ a b c “【陽岱鋼爆家醜】陽介仁、陽詩慧、陽耀勳全都回應了!”. MM Vue (2017年3月22日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ “中職/陽岱鋼鼓勵「苦練不遺憾」 陽耀華測試拚職棒”. ET運動雲 ETtoday東森新聞雲 (2014年6月9日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ “オリックス育成ドラ1張奕と仮契約 陽岱鋼のいとこ - 野球”. 日刊スポーツ (2016年11月16日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、142頁頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
- ^ “右の砦陥落!「左6人」前代未聞ローテへ”. nikkansports.com. (2010年8月11日) 2014年11月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 陽耀勲 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 CPBL