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'''{{by|2014年}}'''は公式戦の開幕を一軍で迎える<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140326-1275768.html DeNA2014年開幕登録一覧]日刊スポーツ、2014年3月26日</ref>と、一軍公式戦2試合に出場した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/21/kiji/K20140621008412690.html プロ初安打がサヨナラ打!嶺井 初体験尽くしに「何が起きたか…」 ]スポーツニッポン2014年6月21日配信</ref>。[[6月21日]]の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦([[横浜スタジアム]])では、延長10回裏2死1・2塁で迎えた打席で三塁打を放ち、一軍での初安打・初打点を記録。チームに逆転サヨナラ勝利をもたらした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140621-1321670.html DeNA嶺井「最高」初ヒットが逆転サヨナラ]ニッカンスポーツ2014年6月21日配信</ref>。[[NPB]]の一軍公式戦初安打をサヨナラ三塁打で記録した選手は、史上3人目であった<ref>スポーツニッポン関西版2014年6月22日4面</ref>。 |
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'''{{by|2015年}}'''は[[黒羽根利規]]・[[ |
'''{{by|2015年}}'''は[[黒羽根利規]]・[[髙城俊人]]と共に正捕手の座を争いながら、一軍公式戦74試合に出場した。得点圏打率が.350、対左投手の打率が.364に達する一方で、対右投手の打率.183を記録するなど、打撃の安定性に課題を残した。 |
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'''{{by|2016年}}'''は新任の一軍監督の[[アレックス・ラミレス]]が新人の[[戸柱恭孝]]を正捕手として起用した影響で、レギュラーシーズンの大半を二軍で過ごした。一軍では[[6月15日]]に、右の代打要員としてシーズン初の出場選手登録。登録期間中の一軍公式戦では、代打に起用された後に、そのまま捕手として守備に就くことも多かった。レギュラーシーズン全体では11試合の出場にとどまったが、「(一軍での出番が少なくても)腐らずにやるしかない」という一心で二軍降格中に打撃や配球を見直した結果、9月下旬から再び一軍に帯同した<ref>[http://digital.asahi.com/articles/ASJBB41N1JBBUTQP003.html DeNAの伏兵・嶺井が決勝打 辛抱の2軍暮らし、結実(朝日新聞)]2016年10月11日。</ref>。チームがレギュラーシーズン3位で初めて進出した[[2016年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では、[[読売ジャイアンツ]]とのファーストステージ第3戦([[10月10日]]・[[東京ドーム]])8回表に、代打としてシリーズ初出場。同点で迎えた延長11回表1死2塁の第2打席で、[[田原誠次]]から勝ち越しの適時打を放ち、チームをファイナルステージ進出に導いた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/10/kiji/K20161010013510480.html DeNA 初のCSファイナル進出!延長11回に嶺井がV打(スポニチ)]2016年10月10日。</ref>。チームは[[広島東洋カープ]]とのファイナルステージに敗退したが、同ステージでも全4試合にベンチ入り。打席に立つ機会はなかったものの、第2戦([[10月13日]])と第4戦([[10月15日|15日]])では、試合の終盤にマスクを被った。 |
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2020年10月29日 (木) 03:40時点における版
横浜DeNAベイスターズ #39 | |
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2014年7月13日、明治神宮野球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 沖縄県南城市 |
生年月日 | 1991年6月4日(33歳) |
身長 体重 |
175 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト3位 |
初出場 | 2014年4月15日 |
年俸 | 3,100万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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嶺井 博希(みねい ひろき、1991年6月4日 - )は、沖縄県南城市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
愛称は「ハマのシーサー」[2]。
経歴
プロ入り前
小学1年生の時に野球を始めると、玉城中学校の野球部では、投手兼捕手として活躍した。中学校2年生のときの九州選抜大会出場(今宮健太も同大会出場)。2回戦でノーヒットノーラン達成。九州大会3位に輝く。
沖縄尚学高等学校では一年春から正捕手の座につき、二年時には選抜高校野球大会で東浜巨とバッテリーを組んで優勝を経験している。
亜細亜大学に進むと、一年の春には一塁手のレギュラーとなるが、秋には早くも正捕手のポジションを任され、沖縄尚学と同様、嶺井・東浜のバッテリーを組んだ。二年の秋には東都大学リーグにおいて優勝を果たす。ちなみに、後に横浜DeNAベイスターズでもチームメイトになる山﨑康晃は1学年後輩で、在学中にも一時バッテリーを組んでいた。
2013年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから3巡目で指名され、契約金6,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で契約[3]。背番号は「39」。
DeNA時代
2014年は公式戦の開幕を一軍で迎える[4]と、一軍公式戦2試合に出場した[5]。6月21日の対埼玉西武ライオンズ戦(横浜スタジアム)では、延長10回裏2死1・2塁で迎えた打席で三塁打を放ち、一軍での初安打・初打点を記録。チームに逆転サヨナラ勝利をもたらした[6]。NPBの一軍公式戦初安打をサヨナラ三塁打で記録した選手は、史上3人目であった[7]。
2015年は黒羽根利規・髙城俊人と共に正捕手の座を争いながら、一軍公式戦74試合に出場した。得点圏打率が.350、対左投手の打率が.364に達する一方で、対右投手の打率.183を記録するなど、打撃の安定性に課題を残した。
2016年は新任の一軍監督のアレックス・ラミレスが新人の戸柱恭孝を正捕手として起用した影響で、レギュラーシーズンの大半を二軍で過ごした。一軍では6月15日に、右の代打要員としてシーズン初の出場選手登録。登録期間中の一軍公式戦では、代打に起用された後に、そのまま捕手として守備に就くことも多かった。レギュラーシーズン全体では11試合の出場にとどまったが、「(一軍での出番が少なくても)腐らずにやるしかない」という一心で二軍降格中に打撃や配球を見直した結果、9月下旬から再び一軍に帯同した[8]。チームがレギュラーシーズン3位で初めて進出したクライマックスシリーズでは、読売ジャイアンツとのファーストステージ第3戦(10月10日・東京ドーム)8回表に、代打としてシリーズ初出場。同点で迎えた延長11回表1死2塁の第2打席で、田原誠次から勝ち越しの適時打を放ち、チームをファイナルステージ進出に導いた[9]。チームは広島東洋カープとのファイナルステージに敗退したが、同ステージでも全4試合にベンチ入り。打席に立つ機会はなかったものの、第2戦(10月13日)と第4戦(15日)では、試合の終盤にマスクを被った。
2017年は右投右打登録に変更。開幕を1軍で迎えたが、4月5日に抹消。5月5日に出場再登録されて以降は1軍に帯同し、相手先発が対左投手の際にはスタメンとして起用されている。
2018年はラミレスの方針である1軍捕手2人制の狭き門を勝ち抜き[10]、前年までの正捕手戸柱を控えに追いやって、シーズン途中入団の伊藤光と正捕手を争い続けた。結果、自己最多となる91試合に出場した。11月26日、800万円増となる年俸2700万円で契約更改した[11]。
選手としての特徴・人物
勝負強いバッティングとインサイドを突く強気のリードが特徴[12]。
2016年までは、捕手では珍しい両打ち(スイッチヒッター)で登録されていたが、試合では、相手投手の左右にかかわらず右打席にのみ入っていた。
200名以上の親族を擁する嶺井一族は、オリンピックの開催年に、親族の大半を集めて奥武島で大運動会を開催。その模様が各種メディアで取り上げられることもある[13][14][15]。DeNA2年目(2014年)の春季キャンプでは、宜野湾球場で行われた紅白戦に、沖縄県内から親戚が70人以上も応援に駆けつけた[16]。
DeNAへの入団1年目には、当時の一軍監督・中畑清や三浦大輔などから、「声がハスキーすぎて何を言ってるのかわからない」とからかわれた。捕手としての守備中に声がナインに通らないことが切実な問題でもあることから、入団2年目の春季キャンプでは、「チームを引っ張っていけるような声を出すこと[17]」を重要な課題の一つに挙げていた。その特徴的な声がファンの間でも嶺井のトレードマークとなっており、ヒーローインタビューでは一緒にインタビューされた選手に、「何言ってるか分かんないです」とイジられている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | DeNA | 10 | 14 | 11 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .273 | .385 | .455 | .839 |
2015 | 74 | 208 | 186 | 18 | 44 | 8 | 1 | 5 | 69 | 26 | 0 | 0 | 3 | 2 | 12 | 0 | 5 | 46 | 2 | .237 | .298 | .371 | .669 | |
2016 | 11 | 17 | 15 | 2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | .333 | .412 | .400 | .812 | |
2017 | 52 | 135 | 121 | 14 | 30 | 3 | 1 | 3 | 44 | 12 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 6 | 35 | 3 | .248 | .305 | .364 | .669 | |
2018 | 91 | 230 | 209 | 10 | 37 | 7 | 0 | 5 | 59 | 25 | 0 | 0 | 6 | 1 | 6 | 2 | 8 | 56 | 9 | .177 | .228 | .282 | .510 | |
2019 | 64 | 130 | 114 | 13 | 24 | 4 | 1 | 2 | 36 | 12 | 0 | 0 | 5 | 0 | 7 | 0 | 4 | 23 | 5 | .211 | .280 | .316 | .596 | |
NPB:6年 | 302 | 734 | 656 | 58 | 143 | 23 | 4 | 15 | 219 | 81 | 0 | 0 | 19 | 3 | 31 | 2 | 25 | 164 | 20 | .218 | .278 | .334 | .612 |
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
2014 | DeNA | 10 | 31 | 4 | 1 | 9 | .972 | 0 | 5 | 4 | 1 | .200 |
2015 | 73 | 444 | 43 | 6 | 7 | .988 | 6 | 67 | 50 | 17 | .254 | |
2016 | 10 | 23 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 1 | 1 | 0 | .000 | |
2017 | 50 | 255 | 20 | 1 | 3 | .996 | 2 | 31 | 21 | 10 | .323 | |
2018 | 90 | 555 | 42 | 2 | 5 | .997 | 4 | 48 | 39 | 9 | .188 | |
2019 | 62 | 311 | 28 | 2 | 3 | .994 | 5 | 25 | 18 | 7 | .280 | |
通算 | 295 | 1619 | 137 | 12 | 27 | .993 | 18 | 177 | 133 | 44 | .249 |
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- スカパー! サヨナラ賞:1回(2014年6月)
記録
- 初出場 : 2014年4月15日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に捕手で出場
- 初打席 : 同上、8回表に朝倉健太から四球
- 初安打・初打点:2014年6月21日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(横浜スタジアム)、10回裏にランディ・ウィリアムスから右越サヨナラ2点適時三塁打
- 初先発出場:2014年6月29日、対広島東洋カープ12回戦(横浜スタジアム)、8番・捕手で先発出場
- 初本塁打:2015年4月25日、対中日ドラゴンズ5回戦(横浜スタジアム)、3回裏にラウル・バルデスから左越同点ソロ
背番号
- 39 (2014年 - )
代表歴
脚注
- ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2019年12月5日閲覧。
- ^ ドラ3嶺井のDeNA入団決定 愛称は「ハマのシーサー」(スポニチ) 2013年12月13日。
- ^ 横浜DeNA:嶺井博希が入団会見「チームの要に」、ドラフト3位(カナロコ) 2013年12月12日。[リンク切れ]
- ^ DeNA2014年開幕登録一覧日刊スポーツ、2014年3月26日
- ^ プロ初安打がサヨナラ打!嶺井 初体験尽くしに「何が起きたか…」 スポーツニッポン2014年6月21日配信
- ^ DeNA嶺井「最高」初ヒットが逆転サヨナラニッカンスポーツ2014年6月21日配信
- ^ スポーツニッポン関西版2014年6月22日4面
- ^ DeNAの伏兵・嶺井が決勝打 辛抱の2軍暮らし、結実(朝日新聞)2016年10月11日。
- ^ DeNA 初のCSファイナル進出!延長11回に嶺井がV打(スポニチ)2016年10月10日。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ “嶺井の台頭で戸柱恭孝の立場は?DeNAは捕手で流れを変える。”. Number Web (2018年4月30日). 2020年2月25日閲覧。
- ^ 「にっぽん紀行 “嶺井家”240人の大運動会〜沖縄・奥武島〜 」(NHK総合:2012年8月15日)
- ^ 奥武島で4年に1度開催される親族対抗オリンピック(DEEokinawa:2016年8月24日、嶺井の父親もインタビューを受けている。)
- ^ 「4年に一度 嶺井家の大運動会」(琉球朝日放送:2016年8月22日)
- ^ めんそーれ宜野湾日記:嶺井、地元で熱視線(カナロコ) 2014年2月12日。
- ^ 『横浜DeNAベイスターズ 2014 オフィシャルイヤーマガジン』 2014年3月25日発行。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 嶺井博希 - NPB.jp 日本野球機構
- 嶺井博希 (@h_minei39) - X(旧Twitter)