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一党優位政党制は、従来[[一党制]]という名で一括されていたものの中から、公正な[[自由選挙]]が実施されている政党制を抜き出したものである。一党が他党を引き離す「優位」を持っている政党制は、[[自由民主主義]]体制下である場合と[[非自由主義的民主主義|非自由民主主義]]体制下である場合があるものの、一党優位政党制は前者を指す<ref>[https://mainichi.jp/articles/20150105/dyo/00m/010/021000c 望ましい選挙制度とは何か:【基礎知識】小選挙区制のどこが問題なのか]</ref>。 |
一党優位政党制は、従来[[一党制]]という名で一括されていたものの中から、公正な[[自由選挙]]が実施されている政党制を抜き出したものである。一党が他党を引き離す「優位」を持っている政党制は、[[自由民主主義]]体制下である場合と[[非自由主義的民主主義|非自由民主主義]]体制下である場合があるものの、一党優位政党制は前者を指す<ref>[https://mainichi.jp/articles/20150105/dyo/00m/010/021000c 望ましい選挙制度とは何か:【基礎知識】小選挙区制のどこが問題なのか]</ref>。 |
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サルトーリは、一党優位政党制を、支配政党制の概念の曖昧さに対する批判として提出した。サルトーリは、自由選挙が実施されている環境下で、第1党と第2党の議席占有率の差が大きいことと、第1党が3期から4期連続して政権についていることを要求した。その例として、[[インド]]([[インド国民会議]]が優位だった[[ジャワハルラール・ネルー]]、[[インディラ・ガンディー]]の時代)、[[日本]]([[55年体制]]における[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]による政権の独占)などを挙げた。サルトーリは、一党優位政党制は[[分極的多党制]]に近いものと考えており、その共通特徴は認められるので、このグループを一党制や[[ヘゲモニー政党制]]から分けたのである。そして共通特徴から見て一党優位政党制における優位政党の支配が崩れれば、分極的多党制へ変化すると予測される。これによれば[[1993年]]以降の日本は、分極的多党制へ変化したことになるが、その後も殆どの年月が自民党政権で占められている上、政党の離合集散によりこの議論は複雑なものとなっている。また、サルトーリ自身は例として挙げていないが、1970年代までの[[スウェーデン]]・[[スウェーデン社会民主労働党|社民党]]優位の政党制、[[1990年代]]までの[[イタリア]]・[[キリスト教民主主義 (イタリア 1942-1994)|キリスト教民主党]]優位の政党制を一党優位政党制に含めることが妥当であるとの有力な見解もある(ただし、典型的な一党優位政党制とは異なり、これらの国では[[投票率]]における低下などの問題はないほか、前者は北欧五党制が主体で、後者は分極的多党制が主体である)。 |
サルトーリは、一党優位政党制を、支配政党制の概念の曖昧さに対する批判として提出した。サルトーリは、自由選挙が実施されている環境下で、第1党と第2党の議席占有率の差が大きいことと、第1党が3期から4期連続して政権についていることを要求した。その例として、[[インド]]([[インド国民会議]]が優位だった[[ジャワハルラール・ネルー]]、[[インディラ・ガンディー]]の時代)、[[日本]]([[55年体制]]における[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]による政権の独占)などを挙げた。サルトーリは、一党優位政党制は[[分極的多党制]]に近いものと考えており、その共通特徴は認められるので、これらのグループを一党制や[[ヘゲモニー政党制]]から分けたのである。そして共通特徴から見て一党優位政党制における優位政党の支配が崩れれば、分極的多党制へ変化すると予測される。これによれば[[1993年]]以降の日本は、分極的多党制へ変化したことになるが、実際にはその後も殆どの年月が自民党政権で占められている(一党優位政党制が継続している)上、政党の離合集散によりこの議論は複雑なものとなっている。また、サルトーリ自身は例として挙げていないが、1970年代までの[[スウェーデン]]・[[スウェーデン社会民主労働党|社民党]]優位の政党制、[[1990年代]]までの[[イタリア]]・[[キリスト教民主主義 (イタリア 1942-1994)|キリスト教民主党]]優位の政党制を一党優位政党制に含めることが妥当であるとの有力な見解もある(ただし、典型的な一党優位政党制とは異なり、これらの国では[[投票率]]における低下などの問題はないほか、前者は北欧五党制が主体で、後者は分極的多党制が主体である)。 |
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一党優位政党制は、[[野党]]が国民から疑問視されることにより成立する。弊害として国民が惰性で[[与党]]に投票し続けることにより投票率が低下する。低投票率は国民がある程度政治に満足している結果でもあり、それ自体が悪いわけではないものの、与党系[[圧力団体]]の[[組織票]]の影響力が増大するため、政治が圧力団体により左右されやすくなると言える。 |
一党優位政党制は、[[野党]]が国民から疑問視されることにより成立する。弊害として国民が惰性で[[与党]]に投票し続けることにより投票率が低下する。低投票率は国民がある程度政治に満足している結果でもあり、それ自体が悪いわけではないものの、与党系[[圧力団体]]の[[組織票]]の影響力が増大するため、政治が圧力団体により左右されやすくなると言える。 |
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また、与党のみが政治における現実の全てを受け入れることにより[[イデオロギー]]的立場が曖昧になったり(党内の議員同士で考えが大きく矛盾していることも珍しくない)、特定の業界と癒着したりするなどの問題を引き起こす。 |
また、与党のみが政治における現実の全てを受け入れることにより[[イデオロギー]]的立場が曖昧になったり(党内の議員同士で考えが大きく矛盾していることも珍しくない)、特定の業界と癒着したりするなどの問題を引き起こす。 |
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政権はあくまでも[[民主主義]]的かつ公正な選挙で選ばれるため、[[政権交代]]は理論上起こり得るし、実際に起こることもある。しかしながら政権交代を達成した野党(新与党)の政権運営は、そのノウハウが無いため稚拙であることが多く、短命に終わるばかりか次の選挙ではその党が一層疑問視され、政権復帰を果たした与党による一党優位政党制がさらに強まる傾向にある。 |
一党優位政党制は一党独裁制やヘゲモニー政党制ではないため、政権はあくまでも[[民主主義]]的かつ公正な選挙で選ばれるため、[[政権交代]]は理論上起こり得るし、実際に起こることもある。しかしながら政権交代を達成した野党(新与党)の政権運営は、そのノウハウが無いため稚拙であることが多く、短命に終わるばかりか次の選挙ではその党が一層疑問視され、政権復帰を果たした与党による一党優位政党制がさらに強まる傾向にある。日本でも、自民党から政権交代を果たした政党のほぼ全てが次の自民党政権時代の離合集散により消滅している(後述) |
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[[西尾幹二]]は「[[保守政党]]が永続的に政権を握り続ける事が制度的に保障されているなら、一党優位政党制ほど優れている政治体制はない」と雑誌『[[正論 (雑誌)|正論]]』の記事で主張した(ただし、'''制度的に'''保守政党の勝利が'''保障'''されているのであれば当然ながら公正な選挙が実施されているという一党優位政党制の前提を外れてしまっており、[[ヘゲモニー政党制]]になる)。 |
[[西尾幹二]]は「[[保守政党]]が永続的に政権を握り続ける事が制度的に保障されているなら、一党優位政党制ほど優れている政治体制はない」と雑誌『[[正論 (雑誌)|正論]]』の記事で主張した(ただし、'''制度的に'''保守政党の勝利が'''保障'''されているのであれば当然ながら公正な選挙が実施されているという一党優位政党制の前提を外れてしまっており、[[ヘゲモニー政党制]]になる)。 |
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== 日本における事例 == |
== 日本における事例 == |
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[[日本の政治]]は[[55年体制]]の成立以降、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]](自民党)による一党優位政党制に置かれているとされている。日本では「一党優位」という表現の他、「一強」「一強多弱」とも評される<ref>{{Cite web|title=「合流新党 なるか『1強』打破」(時論公論)|url=https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/435718.html|website=解説委員室ブログ|accessdate=2020-10-09|language=ja|last=日本放送協会}}</ref>。 |
[[日本の政治]]は[[55年体制]]の成立以降、現在まで[[自由民主党 (日本)|自由民主党]](自民党)による一党優位政党制に置かれているとされている。日本では「一党優位」という表現の他、「一強」「一強政治」「一強多弱」などとも評される<ref>{{Cite web|title=「合流新党 なるか『1強』打破」(時論公論)|url=https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/435718.html|website=解説委員室ブログ|accessdate=2020-10-09|language=ja|last=日本放送協会}}</ref>。 |
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=== 概要 === |
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[[1955年]]([[昭和]]30年)以降[[2020年]]([[令和]]2年)までの65年間のうち、同党が野党だったのは[[1993年]][[8月9日]]の[[細川内閣]]成立から[[1994年]][[6月30日]]の[[自社さ連立政権]]成立までの326日間([[非自民・非共産連立政権]])及び[[2009年]][[9月16日]]の[[鳩山由紀夫内閣]]成立から[[2012年]][[12月26日]]の[[第2次安倍内閣]]成立までの1198日間([[民主党政権]])の合計1524日で、これは4年強に過ぎず、65年間のうちの60年以上を自民党政権 |
[[1955年]]([[昭和]]30年)以降[[2020年]]([[令和]]2年)までの65年間のうち、同党が野党だったのは[[1993年]][[8月9日]]の[[細川内閣]]成立から[[1994年]][[6月30日]]の[[自社さ連立政権]]成立までの326日間([[非自民・非共産連立政権]])及び[[2009年]][[9月16日]]の[[鳩山由紀夫内閣]]成立から[[2012年]][[12月26日]]の[[第2次安倍内閣]]成立までの1198日間([[民主党政権]])の合計1524日で、これは4年強に過ぎず、65年間のうちの60年以上を自民党政権が占めている。 |
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ただし、この期間は自民党単独での政権のみではなく、例えば現在の自民党は[[公明党]]と連立与党を組んでいるように、自民党以外の政党が政権与党として関与していることもある。また自社さ連立政権下では、自民党は与党ながらも首相は社会党の[[村山富市]]であったこともあった。 |
ただし、この期間は自民党単独での政権のみではなく、例えば現在の自民党は[[公明党]]と[[連立与党]]を組んでいる([[自公連立政権]])ように、自民党以外の政党が政権与党として政権に関与していることもある。また自社さ連立政権下では、自民党は与党ながらも首相は社会党の[[村山富市]]であったこともあった。 |
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またこの間、日本の選挙制度は1994年の細川政権による公職選挙法改正により、[[中選挙区制]]から[[小選挙区制]]に変わっている。これはかつての自民党による[[派閥政治]]を改め、 |
またこの間、日本の選挙制度は1994年の細川政権による公職選挙法改正により、[[中選挙区制]]から[[小選挙区制]]に変わっている。これはかつての自民党による[[派閥政治]]を改める目的の他、一党優位政党制をやめ、日本に[[二大政党制]]を作る目的を持って行われたものであるが<ref>{{Cite web|title=かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態|url=https://ironna.jp/article/2336|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>、結果として失敗したばかりか更なる一強多弱(自民党によるより盤石な一党優位政党制)を生み出してしまったと[[一橋大学]]教授の[[中北浩爾]]は指摘している<ref>{{Cite web|title=かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態|url=https://ironna.jp/article/2336|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>。事実民主党下野後、首相に返り咲いた[[安倍晋三]]による第2次安倍政権は7年8ヶ月という憲政史上最長の長期政権となり、その要因には「多弱野党」の存在が挙げられている<ref>{{Cite web|title=「多弱野党」1強を助長 民主党の失敗 今も影 安倍最長政権|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/561024/|website=西日本新聞ニュース|accessdate=2020-10-09|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=日経ビジネス電子版|url=https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/111900884/|website=日経ビジネス電子版|accessdate=2020-10-09|language=ja|first=安藤|last=毅}}</ref>。また中北は、歴史が長く様々なノウハウを持つ自民党と野党との非対称性を考えると、日本において二大政党制が根付くのは困難とも指摘している<ref>{{Cite web|title=かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態|url=https://ironna.jp/article/2336|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>。 |
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自民党内の首相交代、派閥間の政権移譲(特に[[中選挙区制]]時代)を「疑似的な政権交代」と見る意見もあるが<ref>{{Cite web|title=かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態|url=https://ironna.jp/article/2336|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>、これに対して[[伊東正義]]は「党首の代替わりに過ぎず、政権移動ではない」とした。 |
自民党内の首相交代、派閥間の政権移譲(特に[[中選挙区制]]時代)を「疑似的な政権交代」と見る意見もあるが<ref>{{Cite web|title=かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態|url=https://ironna.jp/article/2336|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>、これに対して[[伊東正義]]は「党首の代替わりに過ぎず、政権移動ではない」とした。 |
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また、55年体制に関して社会党との[[二大政党制]]を唱える説もあるが、結果的に1993年までの38年間、社会党が与党となったことはなかった。これをもって「1と2分の1政党制」ともいう<ref>{{Cite web|title=無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏|url=https://ironna.jp/article/15859|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>。 |
また、55年体制に関して社会党との[[二大政党制]]を唱える説もあるが、結果的に1993年までの38年間、社会党が与党となったことはなかった。これをもって「1と2分の1政党制」ともいう<ref>{{Cite web|title=無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏|url=https://ironna.jp/article/15859|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>。 |
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=== 長期に渡り自民党が支持される理由 === |
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公正な選挙がなされている政治システムにおいて、一党優位政党制を維持するためには、当然ながら与党が長期に渡って安定的に支持される必要が生じる。 |
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自民党系圧力団体が自民党を支持する理由として挙げたのは、自分達の業界の利益を代表してくれること([[族議員]])、野党を支持するよりも政策に早く反映されることなどであった。また一般大衆から自民党が支持される理由として、自民党が極めて強力な[[包括政党]]とみなされ得る政党であるとする意見もある。[[立命館大学]]教授の[[上久保誠人]]は、自民党を「世界最強のキャッチ・オール・パーティ」と表現し<ref>{{Cite web|title=確固たる思想がない「自民党モデル」がポピュリズム台頭を防ぐ理由|url=https://diamond.jp/articles/-/211556?page=3|website=ダイヤモンド・オンライン|accessdate=2020-09-20}}</ref>、自民党の存在が[[ポピュリズム]]政党の台頭を防いでいると評価した。また、自民党は野党が掲げている政策を自分のものにしてしまい、予算をつけて実行することで、野党から支持者を奪って広く支持されている、とも指摘している<ref>{{Cite web|title=確固たる思想がない「自民党モデル」がポピュリズム台頭を防ぐ理由|url=https://diamond.jp/articles/-/211556?page=5|website=ダイヤモンド・オンライン|accessdate=2020-09-20}}</ref>。 |
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また第2次安倍政権以降、自民党の支持層が若返りしており、民主党政権下で幼少期を過ごした若年層が大きな支持基盤となっている<ref>{{Cite web|title=【新聞に喝!】安倍政権支えた「若者の勝利」 作家・ジャーナリスト・門田隆将|url=https://www.sankei.com/politics/news/200920/plt2009200006-n1.html|website=産経ニュース|date=2020-09-20|accessdate=2020-09-20|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC}}</ref>一方で、野党の支持率は低空飛行を続けており、[[埼玉大学]]教授の[[松本正生]]からは、「有権者に、存在がほとんど認識されていない」とまで言われている<ref>{{Cite web|title=代表選実施も支持率下げる野党 有権者からほとんど認識されず?|url=https://news.livedoor.com/article/detail/18877068/|website=ライブドアニュース|accessdate=2020-09-20|language=ja}}</ref>。 |
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=== 野党側の問題点 === |
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⚫ | 55年体制下の日本では、[[日本社会党|社会党]]に顕著に見られたように、野党が野党であることに安住し、勢力拡大のための候補者増や政策転換に消極的になるという傾向もあった。事実社会党は中選挙区制時代に単独過半数になり得る候補者を擁立したことが殆どなかった他<ref>{{Cite web|title=無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏|url=https://ironna.jp/article/15859|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>、民主党が政権を失ってから最初に行われた[[2014年]]の衆議院選挙でも、民主党の候補者数は[[過半数]]に満たなかった<ref>{{Cite web|title=無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏|url=https://ironna.jp/article/15859|website=オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」|accessdate=2020-10-09|language=jp}}</ref>。全員が当選したとしても過半数に満たない立候補者数では、当然政権交代は[[不可能]]である。 |
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第2次安倍政権となってからは、野党は与党とその支持者から「何でも反対党」と揶揄されるほど一貫性のない状況となっている<ref>{{Cite web|title=数合わせでは野党は勝てない|url=https://www.nikkei.com/article/DGXKZO36101570T01C18A0EA1000/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2020-09-20|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=【世界読解】反安保勢力の“偽善コメント”にだまされるな…安全保障は「常識に還れ」|url=https://www.sankei.com/politics/news/150728/plt1507280050-n1.html|website=産経ニュース|accessdate=2020-09-20|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC}}</ref>。もっとも、「野党が反対ばかりしている」という批判は昭和の社会党時代から存在していた模様であり<ref>{{Cite web|title=日経ビジネス電子版|url=https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00010/|website=日経ビジネス電子版|accessdate=2020-09-20|language=ja|first=小田嶋|last=隆}}</ref>、日本の一党優位政党制下の野党共通の問題とも言えるであろう。 |
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いわゆる「多弱野党」の問題はそのまま「なぜ自民党を倒せないのか」という問題にもつながる。 |
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民主党政権下において最後の[[内閣総理大臣]]であった[[野田佳彦]]は、「野党がバラバラになって互いに足を引っ張っていることが一番大きな原因だ」と述べ、[[小沢一郎]]も「安倍政権に代わる受け皿がない。国民は政権をかえたくても選択する対象がない」と指摘している<ref>{{Cite web|title=なぜ、政権を倒せないのか {{!}} 特集記事|url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/26402.html|website=NHK政治マガジン|accessdate=2020-11-02|language=ja|last=日本放送協会}}</ref>。 |
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民主党(民進党)から分裂した立憲民主党と国民民主党の合流に際しても、[[西日本新聞]]の[[鶴加寿子]]記者は「1強多弱」の現状に対し、「これまでと変わらない」という印象を抱いたと報道している<ref>{{Cite web|title=これまでと変わらないのでは…|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/646711/|website=西日本新聞ニュース|accessdate=2020-10-09|language=ja}}</ref>。また日本国民からは「数合わせの離合集散の繰り返し」という批判も多い<ref>{{Cite web|title=批判だけでは何も生まれない 自民と対峙する国家像を示せ {{!}} {{!}} 輿石東|url=https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20201011/pol/00m/010/002000c|website=毎日新聞「政治プレミア」|accessdate=2020-11-03|language=ja}}</ref>。 |
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=== 自民党以外の政権与党のその後 === |
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日本では自民党政権からの政権交代が2度起きたものの、いずれも政権交代後、次の[[衆議院選挙]]までの間に自民党が政権与党の座を奪還している。 |
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また、どちらの政権も内部分裂が崩壊の大きな引き金となっている。非自民・非共産連立政権においては、社会党の離反による[[少数与党]]への転落が起こり、崩壊の要因となった。民主党政権においても、[[消費増税]]を巡っての小沢一郎を始めとした国会議員の大量[[離党]]が政権に大きな打撃を与える結果となった<ref>{{Cite web|title=なぜ、政権を倒せないのか {{!}} 特集記事|url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/26402.html|website=NHK政治マガジン|accessdate=2020-11-02|language=ja|last=日本放送協会}}</ref>。いずれにしても非自民党政権下における与党はその大半が離合集散の結果、消滅してしまっているのが現状である。 |
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2020年11月3日 (火) 00:48時点における版
政党政治 |
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Portal:政治学 |
一党優位政党制(いっとうゆういせいとうせい、英語:predominant-party system)は、競争的な選挙の下で、一つの主要政党が投票者の多数に支持され続けることによって、政権を握り続ける政党制である。一党優位制も。イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリが1970年代に提唱した概念である。
概要
一党優位政党制は、従来一党制という名で一括されていたものの中から、公正な自由選挙が実施されている政党制を抜き出したものである。一党が他党を引き離す「優位」を持っている政党制は、自由民主主義体制下である場合と非自由民主主義体制下である場合があるものの、一党優位政党制は前者を指す[1]。
サルトーリは、一党優位政党制を、支配政党制の概念の曖昧さに対する批判として提出した。サルトーリは、自由選挙が実施されている環境下で、第1党と第2党の議席占有率の差が大きいことと、第1党が3期から4期連続して政権についていることを要求した。その例として、インド(インド国民会議が優位だったジャワハルラール・ネルー、インディラ・ガンディーの時代)、日本(55年体制における自由民主党による政権の独占)などを挙げた。サルトーリは、一党優位政党制は分極的多党制に近いものと考えており、その共通特徴は認められるので、これらのグループを一党制やヘゲモニー政党制から分けたのである。そして共通特徴から見て一党優位政党制における優位政党の支配が崩れれば、分極的多党制へ変化すると予測される。これによれば1993年以降の日本は、分極的多党制へ変化したことになるが、実際にはその後も殆どの年月が自民党政権で占められている(一党優位政党制が継続している)上、政党の離合集散によりこの議論は複雑なものとなっている。また、サルトーリ自身は例として挙げていないが、1970年代までのスウェーデン・社民党優位の政党制、1990年代までのイタリア・キリスト教民主党優位の政党制を一党優位政党制に含めることが妥当であるとの有力な見解もある(ただし、典型的な一党優位政党制とは異なり、これらの国では投票率における低下などの問題はないほか、前者は北欧五党制が主体で、後者は分極的多党制が主体である)。
一党優位政党制は、野党が国民から疑問視されることにより成立する。弊害として国民が惰性で与党に投票し続けることにより投票率が低下する。低投票率は国民がある程度政治に満足している結果でもあり、それ自体が悪いわけではないものの、与党系圧力団体の組織票の影響力が増大するため、政治が圧力団体により左右されやすくなると言える。
また、与党のみが政治における現実の全てを受け入れることによりイデオロギー的立場が曖昧になったり(党内の議員同士で考えが大きく矛盾していることも珍しくない)、特定の業界と癒着したりするなどの問題を引き起こす。
一党優位政党制は一党独裁制やヘゲモニー政党制ではないため、政権はあくまでも民主主義的かつ公正な選挙で選ばれるため、政権交代は理論上起こり得るし、実際に起こることもある。しかしながら政権交代を達成した野党(新与党)の政権運営は、そのノウハウが無いため稚拙であることが多く、短命に終わるばかりか次の選挙ではその党が一層疑問視され、政権復帰を果たした与党による一党優位政党制がさらに強まる傾向にある。日本でも、自民党から政権交代を果たした政党のほぼ全てが次の自民党政権時代の離合集散により消滅している(後述)
西尾幹二は「保守政党が永続的に政権を握り続ける事が制度的に保障されているなら、一党優位政党制ほど優れている政治体制はない」と雑誌『正論』の記事で主張した(ただし、制度的に保守政党の勝利が保障されているのであれば当然ながら公正な選挙が実施されているという一党優位政党制の前提を外れてしまっており、ヘゲモニー政党制になる)。
日本における事例
日本の政治は55年体制の成立以降、現在まで自由民主党(自民党)による一党優位政党制に置かれているとされている。日本では「一党優位」という表現の他、「一強」「一強政治」「一強多弱」などとも評される[2]。
概要
1955年(昭和30年)以降2020年(令和2年)までの65年間のうち、同党が野党だったのは1993年8月9日の細川内閣成立から1994年6月30日の自社さ連立政権成立までの326日間(非自民・非共産連立政権)及び2009年9月16日の鳩山由紀夫内閣成立から2012年12月26日の第2次安倍内閣成立までの1198日間(民主党政権)の合計1524日で、これは4年強に過ぎず、65年間のうちの60年以上を自民党政権が占めている。
ただし、この期間は自民党単独での政権のみではなく、例えば現在の自民党は公明党と連立与党を組んでいる(自公連立政権)ように、自民党以外の政党が政権与党として政権に関与していることもある。また自社さ連立政権下では、自民党は与党ながらも首相は社会党の村山富市であったこともあった。
またこの間、日本の選挙制度は1994年の細川政権による公職選挙法改正により、中選挙区制から小選挙区制に変わっている。これはかつての自民党による派閥政治を改める目的の他、一党優位政党制をやめ、日本に二大政党制を作る目的を持って行われたものであるが[3]、結果として失敗したばかりか更なる一強多弱(自民党によるより盤石な一党優位政党制)を生み出してしまったと一橋大学教授の中北浩爾は指摘している[4]。事実民主党下野後、首相に返り咲いた安倍晋三による第2次安倍政権は7年8ヶ月という憲政史上最長の長期政権となり、その要因には「多弱野党」の存在が挙げられている[5][6]。また中北は、歴史が長く様々なノウハウを持つ自民党と野党との非対称性を考えると、日本において二大政党制が根付くのは困難とも指摘している[7]。
自民党内の首相交代、派閥間の政権移譲(特に中選挙区制時代)を「疑似的な政権交代」と見る意見もあるが[8]、これに対して伊東正義は「党首の代替わりに過ぎず、政権移動ではない」とした。
また、55年体制に関して社会党との二大政党制を唱える説もあるが、結果的に1993年までの38年間、社会党が与党となったことはなかった。これをもって「1と2分の1政党制」ともいう[9]。
長期に渡り自民党が支持される理由
公正な選挙がなされている政治システムにおいて、一党優位政党制を維持するためには、当然ながら与党が長期に渡って安定的に支持される必要が生じる。
自民党系圧力団体が自民党を支持する理由として挙げたのは、自分達の業界の利益を代表してくれること(族議員)、野党を支持するよりも政策に早く反映されることなどであった。また一般大衆から自民党が支持される理由として、自民党が極めて強力な包括政党とみなされ得る政党であるとする意見もある。立命館大学教授の上久保誠人は、自民党を「世界最強のキャッチ・オール・パーティ」と表現し[10]、自民党の存在がポピュリズム政党の台頭を防いでいると評価した。また、自民党は野党が掲げている政策を自分のものにしてしまい、予算をつけて実行することで、野党から支持者を奪って広く支持されている、とも指摘している[11]。
また第2次安倍政権以降、自民党の支持層が若返りしており、民主党政権下で幼少期を過ごした若年層が大きな支持基盤となっている[12]一方で、野党の支持率は低空飛行を続けており、埼玉大学教授の松本正生からは、「有権者に、存在がほとんど認識されていない」とまで言われている[13]。
野党側の問題点
55年体制下の日本では、社会党に顕著に見られたように、野党が野党であることに安住し、勢力拡大のための候補者増や政策転換に消極的になるという傾向もあった。事実社会党は中選挙区制時代に単独過半数になり得る候補者を擁立したことが殆どなかった他[14]、民主党が政権を失ってから最初に行われた2014年の衆議院選挙でも、民主党の候補者数は過半数に満たなかった[15]。全員が当選したとしても過半数に満たない立候補者数では、当然政権交代は不可能である。
第2次安倍政権となってからは、野党は与党とその支持者から「何でも反対党」と揶揄されるほど一貫性のない状況となっている[16][17]。もっとも、「野党が反対ばかりしている」という批判は昭和の社会党時代から存在していた模様であり[18]、日本の一党優位政党制下の野党共通の問題とも言えるであろう。
いわゆる「多弱野党」の問題はそのまま「なぜ自民党を倒せないのか」という問題にもつながる。
民主党政権下において最後の内閣総理大臣であった野田佳彦は、「野党がバラバラになって互いに足を引っ張っていることが一番大きな原因だ」と述べ、小沢一郎も「安倍政権に代わる受け皿がない。国民は政権をかえたくても選択する対象がない」と指摘している[19]。
民主党(民進党)から分裂した立憲民主党と国民民主党の合流に際しても、西日本新聞の鶴加寿子記者は「1強多弱」の現状に対し、「これまでと変わらない」という印象を抱いたと報道している[20]。また日本国民からは「数合わせの離合集散の繰り返し」という批判も多い[21]。
自民党以外の政権与党のその後
日本では自民党政権からの政権交代が2度起きたものの、いずれも政権交代後、次の衆議院選挙までの間に自民党が政権与党の座を奪還している。
そして、政権を担った民主党は民進党と改名した後に立憲民主党と国民民主党に分裂・消滅しており、非自民・非共産連立政権下で政権を担った与党に関しても、現在は自民党と連立を組んでいる公明党のみが存続している状況である。
また、どちらの政権も内部分裂が崩壊の大きな引き金となっている。非自民・非共産連立政権においては、社会党の離反による少数与党への転落が起こり、崩壊の要因となった。民主党政権においても、消費増税を巡っての小沢一郎を始めとした国会議員の大量離党が政権に大きな打撃を与える結果となった[22]。いずれにしても非自民党政権下における与党はその大半が離合集散の結果、消滅してしまっているのが現状である。
用語
サルトーリが「一党優位」に用いた英語はpredominantで、それまで通用していたdominantより弱い語として起用された。dominantは日本語では支配・優位いずれにも訳すことができ、実際両方に訳されていたので、predominantに「一党優位」の語が用いられた。
サルトーリの説は後の政党研究を規定したものの、なお実際に適用し難い部分が残っていた。後の研究者はサルトーリの概念を念頭に、これを修正してしばしば呼び名を違えた。支配政党制(dominant-party system)、一党支配体制(one-party dominant regime)、そしてもちろん一党優位政党制(predominant-party system)が、ほぼ同じものを指す用語として使われている。
参考文献
- ジョヴァンニ・サルトーリ(岡沢憲芙・川野秀之訳)『現代政党学』(早稲田大学出版部、1980年、1992年、2000年(普及版))ISBN 4-657-91035-3、ISBN 4-657-00829-3
脚注
- ^ 望ましい選挙制度とは何か:【基礎知識】小選挙区制のどこが問題なのか
- ^ 日本放送協会. “「合流新党 なるか『1強』打破」(時論公論)”. 解説委員室ブログ. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “「多弱野党」1強を助長 民主党の失敗 今も影 安倍最長政権”. 西日本新聞ニュース. 2020年10月9日閲覧。
- ^ 毅, 安藤. “日経ビジネス電子版”. 日経ビジネス電子版. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “かつての“自民党政治”を否定するための政治改革がもたらした一強状態” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “確固たる思想がない「自民党モデル」がポピュリズム台頭を防ぐ理由”. ダイヤモンド・オンライン. 2020年9月20日閲覧。
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- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年9月20日). “【新聞に喝!】安倍政権支えた「若者の勝利」 作家・ジャーナリスト・門田隆将”. 産経ニュース. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “代表選実施も支持率下げる野党 有権者からほとんど認識されず?”. ライブドアニュース. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “無派閥の菅総理誕生が浮き彫りにする自民党政治の功罪と黄昏” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “数合わせでは野党は勝てない”. 日本経済新聞 電子版. 2020年9月20日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL. “【世界読解】反安保勢力の“偽善コメント”にだまされるな…安全保障は「常識に還れ」”. 産経ニュース. 2020年9月20日閲覧。
- ^ 隆, 小田嶋. “日経ビジネス電子版”. 日経ビジネス電子版. 2020年9月20日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “なぜ、政権を倒せないのか | 特集記事”. NHK政治マガジン. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “これまでと変わらないのでは…”. 西日本新聞ニュース. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “批判だけでは何も生まれない 自民と対峙する国家像を示せ | | 輿石東”. 毎日新聞「政治プレミア」. 2020年11月3日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “なぜ、政権を倒せないのか | 特集記事”. NHK政治マガジン. 2020年11月2日閲覧。