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=== 2000年 - 2011年 ===
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2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『[[クラッシュ (アルバム)|Crush]]』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得<ref name="occ" />。リード・トラックのシングル「[[イッツ・マイ・ライフ|It's My Life]]」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った<ref>{{cite web|url=http://www.barks.jp/news/?id=52014512 |title=7月12日(水) ボン・ジョヴィ@東京ドーム・レポート! |work=BARKS |date=2000-07-19 |accessdate=2014-03-30}}</ref>。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した<ref>{{cite web |url=http://www.barks.jp/news/?id=1000021807 |title=ウェンブリー・スタジアム、夏のコンサートに間に合わず |date=2006-04-03 |work=BARKS |accessdate=2014-10-10}}</ref>。
2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『[[クラッシュ (アルバム)|Crush]]』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得<ref name="occ" />。リード・トラックのシングル「[[イッツ・マイ・ライフ (ボン・ジョヴィの曲)|It's My Life]]」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った<ref>{{cite web|url=http://www.barks.jp/news/?id=52014512 |title=7月12日(水) ボン・ジョヴィ@東京ドーム・レポート! |work=BARKS |date=2000-07-19 |accessdate=2014-03-30}}</ref>。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した<ref>{{cite web |url=http://www.barks.jp/news/?id=1000021807 |title=ウェンブリー・スタジアム、夏のコンサートに間に合わず |date=2006-04-03 |work=BARKS |accessdate=2014-10-10}}</ref>。


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2020年10月22日 (木) 03:14時点における版

ボン・ジョヴィ
Bon Jovi
カナダ・モントリオール公演(2007年11月)

バンド ロゴ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州セアビル
ジャンル ロック[1]
ハードロック[1][2]
ポップ・ロック[1]
グラム・メタル(初期)[2]
ヘヴィメタル(初期)[2]
スタジアム・ロック
活動期間 1983年 - 現在
レーベル マーキュリー・レコード
ヴァーティゴ
アイランド・レコード
事務所 BJM
公式サイト

Bon Jovi (英語)

UNIVERSAL MUSIC JAPAN-Bon Jovi テンプレート {{ja icon}} を使ってください。
メンバー ジョン・ボン・ジョヴィ(vo)
デヴィッド・ブライアン(key)
ティコ・トーレス(dr/per)
ヒュー・マクドナルド(b)
フィル・X(g)
旧メンバー アレック・ジョン・サッチ(b)
デイヴ・セイボ(g)
リッチー・サンボラ(g)

ボン・ジョヴィBon Jovi)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

全米を代表するハードロック・グループの一つ。デビュー早々から成功を収め、特に3rdアルバム『Slippery When Wet』が1000万枚を超える大ヒットを飛ばして以降、世界的な知名度を誇っている。2018年ロックの殿堂』入り。『グラミー賞』1回受賞(9回ノミネート)[3]

概要

1984年デビュー。1986年発表の3rdアルバム『Slippery When Wet』がBillboard 200で8週連続1位を獲得、1988年発表の4thアルバム『New Jersey』もBillboard 200で4週連続1位[4]するほどのセールスを記録し[4]、シングルカットされた楽曲の多くがBillboard Hot 100で1位となり[5]、大規模なワールドツアーを敢行し、当時の音楽ムーブメントも後押しし、MTVやラジオ、メディアでのマーケティングにより一躍有名となったバンド。

2004年にはアメリカン・ミュージック・アワードから「功労賞」を受賞されており[6]、2006年には「UK音楽の殿堂」入りをしている[7]。2007年にはジェニファー・ネトルズデュエットした「Who Says You Can't Go Home」で第49回グラミー賞「最優秀カントリー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りをしている[8][9]

世界各国で開催しているライヴは、2008年の『Lost Highway Tour』、2010年の『The Circle Tour』、2013年の『Because We Can: The Tour』が、その年最も収益をあげたツアーに選ばれている[10][11][12]

ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて15位。80年代結成のロックバンドのトップ3である。

トータルセールスは、1億3,000万枚以上[13]

日本国内での人気

日本では1984年8月にロック・フェスティバル『SUPER ROCK '84 IN JAPAN』出演のために初来日した。

バンドにとって日本は縁が深い国であり、初のゴールドディスク獲得や単独公演を経験している。

1989年にはアルバム「ニュージャージー」が第3回日本ゴールドディスク大賞「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)となり、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[14]。2003年には日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催している。

メンバー

ジョン・ボン・ジョヴィ
Jon Bon Jovi
ボーカルギター
1962年3月2日生まれ
デヴィッド・ブライアン
David Bryan
キーボードコーラス
1962年2月7日生まれ
ティコ・トーレス
Tico Torres
ドラムスパーカッション
1953年10月7日生まれ
ヒュー・マクドナルド
Hugh McDonald
ベース、コーラス
1950年12月28日生まれ
フィル・X
Phil X
ギター、コーラス
1966年3月10日生まれ

その他メンバー

名前 パート 備考
元メンバー
デイヴ・セイボ(Dave Sabo) ギター 現在はスキッド・ロウギタリスト。リッチー加入前に参加していた
アレック・ジョン・サッチ(Alec John Such) ベース 1994年脱退
リッチー・サンボラ(Richie Sambora) ギター、ボーカル 公式的な発表はなされていないが、2014年のジョンの発言から事実上脱退とされている[15]
サポート・メンバー
エヴァーレット・ブラッドレイ(Everett Bradley) パーカッション、コーラス 2003年に加入。2016年からツアーに参加。
ボビー・バンディエラ(Bobby Bandiera) ギター、コーラス 2005年から2015年まで参加。
ロレンザ・ポンス(Lorenza Ponce) ヴァイオリンヴィオラチェロ、コーラス 2005年から2015年まで参加。
カート・ジョンストン(Kurt Johnston) ペダルスティール・ギターバンジョーマンドリンドブロ、コーラス 2006年から2008年まで参加。
ジェフ・カジー(Jeff Kazee) キーボード、オルガン、コーラス 2005年に加入。2010年にデヴィッドの代役として参加。
リッチ・スキャネラ(Rich Scanella) ドラムス、コーラス 2013年にティコの代役として参加。
マット・O・リー(Matt O' Ree) ギター、コーラス 2015年にリズムギター、アコースティックギターを担当。
ジョン・シャンクス (John Shanks) ギター、コーラス 2015年より参加。

来歴

ヴォーカルでリーダーであるジョン・ボン・ジョヴィは、両親の影響からレコーディングスタジオでアルバイトを始め、16歳から知り合いで同い年のデヴィッド・ラッシュバウム(デヴィッド・ブライアン)らとバンドを結成し、レコーディングスタジオが使われない深夜の時間にレコーディングを行いデモを作成し、主に地元のニュージャージー州でライヴ活動を行っていた。1983年になるとアレック・ジョン・サッチが参加。彼がティコ・トーレスを連れてきてライヴ活動に参加した。その後、ジョン・ボン・ジョヴィ&ジ・ワイルド・ワンズとしてのショウを観に来ていたリッチー・サンボラがデイヴ・セイボに代わってバンドに加入し、デビュー時のメンバーが揃った[16]

1984年 - 1991年

1984年、ファーストアルバム『Bon Jovi』(邦題:夜明けのランナウェイ)をリリース

この年、バンドはスコーピオンズのサポートとして北米ツアーに帯同、キッスのサポートとしてヨーロッパツアーに帯同した。

1985年、 2ndアルバム『7800° Fahrenheit』を発表。タイトルの「7800°」とは、岩(ロック)も溶けてしまう温度。

アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドはラッシュバウムからブライアンに改名している。

バンドはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した[17]。その後、ヨーロッパツアーを行い、イギリスドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。その後、ラットのサポートとして北米ツアーに帯同する。

1986年、プロデューサーブルース・フェアバーンを迎えて制作された3rdアルバム『Slippery When Wet』(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)を発表。その後、西ドイツ(当時)のニュルンベルクで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』に出演、38スペシャルのサポートアクトとして全米ツアーを敢行。このツアー中にアルバムがBillboard 200で1位を獲得し(8週連続)[4]、シングル「You Give Love A Bad Name」(禁じられた愛)、「Livin' On A Prayer」もBillboard Hot 100で1位となり、バンドは一躍有名になった[5]

1987年は年始からワールド・ツアーを開始。8月にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデン3日間公演を行い、イギリスのドニントン・パークで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』にはヘッドライナーとして出演した。9月には日本公演を行った。10月のツアー終了までにアルバム『Slippery When Wet』は全世界でおよそ1,800万枚セールスしたとされている[17]

1988年9月、4thアルバム『New Jersey』(ニュージャージー)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得[4][18]。シングル「Bad Medicine」(バッド・メディシン)と「I'll Be There For You」(アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー)もBillboard Hot 100で1位を獲得[5]。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーンモトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「Livin' On A Prayer」と「Wanted Dead Or Alive」をアコースティック・アレンジでパフォーマンス[19]。これに機にてMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された[20]

1990年、2年に及ぶロング・ツアーが2月に終了。合計で300を超える公演を行った。連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、疲労とストレスからメンバー間の口論やトラブルも多くなり、メディアでは解散が噂される様になる[17]。8月にジョンは映画『ヤングガン2』にインスパイアされて制作したソロ・アルバム『Blaze Of Glory』(ブレイズ・オブ・グローリー)を発表。Billboard 200で1位を獲得する。シングル「Blaze Of Glory」もBillboard Hot 100で1位となった[21]。12月、解散騒動の最中、地元ニュージャージー州のカウント・ベイシー シアターでクリスマス・チャリティー・コンサートを開き、以後この時期のチャリティー・コンサートは恒例となる。しかし、ボン・ジョヴィの本格的な活動再開にまでは至らなかった。9月にはリッチーが1stソロ・アルバム『Stranger In This Town』を発表する。そして、同年秋にメンバーがバハマ諸島でバンドについて話し合いの場を設け、数年間ツアーやアルバム制作を一旦中止し、全員で休養を取ることに合意し、そこから再度アルバム制作をすることを誓い合った[22]

1992年 - 1999年

1992年、新しくマネージメント会社BJM(ボン・ジョヴィ・マネージメント)を設立。プロデューサーにボブ・ロックを迎えて制作された5thアルバム『Keep The Faith』を発表。アメリカではオルタナティブ・ロックが全盛期であったが、Billboard 200最高位5位と健闘し[4]、全英アルバムチャートでは1位を獲得した[18]

1993年のツアーでは、全2作で設定された公演数の約半分以下にし70回程度の公演数に抑えた。

1994年10月、初のベスト・アルバムCross Road』を発表した。これまでのヒット曲に加えて、2曲の新曲「Someday I'll be Saturday night」「Always」を収録。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「Livin' On A Prayer」をアコースティック調にリメイクした「Prayer '94」が、日本盤には「TOKYO Road」が、インターナショナル盤には「In These Arms」が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し[18]、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し[23]ミリオンセラーとなった[24]。新曲「Always」はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした[5]。ところが、『Cross Road』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった[25]。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。

ヒュー・マクドナルド(2006年)

1995年5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演を開催し、チケット代の一部を同年に発生した阪神・淡路大震災の被災者義援金となって寄付した[26]。6月に6thアルバム『These Days』を発表。全英アルバムチャート1位を獲得[18]。ツアーはロンドンウェンブリー・スタジアム3日間公演など大規模なコンサートを開催した。一方、メンバー個人の活動としてジョンは俳優業を本格的にスタートしており、9月には映画デビュー作『ムーンライト&ヴァレンチノ』が公開された。ティコは絵画・彫刻アーティストとしてニューヨークなど数か所で個展を開催した[26]。7月のツアー終了はバンド活動を休止し、ソロ活動となった。年末にはジョンの初主演作『妻の恋人、夫の愛人』が公開された。

1997年、ジョンは6月にアルバム『Destination Anywhere』を発表。リッチーは12月に2ndアルバム『Undiscovered Soul』を発表した。デヴィッドは1994年発表の『On A Full Moon』に続く2ndアルバム制作を進めていた矢先に指に大怪我を負ってしまい、およそ2年間治療とリハビリの生活を強いられることになった。

1999年、ジョンは映画「アルマゲドン」のサウンドトラックへ楽曲を提供。チャリティの為にRolling Stonesの「It's Only Rock N' Roll」を多彩なアーティストが歌うレコーディングへ参加。

その後、バンド活動再開。映画『エドtv』主題歌に「Real Life」を提供(デヴィッドは不参加)。6月から本格的なレコーディングがスタートする。

2000年 - 2011年

2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『Crush』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得[18]。リード・トラックのシングル「It's My Life」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った[27]。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した[28]

リッチー・サンボラ(2001年)

5月には初のライブ・アルバムOne Wild Night Live 1985-2001』を発表。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。

2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演[29]

その後、8thアルバム『Bounce』を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった[30]

アルバム「バウンス」発表当日の2002年9月11日ZEPP東京で行われた招待客のみのスペシャル・ライヴを行う。 これは日本のファンに小さな箱で必ずライヴをする、と約束していたからで、敢えてアメリカ同時多発テロから1年のこの日に行われた。 このライヴはアルバム「バウンス」を予約すると応募券が付いており、その応募で当選した人のみのスペシャルライヴだった。 他に札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡にて衛星生中継された。 因みにこの衛星生中継は、アルバムBOUNCE予約者の中から抽選で各地300名が招待された。


2003年、『第37回スーパーボウル』にてパフォーマンス[31]。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス[31]。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『This Left Feels Right』を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。

2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong』を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。

Have A Nice Day Tour(2006年)

2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『Have A Nice Day』を発表。 。アメリカではジェニファー・ネトルズデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「Who Says You Can't Go Home」がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した[32]

2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した[33]。6月には10thアルバム『Lost Highway』を発表し、ロンドンではO2アリーナこけら落し公演を行った。その後日本にて神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。、Billboard 200でも『New Jersey』以来19年ぶりに1位を獲得[4]。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を皮切りにワールド・ツアーを開始。

ジョン・ボン・ジョヴィ(2008年)

7月、地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した[10]。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[34]

4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『When We Were Beautiful』が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『The Circle』を発表。Billboard 200でも1位を獲得した[4]

2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはO2アリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)[35]。11月には『Cross Road』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『Greatest Hits』を発表。CDでは2枚組となる『Greatest Hits –The Ultimate Collection』を発表、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった[11]

2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『Songs For Japan』に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり[36]、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。

2012年 -

Because We Can: The Tour(2013年)

2012年9月、リッチーが3rdソロ・アルバム『Aftermath Of The Lowdown』を発表。この時点でボン・ジョヴィのニュー・アルバムはほぼ完成していたが、バンドとしては2013年から活動再開することになった[37]

2013年1月、「Because We Can」を全世界に音楽配信。2月から『Because We Can: The Tour』を開始。3月に12thアルバム『What About Now』を発表。Billboard 200で1位を獲得した[4]。ところが、リッチーが4月2日のカナダカルガリー公演から不参加となり、フィルXが代役として再び参加した[38]。9月にはティコの入院により南米ツアーが延期され、一部が中止となった[39]。代役には地元ニュージャージー出身のリッチ・スキャネラが参加していたが、10月8日のカリフォルニア州フレズノ公演から復帰した[40]。このツアーは、ポールスター誌による2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[12]

2014年、デビュー30周年。7月にはニューヨークの名称となってから350年を記念して、町に縁のあるアーティストのライヴを上映する『NY LIVE!』の第4弾として、ボン・ジョヴィ『インサイド・アウト』が日本国内の劇場で公開された[41]。また、ボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『New Jersey』のデラックス・エディションを発売。アルバム制作当時、バンド側は2枚組でのアルバム発売を構想していたが、レコード会社の指示で1枚になったという[42]。今回のデラックス・エディションには、『Sons Of Beaches』(サンズ・オブ・ビーチズ)として制作されていたデモ音源や未発表曲が収録されている。

なお、リッチーについてジョンはショービズ411によるインタービューで「もうやめたんだよ。リッチーはもういないんだ。でも、悪い感情は全然ないよ。バンドをやるのには、なにも終身の義務じゃなくてもいいってことだよ。」と述べているが[15]、正式発表はない。

2015年、新曲と未発表曲で構成されたアルバム『Burning Bridges』を発表[43]

2016年10月、リッチーなしでは初となる完全新作アルバム『This House Is Not for Sale』を発表。このアルバム以降、長らくサポートメンバーを務めていた、ヒューとフィルを正式メンバーとして発表した。

2017年12月には2018年度のロックの殿堂に殿堂入りが決まった[44]。式典は2018年4月14日に行われた。ジョン、デヴィッド、ティコ、ヒューと元メンバーのリッチー、アレックの六人が殿堂入りし、プレゼンテーターはアメリカのラジオパーソナリティーハワード・スターンが務めた。パフォーマンスでは「You Give Love a Bad Name」、「Livin' On a Prayer」、「It's My Life」、「When We Were Us」の四曲をリッチー、アレックと共にパフォーマンスした。 またバンドの故郷であるニュージャージー州の知事であるフィル・マーフィーは式典当日を「ボン・ジョヴィの日(Bon Jovi Day)」とした。[45]

日本国内での動き

  • 1984年にリリースされたファーストアルバム『夜明けのランナウェイ』(原題:Bon Jovi)のリード・トラック「夜明けのランナウェイ」は、1985年に麻倉未稀が日本語でカバーし、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された[46]
  • 同年8月にはロック・フェスティバル『SUPER ROCK 84 IN JAPAN』出演のために初来日。
  • 日本ではファーストアルバムがバンド初のゴールド・ディスクを獲得した[17]
  • 1986年、3rdアルバム『Slippery When Wet』(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)を発売直前に日本武道館を含む日本公演を行った。
  • 1988年に4thアルバム『New Jersey』(ニュージャージー)を発表後、日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHSCMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルムAXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラットキングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[14]
  • 1990年、年末に来日し、大晦日にボン・ジョヴィをヘッドライナーとしてシンデレラ、スキッド・ロウらと東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴが開催された。1991年、年明けから横浜・名古屋・大阪で単独公演を開催。
  • 1992年、アルバム Keep the Faith発表後、12月にはプロモーションのためにメンバーが来日した。 ツアーは1993年2月から行われ、6月に東京・大阪・広島・名古屋・前橋(群馬)・横浜で日本公演が開催された。
  • 1994年、デビュー10周年。5月に東大寺大仏殿前で開催されたイベント『GME'94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』(The Great Music Experience)にジョンとリッチーが出演。
  • 1997年、ジョンは6月にアルバム『Destination Anywhere』を発表。七夕には日本武道館で1日限りの日本公演を行った。リッチーは7-9月期のフジテレビ系ドラマ『ビーチボーイズ』主題歌として、主演した反町隆史のデビュー・シングル「Forever」にギターとコーラスで参加。
  • 1999年、12月にはジョンとリッチーがJ-FRIENDSへ提供したシングル「Next 100 Years」がオリコンチャート1位を獲得する[47]
  • 1998年になるとリッチーがソロで来日し、東京・大阪・名古屋でソロ公演を開催した。
  • 2000年発表の7thアルバム「Crush」に収録されている「サンキュー」(Thank You For Loving Me)は、テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌に起用された。
  • 2001年3月から4月にかけて日本公演を開催。日本独自企画として、ロック・トラックのみを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストをアルバム収録曲順に演奏した。
  • 2002年、8thアルバム「Bounce」発売に合わせて来日し、日本盤発売日の9月11日にはZepp Tokyoで一夜限りのスペシャル・ライヴを行い、大阪・名古屋・福岡・仙台のZepp会場で生中継された[17]。また、アルバム収録曲の「バウンス」(Bounce)がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」(The Distance)がアサヒスーパードライ」CMソングに起用された。
  • 2003年1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催。アルバムのディスクジャケットや「エヴリデイ」(Everyday)のミュージック・ビデオにも登場した超大型干渉電波望遠鏡群を彷彿とさせるパラボラアンテナのステージセットが持ち込まれた。さらに、横浜アリーナではアコースティック編成でのライヴも行った。
  • 2006年4月、東京・名古屋・大阪・札幌のドーム球場で日本公演を開催。来日直前にリッチーが左腕を骨折するアクシデントが発生したが、無事にパフォーマンスした[17]
  • 2005年発表の9thアルバム『Have A Nice Day』は、1995年発売の『These Days』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得した。リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」(Have A Nice Day)もオリコンシングルチャート10位となり、23年ぶりに洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りする快挙となった[48]。「ハヴ・ア・ナイス・デイ」はTOYOTARAV4」CMソングに起用された。
  • 10thアルバム「Lost Highway」は通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得[49]ビートルズベイ・シティ・ローラーズの記録を抜いて、洋楽バンドとしてオリコンアルバムチャート首位獲得数歴代単独1位となった[50]
  • 2009年3月、パチスロにボン・ジョヴィが登場(BON JOVI (パチスロ))。
  • 2009年11月発表の11thアルバム『The Circle』のリード・トラックの「We Weren't Born To Follow」はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された[51]。アルバム発売直前にはメンバーがプロモーションのために来日した。アルバムは3作連続となるオリコンチャート1位を獲得(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初)[52]。さらに、通算5作目のアルバム首位獲得はサイモン&ガーファンクルマライア・キャリーと並び洋楽アーティスト歴代1位タイとなった[53][54]
  • 2010年、日本では、独自企画としてボックス・セット『アクセス・オール・エリア〜スペシャル・エディション・コレクターズ・ボックス』が発売された。
  • 2010年、日本では「禁じられた愛」が日清食品カップヌードル」CMソングに替え歌で起用され、1995年のウェンブリー・スタジアム公演の映像が使用された。11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた[55]
  • 2013年、12月3日・4日に京セラドーム大阪・東京ドームで日本公演が行われ、日本公演が延べ100回となった[56]
  • 2014年8月に開催されたサマーソニックにリッチーがソロで出演[57]。その後、東京のライヴハウスで公演した。
  • 2018年11月、5年ぶりの日本公演を東京ドームで開催し、国内のスタジアム公演では洋楽アーティストの歴代1位を記録した[58]

受賞歴

1987年
1987 MTV Video Music Awards「ベスト・ステージ・パフォーマンス」(「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」)[59]
1988年
第15回アメリカン・ミュージック・アワード「フェイバリット・ポップ/ロック・バンド/デュオ/グループ」[6]
1989年
第3回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」・【洋楽】「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(『ニュージャージー』)[14]
1993年
第7回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『キープ・ザ・フェイス』)[60]
1994年
第8回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『キープ・ザ・フェイス・ライヴ』)[61]
1995年
第9回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ』)・【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ』)[62]
1995 ワールド・ミュージック・アワード「最優秀ロック・アーティスト/グループ」[63]
1995 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード「最優秀ロック・アクト」[64]
1996年
1996 ブリット・アワード「ベスト・インターナショナル・グループ」[65]
第10回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「アルバム賞」ロック・フォーク部門(『ジーズ・デイズ』)・【洋楽】「ミュージック・ビデオ賞」(『ボン・ジョヴィ/ライヴ・フロム・ロンドン 〜ウェンブリースタジアム1995』)[66]
2001年
2001 エコー賞「ベスト・インターナショナル・バンド」[67]
第15回日本ゴールドディスク大賞【洋楽】「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(『クラッシュ』)[68]
第2回My VH-1 Music Awards「Hottest Live Show」[69]
2002年
MTV Asia Awards「Favourite Rock Act」[29]
2004年
第32回アメリカン・ミュージック・アワード「功労賞」[6]
2005年
デジタル・エンターテイメント・グループ「Creative Excellence Award」(『ディス・レフト・フィールズ・ライト・ライヴ』)[70]
2005 ワールド・ミュージック・アワード「特別賞」[70]
2006年
2006 CMTミュージック・アワード「Collaborative Video Of The Year」(ボン・ジョヴィ&ジェニファー・ネトルズ「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)
「UK音楽の殿堂」[7]
2007年
第33回ピープルズ・チョイス・アワード「フェイバリット・ロック・ソング」(「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)
第49回グラミー賞「最優秀カントリー・コラボレーション賞」(ボン・ジョヴィ&ジェニファー・ネトルズ「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」)[33]
2008年
2008 CMTミュージック・アワード「Best Collaborative Video」(ボン・ジョヴィ Feat.リアン・ライムス「ティル・ウィー・エイント・ストレンジャーズ・エニィモア」)
2010年
2010 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード「グローバル・アイコン賞」[71]
2014年
ビルボード・ミュージック・アワード2014「トップ・ツアー・アーティスト」[72]
2018年
ロックの殿堂』入り。

ディスコグラフィ

※日付は日本盤発売日。

オリジナル・アルバム

ベスト・アルバム

日本公演

1984年 - 1999年

公演回数 会場
SUPER ROCK '84 IN JAPAN
(出演:ホワイトスネイクマイケル・シェンカー・グループスコーピオンズ、ボン・ジョヴィ、アンヴィル
1984年 8月4日 001 ナゴヤ球場
8月6日 002 福岡スポーツセンター
8月8日 003 大阪南港
8月9日 004
8月11日 005 西武球場
8月12日 006
7800°FAHRENHEIT TOUR
1985年 4月20日 007 中野サンプラザ
4月21日 008
4月24日 009 名古屋市公会堂
4月25日 010 大阪厚生年金会館
4月28日 011 渋谷公会堂
4月29日 012
4月30日 013
5月2日 014 北海道厚生年金会館
JAPAN TOUR 1986[73]
1986年 8月11日 015 愛知厚生年金会館
8月12日 016 福岡サンパレス
8月13日 017 フェスティバルホール
8月14日 018
8月16日 019 神戸国際会館
8月18日 020 日本武道館
8月20日 021 横浜文化体育館
8月21日 022 宮城県民会館
8月23日 023 青森市文化会館
8月25日 024 北海道厚生年金会館
FromA LIVE-ALIVE '87 SPECIAL
BON JOVI[74]
1987年 9月24日 025 日本武道館
9月25日 026
9月28日 027
9月29日 028
9月30日 029
10月1日 030 横浜文化体育館
10月3日 031 愛知県体育館
10月5日 032 大阪城ホール
10月6日 033
10月7日 034 静岡産業館
Heat Beat Live '89 in Big Egg
【FINAL COUNT DOWN】
(出演:ボン・ジョヴィ、ラットキングダム・カム、ブリトニー・フォックス)[75]
1988年 12月31日 035 東京ドーム
Heat Beat Live '89 in Big Egg
【BLAST OFF TOKYO】
(出演:ボン・ジョヴィ、ラット、キングダム・カム)[76]
1989年 1月1日 036 東京ドーム
Sanyo Heat Beat Live '89
BON JOVI[76]
1989年 1月5日 037 大阪城ホール
1月6日 038
1月7日 - 大阪城ホール[77]
1月9日(振替公演) 039 大阪城ホール
1月10日 040 名古屋レインボーホール
1月11日 041
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション
THE BIG JOINT TOUR
(出演:ボン、ジョヴィ、シンデレラスキッド・ロウ、クワイアボーイズ)[78]
1990年 12月31日 042 東京ドーム
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション
BON JOVI[79]
1991年 1月3日 043 横浜アリーナ
1月5日 044 名古屋レインボーホール
1月8日 045 大阪城ホール
1月9日 046
Keep The Faith Tour[80]
1993年 6月2日 - 日本武道館[81]
6月3日 047 日本武道館
6月4日 048
6月6日(昼公演) 049 国立代々木競技場第一体育館
6月6日(夜公演) 050
6月7日 051
6月9日 052 大阪城ホール
6月10日 053
6月12日 054 広島サンプラザ
6月13日 055 名古屋国際会議場 センチュリーホール
6月16日 056 グリーンドーム前橋
6月17日 057 横浜文化体育館
JAPAN TOUR 1995[82]
1995年 5月13日 058 福岡ドーム
5月16日 059 阪急西宮スタジアム
5月19日 060 東京ドーム
VOLKSWAGEN PRESENTS
BON JOVI
Japan Tour 1996[83]
1996年 5月14日 061 福岡ドーム
5月16日 062 阪急西宮スタジアム
5月18日 063 横浜スタジアム
5月19日 064
5月20日 065

2000年 -

公演回数 会場
JAPAN TOUR 2000
2000年 7月12日 066 東京ドーム
7月13日 067
7月15日 068 ナゴヤドーム
7月18日 069 福岡ドーム
7月20日 070 大阪ドーム
ONE WILD NIGHT TOUR
2001年 3月28日 071 横浜アリーナ
3月29日 072
3月31日 073 大阪ドーム
4月3日 074 ナゴヤドーム
4月5日 075 東京ドーム
BON JOVI - MTV NATIONWIDE LIVE
2002年 9月11日 076 Zepp Tokyo
BOUNCE WORLD TOUR 2003
2003年 1月8日 077 札幌ドーム
1月11日 078 大阪ドーム
1月12日 079
1月14日 080 福岡ドーム
1月16日 081 東京ドーム
1月17日 082
1月19日 083 横浜アリーナ
1月21日 084 ナゴヤドーム
BON JOVI
HAVE A NICE DAY
Supported by RAV4
2006年 4月8日 085 東京ドーム
4月9日 086
4月12日 087 ナゴヤドーム
4月14日 088 大阪ドーム
4月15日 089
4月18日 090 札幌ドーム
ASAHI SUPER DRY
THE SUPER DRY LIVE
(出演:ボン・ジョヴィ、DREAMS COME TRUEMALCO
2007年 6月28日 091 神戸ワールド記念ホール
6月30日 092 日本武道館
WOWOW presents
Lost Highway
supported by LAWSON
2008年 1月11日 093 ナゴヤドーム
1月13日 094 東京ドーム
1月14日 095
1月16日 096 京セラドーム大阪
THE CIRCLE TOUR
2010年 11月30日 097 東京ドーム
12月1日 098
Because We Can: The Tour
2013年 12月3日 099 京セラドーム大阪
12月4日 100 東京ドーム
BON JOVI
THIS HOUSE IS NOT FOR SALE 2018 TOUR
2018年 11月26日 101 東京ドーム
11月27日 102 京セラドーム大阪

タイアップ曲

映画使用曲

公開年 タイトル 映画タイトル 備考
1987年 エッジ・オブ・ア・ブロークン・ハート 『ファット・ボーイズの突撃ヘルパー』(Disorderlies) 日本では劇場未公開
1990年 ヤツらは町へ ネイビー・シールズ』(Navy Seals) シン・リジィカバー
1991年 ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ ハーレーダビッドソン&マルボロマン』(Harley Davidson and the Marlboro Man) 日本では1992年公開
1994年 グッド・ガイズ・ドント・オールウェイズ・ウェア・ホワイト 『カウボーイ・ウェイ/荒野のヒーローN.Y.へ行く』(The Cowboy Way) 日本では劇場未公開
1999年 リアル・ライフ エドtv』(EDtv) 日本では2000年公開
2001年 リヴィン・オン・ア・プレイヤー ロック・スター』(Rock Star)
2003年 チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(Charlie's Angels: Full Throttle)
2004年 スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』(Scooby-Doo 2: Monsters Unleashed)
2007年 ロスト・ハイウェイ 団塊ボーイズ』(Wild Hogs) 日本では2008年公開
ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ

日本国内でのタイアップ曲

タイトル タイアップ先 備考
1988年 プライス・オブ・ラヴ TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディング・テーマ
リヴィン・オン・ア・プレイヤー 富士フイルムAXIACMソング CMにはメンバーも出演した
バッド・メディシン SANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソング
2000年 サンキュー テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌
セイヴ・ザ・ワールド ギャガ映画『U-571』日本版イメージ・ソング 映画にはジョンが出演している
2002年 バウンス フジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌
ディスタンス アサヒビールスーパードライ」CMソング
2005年 ハヴ・ア・ナイス・デイ TOYOTARAV4」CMソング
2006年 J SPORTSJ SPORTS STADIUM』テーマソング
2008年 ロスト・ハイウェイ NHK総合テレビNHK BS1メジャーリーグ中継』エンディング曲
2009年 ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー Wii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」CMソング
2010年 禁じられた愛 日清食品カップヌードル」CMソング 替え歌で使用された
2011年 ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー J SPORTS『メジャーリーグ中継』テーマソング

脚注

  1. ^ a b c Bon Jovi reviews, music, news”. sputnikmusic. Sputnikmusic.com. 2016年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c Bon Jovi|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2016年8月11日閲覧。
  3. ^ https://www.grammy.com/grammys/artists/bon-jovi
  4. ^ a b c d e f g h Bon Jovi – Chart History” (English). Billboard 200. ビルボード. 2014年10月8日閲覧。
  5. ^ a b c d Bon Jovi – ChartHistory” (English). Billboard Hot 100. ビルボード. 2014年10月8日閲覧。
  6. ^ a b c The AMAs | Winners Search”. アメリカン・ミュージック・アワード. Disc Clark. 2014年10月12日閲覧。
  7. ^ a b Bon Jovi to be inducted into U.K. Music Hall of Fame” (English). 米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP) (2006年9月11日). 2014年10月11日閲覧。
  8. ^ Songwriters Hall of Fame – Jon Bon Jovi Exhibit Home” (English). Songwriters Hall of Fame. 2014年10月8日閲覧。
  9. ^ Songwriters Hall of Fame – Richie Sambora Exhibit Home” (English). Songwriters Hall of Fame. 2014年10月8日閲覧。
  10. ^ a b 2008年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月8日閲覧。
  11. ^ a b Top 25 Tours of 2010” (English). ビルボード (2010年12月8日). 2014年10月11日閲覧。
  12. ^ a b 2013年度「最も稼いだコンサート・ツアー」海外ランキング、発表”. BARKS (2014年1月2日). 2014年3月30日閲覧。
  13. ^ ボン・ジョヴィ5年ぶり来日!11・27京セラD大阪公演決定”. スポーツニッポン (2018年6月25日). 2019年2月25日閲覧。
  14. ^ a b c 第3回日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会 (1989年). 2014年10月8日閲覧。
  15. ^ a b ボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラの脱退を明かす”. RO69. ロッキング・オン (2014年11月15日). 2015年8月15日閲覧。
  16. ^ シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, pp. 35–36.
  17. ^ a b c d e f BIOGRAPHY”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月9日閲覧。
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  19. ^ 1989 MTV Video Music Awards”. MTV. バイアコム. 2014年10月10日閲覧。
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  23. ^ ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ クロス・ロード”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  24. ^ THE RECORD 平成7年12月号 No.433” (PDF). 日本レコード協会. p. 5. 2014年10月10日閲覧。
  25. ^ シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, pp. 142–144.
  26. ^ a b シンコー・ミュージック・ムック アーカイブ・シリーズVol.2 ボン・ジョヴィ 2002, p. 163.
  27. ^ 7月12日(水) ボン・ジョヴィ@東京ドーム・レポート!”. BARKS (2000年7月19日). 2014年3月30日閲覧。
  28. ^ ウェンブリー・スタジアム、夏のコンサートに間に合わず”. BARKS (2006年4月3日). 2014年10月10日閲覧。
  29. ^ a b 2002年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  30. ^ ボン・ジョヴィの『Bounce』、米国でリリース”. BARKS (2002年10月9日). 2014年3月30日閲覧。
  31. ^ a b 2003年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  32. ^ 2006年のニュース”. ユニバーサルミュージック. 2014年10月10日閲覧。
  33. ^ a b Bon Jovi” (English). GRAMMY.com. ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス(NARAS). 2014年10月8日閲覧。
  34. ^ 2008年コンサート・ツアー収益No.1はボン・ジョヴィ”. BARKS (2008年12月13日). 2014年3月30日閲覧。
  35. ^ Search Past Tony Awards Winners and Nominees” (English). アメリカン・シアター・ウィング. 2014年10月11日閲覧。
  36. ^ 「ボン・ジョヴィ」ギタリストのリッチー・サンボラ、アルコール依存症治療のためリハビリ入所へ。”. Techinsight. ディアプロダクツジャパン (2011年5月2日). 2014年10月10日閲覧。
  37. ^ BURRN!シンコーミュージック・エンタテイメント、2013年4月、4頁。 
  38. ^ ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラ、新作『ホワット・アバウト・ナウ』のツアーから離脱”. RO69. ロッキング・オン (2013年4月4日). 2014年10月10日閲覧。
  39. ^ ボン・ジョヴィ、ティコ・トーレスの入院で南米ツアーが延期に”. RO69. ロッキング・オン (2013年9月13日). 2014年10月10日閲覧。
  40. ^ 緊急手術を受けていたボン・ジョヴィのティコ・トーレスがツアーに復帰”. RO69. ロッキング・オン (2013年10月11日). 2014年10月10日閲覧。
  41. ^ Bon Jovi インサイド・アウト”. NY ANNIVERSARY LIVE!. マイシアター、ライブ・ビューイング・ジャパン. 2014年10月11日閲覧。
  42. ^ ボン・ジョヴィ、名盤『NEW JERSEY』が幻の『サンズ・オブ・ビーチズ』として復活?”. BARKS (2014年6月11日). 2014年7月10日閲覧。
  43. ^ ボン・ジョヴィ、これまでバンドを支えてくれた世界中のファンへ贈る"ファン・アルバム" 8/21発売決定!”. ユニバーサルミュージック (2015年7月17日). 2015年8月15日閲覧。
  44. ^ ロックの殿堂、2018年の殿堂入りアーティストを発表”. NME JAPAN (2017年12月14日). 2018年4月15日閲覧。
  45. ^ ボン・ジョヴィ、ロックの殿堂でリッチー・サンボラとリユニオン”. BARKS (2018年4月15日). 2018年4月15日閲覧。
  46. ^ ドラマで主演した伊藤かずえもカバーしている。
  47. ^ Next 100 Years”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  48. ^ ボン・ジョヴィ、洋楽バンドで23年ぶりの…”. ORICON STYLE (2005年9月6日). 2014年3月30日閲覧。
  49. ^ ロスト・ハイウェイ〜リミテッド・エディション”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  50. ^ BON JOVI、新アルバムで偉業達成、テレビ出演時観覧募集も!”. BARKS (2007年6月19日). 2014年3月30日閲覧。
  51. ^ FINAL FANTAGY CRYSTAL CHRONICLES: The Crystal Bearers”. スクウェア・エニックス. 2014年10月10日閲覧。
  52. ^ ザ・サークル〜デラックス・エディション”. ORICON STYLE. 2014年10月10日閲覧。
  53. ^ ボン・ジョヴィ洋楽史上最多5作目首位「日本のファンに感謝」”. ORICON STYLE (2009年11月10日). 2014年3月30日閲覧。
  54. ^ ボン・ジョヴィ、記録達成おめでとう”. BARKS (2009年11月10日). 2014年3月30日閲覧。
  55. ^ ボン・ジョヴィ、東京ドームが大合唱!”. MTVジャパン. MTVネットワークス・ジャパン (2010年12月2日). 2014年10月10日閲覧。
  56. ^ 【ライブレポート】ボン・ジョヴィ来日公演100回目、旅はまだまだ続く”. BARKS (2013年12月5日). 2014年3月30日閲覧。
  57. ^ RICHIE SAMBORA | LINE UP”. SUMMER SONIC 2014. クリエイティブマン. 2014年10月11日閲覧。
  58. ^ ボン・ジョヴィ45回目、日本のスタジアム公演1位”. 日刊スポーツ (2018年11月27日). 2018年11月27日閲覧。
  59. ^ 1987 MTV Video Music Awards”. MTV. バイアコム (1987年9月11日). 2014年10月11日閲覧。
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  61. ^ 第8回日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会 (1994年). 2014年10月11日閲覧。
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  65. ^ The BRITs 1996” (English). 英国レコード産業協会 (1996年2月19日). 2014年10月11日閲覧。
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  68. ^ 第15回日本ゴールドディスク大賞”. 日本レコード協会 (2001年). 2014年10月11日閲覧。
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  72. ^ Winners List-Billboard Music Awards 2014” (English). ビルボード. 2014年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。
  73. ^ History of UDO Artists 1986”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  74. ^ History of UDO Artists 1987”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  75. ^ History of UDO Artists 1988”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  76. ^ a b History of UDO Artists 1989”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  77. ^ 昭和天皇崩御のため、開催が自粛された。
  78. ^ History of UDO Artists 1990”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  79. ^ History of UDO Artists 1991”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  80. ^ History of UDO Artists 1993”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  81. ^ ジョンが第1子出産に立ち会ったため、6月6日に振替となった。
  82. ^ History of UDO Artists 1995”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。
  83. ^ History of UDO Artists 1996”. ウドー音楽事務所. 2014年10月8日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

公式ウェブサイト
Bon Jovi (英語)
レコード会社ウェブサイト
BON JOVI(ボン・ジョヴィ) - UNIVERSAL MUSIC JAPAN (日本語)
YouTube
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BonJoviVEVO - YouTubeチャンネル
ボン・ジョヴィ / 日本へのメッセージ - YouTube
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