「谷内亮太」の版間の差分
2020年年俸 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
m Bot作業依頼: 「山崎康晃」→「山﨑康晃」他2件の野球選手の改名に伴うリンク修正依頼 (山﨑康晃) - log |
||
50行目: | 50行目: | ||
'''{{by|2015年}}'''6月25日に、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」の出場予定選手の変更が発表されNPB選抜に代表入りした<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150625_4.html ユニバーシアード 日本代表壮行試合 NPB選抜チーム出場選手変更のお知らせ] 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年6月25日) 2015年6月26日閲覧</ref>。レギュラーシーズンでの出場は4試合に留まった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/01/kiji/K20151201011607880.html ヤクルト・谷内 今季4試合のみ…4年目は「1年間1軍で」]スポニチアネックス 2015年12月1日掲載</ref>。 |
'''{{by|2015年}}'''6月25日に、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」の出場予定選手の変更が発表されNPB選抜に代表入りした<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150625_4.html ユニバーシアード 日本代表壮行試合 NPB選抜チーム出場選手変更のお知らせ] 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年6月25日) 2015年6月26日閲覧</ref>。レギュラーシーズンでの出場は4試合に留まった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/01/kiji/K20151201011607880.html ヤクルト・谷内 今季4試合のみ…4年目は「1年間1軍で」]スポニチアネックス 2015年12月1日掲載</ref>。 |
||
'''{{by|2016年}}'''は4月10日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム|横浜]])で[[山 |
'''{{by|2016年}}'''は4月10日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム|横浜]])で[[山﨑康晃]]から3点本塁打を放つなど開幕から打撃好調だったが、4月19日の対[[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])で[[藤浪晋太郎]]から左手首付近に死球を受けて骨折し、手術を受けた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1638933.html ヤクルト谷内が左腕手術 19日死球で全治3カ月]日刊スポーツ 2016年4月28日掲載</ref>。8月7日に一軍登録される。 |
||
=== 日本ハム時代 === |
=== 日本ハム時代 === |
2020年10月29日 (木) 03:31時点における版
北海道日本ハムファイターズ #32 | |
---|---|
ヤクルト時代 (2013年7月18日、こまちスタジアムにて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 石川県金沢市 |
生年月日 | 1991年2月3日(33歳) |
身長 体重 |
177 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト6位 |
初出場 | 2013年8月28日 |
年俸 | 1,050万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
谷内 亮太(やち りょうた、1991年2月3日 - )は、石川県金沢市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズに所属。
経歴
プロ入り前
金沢西高時代は、遊撃手兼控え投手として活躍。2年時までプロどころか大学野球でプレーすることすら考えていなかったが、主将となり挑んだ3年時春の石川大会で初優勝を達成したことが自信に繋がったと語っている[2]。夏は、全国高等学校野球選手権石川大会準決勝で金沢高に1-3で敗れた。甲子園出場経験はなし。
國學院大學に進学すると東都大学野球連盟に所属する野球部に入部。1年時の秋から三塁手のレギュラーとなり、2年時の秋には同校野球部創部80年目での初優勝を経験した。第41回明治神宮野球大会では、同年のドラフト会議で指名を受けていた九州産業大学の榎下陽大から3安打を放つ。これが自信となり、プロ入りを目指すきっかけとなったと語っている[2]。その後、自らの希望で遊撃手へとコンバートされた[2]。3年時の春は、前季の優勝から一転しチームが最下位に低迷。さらに入替戦を落とし、2部降格となってしまった。4年時からは主将となり、春は2部で優勝し自身はMVPに選出された。さらに入替戦を制し、3季ぶりに1部に昇格。秋は1部で遊撃手としてベストナインに選出された[3]。
2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから6位指名を受けた[4]。
ヤクルト時代
2015年6月25日に、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」の出場予定選手の変更が発表されNPB選抜に代表入りした[5]。レギュラーシーズンでの出場は4試合に留まった[6]。
2016年は4月10日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)で山﨑康晃から3点本塁打を放つなど開幕から打撃好調だったが、4月19日の対阪神タイガース戦(甲子園)で藤浪晋太郎から左手首付近に死球を受けて骨折し、手術を受けた[7]。8月7日に一軍登録される。
日本ハム時代
2018年12月11日に秋吉亮と共に高梨裕稔と太田賢吾の交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍することが発表され[8]、12月13日に公示された。
選手としての特徴・人物
50m走6秒3の足と、堅実な守備に定評がある[3]。
真面目な性格で、高校時代の監督やスカウト陣からは、練習も手を抜かない努力家と評されている[9]。
対戦したい選手には、同じ石川県出身で大学の1学年先輩である高木京介を挙げている。高校時代にも1度対戦したが、ノーヒットに終わっている[2]。
中学、高校、大学とキャプテンを務めており、特に大学でキャプテンを務めたことで周りを見てプレー出来るようになったと語っている[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | ヤクルト | 6 | 23 | 21 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | 1 | .190 | .227 | .190 | .418 |
2014 | 43 | 99 | 89 | 6 | 17 | 4 | 0 | 1 | 24 | 16 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 0 | 1 | 14 | 1 | .191 | .227 | .270 | .496 | |
2015 | 4 | 6 | 6 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .667 | 1.167 | |
2016 | 23 | 80 | 70 | 10 | 21 | 5 | 0 | 1 | 29 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 | 1 | 14 | 2 | .300 | .372 | .414 | .786 | |
2017 | 42 | 104 | 91 | 6 | 18 | 2 | 0 | 0 | 20 | 7 | 0 | 0 | 4 | 0 | 9 | 0 | 0 | 19 | 3 | .198 | .270 | .220 | .490 | |
2018 | 36 | 46 | 45 | 5 | 10 | 3 | 0 | 0 | 13 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | .222 | .217 | .289 | .506 | |
2019 | 日本ハム | 24 | 26 | 25 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 2 | .080 | .115 | .080 | .195 |
通算:7年 | 178 | 384 | 347 | 29 | 75 | 15 | 0 | 2 | 96 | 38 | 0 | 1 | 9 | 4 | 21 | 1 | 3 | 68 | 10 | .216 | .264 | .277 | .541 |
- 2019年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 内野守備
年 度 |
球 団 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2013 | ヤクルト | - | - | - | 6 | 4 | 14 | 1 | 0 | .947 | |||||||||||||||
2014 | - | - | - | 43 | 51 | 73 | 4 | 16 | .969 | ||||||||||||||||
2015 | - | - | - | 2 | 4 | 5 | 0 | 3 | 1.000 | ||||||||||||||||
2016 | 1 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 9 | 30 | 31 | 4 | 3 | .938 | 4 | 3 | 1 | 2 | 0 | .667 | 9 | 12 | 19 | 1 | 3 | .969 | |
2017 | - | - | 37 | 22 | 52 | 0 | 4 | 1.000 | 4 | 5 | 7 | 0 | 2 | 1.000 | |||||||||||
2018 | 7 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 12 | 6 | 10 | 0 | 2 | 1.000 | 2 | 1 | 2 | 2 | 0 | .600 | |
2019 | 日本ハム | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 5 | 3 | 10 | 0 | 2 | 1.000 | 10 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 8 | 5 | 6 | 0 | 2 | 1.000 |
通算 | 9 | 19 | 2 | 0 | 2 | 1.000 | 16 | 33 | 41 | 4 | 5 | .949 | 63 | 34 | 64 | 2 | 6 | .980 | 74 | 82 | 126 | 8 | 26 | .963 |
- 2019年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場:2013年8月28日、対中日ドラゴンズ20回戦(明治神宮野球場)、7番・遊撃手で先発出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に山本昌から左前適時打
- 初本塁打:2014年8月26日、対広島東洋カープ16回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に野村祐輔から左越3ラン
背番号
- 46 (2013年 - 2018年)
- 32 (2019年 - )
脚注
- ^ “日本ハム - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年8月7日閲覧。
- ^ a b c d e f “東京ヤクルト6位・谷内亮太「プロに導いた2度の転機」 ~ルーキーたちの軌跡No.1~”. SPORTS COMMUNICATIONS (2012年11月28日). 2013年2月11日閲覧。
- ^ a b “金沢西高出身・谷内投手、ヤクルトが6位指名 石川”. asahi.com (2012年10月26日). 2013年2月11日閲覧。
- ^ “プロ野球ドラフト会議!”. 東京ヤクルトスワローズ (2012年10月25日). 2013年2月11日閲覧。
- ^ ユニバーシアード 日本代表壮行試合 NPB選抜チーム出場選手変更のお知らせ 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年6月25日) 2015年6月26日閲覧
- ^ ヤクルト・谷内 今季4試合のみ…4年目は「1年間1軍で」スポニチアネックス 2015年12月1日掲載
- ^ ヤクルト谷内が左腕手術 19日死球で全治3カ月日刊スポーツ 2016年4月28日掲載
- ^ 移籍の秋吉「新天地でも結果を」谷内「本当に感謝」日刊スポーツ 2018年12月11日掲載
- ^ “ヤクルトが谷内6位指名 ドラフト会議、金沢西高OB初”. 北國新聞 (2012年10月26日). 2013年2月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 谷内亮太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 谷内亮太 (@ryota_ss1) - X(旧Twitter)