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「神津里季生」の版間の差分

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2010年から連合副会長、2013年から連合事務局長<ref>[http://www.jcmetal.jp/news/kouhou/kaigi-houkoku2/3944/ 「金属労協第56回協議委員会」]金属労協</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH9L4T25H9LUTFK00Y.html 連合次期会長に神津氏選出へ 新日本製鉄の労組出身] 朝日新聞2015年9月19日11時14分</ref>、2015年10月から同会長<ref name=nikkei/>。
2010年から連合副会長、2013年から連合事務局長<ref>[http://www.jcmetal.jp/news/kouhou/kaigi-houkoku2/3944/ 「金属労協第56回協議委員会」]金属労協</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH9L4T25H9LUTFK00Y.html 連合次期会長に神津氏選出へ 新日本製鉄の労組出身] 朝日新聞2015年9月19日11時14分</ref>、2015年10月から同会長<ref name=nikkei/>。


2017年10月4日に開かれた連合の定期大会において、[[第48回衆議院議員総選挙]]では特定政党の支援を見送り、[[希望の党]]や[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]から出馬する[[民進党]]出身者を個別に支援する意向を示した<ref>{{Cite web |url = https://www.nikkei.com/article/DGKKZO21868340U7A001C1MM0000/ |title = 連合、特定政党支援せず 神津会長「1強政治に終止符」 |publisher = [[日本経済新聞]] |date=2017-10-04 |accessdate = 2017-10-09}}</ref>。
2017年10月4日に開かれた連合の定期大会において、[[第48回衆議院議員総選挙]]では特定政党の支援を見送り、[[希望の党]]や[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]から出馬する[[民進党]]出身者を個別に支援する意向を示した<ref>{{Cite web |url = https://www.nikkei.com/article/DGKKZO21868340U7A001C1MM0000/ |title = 連合、特定政党支援せず 神津会長「1強政治に終止符」 |publisher = [[日本経済新聞]] |date=2017-10-04 |accessdate = 2017-10-09}}</ref>。


[[山本周五郎]]の『ながい坂』を座右の書とする<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGKKZO97016650W6A200C1MY5000/ リーダーの本棚 連合会長 神津里季生氏「世界」と「将来世代」が座標軸] 2016/2/7付 日本経済新聞朝刊</ref>。東京大学では[[東京大学運動会硬式野球部|硬式野球部]]に所属したが、1年のときにバッティングキャッチャーをしていて左手の親指を骨折する大怪我を負ったのを機に選手を諦めてマネージャーに転身した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180203/mog/00m/040/012000c 連合会長・神津里季生さん「野球がしたくて東大へ」]</ref>。
[[山本周五郎]]の『ながい坂』を座右の書とする<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGKKZO97016650W6A200C1MY5000/ リーダーの本棚 連合会長 神津里季生氏「世界」と「将来世代」が座標軸] 2016/2/7付 日本経済新聞朝刊</ref>。東京大学では[[東京大学運動会硬式野球部|硬式野球部]]に所属したが、1年のときにバッティングキャッチャーをしていて左手の親指を骨折する大怪我を負ったのを機に選手を諦めてマネージャーに転身した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180203/mog/00m/040/012000c 連合会長・神津里季生さん「野球がしたくて東大へ」]</ref>。

2020年11月1日 (日) 10:33時点における版

神津 里季生(こうづ りきお、1956年昭和31年)3月[1] - )は日本労働運動家2015年10月から7代目日本労働組合総連合会会長[2]

人物・経歴

東京都生まれ[2]東京学芸大学附属高等学校18期生[3]1979年東京大学教養学部アジア科卒業[2][4]。同年、新日本製鐵株式会社に入社[2]

新日本製鐵広畑製鐵所に勤務[5]、1983年から新日鐵本社の労働組合建材・鋼管支部書記長(非専従)[5]、1984年から専従となり新日鐵本社労働組合執行委員[2][5]、1988年日本鉄鋼産業労働組合連合会特別本部員、1990年から鷲尾悦也により日本労働組合総連合会(連合)を通じて外務省在タイ日本国大使館一等書記官として3年間派遣された[5]

1994年、新日鐵労働組合連合会書記次長、1998年、新日鐵労働組合連合会書記長、2002年、新日鐵労働組合連合会会長、2006年、日本基幹産業労働組合連合会事務局長、2010年、日本基幹産業労働組合連合会中央執行委員長全日本金属産業労働組合協議会副議長[6]

2010年から連合副会長、2013年から連合事務局長[7][8]、2015年10月から同会長[2]

2017年10月4日に開かれた連合の定期大会において、第48回衆議院議員総選挙では特定政党の支援を見送り、希望の党立憲民主党から出馬する民進党出身者を個別に支援する意向を示した[9]

山本周五郎の『ながい坂』を座右の書とする[10]。東京大学では硬式野球部に所属したが、1年のときにバッティングキャッチャーをしていて左手の親指を骨折する大怪我を負ったのを機に選手を諦めてマネージャーに転身した[11]

出典

外部リンク

その他の役職
先代
古賀伸明
日本労働組合総連合会長
第7代:2015 -
次代
現職
先代
南雲弘行
日本労働組合総連合事務局
2013 - 2015
次代
逢見直人