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2020年11月1日 (日) 10:06時点における版
略称 | 鳩山グループ |
---|---|
前身 | 鳩山政権を実現する会 |
設立 | 2003年2月20日 |
設立者 | 鳩山由紀夫 |
種類 | 民主党のグループ |
会員数 | 民主党所属国会議員 |
会長 | 鳩山由紀夫 |
関連組織 |
日本新党 新党さきがけ 新進党 市民リーグ 旧民主党 |
かつての呼び名 |
民主党政権を実現する同志の会 政権交代を実現する会 |
政権公約を実現する会(せいけんこうやくをじつげんするかい)は、民主党のグループ。通称、鳩山グループ。
概要
2002年9月の民主党代表選挙で鳩山由紀夫代表の3選を支持した議員や民由合併を推進していた議員を中心に結成された[1]。
毎週木曜日に鳩山の個人事務所での会合を定例とし[1]、飲食代なども全て自己負担にするなど透明性を高めた運営を目指していた[1]。発足以来、旧新進党出身の議員や同じ保守系である政権戦略研究会(羽田グループ)所属の議員の取り込み、さらに民社協会(川端グループ)のバックアップなどもあって結成当初は党内最大勢力を誇った。
当初から去る者は追わず、来る者は拒まずという自由さや人数の多さもあって必ずしも一枚岩とはいえず、寄らば大樹の陰で参加している議員もいるといわれていた。このため、政策的なつながりは弱くサロン鳩山と揶揄されることもあった[1]。また、岡田克也のように一時的に参加したのち他のグループに戻ったり、移行する議員も多いため結束力は弱かった。
川端グループとの関係が深く、旧自由党出身の議員以外の所属議員がほとんど参加していた。このため、グループ友愛、鳩山・川端グループといわれることもあった。
沿革
2002年9月3日に旗揚げされた「鳩山政権を実現する会」を前身とする。鳩山が中心となって保守系の議員の結集を図ったものであったが、党代表に選出された鳩山由紀夫がわずか3か月で辞任したため、2003年2月20日に「民主党政権を実現する同志の会」として再出発し[2]、5月に名称を「政権交代を実現する会」に変更した[1]。
2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では海江田万里ら鳩山の側近が落選し、勢力を大きく後退させた[3]。
2006年4月の代表選では小沢一郎を支持し[4][5]、小沢の当選後の党役員人事で鳩山は幹事長に就任した。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では小沢グループや新政局懇談会(横路グループ)に入る新人議員が多かったことから、小沢グループには人数で劣るようになった。
2009年5月の代表選では鳩山を当選させ、8月の第45回衆議院議員総選挙で政権交代が実現すると鳩山が内閣総理大臣に就任したが、鳩山を取り巻く姿勢に批判も出た[6]。鳩山は5月8日付のメールマガジンで「念のために申し上げておきますが、この会は議員の集まりではありますが、派閥的会合ではありません。あくまで、政権交代を果たすために自ら研鑽を積もうとする議員に自由に開かれた勉強会です。その証拠にこの会は政権交代を実現した暁に解消されます。」[7]と記していたが、9月10日の会合で「政権公約を実現する会」と名称を変更して存続することとなった[8]。内閣総理大臣に就任した鳩山に代わって大畠章宏が会長に就任することが12月3日に決定された[9]。
12月に政治団体に該当しながら選挙管理委員会に届けておらず、政治資金収支報告書の提出義務や寄付金の数量制限を逃れていたことが明らかになり、総務省から政治資金規正法上の各種の規定に抵触する恐れがあると指摘された[10]。グループの運営費は年間1千万円以上に上り、その多くを鳩山が負担していた[10]。鳩山はグループは派閥ではなく純粋な勉強会であって政治団体には該当しないという認識を示したが[11]、以後活動は自粛された[12]。
2010年1月に活動を再開し、従来の事務所を解約して活動の拠点を議員会館に移すこととした[12]。また、総務省に政治団体として届け出ることを決定し[12][13]、2月3日に東京都選挙管理委員会に政治団体として届け出られた[14]。
6月2日に鳩山が辞意を表明すると、続く6月の代表選では6月3日に会長の大畠に対応を一任、6月4日に自主投票を決定したが、大半は菅直人を支持したとされる[15][16]。
8月には鳩山が最高顧問としてグループに復帰し、今後はグループ主催の勉強会を鳩山友愛セミナーとの名称で開催することに決めた[17]。
9月の代表選では、鳩山が7月22日に内閣・党役員人事で挙党態勢を築くことなどを条件として菅再選支持を表明していたが[18][19][20][21]、8月26日には小沢支持を表明し、8月29日に菅と会談して小沢との仲介を図ったが[22]、9月1日にはグループとして小沢支持を決定した[23]。こうした混乱から結束が保てず[24]、一部が菅再選支持に流れた[25]。
この間のグループの求心力の低下は著しく[26]、かつて事務総長を務めた小沢鋭仁が自立して21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)を旗揚げしたのを皮切りに、2010年6月の代表選に出馬した樽床伸二が青山会(樽床グループ)を旗揚げ、鳩山の下で内閣官房長官を務めた平野博文が自立して雄志会(平野グループ)を旗揚げするなど、幹部の離脱が相次ぎ、グループは縮小傾向を見せた[27]。
2011年6月の菅内閣不信任決議案の採決では、小沢グループと連携して不信任案に賛成の意向を示した鳩山に対して同調したのはわずか3人であり、事務総長を務める中山義活らグループの大勢は反対の姿勢を示したため、民主党内の造反劇は不発に終わった[28]。5月25日には牧野聖修が、6月7日には五十嵐文彦がグループを離脱し、全盛期には約50人いた会合のメンバーはこの時点で30人にまで減少した[29]。一連の騒動で自身の求心力の低下に衝撃を受けた鳩山は自らが会長に復帰するとともに[28][27]、小沢に近い松野頼久を幹事長に据えて小沢シフトを鮮明にした[30]。
8月26日に菅が辞意を表明すると、続く8月の代表選ではグループから海江田が出馬するが、大畠や中山らは鹿野道彦を支持して分裂した。さらに、決選投票では鹿野支持派が野田佳彦を支持したことで海江田が敗北した。大畠らはそのまま素交会(鹿野グループ)を立ち上げ、グループの分裂・縮小が決定的になった[31]。
11月2日、小沢鋭仁グループを結成して鳩山グループを離脱していた小沢鋭仁、大谷信盛らが、小沢鋭仁グループの活動の継続を条件として鳩山グループに復帰した[32][33]。
2012年1月の内閣改造で平野博文が文部科学大臣に任命され、平野はその際の一部報道で鳩山グループ所属と報じられたが、鳩山グループ事務局からメンバーではないとの見解が示された[34]。
6月の消費増税法案の衆院採決では鳩山ら数人が造反に動き[35]、鳩山は党員資格停止6か月、その他は党員資格停止2か月などの処分を受けた[36]。
9月の代表選では野田再選阻止に動き[37]、原口一博に推薦人を出したが[38]、結果は野田の圧勝に終わった。
12月の第46回衆議院議員総選挙に鳩山は出馬せず、メンバーの大半が落選し、議員グループとしては事実上消滅した[39]。
所属していた国会議員一覧
旧民進会派に所属する議員
衆議院議員 | ||||
---|---|---|---|---|
立憲民主党(9名) | ||||
岡田克也[注 1] (10回、三重3区) |
大島敦[注 2] (7回、埼玉6区) |
海江田万里[注 3] (7回、東京1区) |
平野博文[注 4] (7回、大阪11区) |
松原仁[注 5] (7回、比例東京・東京3区) |
牧義夫[注 6] (6回、比例東海・愛知4区) |
川内博史[注 7][注 8] (6回、鹿児島1区) |
福田昭夫[注 7][注 9] (5回、栃木2区) |
岡本充功[注 7][注 10] (5回、比例東海・愛知9区) |
|
参議院議員 | ||||
立憲民主党(2名) | ||||
羽田雄一郎[注 11] (5回、長野県) |
芝博一[注 7][注 12] (3回、三重県) |
その他
衆議院議員
- 自由民主党
- 無所属
参議院議員
- 国民民主党
- 無所属
元衆議院議員
- 民進党
- 古賀一成(7回、比例九州・福岡6区)
- 小平忠正[注 7](7回、北海道10区)
- 五十嵐文彦[注 18](4回、埼玉9区)
- 三井辨雄[注 19](4回、北海道2区)
- 大谷信盛[注 20](3回、大阪9区)
- 仲野博子[注 7](3回、比例北海道・北海道7区)
- 森本哲生[注 7](2回、三重4区)
- 国民民主党
- 川端達夫[注 7](10回、比例近畿・滋賀1区)
- 大畠章宏[注 21](9回、茨城5区)
- 高木義明[注 7](9回、比例九州・長崎1区)
- 伴野豊[注 22](5回、比例東海・愛知8区)
- 中山義活[注 23](4回、東京2区)
- 希望の党
- 無所属・その他
- 鳩山由紀夫[注 7][注 27](8回、北海道9区)
- 樽床伸二[注 28](6回、比例近畿)
- 笹木竜三[注 7][注 29](4回、比例北陸信越・福井1区)
- 牧野聖修[注 30](4回、静岡1区)
- 三日月大造[注 7][注 31](4回、比例近畿・滋賀3区)
- 浅尾慶一郎[注 32](3回・参院2回、神奈川4区)
- 前田雄吉[注 33](3回、比例東海・愛知6区)
- 平智之(1回、京都1区)
元参議院議員
- 民進党
- 直嶋正行[注 7](4回、比例区)
- 高橋千秋[注 7](3回、三重県)
- 平田健二[注 7](3回、岐阜県)
- 岩本司[注 7](2回、福岡県)
- 木俣佳丈[注 34](2回、愛知県)
- 辻泰弘[注 7](2回、兵庫県)
- 柳澤光美[注 7](2回、比例区)
- 簗瀬進(2回・衆院2回、栃木県)
- 一川保夫[注 7](1回・衆院3回、石川県)
- 島田智哉子(1回、埼玉県)
- 下田敦子(1回、比例区)
- 国民民主党
- 立憲民主党
- 日本維新の会
- 無所属・その他
- 小川勝也[注 7][注 38](4回、北海道)
- 大久保勉[注 7](2回、福岡県)
- 鈴木寛[注 7][注 39](2回、東京都)
- 山根隆治[注 7](2回、埼玉県)
- 尾立源幸[注 7][注 40](2回、大阪府)
- 喜納昌吉[注 41](1回、比例区)
- 米長晴信[注 42](1回、山梨県)
政治資金収支報告書の記載
年 | 本年収入額 | 会費納入者数 | 備考 |
---|---|---|---|
2010年(平成22年) | 360万7000円 | 87人 | [40] |
2011年(平成23年) | 294万0317円 | 79人 | [41] |
2012年(平成24年) | 174万7352円 | 64人 | [42] |
2013年(平成25年) | 398円 | [43] | |
2014年(平成26年) | 254円 | [44] | |
2015年(平成27年) | 78円 | [45] | |
2016年(平成28年) | 89円 | [46] | |
2017年(平成29年) | 0円 | [47] | |
2018年(平成30年) | 0円 | [48] |
脚注
注釈
- ^ 2018年5月に民進党離党。無所属を経て2020年9月に入党。鳩山グループ離脱後は無派閥。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は鹿野グループ→大畠グループ→旧大畠グループ→無派閥。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は赤松グループ。2017年10月に民進党を離党。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は平野グループ→無派閥。国民民主党分党後の2020年9月に入党。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は平野グループ→高木グループ 。2017年9月に民進党除籍。その後の所属は希望の党→無所属(所属会派は「無所属→社会保障を立て直す国民会議」)→立憲民主党。
- ^ 2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→無所属→結いの党→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→江田グループ・松野グループ)→希望の党→国民民主党(旧細野グループ→階グループ)→立憲民主党。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 鳩山グループ解散時の在籍者。
- ^ 2017年10月に民進党を離党。その後の所属は無派閥。
- ^ 2018年5月に民進党を離党。その後の所属は無派閥。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。その後の所属は無派閥。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は小沢鋭仁グループ→無派閥。国民民主党分党後の2020年9月に入党。
- ^ 2018年5月に民進党離党。無所属(所属会派は「立憲民主党・民友会」)を経て同年12月に入党。
- ^ 鳩山グループ解散時の在籍者。鳩山グループ離脱後の所属は長島グループ→旧長島グループ。2017年11月に民進党離党。その後の所属は無所属→自由民主党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加するが、2020年9月に立憲民主党に不参加。現在の所属は野田グループ・旧高木グループ→小林グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ→旧高木グループ→小林グループ。
- ^ a b グループ消滅後は、そのまま旧高木グループ→小林グループに所属。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属はみどりの風→無所属(所属会派は「民進党・新緑風会」)→国民民主党。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は小沢鋭仁グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は樽床グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は小沢鋭仁グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は鹿野グループ→大畠グループ→旧大畠グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は樽床グループ→細野派→旧細野グループ・高木グループ→小林グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は鹿野グループ。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は小沢鋭仁グループ。2012年11月に民主党除籍。その後の所属は日本維新の会→維新の党→無所属→改革結集の会→おおさか維新の会→日本維新の会→希望の党。
- ^ 2012年10月に民主党除籍。その後の所属は日本維新の会→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→希望の党。
- ^ 2017年10月に合流。
- ^ 2013年6月に民主党離党。その後の所属は無所属→政治団体「共和党」。
- ^ 鳩山グループ離脱後の所属は樽床グループ。2016年4月に民進党離党。その後の所属は無所属→希望の党→無所属。
- ^ 2015年8月に民主党離党。2015年福井市長選に無所属で出馬し落選。
- ^ 鳩山グループ離脱後は無派閥。2016年8月に民進党離党。
- ^ 2014年5月に民主党離党。2014年滋賀県知事選に無所属で出馬し当選。
- ^ 2009年7月に民主党除籍。その後の所属はみんなの党→無所属(所属会派は「自由民主党・無所属の会」)。
- ^ 2008年10月に民主党離党(後に復党し再び離党)。その後の所属は減税日本→日本未来の党→無所属。
- ^ 2006年2月に民主党離党。2007年7月に復党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。
- ^ 2019年3月に国民民主党除籍。その後の所属は立憲民主党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て2020年8月に日本維新の会に参加。
- ^ 2017年11月に民進党に離党届提出。2019年7月の参議院選に不出馬。2019年7月28日をもって任期満了。
- ^ 2013年11月に民主党離党。
- ^ 2016年に民進党離党、その後自由民主党に入党。
- ^ 2014年10月に民主党除籍。2014年沖縄県知事選に無所属で出馬し落選。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は無所属→みんなの党→無所属。
出典
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- ^ “鳩山氏が政治活動再開 「鳩山派」旗揚げに民主警戒”. 朝日新聞. (2003年2月19日). オリジナルの2003年2月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “沈む民主、後継も混迷 指導力か世代交代か”. 朝日新聞. (2005年9月13日). オリジナルの2006年8月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主新代表に小沢氏”. 日本経済新聞. (2006年4月7日). オリジナルの2006年4月8日時点におけるアーカイブ。
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- ^ "平成26年分政治資金収支報告書の要旨(平成27年11月27日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 27 November 2015.
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- ^ "平成29年分政治資金収支報告書の要旨(平成30年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2018.
- ^ "平成30年分政治資金収支報告書の要旨(令和元年11月29日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 29 November 2019.